俺は人並みくらいには人目というものを気にするし、世間体というものを慮ったりもするたちの人間だ。 だからこそ、男の恋人がいるなんてことは一応隠している。 ……ハルヒにばれて以来、随分とオープンになっちまっているような気もするがな。 だからと言って面と向かって悪く言われることもなければ、後ろ指を刺されるようなことも未だに経験していないが、それでも親の耳に入るような近所や学校外で堂々といちゃついたりするような度胸はない。 精々、軽く手を繋ぐのがやっとだ。 そんな俺に対して古泉は余りそういったことに頓着しないように出来ているらしく、俺が人前では抱き合うのも嫌だと言うのが残念でならないらしい。 らしいというか、それはほぼ断定していいくらい、はっきり顔に出ている。 同時に、あいつは俺と二人でいて、接触を我慢するなんてことを困難なことだと思いこんでいる節があり、結果、あいつとは大抵部屋の中で不健康に過ごすことになってしまうわけだ。 借りてきたDVDを観るとか、その程度の不健康さならまだいいのだが、寝食を忘れ、ベッドの中で昼日中には決して口にしたくないようなことに耽る時もないわけではないので、本当に不健康極まりない。 だから俺は珍しく、俺の方から、 「…どっか出かけるか?」 と声を掛けてみたわけだ。 理由のひとつには、昨日ハルヒの命令で扱き使われたせいで腰が痛いというのもあるのだが、それはわざわざ口に出すまでもないだろう。 古泉は嬉しそうに笑って、 「あなたからそんな提案をしてくださるなんて、珍しいですね」 「俺もそう思うが、嫌か?」 「嫌なわけないでしょう?」 そう言って、俺を抱きしめてくる古泉は本当にスキンシップが好きなんだな。 「好きですよ。あなたに触れることが」 そんな風に言われると、外でのそれを許さないことに罪悪感が首をもたげて来ないこともないではないのだが、かといって堂々としていいぞと言ってやるだけの度胸も備えてない俺は、 「…悪いな」 と一言だけ謝ってみたのだが、 「何がです?」 と首を傾げられちまった。 「いや、なんでもないさ」 そう返しながら俺は軽く古泉の肩に頭を預けた。 伝わってくる体温も、かすかに耳をくすぐる吐息も、嬉しくて愛おしいくせに、なかなか口にも態度にも出せないことをいくらか悔やみながらも、これで伝わってくれるよう願ったのだが、古泉は困ったように苦笑して俺を引き剥がすと、 「出かけるなら準備しましょうか。…このままだと、また一日家の中で過ごすことになってしまいそうですから」 と冗談とも本気とも付かないことを言った。 しかしながら同感だ。 俺たちは慌ただしく出かける準備をして、部屋を出た。 とはいえ、大した準備など必要はない。 昨夜はいつもと同じように有希の部屋に泊まり、さっき、昼も過ぎてから、古泉の部屋に戻ってきたところだからな。 着替えが済んでいる以上、出かける準備なんてものもそう手間のかかるものじゃない。 財布と携帯を忘れずにポケットに突っ込めばそれで終りだ。 「どこへ行きましょうか」 玄関で靴に足を押し込みながら言った古泉に、 「どこでもいいだろ」 と返せば、それがかなり素っ気無かったにも関わらず、古泉は笑って、 「そうですね。…あなたと一緒ならば、どこでも構いません」 「…お前な」 頼むから、そういう恥ずかしくなることを平気な顔で言うんじゃない。 「おや。恥じらいながら言ったらいいんですか?」 「そういうことじゃない。というか、人の揚げ足をとるな」 「すみません」 小さく声を上げて笑った古泉は、 「僕も、少々浮かれてしまっているようです。あなたと二人きりでデートというのも、久しぶりですからね」 「……悪かったな」 「いえ、僕のせいでもありますから。…それより、どこへ行きましょうか」 「適当に散歩でもしたらいいだろ。何か気になるものがあったら店に入ってもいいし、映画を見に行ってもいい」 「そうですね」 「まあ、お前はちゃんと計画とか立てておきたいタイプみたいだから、落ち着かないかもしれないが、そういうのも悪くはないだろ?」 「別に、計画にこだわるタチではないつもりなんですけどね」 苦笑しながらもそれ以上否定はせず、古泉は俺の前に立って歩きだした。 「それでは、せっかくのデートなんですから、それを味わうとしましょうか」 なんて言葉を付け足して。 駅前まで、ゆっくりと歩く。 長門がどうだとか、授業がどうのとか、普通の友人同士のようで違う会話を楽しみながら。 それだけのことが楽しくて、落ち着くというのもこの感情の証明のひとつに思えて、それがまた楽しさを増していく。 結局俺たちは駅近くのデパートに入り、普段ならちょっと買わないような高めの食材を検分し、そのうちいくつかを購入してからそこを出たのだが、珍しくデートなんてしたのがいけなかったんだろうか。 外に出た時には通りの向こうにあるものさえけぶって見えないほどの雨が降っていた。 「うわ……凄いな…」 「ですね…。どうします? 傘でも買いましょうか。それともタクシーを呼びますか?」 「いや、まあ、大丈夫だろ」 濡れたところで困るような物は買ってないし持ってない。 季節柄、濡れたくらいで風邪を引いたりもしないだろう。 「走って帰ったんでいいんじゃないか?」 「…別にそれはそれで構いませんけど、大丈夫ですか?」 「ああ。それより、さっさと帰ろう」 そう言って歩き出すと、 「待ってください」 と古泉が俺の手を握り締めた。 「な…っ」 狼狽する俺に古泉はにこりと微笑んで、 「大丈夫ですよ。誰も見ていません。それに、これだけ降ってたらよく見えないでしょう。心配は要りませんよ」 「と言われてもな……」 「デートなら、手を繋ぐことくらい、したいじゃありませんか」 ね、と言われたら俺が古泉に勝てるはずなどなく、 「か、勝手にしろ」 と吐き捨てて、足を速めた。 土砂降りに近いような雨の中、早足に帰る。 既に全身びしょ濡れで気持ち悪いんだか、逆に気持ちいいんだかさえよく分からん。 ほかの部分はどんどん冷えていくのに、繋ぎ合せた手だけが徐々に熱を持っていくようで、恥ずかしいくせに離せなかった。 マンションのエントランスに駆け込んだ時には二人ともびしょ濡れで、水気を飛ばそうと頭を振ったら、 「猫みたいですね」 と笑われた。 「じゃあお前は何か。水も滴るいい男というやつか?」 「褒めていただけるのは嬉しいですけど、あなたも僕も早いとこなんとかした方がよさそうですね」 全くだ。 俺たちはエレベーターの中にいくつめかの水溜りを作りながら古泉の部屋のあるフロアに上がった。 それから部屋に入り、 「シャワーどっちが先に浴びる?」 と聞いたところで、 「あなたが先でいいですよ。とりあえず水を拭ければ、僕は構いませんから」 とか言って、普段無理してる分、これくらいのことですぐに風邪引きそうで怖いんだよな、お前。 「じゃあどうします? まさか、一緒に入る、なんてことは許してくださらないでしょう?」 「……別にいいぞ」 と言っちまったのはあれだ。 雨に濡れたせいでヤケになっていたというか、珍しく手なんぞ繋いで歩いたせいでテンションがおかしくなっていたというか、とにかく、正常の精神状態じゃなかったということだ。 「本当ですか?」 目を丸くしながら嬉しそうに言った古泉に、 「一緒に入るだけだろ」 と役に立たないだろう釘を刺し、 「ほら行くぞ」 と風呂場へと引き摺って行ってやった。 べちゃべちゃと水を垂らしながら俺たちは風呂場にたどり着き、着衣のまま中に入った。 そのまま入って、中で服を搾った方が始末がよさそうだったからな。 脱ぎ捨てた服を力いっぱい搾り、洗濯籠に放り込む。 上半身裸になったところで、古泉がにやにやとこちらを見ているのにいい加減痺れを切らした。 「お前な、人のこと見てないでさっさと脱げ」 風邪引いても知らんぞ。 「すみません」 ちっとも悪いと思っていない顔で言った古泉は、 「あなたが余りにも潔く脱いで行くものですから、つい惚れ惚れとしてしまいまして」 「あほか。…大体、俺が脱ぐのなんて珍しくもないだろ」 「それでも飽きないんですから、不思議ですよね」 などと言った古泉は、 「ところで、」 と唐突に話題の転換を図った。 「ご存知ですか? 雨に打たれるという行為には、興奮作用があるんだそうですよ」 「はぁ?」 「人間の原始的な部分に由来するのか、はたまた我々が農耕民族だからなのかは分かりませんが、大雨に打たれると、人間多かれ少なかれ気分が高潮してしまうものなのだそうです」 「…何が言いたい」 経験上、お前がそんな風に無駄なことを語ってろくな目に遭った覚えがないんだが。 「心外ですね」 そう笑っておいて、古泉は俺に歩み寄り、わざわざ耳元で囁いた。 「雨に濡れたのに加えて、あなたのストリップを見せられたおかげで、すっかり興奮してしまったのですが、どうしましょうか?」 「……お前な…」 ほとほと呆れるしかない。 そんなことを言い出す古泉にも、それで逃げ出さない自分にも。 「…俺としては、興奮の原因は雨なんかじゃなく、お前と手なんざ繋いで街中を歩いたことじゃないかと思ってたんだが?」 そう返してやると、古泉は耳元でくぐもった笑い声を立てた。 くすぐったい。 「嬉しいですね。……このまま、しても?」 「……変なところにあざが出来たりしたら責任とって何とかしろよ」 と許可を与えてやるんだから、俺は本当に甘い奴だな。 かくして、びしょ濡れのままあれこれやらかしちまった俺たちは、翌日見事なまでに二人揃って風邪を引き、あまつさえ寝込んでしまったため、有希に淡々と看病されることになったのだった。 ――有希、お父さんとお母さんが馬鹿だった。 本当に反省している。 だからそう冷たい目で見ないでくれ。 |