古泉と付き合いはじめておよそ三ヶ月が過ぎた。 付き合う、とは言っても、休みの日や放課後なんかに泊りがけで古泉の部屋に行ったり、俺の家に呼んでやったりという付き合い方である。 ラブホで流されてうっかり、なんつう始まり方をしちまったにしては、非常に健全な付き合いだ。 ……なんて、冗談みたいに言ってられたのは最初のうちだけだった。 なにせ、この三ヶ月というもの、ろくにやってないんだからな。 何を、とは聞いてくれるな。 それを答えられん位の恥じらいはある。 が、黙っていられなくなる程度には、流石の俺も恥じらいを捨てていた。 だから俺は、月末だというのに余裕のある財布の中身を再度確認した上で、古泉に言ったのだ。 「なあ、明日、どこか出かけないか?」 「え?」 驚いた様子で古泉は俺を見た。 そうだろうな。 俺は古泉が節約したがっているのを知っていて、だからこそ、これまで外出に誘ったりなんかしなかったんだから。 …おかげで、俺の財布は余裕を持っているわけだが。 「たまにはいいだろ。俺が奢るから」 「いえ、いいですよ。僕だってたまには…」 「いい。お前に金を出させると罪悪感が湧く」 苦労して一人暮らしの節約生活をしてる奴に余計な出費なんてさせられるか。 「でも…」 「お前は文句言わずについて来てくれたら、それでいいから」 戸惑う古泉を強引に押し切って、俺は約束させた。 ついでに言うとその会話はひとつ布団の中でされたわけだが、その前後になんらやましい行為もなく、虚しいことこの上ない。 そのせいで、俺の恥知らずな計画は実行されることになってしまった。 さて、ここで抑えておきたいことがある。 この古泉という奴は日々瑣末な費用も惜しんで節約に勤しむ勤労学生であるのだが、その本質ははっきり言って普通の男子高校生だということだ。 そうであれば、それなりに性欲だってあるということで、実際、俺と古泉がこんな関係になるに至った直接の原因は古泉にあると言いたい。 それならば、だ。 そういう場所とシチュエーションを用意してやればいいんじゃないかと思ったんだ。 昼前から古泉の部屋を出て、向かった先は言うまでもない。 きらびやかというよりもむしろ品のない、ホテル街だった。 「…入るぞ」 通過するとしか思っていなかったんだろう。 ひたすら前を向いて歩き通そうとした古泉の袖を引いて止め、そう言うと、古泉が唖然とした顔で俺を見た。 それだけで羞恥に顔が熱くなる。 「あの、本気…ですか?」 「い、嫌、なのか…?」 恥かしさで顔を伏せながら言えば、古泉も同じくらい赤い顔をぶんぶんと振った。 「そんなことはないですよ! …ない、ですけど……」 けど、なんだ。 「……来たかったん、ですか?」 「だ、って、」 と言い掛けて俺は言葉を飲み込んだ。 「…っ、話は中ですりゃいいだろ! ほら、入るぞ!」 怒鳴るように言って古泉の腕を引っ掴み、ホテルに連れ込んでやった。 昼日中からホテルってのもどうかとは思うが、その時間帯が一番安いんだから仕方ないだろう。 部屋のソファに居心地悪そうに座った古泉の隣りにどかりと腰を下ろし、 「…もうちょっと寛いだらどうなんだ?」 と言ってやると、 「と…言われましても……やっぱり、思い出します、し…」 口ごもる古泉に、俺はにやりと笑い、 「そりゃよかった」 「狙ってたんですか?」 「…それだけじゃないけどな」 そう言って、俺は古泉の膝を跨ぐようにして古泉を抱きしめた。 古泉のいい匂いがする。 古泉の体温も手に触れる感触も、全部味わうようにじっと探るようにしていると、古泉が俺を優しく抱きしめ返してきた。 それに促されるように、俺は言葉を口にする。 「…もう、我慢出来ないんだよ……」 ぴくん、と古泉の手が跳ねる。 その目が戸惑うように俺を見つめる。 「我慢出来ない、って……」 「……したい、んだ。お前と…」 そう告げて、古泉と唇を重ねる。 ついばむようなキスを繰り返し、悪戯でも仕掛けるみたいに唇を舐めると、舌先に古泉の舌が触れる。 柔らかくて熱いそれに煽られる。 「それにしても…ホテルじゃなくてもよかったんじゃありませんか?」 と古泉が言ったのは、二人してソファに倒れこむ形になった後だった。 ちなみに俺が下である。 やっぱり古泉もしたかったんだろうと気分をよくしているのに水を差され、俺はいくらか苛立った。 「じゃあ他にどこがあるんだ? 外なんかは嫌だぞ」 「僕だって、外でなんて言いませんよ」 そう苦笑した古泉は、 「別に、僕の部屋でもいいじゃないですか」 と言ったのだが、俺は大いに渋面を作り、 「無理だ。お前の部屋だと、色々気になるだろうが。汚しちゃまずいとか、安普請だから隣りに聞こえるかもとか、色々と!」 「う…それは……すみません…」 「いっぺん風呂でやろうかとか思ったけどな。あの薄めたシャンプーのぼろいボトルを見たら一気に萎えた」 「って、そんなこと企んでたんですか!?」 「悪いか?」 じとりと睨んでやれば、 「風呂なんて余計に音が響くと思うんですけど…」 「だと思うだろう。が、お前の部屋の中で一番防音がいいんだよ。多分、響くからってんでそこはちゃんと作ってあるんだろうな」 「はぁ…。というかあなた、どこが一番いいかとか、そんなことまで調べてたんですか……」 呆れたように言われたが、ここまで来ると恥らってる方が馬鹿みたいに思えていたので、 「悪いかよ。俺だって、お前としたいと思うんだよ」 「いえ、嬉しいですけど…」 まだ納得していないらしい古泉に、 「……あとな、ホテルで、って思ったのはそれだけが理由じゃない」 「と言いますと?」 「…お前の部屋にいると、自分がお前の友人なのか恋人なのか分かんなくなるんだよ。お前のこと、好きだってやっと分かったはずなのに、前と変わんねえだろ。……だから、嫌なんだ」 言いながら古泉を抱き寄せる。 「俺が、友人の古泉一樹じゃなく、恋人の古泉一樹と一緒に過ごしたいと思うのは、そんなに嫌がられるようなことか…?」 自分でも驚くほど気弱な声に、古泉は慌てて首を振った。 「嫌がってなんていませんよ。むしろ、嬉しいです。…そこまで想ってくれて、ありがとうございます」 「だから、その、やる、だけじゃなくて、他にも色々しようじゃないか」 「色々…ですか?」 おう、と俺は頷き、 「恋人らしいことがしたいんだ」 「…ええと、具体的には……?」 「…とりあえず、一緒に風呂入るか?」 「ええ!?」 赤い顔をしてそんな声を上げる古泉に、 「適当に言ったんだが、結構面白そうだな。背中くらい、流してやるよ」 思いつきをそのまま口にしながら、笑みが込み上げてくるのを感じた。 つまり俺は、古泉に甘えたり、甘やかしてやったりしたかったわけか。 いちゃつきたかった、とでも言えばいいんだろうか。 そう自覚してしまえば簡単なもんだ。 ここに入っちまった時点で恥らう必要はもうない。 だから、したいことをすればいいってことだ。 そう結論付けて、俺は甘ったれるように古泉を抱きしめた。 いや、実際甘えてるわけだが。 「古泉」 「は、い…?」 戸惑うように古泉が俺を見る。 その目がいくらか熱を持っていて、それを見るだけでぞくぞくする。 お前も興奮してるんだよな? そう確かめる代わりに、 「…愛してるぞ」 と言ってやれば、古泉は更に顔を赤らめた上で俺にもう一度深く口付ける。 「僕もです」 と言いながら。 「ん……っ、ぁ、あ…」 鼻にかかった声がキスの合間に零れていく。 唇を合わせるだけのことが酷く気持ちいい。 「時間は…いっぱい、ある、から……」 「ええ。…たっぷり、楽しみましょうね」 ねっとりと吹き込まれた声に、それだけでどうにかなるかと思った。 それから、まあ、なんだ。 かなりの時間を薄暗いホテルの一室で過ごした。 ばかみたいにはしゃぎながら一緒に風呂に入ったり、お互いの体を洗ってやったりしただけでなく、本来の目的を達成したことは勿論言うまでもないだろう。 それ以上の収穫があったのは、そろそろ服を着ようかという時だった。 「あなたはずっと、聞きだそうともしませんでしたね。僕が、あれだけ生活を切り詰めている理由を」 「一回聞いただろ。貯金したかったって答えてくれたじゃないか」 「あれが本当じゃないということくらい、分かってたんでしょう?」 そう困ったような笑みと共に言われ、俺も苦笑を返す。 「まあ…薄々は、な」 だが、そう重要なことでもないと思っていたから聞かずにおいたんだが、 「話してくれるのか?」 「ええ。…僕は、お金を節約して余ったお金を、ずっと仕送りをしてるんです。僕の育った施設に」 「施設……って…」 思いがけない言葉に俺は唖然とするしかない。 「孤児院、と言った方が分かりやすいでしょうか」 それを負い目に感じている風もなく、古泉は言った。 「僕は、物心つく前に親に捨てられたんです。保護されて、孤児院で育ちました。本当なら、義務教育を終えたらそのまま働きに出るつもりでいたんですよ。高校まで通わせてもらえるような余裕はありませんでしたからね」 だが、古泉はハルヒのせいで妙な力に目覚めちまったということか。 「そのおかげで、僕は機関に引き取られて孤児院を出られましたし、こうして勉強も続けられているので、本当はもっと感謝するべきなんでしょうね」 そう小さく笑って、古泉は付け足す。 「そうなったからこそ、あなたとも出会えたわけですし」 「そうだな。…それで、寄付してる理由は?」 「僕としては、ずっと育ててもらった場所ですから、少しでも手助けがしたかったんです。言ってみたら、子供が親に送金するようなものですよ。僕が名乗ったのではきっと受け取ってもらえないでしょうから、匿名で、毎月少しずつ。それでも少しは違うと言うくらい、困窮しているのを知っていますから」 古泉は当然のことのようにそう言った。 実際、古泉にとっては当然なんだろう。 俺はなんとも名状しがたい気持ちに陥った。 古泉が節約しまくるせいで、と恨みがましく思った自分が愚かしくてならん。 同時に、そんな風に言えるばかりか、自分がいくらか辛い思いをしてでも送金しようとする古泉に、感動にも似た感覚を覚える。 更に惚れ込んだことは言うまでもない。 しかし古泉は言った。 「でも、もう、やめにします。……自分の生活や好きな人を犠牲にして捻出したお金じゃ、怒られてしまうでしょうから」 「ばか」 「……はい?」 「ばかだろ、お前」 言いながら古泉を抱きしめる。 裸の肩に頭を押し付けて、 「確かに、それで自分が調子を崩したりするようだったら悪いだろうが、俺のことなんか気にする必要はないだろ。したいんだったら、続けろよ。いいことなんだし」 「でも、それでは……」 「俺はいい。むしろ、お前がそうやって続けてくれた方が嬉しい」 誇らしい気持ちになる。 そんな古泉が、愛おしくてならない。 「…いいん、ですか?」 「ああ。…だから、節約を緩めるなら、お前の生活を楽にする方向にしてくれ。俺と一緒に何かするためとか、そういうことならお断りだ」 「……優しいですね」 「普通だろ」 そう言った俺の頭を引き寄せて、古泉が口付ける。 「愛してます」 「俺も、愛してる。…お前を好きになって、よかった」 「本当ですか?」 「嘘なわけあるか」 「…嬉しいです」 そう言って古泉はわざわざ俺の耳に唇を寄せ、 「…シーツの洗濯のための水道代くらい、惜しむのはやめますから、僕の部屋でももっといちゃいちゃしませんか」 なんてこっ恥かしいことを囁きやがったのだった。 数日後、古泉の部屋でまんまとベッドに倒れこんだまではよかったのだが、俺はつい、抵抗しちまった。 なんというか、こう、あれだ。 無性に恥ずかしいと言うんだろうか。 古泉の部屋のベッドなんかはただの友人だった頃から泊り込んで一緒に寝ちまったりしていた場所であり、昼日中に人様の前ではとても言えないような行為に勤しむ場所として認識できないんだよ、俺は。 それにやっぱり、シーツを昨日洗って干したばっかりだとか思っちまうしな。 「……やっぱり無理…ですか」 「…なんつうか……すまん」 「……仕方ありませんね。こうなったら、頑張ってホテル代を捻り出すとしましょうか」 苦笑しながら言った古泉に、俺もバイトでもするべきだろうかと思った。 「心配しないでいいですよ」 俺が神妙に考え込んでいたからだろうか。 古泉はそう優しく言って俺の額にキスを落とした。 「普段冷たくされても、ホテルではあれだけ可愛らしくて情熱的なあなたを見られると言うことがちゃんと分かりましたからね。これくらいのことではへこたれません」 「なっ、だ、誰が可愛いか! この変態!!」 と怒鳴って、俺は古泉に枕を投げつけてやったのだった。 |