子の苦悩は親の楽しみ?



僕には何より愛しい奥さんがいる。
その人は男だけれど、そんなことは障害にならないほど、優しくて面倒見がよくて可愛くて色っぽくて、とにかく素敵な人だ。
もう十年以上一緒にいてまるで飽きが来ないし、今後もそんなことはないだろう。
それほど奥さんに惚れ込んでいる僕にしてみれば、彼との愛の結晶である息子も可愛くて仕方がない。
もちろん、血の繋がりがない娘だって可愛いのだけれど、今、心配なのは息子の方だ。
高校生になってしばらくが経ったと思うと、見た目は僕そっくりで可愛げがないのだけれど、中身は奥さんそっくりで可愛い息子は、なにやら様子が変わってしまった。
といっても非行に走ったとか、いきなり部活動なんかに熱中するようになったとかいう話ではない。
ただ少し、ぼんやりすることが増えたというか、ひとりでなにやら考えていることが増えたように思う。
何か気にかかることでもあるんだろうけれど、あまりひとりで悩まなくてもと思う僕に、奥さんはなにやら色々と分かっているような顔で、
「放っとけ。ひとりで抱え込めなくなったら向こうから相談しに来るだろうし、そうじゃなくても大丈夫だろ」
と言った。
「…あなたには何か見当がついているみたいですね」
僕が言うと、彼はにこっと微笑し、
「あいつは、俺とそっくりだからな」
とだけ言った。
実際に、和希が僕に相談を持ちかけてきたのはそれからまたしばらくしてからのことだった。
休日だからとリビングでゆっくり新聞を読んでいた僕のところにやってきたのを珍しいと思ったのは、和希が休日の朝早くに起きてくるというのを珍しく思ったからだった。
「おはよ」
「おはようございます。…今日はどうかしましたか?」
「ん……なんかちょっと眠れなくってな」
そんなことを言いながら、和希は僕の隣りに腰を下ろし、
「……親父、」
「はい?」
「…変なこと、聞いていいか?」
恥かしそうに言うのを、お母さんそっくりですねと言ってしまいそうになるのを堪え、
「ええどうぞ」
と努めて穏やかに言うと、和希は目をそらしたまま、
「……なんか、変に目に付く奴がいるんだ」
ぽつりと呟いた。
「目立つ奴だからだとは思うんだが、気がつくと目で追っちまってて、そいつが何をしてるのか気になって、落ち着かん」
「……」
もしかして、と思いながら僕は頷くだけの相槌を打つ。
「そいつの話なら、たとえどんなにくだらない話だろうと数学の解法だろうと聞き入っちまうし、そいつがしようとすることなら協力してやりたいとも思う。いつもなら面倒だとか思うようなことでも、そいつのためなら出来たりするんだ」
くすぐったそうに言っておいて、
「それはいいことだと思うんだが、」
と声のトーンを落とし、
「困ることの方が多いのがな……。…最初は近くにいる時だけとか、見えてる時だけだったのが、今じゃそれ以外の時にも、何をしてるんだろうかとか考えちまう。そんなこと、考えたって仕方ないだろうにな」
自嘲するように呟いて、そのくせ不安そうに、
「…なんでだと思う……?」
と聞いてくるので、僕はどう答えようかと迷ったものの、小さく笑い、
「自分で分かってるんじゃありませんか?」
「分からんから聞いてるんだろうが」
とお母さんそっくりのふくれっ面になるのを微笑ましく思いつつ、
「そうですか? …でも、いずれ分かりますよ。自分で分かってからでも遅くないことだと思いますし、そう心配するようなことでもありませんから……」
やんわりと返答を拒んだ僕に、和希は冷たい視線をくれた上で、
「…この役立たず」
と低く罵った。
「役立たずとか、酷いと思いませんか。僕は僕なりに和希のことを考えて言ったのに……」
そう泣きついた僕に、奥さんは柔らかく微笑んで、
「よしよし、かわいそうにな。まあ、親の心子知らずってもんだから…」
となだめながら僕の頭を抱き寄せ、優しく撫でてくれる。
さっきまで読んでいた本をキチンと横に置いて、なぐさめてくれるのが嬉しい。
「そろそろ反抗期ですかねぇ…」
「そういうのがあるなら、そろそろかもな。…俺はなかったが」
「僕もそれどころではありませんでしたね……。そもそも、反抗するような相手も見当たらなかったですし、いたとしても神人相手に暴れていれば、そんなことをするエネルギーも残りませんし」
「だろうな」
クックッと喉を鳴らして笑った彼は、優しく僕の頬を撫でて、
「お前が反抗期なんてなってたら、どうなるか考えたくもないな」
「ええ?」
「だって、」
と彼は悪戯っぽく笑い、
「あれだけ大暴れしてても、平気な顔を保てたくらい、体力や気力があったわけだろ? それが発散されてなかったら、目も当てられない有様だったんじゃないか?」
「…平気な顔をしていられたのは、あなたがいたからですよ」
僕は苦笑しながら正直に答える。
「あなたに会えるから、笑ってられたんです。最初はともかく、いつの間にかそうなってましたね」
「……そうかい」
くすぐったそうに呟いて、彼は僕の額に触れるだけのキスをくれる。
「…それにしても、和希も好きな子が出来るような年頃なんだなぁ」
「やっぱりそうだと思います?」
「それ以外にないだろ」
と彼は声を立てて笑った。
「俺がお前に惚れて、そのくせ無自覚だった頃と同じ反応だろ?」
「そうですね。…僕があなたを好きになってから、とも似てますが」
「そうなのか?」
きょとんとした顔で言う彼に僕は笑みを返し、
「ええ。…好きな人のためなら、なんだって出来ますよ」
と彼に口付ける。
彼はくすぐったそうにしながら、
「それは俺も同じだな」
なんて言ってくれる。
そのまま少しじゃれあって、彼は小さく呟く。
「和希が好きになった相手は、女の子かな。…それとも……」
「どうでしょうね?」
「まあ、どっちでもいいんだけどな」
と笑って、
「でも、気になるのは気になるなー…。…うちにつれて来ないかな」
「楽しんでますね」
「当然だろ」
にやっと唇を歪めて言うので、
「困ったお母さんですね。暖かく見守ってあげないんですか?」
「見守ってやるとも。だが、それと同時に面白がってもやる」
そう言っておいて、彼は何か思い出したように僕をじっと見つめて、
「……お前、妬かなくなったな」
と言った。
「え?」
「和希に。…昔は妬いてただろ?」
「……そうでしたね」
と僕は苦笑するしかない。
「あなたの溺愛ぷりと言ったら、本当に凄かったですし」
「うるさい。腹を痛めて産んだ子供が可愛くないわけないだろ」
言いながら、薄く傷の残る腹部を愛しげに撫でる。
「もちろん、有希だって可愛いが、和希はまた格別なんだ」
「では僕は?」
にやけながら聞くと、彼は和希と同じように膨れて、
「…言わなくても分かるだろ」
「そうですね」
と僕は頷き、
「分かっているからこそ、妬いたりしないんですよ。あなたの一番は僕で、こう言うと酷く聞こえるでしょうけど、有希や和希がどんなに頑張ろうとも、他のどんな人間が割って入ろうとしても、それは変えられやしない。……そう分かっているから、平気なんです」
「…それが分かるまでに、一体何年かかったんだか」
と彼は大げさに嘆いてみせたけれど、
「あなただって、本当に実感するまでには時間がかかったでしょう?」
「……そりゃ、な」
恥かしそうに言った彼だったけれど、
「…けど、お前は本当に凄いな」
と呆れているのか感心しているのか分からない声を出した。
「昔から、それこそ付き合い始めたばかりの頃からだって、お前の態度は変わってないだろ。……それこそ呆れるくらい、ずーっと俺のことを好きでいてくれて、それが全部態度に出てて」
「おや、あなたは違ったんですか?」
意地の悪いことを聞くと、彼はむっと眉を寄せて、
「俺だって、お前のことが好きなのは変わりない。が、お前みたいにストレートには出せないんだよ」
「昔よりはずっと素直になりましたよ」
「……苦労してるんだからな」
「ええ、ありがとうございます」
ちゅっと触れるだけのキスをもう一度して、そのまま彼をベッドに押し倒し、伸し掛かる。
柔らかく、大きなベッドは相変わらずしっかりと彼の体を受け止めてくれる。
「……愛してます」
そう言いたくて堪らなくてそう囁き、僕は彼に深く口付ける。
「ん…っ、ぁ…」
彼のかすかな声も、彼がぴくんと体を震わせたのも、何もかも全て感じたい。
もっとたくさんのことを、もっと深いことを。
長い間一緒にいても尽きることのない好奇心と愛しさでもって、今日もまた探索に乗り出そうとしたのに、
「…ストップ」
と彼に止められた。
……長い結婚生活もあって、彼はすっかり僕の扱い方を心得ており、本当に僕を止めたいのであれば、そんな風に冷たくはっきりと言えばいいということも分かっているのだ。
「どうしたんですか?」
しょげそうになりながら聞くと、彼はかすかに顔を赤らめながらも、
「家の中に悶々とした思春期の息子がいるってのに、堂々とセックスなんか出来るか」
と言ってのけ、
「とりあえず和希が落ち着くまでオアズケだからな」
と言ってひとりで布団に潜り直してしまった。
「そんな……」
「情けない声を出さずに寝ろ。それか冷たいシャワーでも浴びて来い」
そう言い放って彼はくるりと背を向け、僕は一体どうしたものかと頭を抱える破目になった。
何故って、和希のあの様子からして、あの子が自覚して、うまくいくなり玉砕するなりして落ち着くまでにどれだけ掛かるか知れたものじゃない。
それを下手にそそのかしても逆効果だということは、奥さんをずっと見てきた僕にはよく分かる。
つまりはなんとか早く落ち着いてくれるように祈る他ない。
それまでの間オアズケなんてされて、我慢出来るわけがない。
泣く泣く彼の隣りにもぐりこんで目を閉じた僕は、どうにかしなくては、と思案するのだった。