この作品はコンピ研部長氏×キョンです
古キョンはありません
それをご理解の上でどうぞー
文化祭も終った秋のこと。 俺がいつものように自動操縦状態さながらの足取りで部室棟の三階に上がると、文芸部室の向こう、コンピ研の前に人が立っているのが見えた。 よく見るまでもなく、それがコンピ研の部長氏だということは分かったのだが、そうなると、どうして中にも入らずに佇んでいるのかと言うことが分からなかった。 うちと違って着替えを必要とする女子生徒がいるわけでもないだろうに。 大体、コンピ研には女子部員はいない。 長門が時々お邪魔させてもらっているようだが、兼部することは徹底して固辞したそうで、以前部長氏に愚痴られたこともある。 俺は疑問を持ったまま、なんとなく足音を殺して部長氏に近づいた。 ぼんやりとドアを見つめている部長氏の様子からすると、足音を消すまでもなく、気付かれなかったというような気もするんだが、そこはそれ、気分と言う奴だ。 「何やってるんですか?」 と一応最上級生及びハルヒの被害者である部長氏によく分からん敬意を払い、敬語で話しかけてみると、 「わっ!?」 と驚きの声を上げて部長氏が飛び退いた。 その後、慌てて自分の口を押さえたりしながらコンピ研の方を見ているが、どうやら中の連中に気付かれた気配はないと分かってほっとしたようだった。 …そんなのが、見ているだけで分かる。 なんというか、非常に分かりやすい人だと思う。 普段、周りにいるのが色んな意味で分かり辛い連中ばかりなだけに、この反応は見ていて面白かった。 俺は笑いたくなるのを堪え、ただの愛想笑い程度に見えるよう調節しながら言った。 「入らないんですか?」 「え? あ、ああ……僕はもう、引退したからね」 そう言いながらも、部長氏ならぬ元部長氏の目は寂しげに部室を見ている。 よっぽど楽しかったんだろうな。 あるいは、そればっかりしてたとかか。 「そういえば、普通ならもうとっくに引退してる時期でしたね」 「君のところは?」 うちの最上級生はハルヒのお気に入りだ。 「あのハルヒが朝比奈さんの引退を認める日が来るとは思えませんね」 俺がそう言うと元部長氏も力なくだが笑った。 その笑い方や寂しそうな肩の辺りが、なんとなく気になっちまった。 だから俺は、 「暇ですか?」 「え? …そう、だね。暇といえば暇かな。どうかした?」 「俺でよければ愚痴くらい聞きますよ。で、ついでにコーヒーでもおごってください」 あつかましくもそんな風に言ってみたのだが、元――一々元と言うのもいい加減鬱陶しいな。 新しい部長を知らないんだから、このまま部長氏と呼ばせてもらうことにするか――部長氏にはこれくらい強気に出た方が有効らしい。 面白がるように笑って、 「いいよ。下の自販機のコーヒーでいいならね」 というわけで、俺はカバンを持ったまま、さっき上ってきたばかりの階段を下り、部長氏と一緒に食堂の隅に座ってコーヒーをすすっているわけである。 「部長氏って、2年のときから部長をしてましたよね?」 「ああ、うん。僕の上の学年は誰も入らなかったからね。だから、僕がずっと部長を務めたんだけど、それだけに、引退すると寂しくてね」 「あの部員なら、顔を出しても歓迎してくれそうですけどね」 それくらい慕われているように見えたが。 「だめだよ」 後ろ向きにでなく、部長氏は笑って言った。 「たとえ歓迎してくれるとしても、引退した人間は出入りしない方がいいものだからね。お互いのためにも」 でも寂しいわけか。 「部長氏も他に何かやることを探したらいいんじゃないですか?」 とまるで定年退職したサラリーマンに言うようなことを言ってみると、部長氏はため息を吐いて、 「やらなきゃならないことはいくらでもあるんだけどね」 そういえばこの人は受験生だったか。 「やらなきゃならないことじゃなくて、やりたいことを、です。逃避するんじゃまずいでしょうけどね。まあ、息抜きとしてでも」 「うーん……」 と悩んでいるところからしても、本当に真面目な人なんだなと思う。 そんな人が何の因果でSOS団なんかに巻き込まれちまったんだか。 ……可哀想に。 それに、なんかほっとけない感じがするんだよな、この人。 ――と、そんなことを思っちまった時、何か妙なフラグが立っていたらしい。 その日なんとなくで電話番号やらメールアドレスやらを交換して以来、俺は部長氏と度々会うようになっていった。 部長氏の息抜きに付き合う、という口実であったものの、俺もハルヒのことを喋れる範囲内でとはいえ愚痴らせてもらったりしたから、悪い気はしなかった。 むしろ、段々部長氏に会うのが楽しみになってきて、なんだか危ないんじゃないかと思い始めた。 そんな頃、朝比奈さんには、 「最近キョンくん楽しそうですねぇ」 と言われ、古泉にはどこか見透かされるような笑みと共に、 「いい息抜きの方法でも見つけたんですか?」 と聞かれ、お前はどうせ知ってるんだろと言い返す代わりに軽く殴っておいた。 そうして、自分の方に余裕が出来ちまえば、ハルヒを軽くいなしたりあしらったりするなんてのもそう難しいことじゃなく思える。 実際、そうだったのだが、 「…なんかつまんない」 とハルヒが尖った唇で不機嫌に呟いて困惑させられた。 なんだそりゃ。 「つまんないわよ。余裕たっぷりのあんたなんて、面白くもなんともないわ。もっとこう――…そう、慌てふためいてる方があんたらしいのに」 ほっとけ。 「なんかあったの?」 不思議そう、というよりは何か心配でもするような調子で聞いてきたハルヒに、俺は首を傾げる。 それはハルヒの質問の答えが分からないというのではなく、どうしてハルヒがそんな顔をするのか理解出来なかったからだ。 それでも一応、 「別に、なんも」 と嘘を吐く。 部長氏のことを言ったらまた余計にもめそうだからな。 結局ハルヒはそのまま不機嫌な面で過ごし、帰りもひとりでさっさと帰っちまった。 …一体何なんだか。 「本当に分からないんですか?」 呆れを含んだ声で古泉が聞いてきたのへむっと眉を寄せながら、 「さっぱりだ」 と正直に返せば、深いため息を吐かれた。 無性に腹が立つ。 「本当に、あなたは鈍い人ですね。いえ、普段は鋭すぎるほど鋭いことの方が多いとは思うのですが、こと恋愛に関してはどうしてそこまで鈍いのか。……わざとそうしてるんだったりします?」 してねぇよ。 大体、ハルヒの機嫌の悪さのどこに恋愛が絡んでるっつうんだ。 「本気で言ってるんですか?」 驚くように目を見開いた古泉に、俺は首を傾げつつ、 「本気以外の何に見える」 「……もう、いいです」 はぁ、とさっき以上に深いため息を吐いた古泉は、独り言のように、 「あんまり鈍いのも残酷だな…」 と呟いた。 なんだそれ、と聞くより前に、古泉が、 「それでは、僕はこれで」 と離れていき、俺は仕方なく、疑問符を抱えたまま帰ろうとしていたのだが、途中で足を止めた。 なんでかというと、視界の端に知り合いの姿を見つけたような気がしたからだ。 さて、今のは誰だと思いながら追いかけようとして、それが部長氏だと分かった。 買出しでもするのか、スーパーに入ってしまったので、声を掛けることは出来なかったのだが、なんとなく気になり、俺はそれを追いかけるようにふらふらとスーパーに入っていた。 そのくせ、部長氏には声を掛けずに、その後を追うんだから、全く、ストーカーと罵られても仕方がないような始末である。 部長氏が俺に見られていることにも気がつかず、生鮮食品売り場を素通りし、カップ麺やレトルト食品なんかをカゴに放り込み、それから吟味に吟味を重ねた上で、みたらし団子をカゴに入れ、そのままレジに向かおうとしたので、 「ちょっと待った!」 と俺は思わず止めに入っていた。 「え? あ、あれ? キョンくん、君も買い物…?」 驚いているらしい部長氏に、俺は思いっきり顔をしかめ、 「さっきからみてたんですが、なんなんですか、これは」 いくら一人暮らしにしてもこれはないだろう。 こんな食生活をずっと続けてきたというのか? 今はよくても絶対後でがたが来るぞ。 「野菜とか食べないんですか」 「料理はあんまり得意じゃなくて……」 それならせめて惣菜を買うくらいしてほしい。 サラダくらいなら自分で作れるだろうし。 俺は部長氏からカゴを奪うと、有無を言わさず不健康極まりない食品類を戻し、改めて野菜だの魚だのを放り込み始める。 気をつけたのは栄養のバランスと、先に入ってたものより高くならないようにするということくらいだ。 部長氏に食べ物の好みを聞きもせずに食品をそろえると、部長氏に支払わせ、荷物を抱えて部長氏の家に向かっていた。 「なんでうちを知って…」 と戸惑っている部長氏には、 「前にちょっと用事があって来たんですよ」 と返す。 俺の声があまりに憤然としていたからか、部長氏はそれ以上何も言わず、大人しくついてきた。 そうして強引に上がりこんだ部屋は、受験生ゆえの忙しさからか、一年ばかり前に来た時と比べてもえらく散らかっていて、俺は軽い目眩を感じながら、とりあえずはと食材を空っぽの冷蔵庫に仕舞いこんだ。 夕食にはまだ時間があるから、先に掃除だな、こりゃ。 「ゴミ袋、どこですか」 俺が聞くと、部長氏は困惑しながらも大人しくゴミ袋を出してきた。 そればかりか、一応手伝うつもりもあるらしい。 「要るものがあったら止めてくださいね」 とだけ言って俺は散らかったゴミを片付け始める。 部屋の中は、絵に描いたような、男子高校生の一人住まいという有様である。 食べかすは落ちてる。 いらなくなったプリントは撒いてある。 部長氏らしく、パソコン雑誌なんかも落ちていたがこれは流石に捨てたらまずかろうと部屋の隅に積み上げておいた。 掃除機を引っ張り出させ、部屋中綺麗になったと安心した頃には、夕食に丁度いい時間になっていたので、俺は夕食の支度を始める。 と言っても、俺もたいしたものは作れやしないので、なんとかあった米を炊いて、野菜炒めで中華丼もどきを作るくらいだが。 多めに作っておいた野菜炒めをフリージングして、 「これ、電子レンジで温めて食べてくださいね。今度また何か作るかお袋に作ってもらうかして持ってきますから、ちゃんと栄養を取ること。受験前に体を壊したら元も子もないでしょう?」 「う、うん。ありがとう。でも、いいのかな…」 「いいも悪いもないでしょう。俺が気になるんですから」 本当に、なんでここまで気になるんだか自分でも分からんがな。 ただ、部長氏が栄養失調で野垂れ死にでもしたらと思うと心配でならない。 それだけだ。 「それより、さっさと食べてください」 「うん。…いただきます」 律儀に手をあわせて中華丼もどきを食べ始めた部長氏は、嬉しそうに、 「ん、おいしいね。キョンくんは料理も得意なんだ」 「得意ってほどでもないですけどね」 小さい頃から手伝わされてれば誰でもこれくらいのことは出来るだろう。 そう思いながら、フライパンなんぞを洗い始めていると、背後で部長氏が小さく笑うのが聞こえたので、 「…なんですか」 と精一杯不機嫌な顔を作って振り向けば、 「いや、なんだか……」 くすくすと笑いながら、部長氏は本当に何気ない風で言った。 「…お嫁さんをもらったみたいだな、って」 「え」 思わず絶句した後、自分の体温がどうしようもなく跳ね上がるのを感じた。 だからと言って怒っている感じではない。 むず痒いような、くすぐったいような、でも、不快ではない感覚が俺をうろたえさせる。 鏡を見なくても、自分が真っ赤になっているのが分かる。 心臓が痛い。 なんだこれ。 これじゃ、まるで、俺が――。 「キョンくん?」 部長氏が驚いているのが見えて、俺はやっと正気を取り戻した。 「っ、お、お邪魔しました…!」 そう叫んで部屋を飛び出すのがやっとで、近くの公園に逃げ込むまで、自分が荷物を忘れたことにも、自分の手が洗剤で泡だらけだということにも、気がつかなかった。 自分の鈍感さを呪いたいのは、荷物を忘れて来たことについてなんかじゃない。 古泉に言われた通りだ。 自分がなんで部長氏にあんな風にしたがったのかなんてことも分かっちゃいなかった。 馬鹿だ。 本当に、大馬鹿だ。 あんなんじゃ、部長氏にも気付かれただろう。 そうしたらきっと、これまでのように話をすることも出来なくなる。 そう思うだけで、胸が痛んだ。 なんでだ。 どうして部長氏なんだ。 どうして、好きになった? 曖昧模糊としていた感情を「好き」という言葉にするだけで胸が苦しい。 いっそ気付かなきゃよかった。 …いや、今からでも間に合う。 忘れろ、全力で忘れちまえ。 こんなもん、ただの気の迷い、思いがけないことを言われたせいで驚いて、変な反応をしちまっただけだ。 自分を無理矢理納得させようと繰り返し繰り返し呟きつつ、水呑場の蛇口を捻って泡塗れの手を洗い、頭から水を被る。 季節柄冷たすぎるくらいの水がちょうどよく感じられるほど、俺の顔は熱かった。 熱を持った目尻を水で冷やし、すっきりしたと思ったのに、 「風邪引くよ」 と声を掛けられて、水滴がまるで涙のように零れた。 「なん、で……」 「なんでって……カバン、忘れてったし、いきなり飛び出すからびっくりして……」 困ったように言う部長氏は、心配そうに俺のぐしゃぐしゃになった髪をかき上げ、 「大丈夫?」 「っ……触らないで、ください…っ」 その手を振り払った拍子にまた、水滴がぼろぼろと零れ落ちていく。 それが生温い気がしてくるのは、俺の高すぎる体温で温まってしまったせいだと思いたい。 「ごめんね、変なことを言って驚かせたりして……」 そう謝る部長氏は、俺が飛び出した本当の理由を分かっていないんだろう。 鈍感さゆえのその残酷さにズキズキと胸が痛み、古泉が呟いていた言葉が思い出された。 本当に、酷すぎる。 俺はこんなに部長氏が好きなのに、全く気付いてくれない。 気付いてくれないまま、余計に好きになってしまいそうな優しさを見せる。 なんて残酷なんだろうと思った。 ひくりと横隔膜が痙攣する。 「ごめん、ごめんね。…頼むから、もう、泣かないで……」 「泣いて、なんか…っ……」 「……うん」 宥めるように頷いた部長氏が、俺に手を伸ばす。 さっきは振り払ったはずの手が、暖かくて、優しくて、振り解けないまま、抱き締められる。 「よしよし」 とまるきり子供にするように背中を撫でられて、余計に視界が歪んだ。 「ごめん。……でも、僕は…」 何か言い掛けて、部長氏は言葉を途切れさせた。 その先に何が続くのか全く予想も出来ない俺は、じっと続きを待つしかない。 触れた手がとても暖かくて、離せない。 「ぶ、ちょ……?」 「……本当に、君がお嫁さんになってくれるなら、いいのにな」 苦笑混じりに呟かれた言葉に、心臓が跳ねる。 「…え……」 「いや、そうなったら便利とかそういうことじゃなくって、その、このところいつも愚痴を聞いてもらったりしてただろ? それも、あって……本当に、君といるのが楽しかったんだ。それなのに、いや、それで調子に乗ってあんなことを言って、驚かせてしまったのは本当に悪いと思ってる。ごめん」 さっきとは違う意味で、心臓が痛い。 顔がまた熱くなってくる。 そんなことを言われたら、否が応にも期待しちまう、という呟きは口の端から漏れていたらしい。 「期待って?」 「……」 絶対、気持ち悪がられる。 嫌がられる。 嫌われる。 そう分かっている。 それ以上に、部長氏を巻き込みたくないと思うくらい、特殊な状況に俺は置かれている。 なのに、俺は我慢が出来なかった。 ぎゅっとすがるように、あるいは逃がさないために、部長氏の、いくらか華奢ですらある体を抱き締めて、聞こえなければいいと思うほどの小さな声で呟いた。 「…部長氏の、なら、…なっても、いい、です」 部長氏の目が驚きに見開かれるのを見て、やっぱりだめなんだと思った。 それなのに、部長氏は俺を突き飛ばそうとしなかった。 それどころか、抱き締める腕に力を込めて、 「本当に?」 と目を細めて囁く。 頷くのがやっとの俺に、部長氏は満足気に微笑んで、 「それじゃあまずは、その部長氏って呼び方をやめてもらおうかな。それから、そろそろ君の本名も教えて欲しいし」 「え、あ、そう…ですね」 一体何が起きているのか把握しかねて、混乱気味の俺に、部長氏は優しく、 「とりあえず、部屋に戻ってからにしようか。このままだと風邪を引きそうだから」 頷きながら、俺は部長氏を離せない。 苦笑した部長氏は、俺の手を引き剥がすのではなく優しく握り締めて、 「大丈夫だから」 と言い聞かせる。 それだけのことがどうしようもなく嬉しくて、頭がぼーっとしてしまいそうで。 思わず小さな声で、 「好きです」 と呟くと、部長氏は柔らかく笑って頷いてくれた。 |