猫耳じゃないけど猫キョンです
そういうのが苦手な方はお引き帰しください




























へたれな飼い主と猫 (前編)



僕の飼っている猫は、とても可愛い。
ちょっと珍しい焦げ茶色一色の毛並みも瞳も愛らしくて、生まれてまだ数ヶ月にしかならなかった頃なんて、本当にぬいぐるみのようだった。
一人暮らしで寂しいから、と飼い始めただけだったはずなのに、気がつけばめろめろにされていたくらい可愛かったのは、彼の態度もだ。
少し僕の姿が見えなくなるだけで、可愛らしく鳴きながら僕の姿を探して家中歩き回る彼を、ひとりきりで家の中に置いていくことに耐えられず、お隣りの森さんに僕が外出する間、彼を託すようになったくらいだ。
いえ、可能ならばずっと一緒にいたかったくらいですよ?
でも、しがない学生の身分では、そうもいかないじゃないですか。
毎朝の別れがとても辛かったです。
そんな彼も、今では、もうそろそろ大人と言えるような体つきになってきていて、態度の面では可愛らしかった頃の面影もうかがえないくらいだ。
僕よりもむしろ森さんの方が好きで、僕にはなかなか撫でさせてもくれないし、鳴き声も食事をねだる時にドスのきいた低い声を聞かせてくれるばかりだ。
それでも、寒くなってくると僕の布団に潜り込んで眠ってくれるのが唯一の楽しみだった。
「キョンくん」
と呼んでも、横着してなのか、頭をこっちに向けてくれることもなく、尻尾を軽く揺らして返事とするばかり。
「キョンくん、キョンくん、キョーンーくーんー」
繰り返し呼ぶとその度に揺れていた尻尾が止まり、ギロリとこげ茶の瞳で睨まれてしまった。
「たまには一緒に遊びませんか? 新しいおもちゃも買ったんですよ」
猫相手に敬語を使う僕を笑いたくば笑うがいい。
それくらい僕は彼が可愛くて堪らず、それくらい彼は機嫌を取るのも難しい猫なのだ。
新しいおもちゃ、であるところのまたたび入りボールをちらつかせると、ぴくんと彼が反応した。
これがまたたびの効果というものなんだろうか。
これまでは彼がまだ小さいからとまたたびは与えずに来たんだけれど、もういいだろうと買って来たのは正解だったかも知れない。
ちょっと匂っただけだろうに、それでも彼が反応したのが嬉しくて、思わず笑みが浮かぶ。
「ほら、興味あるでしょう?」
彼がこっちを向き、赤い首輪についている鈴がちりんと鳴った。
その目はじっと僕……ではなく、僕の持っている真っ赤なボールに向けられている。
彼を引き付けるために、僕はボールを左右に動かす。
ゆらゆらと、ゆっくり。
それにあわせて彼の目が動くのも可愛らしい。
そうこうするうちに、彼が狩りの姿勢に入る。
頭を低く下げ、脚は縮めたばねのように力を溜め込む。
ここで飛びつかれると多分、僕の手もタダでは済まされない。
しかし、ボールを放り出すと彼は僕に近寄らず、ボールに突進して行くだけになるだろう。
それくらいなら僕は、手の怪我なんて厭わない。
猫バカ丸出しなことを考えながら、いつ彼に飛びつかれるかとその緊張感を味わう。
こんな風に一緒になって遊ぶのもいつ以来だろう、と思ったその隙を突くように、彼が飛び掛ってきた。
その鼻先にボールが触れた、と思った瞬間、それは起こった。
「…っくし!」
可愛いくしゃみが聞こえたのは分かった。
その直後、自分が何かに押し倒されるような形でフローリングの上に仰向けで転がったのも。
しかし、一体何が起こったのかは分からなかった。
気がつけば、僕は同い年くらいの男性に押し倒されていた。
「……キョン、くん…?」
まさかと思いながら声を掛けたのは、目に見える範囲にキョンくんの姿が見えなかったためと、僕を押し倒している男性がまだ僕が握り締めたままになっているまたたびボールに鼻をすり寄せようとしているからだ。
彼はきょとんとした顔をして、
「どうかしたのか?」
と言った……。

そりゃあ僕だって、性志向が人とは若干違った方向に向かっているとはいえ、健全な男子高校生ですからね。
夢見がち過ぎてイタイことだって考えますよ。
考えたりしてしまいますよ。
でも、それにしたって、これはないんじゃないでしょうか。
目の前で、可愛がっていた飼い猫が、僕の好みどストライクな男性に変わるなんて。
そこまで酷い妄想なんて、したこともなかったのに!
「古泉? なあ、どうかしたのか?」
裸のまま、彼は僕の上から退こうともせず、じっと僕を見つめている。
まだボールへの興味が残っているようではあるけれど、それ以上に心配してくれているんだとしたら嬉しくてならない。
実際のところはどうなのか分からないけれど。
彼は裸だと言ったけれど、もとからつけていた首輪はどういう原理なのか、そのままついていた。
首周りの太さも変わっているんだから、千切れても不思議じゃないのに。
ついでに言うと僕は安全のために、どこかに引っかかったりして力が加わると勝手に千切れるタイプの首輪を採用したはずなんだけど。
混乱しながら、僕は彼を見つめる。
不審そうに寄せられた眉。
猫だった時と変わらない、こげ茶の瞳と髪。
細身の体。
首輪しか身につけていないせいで、隠すべきものも隠せていないけれど、彼はとても綺麗だ。
……というか、そういうところまで僕好みってどうなんですか。
ああ、これは夢なんですね。
そうなんでしょう?
「古泉、呼んでるんだから返事しろよ」
怒ったように眉を寄せた顔も可愛らしい。
上目遣いとか、危険です。
物凄く。
彼は全然分かってないんでしょうけど。
「すみません。ええと、あなたは……」
「何言ってんだ? さっき呼んだだろうが?」
彼は僕の顔の横に手を置き、僕の顔を覗き込んでくる。
心配そうにしてくれるということは、僕にそれなりの愛着を抱いてくれているということなんだろうか。
…なんて思考をそらそうとするけど難しい。
だって、普通無理でしょう?
全裸の、物凄く好みの男性に、ほぼ密着されてるんですから。
ついでに言うと、押し倒されているというこの姿勢も非常にまずい。
「あ、あの、ちょっと、離して…」
「なんでだよ。お前、いっつも俺が近づくと喜ぶくせに、なんか変だぞ」
それはあなたがいつもはなかなか触らせてもくれないからでしょう。
「…というか……本当に、あなたなんですね」
「はぁ? 俺以外の何に見えるんだ?」
「……自覚してないんですか?」
僕が聞くと、
「何をだよ」
きょとんとした顔で言われてしまった。
すいません、僕、どれだけ理性を試されたら許されるんですか。
「キョン…くん」
躊躇いながら呼ぶと、
「なんだよ」
と不機嫌に答えられる。
「お前、やっぱりおかしいぞ。熱でもあるんじゃないのか?」
そう言って伸ばされかけた手を、慌てて振り解き、
「大丈夫ですから、あなたはとにかく僕の上から退いて、それから速やかに服を着てください!」
と叫んだ。
顔が真っ赤になってしまったけれど、これはどうしようもない。
彼が不審に思わないことを祈るしかない。
「服? なんで俺がそんなもん着なきゃならないんだよ」
膨れる彼を引き剥がし、僕はばたばたと自室に飛び込む。
そうして、とりあえずと目に付いたシャツを掴んで居間に戻ると、彼はソファにうつ伏せで寝転がって、不機嫌そうにクッションを噛んでいた。
それは彼のくせだし、そのクッションも彼専用のものだからいいといえばいいんだけど、その姿勢が危険すぎます。
「ほら、これだけでも着てください」
「めんどくさい。いっつもこうなんだからいいだろうが。首輪だって、本当は嫌なんだからな。お前が付けておかないと危ないとかなんとか言うから、仕方なく外さずにおいてやってるんだ」
唇を尖らせて言う彼に、若干の感動を覚えつつも、
「いいから、着てください。そうじゃないとご飯も何もなしですよ」
と脅しつける。
強引にシャツを被せ、袖を通させる。
ボタンを留めながら、ついつい胸のピンク色をした突起だとか、真っ白い肌だとかを凝視してしまうのは、不可抗力、または男のさがってやつです。
僕は悪くありません。
「窮屈だ」
と渋い顔をする彼に、なんとかシャツを着せてしまってから、自分の選択のまずさに後悔した。
それとも、自分の無意識を褒め称えるべきだろうか。
それならいっそ、ぶかぶかのシャツ一枚きりなんてスタイルが、犯罪的に似合う彼のことも讃えたい。
「それにしても」
必死に理性を総動員して僕は口を開いた。
「一体、どういうことなんでしょうね。あなたが人間の姿になってしまうなんて」
「そんなのどうでもいいだろ。俺は俺なんだし」
あ、自分の姿が変わっているという自覚はあったんですね。
「なあ、そんなことより、腹減った。飯は?」
「そんなことよりって…」
気にしてないんですか。
「俺、今日はカリカリより缶詰がいいな」
「……って、だめです!」
僕が青褪めたことは言うまでもない。
「なんでだよ」
「今は人間なんです。猫の時は平気でも、今は食べたらお腹壊すかもしれないでしょう?」
「そういうもんなのか?」
「そうです。猫と人じゃ全然違うんですからね」
「……違うのか?」
そう言った彼の声のトーンが落ちた気がして、驚いて彼を見ると、しょんぼりと顔を伏せていた。
もし耳や尻尾が健在なら、垂れ下がっているんじゃないかと思うほどに。
「あの……どうかしました?」
「違うから、お前もいつもと違うのか?」
「……え」
「お前、おかしいだろ。いつもなら俺が近寄ったりしたら、抱きしめていっぱい撫でて来るくせに、そうしないし、俺のこと見ないようにしたりするし…」
「それ、は……」
否定は出来ない。
けれど、それ以上に分からないのは、彼がそんなことを悲しそうに言うことだ。
いつも僕が呼んでもなかなか来てくれなくて、撫でていればすぐにどこかへ行ってしまうくらい、つれない猫なのに、どうしてこういう時に限ってそんな態度を見せるんだろう。
「俺がいつもと違うから、俺のこと、嫌いなのか?」
じっと見上げてくる彼に、
「き、嫌いなわけありません!」
驚いて、思わずそう叫んでしまった。
彼は驚いた様子で、
「違うのか?」
「違います。ただ、僕は、……」
――あなたが好みに合いすぎて気を抜くと押し倒してしまいそうなので出来るだけ見ないようにしてるだけなんです、なんて、言えるか。
「…なんだよ。俺のこと、やっぱり嫌いになったんだろ」
「それは違います。僕はあなたがどんな姿になっても、あなたが好きですよ」
むしろ、好きになり過ぎてしまいそうで困るくらいだ。
相手は猫なのに。
「だったら、」
と言った彼が僕を見つめて、
「とりあえず、飯」
「……分かりました」
亭主関白な態度にため息が出る。
やっぱり、彼にとって僕はただの餌係か世話係程度でしかないんだろうか。
それでも気を取り直して、
「ご飯は何を作りましょうか。今日は僕と同じものを食べていいですから、あなたが前に食べたがったものでも何でも作りますよ?」
と言うと、彼は少し機嫌をよくした様子で、ううんと考え込んだ後、
「なんだっけ、あれ。前にお前が食ってて、魚のにおいがするから俺も食べたくなって近づいたら、これは何があってもダメなんだって怒った奴」
「……ええと…それだけじゃちょっと特定し辛いんですが…」
「だから、魚で、なのになんか魚の形をしてないやつだ。缶詰の。それにお前がなんか白いもの掛けて、玉ねぎってのを刻んで混ぜて、白くてふわふわなものに乗せて、変な箱で熱くして食べてた」
説明が分かり辛いのは、語彙がないからだろう。
そうでなければもっと分かりやすかったに違いない。
ほとんどなぞなぞを解くような気持ちで考え込んだ僕は、
「……もしかして、ツナトースト…ですかね」
そう言えば、先日食べていたら彼が食べたそうに飛び掛ってきたので、
「これは玉ねぎが入っているから絶対にダメです! お腹壊しますよ!?」
と大騒ぎしたんだった。
缶詰はツナ缶とすると白いものというのはマヨネーズ、白くてふわふわなものはパンのことだろう。
「変な箱、っていうのはこれですか?」
とオーブントースターを示すと、
「それだ」
「分かりました。それじゃ、すぐに作りますからちょっと待ってくださいね」
「おう」
答えた彼はだらりとソファに寝転がった。
「…シャツの裾を変に巻き上げないように気をつけてくださいね」
直視しないよう気をつけながらシャツを直せば、
「……変な古泉」
と呟かれた。
僕はいたっておかしくないと……いや、おかしいか。
世間一般から考えると、同性がシャツ一枚で自室のソファでどんな格好していようが性的興奮は覚えないものだろうし。
小さくため息を吐きながら、
「とにかく、大人しくしててくださいね」
と声を掛けたけれど、彼は返事をせず、いつもなら尻尾でするところを手を軽く揺らして返事に代えた。
玉ねぎがやけに目に染みるなぁ、なんて思いながら手早くツナトーストを作る。
玉ねぎを刻み、ツナと混ぜて、マヨネーズで和える。
塩コショウを軽く振り混ぜて、厚切り食パンの上にたっぷり載せて、荒引コショウ振りかけた。
更にマヨネーズとチーズを追加してオーブントースターに放り込む。
それまで、そう大して時間もかかっていないと思うのに、彼は退屈そうで、
「ソファが狭いぞ…」
なんて文句を言ってる。
「あなたが大きくなったからでしょう?」
「俺だってそうなりたくてなったんじゃない。……俺、だって…」
もごもごと口ごもった彼に、
「キョンくん?」
と問えば、
「…っ、なんでもない!」
と怒鳴り返されてしまった。
一体なんなんだろう。
首を傾げながら、焼きあがったツナトーストをお皿に載せてテーブルに置く。
続けて二枚目も焼き始める。
これは当然、僕の分だ。
「出来たのか?」
いそいそと近寄ってきた彼に、
「出来ましたけど、まだ熱いですから待った方がいいですよ」
「それもそうだな」
そう言った彼はじっとトーストを見つめている。
物珍しそうに、それから、楽しみにするように。
「ほら、椅子に座ってください」
「ん…」
答えた彼が、ぎこちなく椅子に座る。
やっぱり慣れていないからなんだろうか。
「なあ、膝に行っていいか?」
「は!?」
何を言い出すんだこの人は。
僕が驚き、戸惑っている間に彼は椅子から立ち上がり、僕の膝に座った。
「やっぱりこっちの方が座りやすいな」
なんてご満悦だけれども、僕としてはもはや無理矢理お経でも唱えて煩悩を払うしかない。
「もうそろそろ食えるか?」
そう言ってツナトーストに首を伸ばす彼に、
「お願いですから、そのまま食いつかないでくださいね」
「ん? …ああ、そっか。人間って面倒だな」
「面倒って程じゃありませんよ。これは手掴みで食べてもいいんですから」
「あの箸とかフォークとか言うのは、確かに、俺には上手く使えそうにないな」
笑う彼がツナトーストに手を伸ばす。
その手に自分の手を添わせ、持たせてあげると、
「…まだちょっと熱いな……」
と唸られた。
「どうします? もう少し冷めるのを待ちますか?」
「…いや、いい。これくらいなら多分平気だろう。なんと言っても人間になってるんだからな。猫舌のままなんてことはないと思いたい」
猫舌って言葉を本来猫である彼に使われるとおかしな気分になったが、どうやら彼の言う通りだったらしい。
まだほんのりと熱を持ったそれに、彼はかぷりと噛みつき、おいしそうに目を細めながら咀嚼している。
「美味しいですか?」
と聞けば頷きが返って来る。
ほっとしながら僕も食べ始めると、
「お前、いっつもこんな美味いもん食ってるのか?」
「あなたのご飯はおいしくないんですか?」
「…まずいわけじゃないけど、こっちのが美味いな」
それは、まずいことを覚えさせてしまったかもしれない。
彼がこのまま人でいるのなら別にいいのだろうけれど、また何かの拍子に猫に戻ってしまったら、困ったことになりそうだ。
彼がそこまでの美食家にならないことを祈りたい。
はぐはぐとあっという間にツナトーストを食べてしまった彼は、
「お前もさっさと食べ終われよ」
と言って僕の膝から下りると、またソファの上に戻り、お気に入りのクッションに頭を載せて目を閉じた。