思えば、俺が古泉に惹かれるようになった一因には、こいつの貧乏臭い生活があったように思う。 初めて古泉の家を訪問したのは、ありきたりと言われるかも知れないが、古泉が風邪を引き、寝込んだ時のことだった。 一応古泉のことを慮ったハルヒが、俺を見舞いに寄越したのだ。 ちゃっかり教師から住所を取り上げておいて俺に渡したのは、従順な副団長であろうとも、そして自分が無敵の団長であろうとも、体調を崩している時にいきなり大勢で押しかけるのはまずかろうと思ったためらしい。 ちなみに、その頃の俺は、古泉のことなんてどうとも思っちゃいなかった。 仲間としての連帯感は芽生えていたものの、相変わらず古泉は秘密主義で胡散臭く、個人的な情報なんて俺にはろくに寄越さなかったからだ。 当然だろ。 昨日観たテレビの話をするほどの仲でもなく、本の貸し借りをするほどでもない。 長門と比べたら長門の方がよっぽど親しくしてたくらいだ。 本来なら、同じ男として、ハルヒに振り回される者同士、もう少し打ちとけてたって不思議じゃないはずだったとは思うのだが、そうならなかったのは、古泉の方が壁を作っていたからだろう。 だから俺は、気が進まないまま古泉の部屋を訪ねた。 長門のところほどではないが高級そうなマンションの一室。 そのドアの前に立ち、ドアフォンを鳴らす。 一度目は返事がなく、二度目も同様。 本当にここに住んでるんだろうなと疑いたくなってきて、連打し始めた三回目にして、 「っ、うるさいんですけど!」 と不機嫌な声で言いながら古泉が顔を出した。 苛立ちの見える表情が一瞬で驚きに染まり、それから自分の不覚を呪うようなものに変化する様を映像媒体で記録出来なかったのが残念でならない。 「悪かったな」 そう返しながらもにやりと笑わずにいられなかった。 あの古泉がこんな風に言うとはね。 ハルヒに押し付けられた見舞い役だが、引き受けてよかったかも知れん。 「どうしたんですか…」 熱のせいでだろう火照った顔のままそう言う古泉に、俺は途中のコンビニで買って来た見舞いの袋を持ち上げ、 「見舞いだ。邪魔するぞ」 と半ば強引に部屋の中に入った。 「見舞い…って……」 「ハルヒの命令でな。そういうことだから、お前に拒否権はない」 俺が言うと、古泉は小さく笑い、 「ありがとうございます」 と口にしたが、顔が赤いせいでやけに可愛く見えた。 「お前はとっとと布団に戻れ。…起こしといて悪いけどな」 「いえ、気にしないでください」 そう言いながらも、古泉の足取りはふらふらと頼りなさげだ。 よっぽど酷くなければ登校しているだろうと思っていた俺はどうやら間違っていなかったらしい。 この古泉が休んで、ハルヒに心配をかけるほど酷い状態なんだろう。 「病院は? 行ったんだろうな?」 「ええ…」 ふらつく体を支えてやりながら、寝室まで連れて行ってやる。 安っぽいパイプベッドに寝かしつけ、 「食欲はあるか?」 と聞くと、 「あまり……」 「…それでも食った方がいいのは分かるよな?」 「ええ。…でも、今、食べる物はあまり…」 「それも買ってきたから」 「…あなたが、ですか?」 という古泉の問いに、俺は苦笑した。 いつも金がないと唸っているからか、それとも俺がそこまで情に厚いと思っていなかったんだろうか。 どちらにせよ、古泉がそんな風に、驚きと意外性を感じていることをあからさまに見せるのがなんだか愉快だったのだ。 「ハルヒと朝比奈さんと長門にカンパをもらってな。最低限のものだけ買って来たつもりだ」 「…ありがとうございます」 「いいから、もう少し寝てろ」 そう言って頭まで布団を被せてやった上で、俺は部屋の中を見回した。 そうして思ったのは、物がない、ということだった。 かといって、長門の部屋ともまた印象が違う。 長門の部屋は必要最低限の物しかなく、カーテンすらない部屋にこたつがあることに若干の違和感さえ感じられるほどだったが、この部屋はそうじゃない。 なんというか……実際見たことがあるから正確な表現ではないと思うのだが、なんとなく、生活保護世帯のようだと思えた。 必要最低限の物しかない。 それも、文化的必要最低限ってやつだ。 クーラーなんて見当たらないし、テレビも古ぼけたちっぽけなのがひとつあるっきり。 パソコンも、ノートパソコンがお義理のように置かれているが、うっすらと埃が積っているように見えるのは俺の気のせいだろうか。 ゲーム機など影も形もなく、雑誌なんかも見当たらない。 新聞はあるのだが、古紙回収に出す前提であるかのようにきっちりとまとめて置かれているのがなんでだか痛々しい印象を与えた。 そう言えば、さっき見たパジャマもくたびれていた気がするが……しかし、まさかなぁ? 首を捻りながら俺は台所へと向かう。 ダイニングルームを兼ねたそこにはテレビもなく、あるのは古臭いラジオがひとつ。 これは鉱石ラジオじゃないか? えらく物持ちがいいな…。 感心半分、呆れ半分でスイッチを入れると、雑音に塗れたニュースの音声が聞こえてきた。 ないよりはマシだと聞き流しながら鍋を探し出し、買って来たレトルトの白粥を温める。 明らかに風邪の症状だったから、りんごでもすりおろしてやった方がいいだろうか。 考えながら、下ろし金を探す。 ついでに、と冷蔵庫を開けて見たのは、ちょっとした好奇心というやつのなせる技だ。 そうして俺は、唖然とさせられる破目に陥った。 冷蔵庫の中には、小分けしたタッパーがいくつも入っており、勿論普通の市販品だってあれこれあるのだが、割と目立つのが「半額」とか「50円引き」とかのシールだ。 それがまたぺたぺたと色んな物に貼ってある。 しかも、大抵の物が、安さが売りのプライベートブランド商品である。 うちもよくお世話になってはいるが、それにしてもこの徹底ぶりは凄いんじゃないのか? 試しに、と冷凍庫を開けて見ると、買って来たパックのまま冷凍されている肉類がいくつもあった。 そっちにもやっぱり値引きシールがくっついている。 というか、冷凍するならちゃんと小分けしてやれ。 普通のパックのままだと冷凍焼けするだけだぞ。 見なかったことにしてやるべきだろうか、と考えながら、鍋の中から熱々のレトルトパウチを取り出す。 中身を大きめの器に空け、梅干のひとつでもないんだろうかともう一度冷蔵庫を探ろうとしたところで、 「あ、開けないでください…!」 と古泉のやたらと必死な声がした。 顔が赤いのは風邪による熱のせいばかりではなさそうだ。 「起きていいのか?」 「少しくらいなら、平気です。それより、冷蔵庫には触れないでいただきたいのですが」 「……悪いがもう遅い」 正直に言うと、古泉はがくりと肩を落とした。 俺は少し躊躇った後、古泉ももう予想はしているだろうという考えのもと、質問を口にした。 「お前、もしかして意外と苦しい生活してるのか?」 「……苦しい、なんてもんじゃないですよ」 ため息混じりに古泉は呟いた。 「昔テレビでやってた、一ヶ月一万円生活を実践してるようなものですからね」 それはまた凄い。 機関は羽振りがいいのかと思ってたんだが、違ったのか? 「どうでしょうね。少なくとも僕はかつかつの生活をしてますよ。涼宮さん絡みのこととなると経費で落とせるので多少マシですけどね」 本当に、と唸るように言いながら、古泉がテーブルに手を付いた。 「何でこんな目に遭ってるんですかね、僕は。風邪を引いたから病院に行きたくても手元にお金があまりないものだから、経費で落としてくれるよう交渉しなきゃならなかったんですよ? おまけに、体調管理がなってないんじゃないか、なんて嫌味までもらって。水道代とガス代と家賃だけは払ってくれてるんで、いつか水を出しっぱなしにしてとんでもない額の請求書を回してやりたいくらいなんです」 そう言っている目が据わっている。 どうやら俺はまずいところをつついちまったらしい。 こういう時の対応は非常に難しい。 熱暴走した頭という奴は、酔っ払いのようにデリケートだからな。 扱い方次第で良くも悪くもなる。 だから俺は、 「お前も大変なんだな」 と出来る限り同情的な声を掛け、軽く古泉の頭を撫でてやった。 ……熱い。 「…お前、全然大丈夫じゃないだろ。とっとと布団に戻れ!」 「そんなに熱いですか…?」 「明らかにヤバそうだぞ」 体温計はどこだ? 「そんな贅沢品…ないです……」 寝室に戻ろうとして、テーブルから手を放した古泉の体が傾く。 慌てて抱きとめ、なんとか支えたが、重い。 俺より背が高いからだろうか。 それとも、熱のせいで体に力が入らないからか? やたらと重いぞ。 「すみま…せん……」 「ああ、いい。ぼやきに一々耳を貸してる余裕があるなら黙って歩け」 半ば引き摺るようにして古泉をベッドに戻してやると、やけに赤い顔をした古泉が苦しそうに息を吐いた。 「大丈夫か?」 「…世界が回ってる気がします……」 ああ、まあ、確かに地球というやつはいつでも休まず回り続けてはいるんだが、そういう意味じゃないんだよな。 大分熱が高くなってるんだろうか。 体温計もないなら仕方がない。 俺は無闇に端正な古泉の顔に自分の顔を近づけ、こつん、と額を合わせた。 数秒間そうするつもりでいたのだが、その必要はなかった。 明らかに熱が高い。 大丈夫なんだろうな。 「解熱剤はないのか?」 「ある…はずですが……」 何にせよ、飯を食わすのが先か。 「面倒に思うかも知れんが、ちゃんと食ってくれ」 言いながら台所に引き返し、適温にまで冷めた白粥にさじを添えて、古泉の枕元に戻る。 「体、起こせるか?」 「ぁ……はい…」 よろよろと古泉が体を起こしたのを軽く支え、枕を腰に当ててやる。 「お手数をお掛けしてしまって……すみません…」 「いいから、食え」 器とさじを渡してやると、古泉はらしくもなく鈍重な動きで白粥を口に運んだ。 緩慢な動きを繰り返すこと数回。 「…すみません、もう……」 「無理か?」 こくりと古泉が頷く。 本当はもう少し食べてもらいところだが、無理なら仕方がない。 水をグラスに注いできてやり、薬を渡すと、古泉は何とかそれを飲み込んだ。 もう一度ベッドに眠らせてやり、遅れ馳せながら額に熱冷ましの冷却シートを貼ってやると、古泉も少しは楽になったらしい。 苦笑を浮かべて、 「…いけませんね……」 と呟いた。 「何がだ?」 風邪を引いちまったことなら不可抗力だろう。 えらく切り詰めた生活をしてるようだから、そのせいもあるんじゃないだろうか。 「いえ、そういうことではなくてですね、」 困ったように古泉は黙った。 どうやら熱のせいで頭の回転も鈍っているらしい。 しばらく言葉を探していたかと思うと、 「…こうして、本当に病人らしく扱われてしまうと、余計に病気らしい気持ちになって、体が言うことを聞かなくなるものだったんですね」 「ばか」 言いながら、古泉の鼻を軽く抓んでやる。 「本当に病人なんだから、それでいいんだろうが。無理すると後が大変だぞ」 「…ありがとうございます」 そう笑った古泉に、俺は軽く、 「病人だからな。今なら大抵のことは聞いてやるから言えよ。あと、台所片付けてもいいか?」 油汚れが酷かったんだが。 「…すみません……洗剤も…」 ないのか。 俺はため息を吐き、 「しばらく一人でも平気だよな?」 「え? ええ、それは…もちろん、平気ですけど……」 「なら、大人しく寝てろ」 俺は一っ走り家に帰って来るから。 「それは…どういう……」 戸惑う古泉に背を向けながら、 「洗剤は家にも余ってるし、体温計も余分にある。他にも色々余ってるものがあったらもらってきてやるよ。タオルとかも要るか?」 「要ります。もらえるんでしたら、なんでも」 そこだけ妙にはっきり言う古泉がおかしくて、俺は笑いながら、 「分かった」 と答えて部屋を出た。 この頃の古泉がどれだけ困窮していたんだかは、よく分からん。 ただ、ギリギリの生活だったのはどうも古泉が切り詰めすぎていた、というのも理由の一つだったらしい。 古泉に言わせると、 「将来どうなるかも分からないので、貯金をしておきたかったんです」 ということであり、ついでに言うと病院代云々についてはあれこれ苦労させられている分機関から予算をふんだくってやろうという魂胆をも含んでのものだったようだ。 意外な頑固さに、話を聞いた俺は呆れるしかなかったが、ちょっとの出費でも押さえようとするのには好感を持ったと言ってもいい。 以来、俺は家で余っているお中元やお歳暮の洗剤、タオル、シーツ、食用油その他を古泉に貢いでやるようになり、街でもらった試供品やポケットティッシュなんかも古泉にやるようになった。 一々、オーバーなくらい喜ぶ古泉も面白かったからな。 しかし、それがまさか、古泉と友人としてでなく付き合うようになった今頃になって弊害をもたらすとはな。 深いため息を吐くと、 「どうかしましたか?」 と古泉が心配そうに声を掛けてきた。 「別に…」 答えながら、俺はベッドの上で寝返りを打つ。 古泉はさっきからずっとあの、大抵は埃を被っているだけのノートパソコンに珍しく電源を入れ、書類を作っている。 おかげで俺は退屈だ。 曲がりなりにも恋人と二人きりだというのに、甘い雰囲気になんざなりやしねえ。 そうなるには、余りにも俺はこの部屋に慣れすぎた。 たまに、ちょっとそういう空気になりかかっても、滅多にクリーニングに出せない制服を汚すわけにはいかないだとか、洗い物を増やしたくないからシーツを汚すのもちょっとだとか、余計な考えが脳裏を過ぎって台無しになる。 特売日を忘れてて、それをいきなり思い出したせいで、ってこともあったな。 何か上手い手を考えなきゃな。 「何かいい方法を考えなければなりませんね…」 ぽつりと古泉が呟き、 「は?」 と俺が声を上げると、古泉は苦笑しながらこちらを振り向き、 「…声に出てました?」 「思いっきり」 「すみません」 そう謝ったということは、俺と同じことを考えていたと思っていいんだろうか。 「何考えてたんだ?」 俺が聞くと、古泉は困ったように、 「大したことじゃありませんよ」 と誤魔化そうとしたが、そうはいくか。 「気になるだろ。はっきり言えよ」 言いながら、古泉の首を軽く締める真似をすると、そのまま抱き寄せられ、古泉の膝に座らされた。 「言っても、怒りません?」 「怒られるようなことを考えてたのか?」 「どうでしょう? 怒られるかも知れませんし、あるいはそうでないかもしれません。ただ、怒られる可能性もないわけではありませんから」 めんどくさい奴め。 「浮気の計画とか、そういうことじゃなければ怒らないから言ってみろ」 「そんな計画を立てるはずがないでしょう」 そう笑った古泉は俺の頬にそっと唇を触れさせた。 その唇を静かに耳元へ滑らされると、ぞくりとしたものが背筋を這う。 「ん……」 「余計なことを全部シャットアウトして、あなたのことだけを考えられるように、味わえるようにするには、どうしたらいいかと考えてたんですよ」 「わざとらしく、恥ずかしい言い回しを選ぶんじゃない」 と言って、俺は軽く古泉を抱きしめた。 今日は私服だ。 汚したらまずい制服じゃない。 だからいっそこのまま――、と思ったところで、古泉の携帯が鳴り響いた。 慌てて古泉が携帯を取り上げ、俺は放り出される形となる。 「はい、もしもし」 返事をしながら、既に古泉の顔は青褪め掛けている。 「あ、後少しで書きあがりますから、もう少しだけ待ってくださいっ、お願いします!」 土下座でもしそうな勢いで言う古泉に、俺の方は興ざめもいいところだ。 電話の相手はおそらく森さんなのだろう。 未だに作りかけの書類のことでの電話であることもまず間違いない。 俺は不貞寝でもするようにベッドに横たわり、頭まで布団を引っ被った。 恋人になる前に、友人として親密になりすぎたことを失敗だったと思うべきか、それとも古泉にここまで節約生活を強いる機関を恨むべきか。 俺は一体どうしたらいいんだろうな? |