微エロです
つってもちゅーくらいなもんですが































青い月の下で
  第二話



俺の怪我がよくなった頃、引越しの準備も整い、俺たちは新居へ引っ越した。
場所は、一樹の今住んでいる屋敷からは少し遠いのだが、一樹の経営している会社の事務所が割と近いので頻繁に来れると言っていた。
少しばかり古い家は、多少手を入れる必要があったらしいが、長年人が住んでいた分、温かみの感じられる家だった。
その温かみこそ、俺のもっとも欲しているものかもしれなかった。
前に住んでいた「古泉」の屋敷は洋風の造りで、高すぎる天井も大き過ぎる扉もどこか寒々しく感じられたものだったが、今のこの家は間違いなく、この東京が帝都となる以前に建てられた純日本風のもので、畳や障子の温かみが嬉しかった。
怪我でろくに動けなかった俺に代わってこの物件に決めたのは長門だったから、流石と言うべきかも知れない。
長門は無口だが、その分、人の望むものを読み取るのは得意だから、俺が望むものを、俺が気付いていないことさえ分かってくれたのだろう。
一樹は、家を探したり、直させたりしている間にも、毎日俺に会いにきてくれた。
来るたびに、ちょっとした本や珍しい果物といった土産を携えて。
「あまり甘やかすな」
と文句を言えば、
「妾に貢ぐのは当然のことでしょう?」
と笑って返された。
冗談のように言ってくれることさえ嬉しい。
同時にそれは、俺を咎めてもいるのだろうが、そんな毒気はそれを遥かに凌駕する幸福感に薄められ、俺にはちっとも堪えなかった。
「お気に召しましたか?」
縁側に立って庭を眺めていると、背後からそう声を掛けられた。
俺は思わず笑顔になりながら振り向いて、
「ああ。俺には勿体無いくらいだ」
「これくらいのことはさせてください。……庭はどうです?」
「気に入った。…なあ、あれ、柿だろう?」
「ええ、そうですよ」
「懐かしいな。……覚えてるか? 子供の頃、一緒に柿の実を取りに行ったりしてたよな」
「そうでしたね」
と一樹も笑いながら、
「着物も履物もどろどろに汚して帰るものだからみんなに怒られて、でも、懲りずに何度も行ってましたね」
「楽しかったな」
「本当に。……でも、」
と一樹が俺のことをそっと抱きしめた。
もう怪我はすっかり治ってるんだから、そんな風に気を使う必要はないのに、物足りないと感じるほど優しく。
「あの頃に戻りたいとは思いません」
「…なんでだ?」
「そのような懐古趣味は持ち合わせていませんし、何より、今の方がいいと思うくらいには、幸せですから。……あなたを、こうして抱きしめていられるのですし」
「…そう……だな…」
「今夜は、引っ越し祝いとして、長門さんがご馳走を作ってくれるそうですよ」
「そりゃ、楽しみだな」
そう笑いながら、俺は一樹を見つめた。
唇を閉じ、目を閉じれば、一樹が小さく身動ぎするのさえ伝わる。
一樹が迷っていることも。
「…一樹」
そう催促してやると、やっと口付けが与えられた。
触れるだけのそれが離れていってから薄く目を開けた俺は、
「…なあ、今夜は泊まって行くんだろ?」
と一樹の肩に顔を寄せながら尋ねた。
「え、ええ…その…つもりです……」
一樹がどこかぎこちないのは、俺が言葉の裏に潜ませた意図にきちんと気付いているからなんだろう。
「食事が終ったらすぐ出てく、なんてことにはならないでくれよ。俺も……その、なんだ。ここしばらくの療養生活の間に、ちゃんと、覚悟も…決めたんだから、先送りされると、それが鈍りそうだ」
「……本当に、いいんですよ、ね」
何が、と問う必要はない。
「ああ。……頼む」
「…ありがとうございます。嬉しい、ですよ」
そう微笑んだ一樹が、今度こそ自分から進んで俺に口付けた。

長門が作ってくれた食事は本当に豪勢で、しかも美味しかった。
手の込んだ煮物、白和え、かぶら蒸し、刺身など、一樹が惜しみなく予算を与えたんだろうとはっきり分かるような献立に俺は苦笑しながらも、大切にそれを味わった。
意識的にそうしなければならなかったのは、そうでもなければこの後のことを考えて、気もそぞろになってしまうからだ。
それが申し訳ない、と思いながらも止められない。
ちら、と家長の席に座った一樹を見ると、すぐに気付いた一樹が柔らかな笑みを寄越した。
思わず視線をそらすのは、それが無性に恥ずかしいからだ。
長門も一緒にその場にいて、食事を取っているのに、一樹のことばかり考え、一樹も俺のことばかり考えていると分かる。
いや、こんな状況になっておいて何を言ってるのかと、自分でも思いはする。
しかし、それでも恥ずかしいものは恥ずかしいんだ。
「ご馳走様」
長門の料理は本当に凄い、と思うのは豪華で、しかも量もたっぷりあるように見えるのに、決して余すほど大量ではなく、適切な量が用意されるところだと思いながら、俺は箸を置いた。
長門も箸を置いたかと思うと、
「風呂の用意は出来ている。……どうする?」
風呂、というだけで酷く意識してしまい、顔が赤くなる。
だが、それは俺だけではないらしい。
困り果てて一樹に目を向けると、一樹も心なしか顔を赤くしていた。
俺の視線に気がつくと、小さく苦笑しながら、
「どうにも照れますね」
「全くだ」
はぁ、とため息を吐きながら同意すれば、長門だけが首を傾げた。
そういうことについては、長門はいまひとつ分かってくれないらしい。
「まあ、畏まったって仕方ないんだよな。一樹、お前、先に入ったらどうだ?」
「あなたが先でいいですよ?」
「ばか。主人が一番風呂に入らないでどうするんだ」
「それを言うなら、この家はあなたのためのものなんですから、あなたが先でいいと思いませんか?」
「いいから、先、入れ。俺はここの片付けとかしとくから」
「……分かりました」
不承不承頷いたのは、何なんだろうな。
俺が逃げ出すとでも思ってるというわけでもなさそうだが。
首を傾げながら食器を片付け、洗い桶に浸けていると、風呂の火を調節に行っていた長門が戻ってきて、
「一樹は、あなたがそうして自分のことを後回しにするのが嬉しくないように見える」
と言った。
「…そう、なのか?」
長門は小さく頷くと、
「もっとワガママになって欲しいと愚痴を言っていた」
「…そうか」
俺としてはもう既に十分すぎるほどワガママになっていると思うのだが、これじゃ足りないとでも言うのだろうか。
こんな風に家まで用意してもらって、これからの生活に心配も何も要らなくて、一樹が通ってきてくれる。
これ以上を望むことなんて、出来るはずがない。
俺は、あの時死んでしまったってよかったくらいなんだから。
「…それがよくない」
どこか悲しげに長門は言ったが、俺にはよく分からなかった。
長門はそっとため息を吐くと、
「部屋の用意をしてくる」
と言ってまた出て行った。
俺は子供が水遊びでもするようにぱしゃぱしゃと音を立てながら洗い物をしていたが、少しして人の足音に気がついて顔を上げると、浴衣に着替えた一樹が立っていた。
「いいお湯でしたよ」
「そうか。まあ長門だからな。その辺りも完璧だろう」
そう答えながら俺が小さく笑うと、一樹は不思議そうに小首を傾げた。
「どうかしましたか?」
「いや、どうかしたっていうんじゃないんだ。ただ、お前の和装ってのも久し振りに見ると思ってな」
「…ああ、そういうことでしたか」
と一樹も笑い、
「そうですね。僕としては和装でも洋装でもいいのですが、やはり風呂上りと寝る時は浴衣が楽だと思います。仕事などで動き回る時は、洋装の方がいくらか動きやすいですが」
「そういうものなのか?」
「それくらいの違いでしょう」
そう思って洋装をする人間はおそらく少数派に違いない。
普通は流行の服装とか、物珍しさで着ているんだろうからな。
その違いはおそらく、幼い頃から洋装に馴染んでいたか否かということなんだろう。
「あなたは、どちらの方がお好きですか?」
「どちらも何も、俺は洋服なんて着たことないぞ」
「ああ、そういえばそうでしたか。では、今度贈りますよ。着てみせてください」
何が楽しいのかそう言った一樹は体を屈めて俺の方に身を乗り出しながら、
「僕が着ているのなら、どちらがいいですか?」
「お前が?」
そうだな、と俺は少し考え込み、
「…どっちにしろ、お前は似合うからな。好きにしたらいいんじゃないのか?」
「ありがとうございます」
と言ったくせに、一樹の表情はどこか困惑しているように見えた。
なんでだよ。
「いえ、……あなたに気に入っていただけるような服装をして来ようかと思ったので、そう言われると逆に困ってしまって…」
「困らなくていいだろう。何にせよ似合うんだから」
「そんなこともないと思いますけどね。…それを言うなら、あなただって、洋服が似合いそうだと思いますよ」
「似合わんだろう。俺はお前みたいに脚も長くない、典型的日本人だからな」
「では、似合うかどうかは着て決めることにしましょう。今度、一緒にテイラーに行きましょう。ここに呼んでも構いませんが、ここにはあまり他人を入れたくありませんから」
そう独占欲じみたものを見せられて嬉しく感じるなんて、俺もいい加減病気だな。
苦笑しながら片付けを終え、
「じゃあ、俺も風呂に入ってくる」
と言って立ち上がったのだが、少々ぎこちなくはなったかも知れん。
しかし一樹は苦笑も見せずに、
「ええ。…お待ちしてます」
どこか強張った表情でそう言った。
緊張しているのは俺だけじゃない。
そう思うと少しばかり気が楽になった。
風呂を覗き込むと、着替えもきちんと用意されており、どこかに行ってしまったらしい長門が手際よくあれこれ手配しておいてくれたことが分かった。
長門はおそらく、もう既に離れに行ってしまったのだろう。
ほんの少ししか離れていないが、ひとつ屋根の下で寝起きするのは流石にどうかと考えてくれたらしく、ここには小さいながらも離れがあり、そこが長門の住む部屋となっている。
本当に、至れり尽くせりだ。
よくここまで好条件の家を見つけたものだと感心もすれば呆れもする。
同時に、そこまでしてくれることが嬉しくて、顔が綻んだ。
湯船に浸かりながら窓から外を見ると、連子の間に月が見えた。
いつになくそれが綺麗に見えるのは、精神的な作用が大きいに違いない。
好いた相手となら、余計に綺麗に見えるものだと言っていたのは誰だったかね。
そんなことをつらつらと考えながら湯船から上がった後は、念入りに体を清める。
ちょっとしたことが全てこの後のことに繋がるようで恥ずかしく、くすぐったい。
しかし、自分で望んだことなんだから仕方ない。
逃げ出したいという思いは不思議と湧かなかった。
それくらい、俺は一樹が好きで、もう離れたくないとさえ、思っていた。
ずっと、一緒にいられると思っていた。
それが、叶わないことだったと気付かされたのはきつく打擲されたあの時で、自分たちの幼さを嗤った。
今、こうしていられるのは本当に奇跡としか言いようがない。
だからこそ、これを逃したくなかった。
風呂から上がり、真新しい浴衣に袖を通す。
真っ白いそれが、婚礼衣装のように思えた。
これも長門が選んでくれたのだろうか。
緊張に痛いほど脈を打つ心臓を押さえながら、古泉の待つ寝間に向かう。
寝間は奥にあって、外からはちょっと目につかないようにしてある。
それも俺を気遣ってのことなんだろうか。
震える指を襖にかけながら、
「…入るぞ」
と襖越しに声を掛けると、
「どうぞ」
と、同じように緊張した声で返された。
ほっとしながら襖を開くと、行灯の側で一樹が本を読んでいた。
「…お前な」
「すみません」
苦笑した一樹は、
「どうにも落ち着けなくて、つい」
「……まあ、いいけどな。目にはよくないぞ」
そう言いながら一樹に歩み寄り、本を取り上げてやると、その手を軽く捉えられた。
そのまま引き寄せられ、俺は倒れるように一樹の腕の中に納まった。
「いつ…」
名前を呼び終えるより早く、唇を塞がれる。
「好きです」
唇を軽く触れあわせたままそう囁かれ、くすぐったさを二重の意味で感じながらも、俺は目を細め、
「俺も、好きだ」
と返す。
唇を離すことさえ惜しい。
軽く触れさせたまま、強く押し付けたり、また軽いものに戻したりしながら、少しずつそれが深さを増していく。
唇の合わせ方が少し変わった、と思ったら、ぬらりとしたものが唇に触れた。
それが舌だと気付くのとほとんど同時に、それが唇の間から口の中へと入り込んでくる。
驚く俺を笑うように、小さく優しい吐息を零した一樹が俺を抱きしめ直し、俺の舌を絡めとった。
そのまま唇をぴたりと合わされ、舌を吸い上げられる。
「…っ、ん、ふあ……!」
くすぐったくて、苦しくて声を上げると、やっと解放された。
「大丈夫ですか?」
「ん……」
「ちゃんと息はしてくださいね?」
そう困ったように言われなくても、鼻で息をすればいいことくらい、理屈では分かる。
だが、興奮しているせいか、それとも俺が慣れていないせいなのか、どうしても口で息をしようとしてしまうんだから仕方ないだろ。
ぶつぶつと文句を言う俺の髪を優しく撫でながら、一樹はぽそりと呟いた。
「…布団に行きましょうか」
「……その前に、灯を消せ」
一樹はちょっと目を見開いた後、くすりと笑って、
「畏まりました」
と大仰に答え、行灯の火を消した。
ふっと暗くなった室内で、俺はそっと一樹に口付けた。