※注意
この作品には、wiiのゲームソフト
「涼宮ハルヒの激動」
のネタバレを若干含みます
未プレイの方、
ネタバレを気にする方はご注意ください

でも大したネタバレじゃありません←



















メタフィクション



ハルヒが近所の商店街で行われるダンス大会に出場すると意気込み、連日連夜に及ぶ特訓特訓また特訓の日々に明け暮れているおかげで、俺たちSOS団の面々も好むと好まざるとに関わりなく、連日総動員されていた頃の話である。
俺は慣れない振り付けの指示役なんぞに大抜擢――これこそ英断ってもんだろうよ。何せ俺にはダンスの経験なんぞ幼稚園のお遊戯程度しかない――されちまったせいで、軽快な音楽を聞くというより必死に追いながら指示表にかじり付き、あの古泉すら「滑稽」と苦笑混じりに評するような動きを繰り返していたのだが、その古泉の様子がどうもおかしかった。
ちゃっかりとレフ板係におさまったおかげで、やることと言えば余計な茶々を入れることとラジカセの再生ボタンを押すことくらいになっているのだから、もう少しお気楽な顔をしていたっていいだろうに、なにやら難しげな顔で考え込んでいることが多い。
一体何があったんだろうかと訝りつつも放っておくつもりだった俺に、古泉がとうとう話を振ってきたのは、ダンス大会を目前に控えた放課後、特訓終了直後のことだった。
俺としては日がとっぷり暮れるまで付き合わされたのだから、とっとと家に帰って飯を食い、この上なく健康的なお子様の如く9時前には眠ってやろうかなどと楽しい算段を立てていただけに、断ってやろうかと思わないでもなかったのだが、それまでの古泉の不審行動が気になっていただけに断れず、ずるずると部室に居残ることになっちまった。
着替えを終え、ぐったりと疲れ果てたご様子の朝比奈さんと、どんなに激しいダンスを踊らされても汗一つ流さないどころか、息一つ乱さなかった長門を引き連れて、年平均値から比べると非常に上機嫌かつ傍若無人な、しかしここ数日では平均的とでも言うしかない程度のハイテンションでハルヒは帰っていった。
薄暗い部室の中で野郎と二人きりなんてのは俺としても非常に楽しくないどころか、これで間違った噂でも立った挙句嫁の来手がなくなったらどうしてくれようか、いいからとっとと話をして終らせてくれ、と祈るような心持ちになりながら、俺は古泉に言った。
「話ってのは何だ」
「数日前の練習の時のことを覚えてらっしゃいますか? 涼宮さんが不在で、我々は放課後、随分遅くなってから屋上で、長門さんと共にダンスの練習をしましたよね? あの時のことです」
「そりゃ…覚えてはいるが、それがどうした?」
訝る俺に、古泉はどこまでも真面目かつ真剣に言う。
「あなたは長門さんに指示を出すので精一杯だったようですから、気がついていらっしゃらなかったようですね。あの時の曲がどのようなものだったか、覚えていませんか?」
「あー……すまん、忘れた」
何しろハルヒと来たら毎回毎回練習曲を変えてくるのだ。
おかげでここ数日というもの、毎日毎日新しい曲だのよく分からん特訓メニューだのに付き合わされ、俺の脳内ではあらゆる使用楽曲が指示表の内容と共にミックスジュースになりかかっている。
「そうだと思いました」
とやっとここでいつもの苦笑を見せた古泉は、ポケットからCDを取り出し、
「ここにちゃんと用意してありますから、聞いてみてください」
と言って、俺の返事も聞かずにそれをCDラジカセでかけた。
流れてきたのは、なんというか、ハルヒが選んだにしては格好がよく、長門のイメージに合う曲だったのだが、一部に気になる部分があった。
「…何かおかしくないか?」
「どうやら、気がついていただけたようですね」
そう言って古泉は曲を巻き戻し、冒頭、間奏部分、ラストと曲の中の台詞部分だけを繰り返して聞かせてみせた。
そうやって強調されると、この曲の異様な部分が更に際立つ。
「おかしいだろう。なんだ? この曲は…」
細部はいくらか違っているような気もするが、そこに歌詞として含まれている台詞は長門が俺にだけ告げたものだ。
ほかの誰かが知っているはずもない。
おまけに、この声は長門の声そのものじゃないか?
「あいつが歌ったのか?」
「僕もそう思って長門さんに確かめました」
答えは?
「否定でした。しかし、この声が彼女のものであるということは、肯定してくださっています」
「…一体どういうことだ」
「それを考える前に、もうひとつ聞いていただきたいことがあるんです」
そう言って古泉はCDを止めた。
「このCDは涼宮さんが用意された物を僕が彼女に頼んでコピーさせてもらったもので、ダンスの練習に使ったものと違って、短く編集する前のものです。その上で、僕はこの曲について調べました。タイトルと作詞者、作曲者については、涼宮さんがメモを書いてくださったので分かったのですが、その情報を調べてみると、とんでもないことが分かったんですよ。…いえ、それとも、分からなかった、と言うべきでしょうか」
どういうことだ。
もったいぶらずに話せ。
「では、簡潔に言いましょう」
そう言っておいて古泉は取り出したCDを目の前にかざし、皮肉っぽい笑いを見せた。
「このような曲はこの世界に存在しない。――それが、僕の得た結論です」
「……なんだって?」
しかし実際そこにあるじゃないかという突っ込みは必要ないだろう。
存在しないというのは、そういう意味ではないはずだ。
「音楽データとしてここに存在してはいます。しかし、このような曲はどこにも登録されておらず、作詞者と作曲者ともに、存在しないのです。しかし、このクオリティの高さは素人の仕事とは思えません。ましてや、歌っているのは長門さん当人ではないものの、全く同じ声の持ち主です」
「待ってくれ、全く訳が分からん」
「ご安心ください。訳が分からないのは僕も同じですよ」
と古泉は苦笑した。
「僕なりの考えがないわけでもありませんが、それだって、空想でしかありません。推理とも予測ともいえないものですよ」
「俺はそんなことを考える以前の問題だ。それを用意したのはハルヒなんだろう?」
「ええ、涼宮さんです。しかし、彼女はこの曲に違和感を抱いてはいないでしょう。おそらくですが、これを歌っているのが長門さんかもしれないとさえ、思っていないのではありませんか? よく似た声の持ち主だという程度の認識しかない可能性も十分あります」
「実際そうなのかもしれん。ハルヒのことだ、どうせこれもネットで無断コピーしてきたんだろう。誰か素人がオリジナルの楽曲をネット上で流しているだけで、たまたまお前が調べた時にはすでにデータがなくなっていたと言う可能性だってなくはないだろう?」
「ええ、そうですね。その可能性も、ないとは言い切れません。しかし…どちらにせよ、おかしいでしょう。涼宮さんは気付いてませんし、幸いなことに興味を示してもおられないようですが、この歌詞の中に登場する『情報統合思念体』といった言葉はどう考えても我々関係者しか知りえないものです」
「どこかから情報が漏れたのかもな」
そんなことはないだろうと思いながらそう言えば、
「そう思って今精査してもらっているところですよ」
と小さく笑った古泉に、俺は確かめる。
「ハルヒが長門とかお前らのことに気がついたと言う可能性はないんだな?」
「そんなことがあったら、彼女のことです。ストレートに僕たちを問い詰めるかどうかしていたでしょうね。彼女はむしろ、あの楽曲に含まれる異様な単語に気付いてすらいないのではないでしょうか」
「気付いてないって……」
「勿論、音声として認識しているでしょう。でも、その意味を捉えようとしていない。…あなたにもありませんか? 耳から音声は確かに入ってきているのに、その意味が理解出来ないということが」
「英語の授業中なんかにはよくあるな」
俺が言うと古泉は苦笑して、
「そうやって誤魔化したい気持ちも分かりますけど、そういう意味ではありませんよ。日本語で、聞き取れているはずなのに意味が理解出来ない、あるいはそうしたいと思わないということくらい、あるでしょう? 別のことに集中している時や、あるいはそれが自分にとって無関係な話題であるような時に」
「…まあ……あるな」
「それと同じように、彼女もあの台詞を理解していないのですよ。だから、何も問題にはなっていないのです」
「で、結局あの曲はなんなんだ?」
「分かりません。分からなかったと、さっきも申し上げましたよ」
からかうように言っておいて、
「しかし、」
と古泉はすっとその顔から笑みを消した。
普段へらへら笑っているのがデフォルトになっているからか、こいつのそんな顔ははっきり言って怖いくらいの迫力を伴っているように思える。
いつもは気がつかなかったのだが、実際、笑顔を浮かべていなければこいつは女子にもてることなんぞなくなるに違いないとそう思わせるくらいの顔だちをしている。
そういうつもりはないのだろうが、まるで相手を脅そうとしているように思えるくらい、目つきも悪い。
案外、こいつの本性はそんなものなんだろうか、などと俺が逃避めいたことを考えていると気付いているのかいないのか、古泉は続きを口にした。
「いくつかの空想は可能です。たとえば、彼女がダンスにぴったりの楽曲を望み、その結果としてあの曲が現れたという可能性もないとは言えません」
そういえばハルヒはそういうとんでもなく便利な――そして同時に傍迷惑な――力の持ち主だったな。
何でもありなのはこれまでで何度も経験済みだ。
「あるいは、彼女ではない別の存在があの曲を用意して見せたという可能性もあります。その場合、そうですね、その別の存在というのは、長門さんの属する、でなければ、彼女とは別の情報生命体である、というのが無難でしょうか。ただの人間には、都合よく彼女の前に提示するということは至難の業でしょうし、痕跡も残さずに証拠隠滅を図るというのも困難でしょうから」
その場合、そんなことをした理由は俺たちの様子見か、あるいはハルヒ自身の観察ってところか。
「そうなるでしょうね。……でも、僕が一番恐れている可能性が現実であるというパターンも、否定は出来ないんです」
「お前が一番…?」
どういうことだ、と首を傾げる俺に、古泉は無理に笑って見せた。
いくらかぎこちなく強張った笑みのまま、古泉は語り始める。
「キャラクターソング、と呼ばれるものを、あなたはご存知でしょうか?」
「そりゃまあ、知らないわけでもないが」
妹が土日の朝のアニメだの特撮だのの歌をふんふん調子っ外れに歌ってたりするし、クラスでだべってたらアニメなんかの話が聞こえてくることもあるからな。
で、それがこの話にどう関わってくるんだ?
「キャラクターソングというのは、特定のキャラクターの視点に立った歌や、それをモチーフとした歌の場合と、俳優や声優などがその演じたキャラクターとして歌った歌の場合とがあるとされています。どちらかというと、後者の定義の方が意味は狭いですが一般的でしょうか。俳優、あるいは声優が、演じたキャラクター、つまり現実には存在しない、創作の中の人物として歌うということは、その歌詞に、そのキャラクターしか知りえないことや、本来そのキャラクターが公言してはならないような秘密すら織り込むことが出来るということでもあるでしょう」
「古泉、お前、何が言いたい」
思わず遮りながらも、残念なことに、俺の耳には古泉の言葉がきちんと届いており、理解も出来ていた。
いやむしろ、この先にくる結論も予想がついていた。
古泉は、どこか冷めたような、しかしながら絶望をかすかに孕んだような、シェイクスピア四大悲劇の主人公がこれから自殺を図るとでも言うような笑みで言った。
「あの曲が、そのキャラクターソングであるとしたら、長門さんが創作物の中のキャラクターということになり、彼女と同じ現実を共用している我々もまた、ただのキャラクターに過ぎない、非現実の存在である、ということにはなりませんか? …僕は、それが一番恐ろしいのです」
俺もしばらく沈黙するしかなかった。
こんな時、どう言えばいい?
誰か分かる奴がいるならここに来て、そのお手本とやらを見せてくれ。
いや、そのまま古泉を元気付けてやってくれたって構わない。
俺には荷が重すぎる。
しかし、残念ながらここには俺しかおらず、古泉もまた黙り込んでいる以上、俺が喋るしかないらしい。
俺はせめてこの重苦しい沈黙を追い払いたくて、
「…登場人物が自分からそんなことを言い出したら、メタフィクションになっちまうな」
とぽつりと呟いてみた。
古泉は小さくクッと喉を鳴らして笑ったようだった。
それが本当に笑いと呼べるものなのか、俺にはよく分からなかったが、多分、笑ったんだろう。
泣いたようでも、怒ったようでもなかったから、そう思っておくことにする。
「まさにそれです。メタフィクションの世界だからこそ、涼宮さんもまた何の疑問も持たないのでしょう。そして、そうであれば、あの曲も、あるいは今度のダンス大会の企画さえも、本当の現実世界、この世界を創作物として楽しむ現実から、与えられたものであると言えるのでしょう」
……メタフィクションといえば、この前、新聞でこういう作品を読んだ。
ある精神科医のもとにやってきた男性患者が、自らは小説の中の人物であり、この小説はもうすぐさま終ってしまうかもしれないというような話をする、といった内容だったように思う。
実際、新聞にしてほんの一ページでしかないその小さな作品は、精神科医がまさかと思ったところで無惨にも終了を告げていた。
「あなたも読んでおられましたか」
と苦笑するように古泉が言ったと言うことは、こいつも読んだのだろう。
だからそんな考えに捕われたりするんだ。
「たまたまな」
「それで、あなたはどうします? この世界が現実ではないかもしれないと知って」
「別に、どうもしないさ」
たとえ俺がただの登場人物に過ぎないとしても、人生という本の最後の一ページが終るまで足掻いて見っとも無く生きるしかないことには、これが現実でもこれが紙の上でも変わらないことだろう。
くだらないことを考えて読者を退屈させている暇があるなら、もっと紙面狭しと動き回って、紙の上なんかに留まらず、あちこちに飛び出してやればいい。
そうすりゃ、たとえ作品が終ったとしても他の媒体で広げられるかも分からんし、あるいは勝手にいじくってくれるファンというやつが現れるかも分からんだろ。
そうでなくても、もし俺たちが小説の登場人物だとしたら、それを読んでくれる読者というのがいる限り、死に絶えたりしないのだろう。
世界が終わると言うこともないはずだ。
「…あなたには敵いませんね」
と言って古泉は笑った。
今度こそ、確証をもって笑顔だと言える、はっきりとした明るい笑顔だった。