「一回勝負ですよ」 分かってる。 「正規の形しか認めませんからね」 分かってると言うに。 「最初にグーを出すくせがあるとか、そういうことを言って引っ掛けようとしたりもしないでくださいね」 「分かってる、というかいい加減くどいぞ!」 俺が思い切り睨みつければ、大抵の場合黙って引き下がるくせに、今回ばかりは一樹も引かないらしい。 負けじと俺を睨みながら、 「……じゃあ、いきますよ」 「おう」 「じゃーんけーん」 「ぽんっ!」 俺、チョキ。 一樹、パー。 俺は伸ばしていた二本の指もぐっと握りこむと、小さく、しかしはっきりとガッツポーズを作った。 「…っしゃ!」 「…くっ……やっぱりじゃんけんとはいえゲームで決めたのは間違いだったでしょうか」 それはそうかもしれないが、言い出したのはお前だ。 大体、じゃんけんなんて運の勝負なんだから、負けても大人しく諦めればいいだけのことだろ。 「…いい笑顔ですね」 うん? 笑顔になってたか? それはスマンな。 「……少しも悪いと思ってないくせに、よく言えますね…」 一樹の恨みがましい視線を受け流しながら、俺は横で見ていた和希に言った。 「そういうことだから、今度の参観日には俺が行くからな」 「分かったけど……」 とため息を吐いた和希は、顔だけは一樹にそっくりなくせに、仕草やなんかは妙に俺に似ているように見えた。 また、ここ一、二年でさらに大人びて、俺を呼ぶ時の呼び方も、「お母さん」から「母さん」に変わってしまった。 「お」が取れただけと言えばその通りだが、それだけでも随分と違うもので、いささか寂しい。 おまけに今みたいに平坦な視線を向けられてみろ。 寂しいなんてもんじゃないぞ。 そんな俺の心情を知ってか知らずか、和希は眉を寄せんばかりの表情で、 「…父さんも母さんも、ちょっと大人気ないよ?」 「……それを言うならお前は可愛げがない」 まだ小学校に上がったばかりのくせして、なんでそこまで老成してるんだ。 落ち着きがありすぎて二、三年飛び級したところで間に合わなさそうじゃないか。 「そう育ったのは母さんのせいってのが大きいと思うけど?」 「うっ……」 思わず言いよどんだ俺に、フォローのつもりか有希が、 「お母さんに似ているということはいいこと」 と言ったが、それは多分、フォローになってないぞ。 「…そう?」 俺が老成してるということだろうが。 「落ち着きがないよりはずっといい」 そう言いながら有希が一樹を見つめたということは……何か、そういうことか。 俺は軽く肩を竦め、 「やれやれ」 とお決まりの言葉を呟いたところで、和希がもう一度ため息を吐きながら、ぽつりと、 「…それは俺の方が言いたい」 「……なんでだよ」 「だって、」 呆れきった眼差しが俺と一樹に向けられる。 よくあることとはいえ、まだ小学校に上がったばかりの息子からそんな風に見られると、少々ばつが悪くなるな。 「……なんで、ただの参観日如きの出席権を巡ってそこまで熱くなれるんだ?」 「ただのじゃないだろ。お前が小学校に上がって最初の参観日じゃないか」 「…母さん」 「ん?」 「……母さんも、見かけによらず親ばかだよね…」 親ばかではなく子煩悩と言ってくれ。 あと、見かけによらずってのはなんだ。 「ぱっと見、そんなことに執着しそうに見えないから」 「…そうか?」 こくん、と頷いた時の微妙な角度は有希とよく似ている気がする。 そんなことを考えながら、 「それより、参観日、楽しみにしてるからな」 「はいはい、勝手にしなよ」 そう呟きながら和希はソファから腰を上げ、 「俺、本読んでくる」 と言って居間から逃げ出したが、耳の辺りまで赤くなっているように見えたということは、あいつなりに照れているということなんだろうか。 「可愛いですね」 さっきまでぶつくさ言っていたことも忘れた様子で穏やかに呟く一樹に、 「全くだな」 と同意した俺は、 「来月には父兄参観日があるって入学してすぐにもらった行事予定にあったぞ。それならお前も休みで行きやすいだろ? だから、今回みたいにわざわざ休暇を取らなきゃならないような時は諦めてくれ」 「……分かりました。その代わりに、」 代わりに? 首を傾げた俺の手をぎゅっと握り締めた一樹は、それこそ必死の形相で、 「ちゃんと写真とか撮ってきてくださいね!」 と言ったのだった。 ……この情けない姿を、こいつのファンの女の子達に見せてやりたいぜ…。 そんなわけで、俺は和希の参観日に行った。 権利を自分の手で勝ち取ったということもさることながら、和希の妙に老成した落ち着きが、他の子供達の中では群を抜いてしっかりして見えるのも誇らしくて、ついつい顔が緩む。 休み時間の間に教室に着いた俺が見つけたのは、和希が幼稚園で仲の良かった、男女色々な友達と一緒に校庭を走り回ってるところだった。 「よう」 と軽く手を振ってやると、嬉しそうに笑いながら駆け寄ってきた。 「母さん、早いな」 「悪いか?」 「別に。…今、みんなで虫取りしてたんだ」 「虫取りね…」 「……母さんは、虫嫌い?」 まさか。 俺も子供の頃は昆虫博士と呼ばれていたんだと言ったことなかったか? 「聞いたことないよ。そうだったの?」 「ああ。ただし、標本を作ったり、解剖したりするのは勘弁してくれよ」 「そんなことしないって」 そう言った和希を、 「和希くーん、授業始まるよー」 と担任の先生が呼び、和希は、 「はい」 と答えて走っていった。 幼稚園児の頃でさえ、同じ年頃の子供達と遊ぶより大学の研究室に行く方がいいと言っていたような和希だったが、このところはどうやら普通に一緒に遊んでいてくれるようだ。 …いや、普通というには少しばかりおかしいか。 何しろ、時々零すことや有希から聞いた話によると、「この年頃ならこの程度で仕方がない」とでも思っているような節があるからな。 全く、妙に大人びていて頭もいいところなんかは、絶対俺の遺伝ではなく、一樹の遺伝に違いない。 そう結論付けながら、俺も教室に入った。 少し前に新しくなったばかりだという教室は広々として明るく、気持ちよさそうだった。 入学式の日に来て以来だが、部屋の中には早くも子供達の書いた字だの絵だのが増え始めている。 なかなか熱心な先生らしいと思いながら、俺は教室の隅に立った。 ちらほらとお母さん方の視線が向けられるが、ほとんどは無視しておく。 何故なら大部分が、男である俺が平日のただの参観日にこうして顔を出していることに対する疑問と興味の視線だからだ。 中には、同じ幼稚園だった子供の母親もいたので、俺の方からも軽く会釈を返しておいた。 これまでにも何度かこんな風に見られたりしてきたこともあるので、今となっては俺もすっかり慣れてしまっている。 デパートの授乳室で、「男に見えるがただの胸の小さい女です」みたいな顔して授乳した時と比べたらこれくらいどうってことはない。 ……あの時はやむをえなかったとは言え羞恥で死ぬかと思ったが。 和希は一度ちらっとこっちを振り向いただけで、あとは大人しく前を向いていた。 ほかの子供達がちらちらと母親の姿を見つめたり、手を振ったりしているのと比べると、やはり落ち着きすぎていると思う。 が、まあ、俺と一樹の息子で俺と有希が中心になって育てたんだ。 そうなっても仕方あるまい。 そんなことを思いながら、俺はカバンからデジカメを取り出すと、和希に向かって構えた。 後ろ姿しか撮れなかったとしても、それは和希がまじめな証として認めてもらおう。 学級会を、なんとか何の役目も押し付けられないままでやり過ごせた後、俺は待っていた和希と共に家に向かって歩いていた。 公立の小学校が近くてよかった、なんてことを思いながら、 「学校は楽しいか?」 と聞いて見ると、 「母さん、ドラマに出てくる不器用な父親みたいなこと言わないでいいんじゃない? そんなのは父さんだけで十分だよ」 「…また可愛くない口聞いて……」 「どうせ俺は可愛くないよ。っていうか、俺に可愛さを期待するのは間違ってると思う」 「……照れてるだけだろ?」 分かってるんだぞ。 わざと可愛くない口を聞いてることくらい。 そう指摘してやると、和希はむっと眉を寄せながら顔を赤らめ、 「…っ、母さんこそ、よくやるくせに」 「ああ、そうかもな。だからってお前まで真似しなくていいと思うが」 と苦笑しながら、 「で、学校はどうなんだ?」 「……それなり、かな。本がいっぱいあるから、結構面白いよ。姉さんの蔵書とは傾向が違うし」 まあそうだろうな。 何しろ有希の蔵書と言えば厚物と洋書あるいはその両方を兼ねるような書物ばかりだからな。 小学校の図書室とは違うだろう。 「友達は?」 「普通。ハルヒ姉さんは宇宙人か地底人か未来人の一人や二人や十人くらい紛れ込んでないかって言ってたけど、そんなこともなさそうだし」 「…そうか」 というかハルヒは一体何を吹き込んでいるんだ。 いや、大体予想はつく。 予想はつくが……やめてくれ。 子供に夢を持たせることは大事かもしれないが、ハルヒが力説すればするほど和希が冷めたお子様になりそうな気がするぞ。 「でもまあ、こんなもんかなと思うから別にいい」 「…そうか」 そんなところだろうとは思ってたが、そう断言されると複雑なものがあるな。 知らないうちに眉を寄せてしまっていたんだろう。 俺を見上げた和希が、きゅっと顔をしかめた。 「…母さんは、やっぱり、嫌?」 「……嫌って何がだ?」 「俺みたいな…変な子供なんて……」 「……」 俺は黙って和希を見つめた。 歩いていた足がぴたりと止まったのも自然のことだろう。 そうしてしゃがみこむと、和希が不安げに俺の顔を覗き込んで来た。 「母さん…?」 「お前な………」 俺が盛大にため息を吐くと、和希がびくりと身を竦ませた。 その目の前に固めた拳を突き出し、 「殴るぞ」 と精々ドスの聞いた声で言ってやると、和希は慌てて飛び退った。 可愛い我が子にこんな不安を抱かせてしまったのは俺の不徳のせいであり、そうであれば和希を責める筋合いなどないと思うのだが、そう言わずにはいられなかった。 全く、何が嫌だって? 変な子供が嫌だなんてそんなわけないだろう。 大体、友人に神的能力者と未来人がおり、娘は宇宙人、夫は超能力者ときたら、息子がたとえ狼男だろうが吸血鬼だろうが気にするはずがないだろう。 むしろ、若干他から浮いてはいるものの、いたって普通の子供で安堵すると共に少しばかり残念にすら思っていたんだぞ、俺は。 そりゃもちろん、年の割に余りにもませてるところはどうかと思うし、一樹と有希の影響か、俺の息子にしては頭がよ過ぎて将来もいささか心配であったりはするのだが、それはいくらだって長所に言い換えられるようなものだろう。 「あの…母さん…?」 俺がずっと黙り込んでいたせいでまたぞろ不安になってきたんだろう。 怖々と俺を見つめる和希を思い切り抱きしめ、抱き上げてやった。 「母さん!?」 「あー……要するにあれだろう。お前は甘やかされ足りないと、そういうことでいいんだな?」 「だ、誰もそんなこと言ってないだろ!」 ぎゅっと抱きしめてやると和希は顔を赤くしてそう抗議したが、俺は聞いてやらず、 「そういうことじゃないのか? 俺も、甘やかし足りないと思ってたからな。いくらだって甘やかしてやるよ」 財布の紐は緩めてやらないがな。 「別に、何かねだるつもりなんてないって」 「じゃあ母さんのわがままでも聞いてくれ。とりあえず今日は――夕食はお前の好きなものを作るとするか。それから、一緒に風呂に入って、久し振りに一緒に寝るか?」 「……なんかそれ、父さんがうざくなりそうな気がするんだけど、俺の気のせいかな」 「父さんは有希に任せておけば大丈夫だ」 「…姉さんも可哀相に」 と言いつつ、拒むつもりはないらしい。 「あいつらはあいつらで仲がいいからいいんだ」 そう笑いながら、俺は和希を下ろした。 「ほかにもやりたいことがあったら言えよ。よっぽど珍奇なことでなければ一緒にやってやろう」 「…じゃあ、母さんと本が読みたい」 「……有希とじゃなくていいのか?」 「うん、姉さんとはいつも読んでるから、たまには母さんと読みたい」 「よし、それなら何かいい本を探しに行こう」 俺は和希の手を引いて、本屋へと進路を変更した。 嬉しそうに少し口元をほころばせる和希に安心しながら。 その日、一樹がどれだけ鬱陶しかったか、なんてことは言うまでもないので割愛させてもらうが、それなりに有意義な一日だったんじゃないかと思う。 |