微エロ? です



























































お母さんは休めない



大学に入学して一年目の冬が始まろうとしていた頃、二度目の冬を迎えた我が家は、目下のところ、いささか深刻過ぎるまでに重苦しい空気に包まれていた。
その理由は非常に明快ではあるのだが、決して明るくも快くもない。
――和希が、熱を出して寝込んじまったのだ。
咳は出ていないようなのだが熱が高く、体が痛むようでちょっとしたことで声を上げて泣く。
そうして泣き疲れて眠っては、また息苦しさに目を覚ますというのを繰り返しているおかげで、俺たちは気の休まる隙もない数日を過ごしていた。
氷では冷えすぎるのでと濡らしたガーゼを額に当ててやり、それを何度も何度も取り替えてやる。
病院にも連れて行ったし、薬も舐めさせたし入れてやった。
それでも和希が余りに苦しそうで、世の母親なら誰でも――父親でもきっとそうだろうがあえてこう言わせてもらう――思うだろうことを、俺も思った。
出来ることなら代わってやりたいと。
しかしながらそんな風にしてやることは出来ないし、こうして熱に耐え、乗り越えていくことで和希も強くなっていくことを思えば、たとえそんなことが可能だったとしてもやるべきではないと無理矢理自分を納得させつつ、少しでも和希のまだ小さすぎる体が熱に負けてしまわないようにとつきっきりで看病を続けた。
俺の身を案じてくれてだろう。
一樹が何度か、
「少し仮眠を取ったらどうです? 和希の隣りででもいいですから、眠ってください。そうでないとあなたの方が参ってしまいますよ」
と言ってくれたのだが、俺は眠れなかった。
和希が苦しんでいるのに側を離れることなど出来なかったし、その隣りで安穏と眠ることなど更に不可能だった。
おかげで、和希が熱を出した日から三日ばかり、ほとんど一睡も出来ずに過ごしていたのだが、三日目の夜にして和希の状態が落ち着いてきた。
「もう大丈夫」
そう有希が言ってくれたのだから本当にもう大丈夫何だろう。
ほっとして力が抜けた俺を、一樹が優しく支えてくれた。
「客間に布団を敷いてあります。後は僕と有希がなんとかしますから、眠ってください。…明日は一コマ目から講義があるんでしょう?」
それも出欠に厳しい教授の講義がな。
だが、
「出席なんかどうでもいい。和希を放って置けるか」
「あなたの気持ちもよく分かりますが……とにかく休んでもらいたい僕の気持ちは、分かっていただけませんか?」
悲しげな瞳でじっと見つめられ、先に根負けしたのは、当然のように俺だった。
「……分かった。とりあえず寝るし、和希の状態によったら授業にも出る。…俺としても、あの講義で迂闊に休んで点を落としたくないからな」
そうため息混じりに呟けば、一樹は柔らかく微笑んで、
「分かっていただけてなによりです」
と言うなり俺を横抱きに抱え上げた。
こういう時、抵抗したって無駄だということはおよそ一年半が過ぎようとしている結婚生活でも、それ以前の付き合いでも、よく分かっている。
俺は諦めて抱き上げられるに任せ、布団乾燥機でよく温められた客間の布団に放り込まれた。
……までは、まだよかったのだが。
まだ神経が昂ぶっているのか眠れない。
それどころかどんどん目が冴えてくる始末だ。
それでも眠らなきゃならんと、暗くした部屋の中で必死に目を瞑る。
時計の針の音が妙に大きく響いていた。
そんな風にして、どれくらい経った時だったろうか。
不意に戸が開いたかと思うと、一樹が顔をのぞかせてきた。
「……もしかして、まだ起きてます?」
「……なんでばれた」
「なんとなくですよ」
と久しぶりに超能力者らしいことを言いながら、一樹は部屋の中に体を滑り込ませてきた。
「和希は静かに寝てますよ。だから、心配しないでください」
「いや…心配はあまりしてなかったんだ。お前と有希が付いててくれてるからな」
「それは、信頼してくださり、どうもありがとうございます」
くすぐったそうに笑いながら言った一樹は、しかし、すぐにその笑みに不穏なものを忍ばせると、
「…でも、眠れないんですよね?」
「ああ、そうだが……」
警戒しかかる俺に、一樹は嫣然と微笑むと、
「気が昂ぶっているんでしょう。それなら、いっそ一度すっきりさせた方が眠れるんじゃないですか? 軽い運動でもして……ね」
といやらしく耳に吹き込んだ。
「って、てめ…っ……」
ふふ、と忍び笑いが耳を揺らし、体がかすかに震えた。
その揺れまで、一樹に伝わっていないといいのだが。
「あなたに負担は掛けませんよ。…一度、発散させてさしあげたいだけで」
そう言った一樹は俺が止める間もなく布団の中にもぐりこんでくると、視界も悪いというのに、嫌になるほど的確に、俺のスウェットごと下着を脱がせ、軽く熱を持ちかけていたものを手で包み込んだ。
驚くほどの早業だが、こんなところで熟練という言葉を思い出したくはなかった。
「ちょ…っ、おま、何、考えて…っ!」
「さっき言った通りですよ。それに、お疲れでしょう? そうであれば余計に効果的だと思いますよ」
布団の中から聞こえてくるくぐもった声に、濡れた先端に触れる吐息の感触に、はしたない体が勝手に震えだす。
「有希、が、看病してて、和希が寝込んでる、って、のに……っ!」
「ちゃんと眠れないあなたがいけないんですよ」
まるきり言いがかりとしか言いようのないことを口にしながら、一樹はそれをやわやわと指先で弄ぶ。
俺の吐息が荒くなり、それが硬さを持って来ると、更にその先を口に含んだ。
「っ、や、ぁ…!」
「いやなんかじゃ、ないでしょう?」
舌先で弱い鈴口などをくすぐりながら言われ、ぞくぞくと体に電気ショック染みたものが体中を駆け抜ける。
ここまで来れば引き返せないのは経験でよく知っている。
「く、そ……っ…後で、絶対、覚えてろよ…!」
「忘れませんよ。あなたの可愛らしい姿は何一つ、ね」
戯言を口にした後は、もはや俺を説得する必要もないと見なしたらしい。
深く俺のものをくわえ、嫌というほど吸い上げたり、唇で扱いたりしてくる。
「やっ、ぁ、ん、……っく、ぅ、…ふ…!」
堪え切れなかった声が零れるが、それ以上声を上げたくなくて、俺は自分の腕に軽く噛み付いて堪える。
出来れば有希にもさとられたくないという、その一心だ。
しかし、そうやって声を抑えようとすればするほど与えられる感覚を強く感じるのは何でなんだろうな。
声に出せない分、内に溜まるというものでもないだろうに。
「あ、ぁ、も、もう…っ、無理、いく、から…!」
俺の声が聞こえなかったはずなど絶対にない。
つまりはあえて、一樹は深くそれをくわえ、喉奥で受け止めて、あまつさえそのままそれを飲み下しやがったのだ。
そればかりか、後始末とばかりに残滓を吸い上げ、いくらか飛び散った飛沫を舐め取り、すっかりきれいにしてしまうと、俺の衣服を整えた上で布団を優しく掛けなおすという気遣いらしきものまで見せた。
途中で跳ね飛ばしてしまったせいで冷え切っていた、冷たいだけのはずの布団を、ひんやりとして気持ちいいと感じるほどに俺の体温は上がっていた。
汗ばんでいるくらいだ。
「これで、眠りやすくなったんじゃないですか?」
いけしゃあしゃあと言った一樹に、俺は固めのそば殻枕を掴み取り、全力で投げつけてやった。

かくして、看病疲れだのその他の妙な疲れ(精神的なものも含む)だのといった諸々の負担を抱えたまま、翌朝、俺は早めに家を出た。
寝不足でクマすら出ている顔を見て、流石に反省したのか、一樹は自分は講義がないからと俺を大学まで送っていくことを申し出、俺はやむを得ずそれを受け入れた。
それくらい、眠たかった。
今電車に乗って大学まで行こうとしたら、瞬く間に夢の国の住人となり果て、終点まで行ってしまうことはほぼ確実だったからな。
模範的なまでに丁寧な運転技術を見せながら、一樹は助手席で軽く目を閉じた俺に言った。
「眠っているのでしたら、それで結構です。半分でも起きているのでしたら、一応記憶にとどめてくださるとうれしいですが」
鬱陶しい前置きをする余裕があるならさっさと言え。
俺は死ぬほど眠たいんだ。
「昨夜はすみませんでした。憔悴したあなたを見ていたらつい、我慢出来なくなりまして」
お前はどこのケダモノだ、人間なら人間らしく理性と知性を駆使しやがれ。
俺は結局あの後もろくに眠れなかったんだぞ。
「…あなたが、可愛らしくて、愛おしくて、堪らなかったんです」
目を閉じていたから、俺にはそれは全く見えなかったのだが、見えなくても古泉の表情くらい手に取るより簡単に分かった。
……みっともないほど幸せな、蕩けそうな顔をしてるってことがな。
この馬鹿だのアホだのと罵るだけの気力もなく、俺は結局大学までうとうとし続けた。
それでもなんとか講義に間に合い、きっちり出席カードを受け取って、名前などを記入したのだが、そうすると気が抜けたのか、俺はすぐさま睡魔に白旗を上げることとなっちまった。
それこそ、無血開城もいいところだった。
ノート?
一応取ろうと努力したらしくてな。
大学ノートにミミズののたくった跡のようなラインがいくつか残っていたが、こんなもんは古文書を読み解ける人間でも解読は不可能だろう。
書いた俺本人にも読めなかった。
辛うじて読める部分もないではなかったが、眠くてたまらなかったからだろう。
誤字脱字が激しくてほとんどクイズか推理ゲームだ。
断片的過ぎて単語が分かったところで役にも立たない。
全く無駄な一コマにしちまった。
……というか、居眠りにも厳しいはずの教授が起こしもしなかったってことは俺がよっぽど酷い有様だったってことなのか、それとも起こされてなお俺が眠り続けたと言うことなのか、どっちだ。
どっちでも恐ろしいが更に恐ろしいのはそれで顔と名前を覚えられ、マークされたらという可能性だ。
どうかそうでない事を祈りながら、俺はセミナーが一緒の友人を見つけると、
「悪い、今度ノートコピーさせてくれ」
と頼み込んだ。
それに対する返事は、
「ほんと、どしたのキョンくん! すっごい顔色悪いよ? 寝てないの?」
というもので、やはり俺は物凄い顔をしているらしい。
「あー……もう三日前から息子が寝込んでてな、ずっと看病してたんだ。この講義くらいは出席しようと思って出てきたんだが……」
「無理しすぎだよ! この後は当然帰るんでしょ?」
そのつもりだ。
まだ和希も心配だしな。
「というか……もしかして、俺、教授に睨まれたか?」
「えー……どうだろ。分かんない。でも、気付かれてはいたと思うよ?」
そりゃ、ほぼ確実にアウトだな。
せっかく出てきたってのに残念だ。
そんなことならいっそ家で大人しく寝てりゃよかった。
「うーん…でも、わかんないよ」
と彼女はもう一度言った。
「睨まれたにしては、教授が同情的だったって言うか…なんか、心配そうに見てたっていうか…」
「あの先生が?」
嘘だろ、過激さと厳しさじゃうちの学部一って噂の人じゃないか。
「でも、そう見えたよ? もしかして、知られてるんじゃないの? キョンくんとこの家庭事情」
「そうなのか…?」
だとしても、それで好意的に見られる理由が分からん。
教授がガチでお仲間だというならともかく、あの人は愛妻家としても有名だからまずあり得んしな。
あり得たところで全力で勘弁願いたいが。
「そうじゃなかったら、必死に勉強してる子に見られてるとか? …ま、これで諦めちゃう必要はないと思うから、このまま逃げちゃったりせずに、来週の講義もちゃんと出た方がいいよ、多分」
そう言って彼女は綺麗にとってあるノートを俺に渡し、
「来週の講義までに返してね」
と言って次の講義に向かっていった。
全く、持つべきものは同じ講義を取っている友人である。
ひしひしとそのありがたみを感じながら俺はふらつく足で大学を出て行こうとした。
その時だ。
早く帰って和希の面倒を見なければならないと焦っていたからだろうか。
信号もない横断歩道を飛び出した俺の体を、バイクが掠めたのは。
正直なところ、俺に分かったのはそれくらいのことだった。
衝撃がどれくらいだったのか、痛かったのかどうかもよく分からない。
ただ、そのまま俺が地面に倒れ、気を失ったことだけは、そこまでで意識が途切れているから確かなんだろう。
目の前が真っ暗になり、そうして今度はゆっくりと明るくなった、と思ったら、
「…やっとお目覚めですか、眠り姫」
と呆れを含んだ声で、揶揄めいた言葉を掛けられた。
瞬きを繰り返して視界を整え、焦点を合わせると、一樹がなんとも言えない表情をしていた。
眉を八の字に下げた情けなさと、怒ろうとしている不機嫌さを含んだ眉間の皺の厳しさをあわせて、更に笑いを堪えようとして失敗しているような弓形の唇をミックスさせたような、いつになく複雑な表情だ。
「気分は?」
「…いい」
驚くほどすっきりしてる。
どこかが傷むという感じもなしだ。
「でしょうねぇ……」
と一樹は深いため息を吐いた。
「今、何時か分かりますか?」
分かるわけないだろ。
今起きたばかりなんだからな。
「……午後4時30分です」
それじゃあ俺は5、6時間は眠ってたってことか。
「残念ながら外れです。……あなたが事故に遭ってから既に、丸一日以上が経過していますからね」
なんだと。
つまり俺は30時間ほど寝てたと。
「そうなりますね。……全く…事故に遭って昏睡状態と聞いて慌てて駆けつけてきてみれば、気持ちよさそうに熟睡してるんですからね…」
そう呆れられるのも仕方ないだろうな、それは。
「…和希は?」
「もうすっかり元気ですよ。あなたの姿が見えないので不安がっています。有希が家でちゃんと看てくれてますから、心配は不要ですよ」
「そうか…」
元気になったのなら何よりだ。
「お前にも、心配掛けて悪かったな」
「いえ…」
「だが、」
これだけは一応言っておこうと俺は口を開き、
「……俺がそこまで熟睡しちまった原因の何割かはお前のせいだろうが」
と小さく唸るように言ってやると、一樹は意外にも素直に、
「…ええ、そうですね。すみませんでした」
と謝った。
「……妙に素直だな」
何か俺にやましいことでもあるのか?
「やましいことばかりですよ。…あなたのおっしゃる通り、原因の一部は僕にあることは間違いありませんからね。それに、強情に和希の看病を続けたあなたを殴ってでも眠らせておけばとも後悔しました」
何より、と一樹は苦しげに顔を歪め、
「……僕だって、反省しますよ。病室で眠るあなたなんて、産科以外ではもう二度と見たくなかったんですからね」
「そりゃ…すまなかったな……」
一樹は俺から顔を隠すように、俺の腹の上へと顔を伏せた。
特に体が痛みもしないってことは、本当に俺はどっこも怪我をしていないということなんだろう。
感じる一樹の重みを、心地好くさえ感じた俺に、一樹はかすかに聞こえる程度の声で、
「……もう…ごめんです…。こんな思いは…」
と呟いた。
その声は本当に泣きだしそうなもので、こっちの胸まで痛くなりそうだった。
俺は、出来るだけ優しくその髪に触れながら、
「…俺の方も、これまで以上にちゃんと気をつけることにするから」
泣かないでくれ、頼む。
お前に泣かれるのは結構辛いんだ。
「……僕は、あなたより先に死なないと、以前確かにあなたとお約束しましたけど……でも、だからって、こんなにも早い別れなんて、絶対に嫌です…!」
分かってる。
俺だって、そんなのは嫌だとも。
「…ごめんな、心配かけて」
そう謝りながら俺がつい微笑んでしまったのは、一樹のそんな思いが嬉しくてならなかったからだろう。
愛されていることくらい、ちゃんと分かってる。
だが、それでも、こんな風に示されると嬉しいんだと、改めて感じた。
事故だけじゃない、病気にも気をつけよう。
一樹と一緒に長生きして、天寿を全うして、そうして、出来れば一緒に逝きたい。
大きな図体をして寂しがり屋の夫を残してやらずに、自分も寂しい思いもしないようにしたいと願う俺は、きっとハルヒ以上の贅沢者で、ワガママな奴に違いない。