宿題で、「自分の家族について書くように」と言われた。 自分の家族、と言われても何を書けと言うんだ。 うちの場合、平々凡々――とは言いかねるかも知れないが、家族の一員として見るうちの家族はいたって普通だと思う。 特筆すべきことも特になければ、隠すようなこともない。 もっとも、以前俺が、 「うちって本当に普通の家だよな」 とそれがつまらないことであるかのように呟いたら、それを聞きとがめた母さんに、 「お前の普通は世間一般の普通とは違う」 とえらく嘆かれちまったこともあるのだが、そうは言われても俺にとって普通とは、父さんがいて母さんがいて姉さんもいる、うちの家庭なのだからしょうがない。 他人を家に呼びもしない代わりに、他人の家に行ったりもしないからな。 俺が行くところと言えば、母さんの実家か叔母さんの家なので、比較のしようもない。 叔母さんは「おばさん」などという響きの言葉で呼ぶには申し訳ないほど若くて綺麗な人なのだが、 「あたしのことは叔母さんって呼んで」 と、さも嬉しそうに言うので、俺はそう呼ばせてもらっている。 あれだけ若い女性なら、叔母さんなどという呼称は嫌がるような気もするのだが、これもまた比較対象がないのでどうしようもない。 などと、余計なことをつらつら考えたところで現実が変容するわけでもなければ課題を勝手に終了させてくれるような出来事が起こったりするわけでもない。 現実逃避もほどほどにして、やるべきことをするか。 俺は母さん譲りと定評のあるため息を吐きながら、ランドセルから原稿用紙を引っ張り出し、リビングのテーブルの上に広げた。 丁度それとほとんど同じタイミングで、 「……っだあああ、書けねえ――!」 と俺の背後にあるパソコンに向かっていた母さんが雄たけびを上げた。 いつものこととはいえ、いきなりのそれは心臓に悪い。 というか、人が物を書こうとしている時に縁起でもないことを叫ばないで貰いたい。 「何だ? お前も何か書くのか?」 そう言った母さんが、俺の手元にある原稿用紙を覗き込んだが、生憎それは真っ白だ。 「宿題で、家族のことを書かなきゃなんないんだよ」 「家族のこと、ね…」 母さんがそう呟きながら、どことなく複雑な表情を浮かべるのは、どうやら長いこと感じ続けているらしい負い目があるからだろう。 俺は別に気にしなくていいと思うんだがな。 「それ、担任の先生だけが読むのか?」 俺は頷き、 「うまく出来てたら、今度発表させるってさ」 「あー…」 なにやら考え込んだ母さんだったが、独り言のように、 「…まあ、あの先生なら気を遣ってくれるだろう」 と呟き、 「正直に書いたらいいだろ。楽じゃないか」 多分、母さんの仕事と比較して言ってんだろうな。 事実を書けと言われた方が書き辛いと思うのだが、だからといって全くのフィクションも書けない俺としてはなんとも言い難い。 それに、もとから嘘を書くつもりなどなかった。 自分の家に隠さなきゃならんようなところはないと俺が考えていることは先に言ったとおりだ。 それにしても、……プライバシーの尊重が叫ばれるこのご時勢に、それを無視したようなこの課題は何なんだ。 「将来の夢を書けと言われるよりは数段マシだろ」 呆れたような母さんの言は、 「ああいうのは真面目に書けば書くほど、後で読み返したり、誰かに思い出された時に痛さが激増するからな」 という理由によるものらしいが、妙に実感のこもった物言いからして、どうやら経験があるらしい。 「俺のことはどうでもいいから、お前はさっさと宿題をしろ」 「それを言うなら、母さんだって仕事しろよ」 「……可愛くねぇ…」 と呟いたはずの母さんが、背後から俺を抱きしめた。 可愛くないと言ったくせに、矛盾している。 「うるさい」 笑いながらそう言って、母さんはパソコンの側に置いてあったメモ用紙を引きちぎると俺の前に放り出した。 「ほら、そこに適当に箇条書きにしてみろ。うちについてとか、俺と一樹と有希についてとか、何でもいいから」 曲がりなりにも物書きである母さんの言葉、というよりもむしろ、うちの最高権力者であるところの母さんに、俺が逆らえるはずがない。 俺は諦めて鉛筆を取り、メモ用紙――ご丁寧にも三枚あった――に、それぞれ「父さん」、「母さん」、「姉さん」と書いた。 順番に書いていくなんて器用なことは出来ないので――というかそれが出来たらメモなんか要らん――思いついたことを片っ端から書きなぐってやった。 出来上がったメモも、いい加減、カオスだ。 「父さん」 ・うさんくさい笑みと無駄に愛想がいいところは微妙だが、家族思いということは間違いない ・地元企業の研究開発部で働いている ・フレックスタイムという主張の下、俺より後に家を出たりすることも多いが、それがまたうさんくさい 「母さん」 ・ライトノベル作家 ・優しくてカッコイイ ・本は面白いけど、どこまで事実が混ざっているのか分からん ・締め切り前は大変そうで少し怖い 「姉さん」 ・大人しくて物静か。理想の女の人 ・非の打ち所のない完璧さだと俺は思っている ・職業はシステムエンジニア ・料理もうまい ・活字中毒かと思うような読書好き この程度の内容でどうすりゃいいんだ、と思う俺の手からメモを掻っ攫った母さんは、 「怖くて悪かったな」 と言いつつも笑って、 「これをもう少し膨らませてやれば、原稿用紙の一枚くらい簡単に埋まるだろ」 と俺にメモを返した。 「膨らますって?」 「エピソードを入れるとか、くどくどと描写するとか、あるだろ」 どちらも、母さんの作品ではよく使われる手段だ。 よくあれだけ多くの描写をバリエーション豊かにして見せるもんだと呆れるが、中でも父さんがモデルと思しきキャラの描写が細かいのは、母さんなりの愛の表れなのかね。 残念ながら、俺は母さんほど語彙があるわけではないので、くどいほど描写するというのは難しいだろう。 そもそも、家族について書くのにどうやってそんな描写を入れろって言うんだ。 姉さんのことを延々褒め湛えろとでもいうのか? それでいいならやってもいいが、生憎、姉さんの美点を挙げ連ねるにはページが足りないからやめておく。 となると、エピソードか。 ……エピソード、ねぇ? ……うぅむ。 しばらく首を捻っていた俺だったが、ひとつ、思い出した。 数ヶ月前の話だ。 納期が近いとかでもう何日も何日も家に帰ってきていなかった父さんが、突然、6時前に帰ってきたのだ。 「どうしたんだ?」 と驚き呆れる俺に、父さんは平然と笑って、 「だって、今日は和希の誕生日でしょう」 さも当然のように言って、プレゼントをくれた。 嬉しいと感じたのもまた事実なのだが、それ以上に驚かされた。 まさか俺の誕生日をしっかり覚えていたとは。 これが母さんの誕生日だとか、結婚記念日だったとかならまだ分かる。 結婚からもう十年ばかりが過ぎてなお、父さんと母さんの関係は新婚並だからな。 時々、見て見ぬフリをしなきゃならない俺としては苦笑せざるを得ない。 だから、てっきり俺のことなんて別にどうでもいいのかと思ったりもしていたわけだが、 「…ちゃんと、誕生日覚えてたのか」 「当たり前でしょう。ちなみに、お母さんから連絡を貰ったりはしてませんよ」 母さんがメールでもしたのかと俺が思ったのを見透かしたように、父さんがそう言った。 「じゃあ、本当に?」 「ええ」 「……父さんは、母さんが一番大事で、俺のこととか、どうでもいいのかと思ってた…」 思わずそう呟くと、 「何言ってるんですか。和希のことも大事ですよ。勿論、有希のことだって。どうでもいいなんてこと、あり得ませんよ」 そう笑顔で抱きしめられた。 それで多少父さんを見直しもしたのだが、その直後に、 「もっとも、お母さんのことが一番大事というのは、否定しませんけど」 という一言で、何もかもが台無しになった気がした。 俺がむくれながら自室でのストライキに突入したことは言うまでもない。 父さんが、母さんにどつかれたことも。 ――とまあ、そんなことがあったのを思い出したので、適当にそのあたりを持ってきて書くと、原稿用紙は綺麗に埋まってくれた。 白かった原稿用紙が黒っぽく染まると、なかなか壮観だ。 母さんはこれが楽しくて作家なんて職業を選んだのだろうか。 「違う。在宅で出来る仕事じゃないと面倒だったんだよ。で、文章書くのはそれなりに好きだったからな。書いて、送ったら当たったってだけだ」 ため息混じりに呟いた母さんだが、顔が緩んでいる。 在宅じゃないと面倒というのは、「父さんがうるさくて面倒」の意だろう。 父さんのいささかみっともないほどの独占欲は、母さんがこうやって許容してしまうせいなのかも知れない。 原稿用紙を折りたたんだところで、 「ただいま」 と声がした。 姉さんだ。 「お帰りなさい」 思わず笑顔になりながら言うと、姿を見せた姉さんが、じっと原稿用紙を見つめた。 「…和希が書いたの?」 「うん、学校の宿題で、ちょっと」 「……そう」 言いながら、姉さんは目を離さない。 姉さんは読書が好きだ。 それも、電子書籍なんかよりも紙の本が好きとかで、うちの地下には姉さんのためだけに書庫がある。 いや別に姉さんが独占して他の誰も足を踏み入れさせないというわけではなく、俺や母さん、父さんも入るのだが、それでも使用頻度が一番高いのが姉さんであり、管理しているのも姉さんなので、姉さんの書庫になっているだけなのだが。 最近はよりアナログ、ないし、アナクロなものが気に入っているようで、書庫には和綴じの古い絵草子なども並んでいる。 その意味でいくと、俺の作文というのもどうやら興味を引かれるものらしい。 俺は頭の中で、書いた文章を反芻した。 特に見られて恥ずかしいことは書いていないはずだ。 それなら、いいか。 「姉さん、今、暇?」 返事は頷きひとつだ。 「なら、よければ添削してくれないか? 原稿用紙の使い方とか、間違ってるかも知れないし」 「…それなら、お母さんの方が」 と言った姉さんには母さんが、 「俺は原稿用紙なんて使ってないだろ。正式な使い方なんか忘れたから、お前が見てやってくれ」 と言ってくれた。 どうやら、俺の意図が添削ではなく、姉さんが気兼ねしないような形で姉さんに作文を読んでもらうことにあると分かってくれたらしい。 その察しのよさが、母さんのいいところなんだろうな。 ……父さんも、少しは見習え。 父さんの察しが悪いとは言わないが、時々父さんは本気で空気が読めてない時があるからな。 「はい、姉さん」 姉さんの返事を聞かずに、俺は原稿用紙を渡した。 一枚だけのひらひらした紙切れだから、姉さんならそれこそあっという間に読んでしまえるだろうに、姉さんはじっくりとそれを読んでいく。 一文字一文字、頭の中に浸透させるように。 読み終わった姉さんは、嬉しそうに唇をほころばせながら、 「原稿用紙の使い方は大丈夫。漢字も、間違いはない。――よければ、」 とその原稿用紙を抱きしめるように持ち直し、 「…コピーしても、いい?」 「…え? 何で?」 「和希の作文だから。大事に取っておきたい」 姉さんのまっすぐな言葉と瞳に、俺は真っ赤になった。 下手に言葉で褒められるより、ずっと嬉しくて照れくさい。 「……だめ?」 小首を傾げる姉さんに、俺が勝てるはずがない。 「いいよ。でも、」 「でも?」 「……父さんには、見せないでくれよ?」 こんな作文を見られたら、絶対うるさいからな。 何しろ、自分でもどうかと思うくらい、父さんのことを褒めちまったし。 「…本当に、和希はお母さんそっくり」 呆れるように、面白がるように呟いた姉さんに、母さんは苦笑を漏らし、俺は首を傾げた。 「顔は父さんそっくりだろ。あんま、嬉しくねぇけど」 「性格はお母さんそっくり。…ね」 姉さんに問われ、母さんは複雑な表情で、 「残念ながらな」 と呟いた。 それから、ファックスを使って原稿用紙をコピーし、姉さんに渡した。 「大事にする」 本当に宝物のようにそれを丁寧にたたむ姉さんに、俺もつい笑みを浮かべ、 「また何か書いたら、姉さんにチェックしてもらっていいか?」 「喜んで、する」 「うん、じゃあ頼むな」 「……私は、」 姉さんはそう言いながら俺と目線を合わせるように屈んだ。 こういう時、身長差が悔しいのだが、まだ小学生で成長期も前だからしょうがないだろう。 「和希が、私のこともちゃんと家族だと思ってくれてることが、嬉しい」 「今更だな」 俺が生まれる前から姉さんはうちの家族じゃないか。 血が繋がってなくても、姉さんは俺の姉さんだ。 「…ありがとう」 そう笑った姉さんに、抱きしめられる。 そこへ、どうやら執筆を諦めたらしく夕食の準備に取り掛かっていた母さんから、 「仲がいいのはいいが、そろそろ一樹が帰ってくるぞ。見られたくないもんはさっさと仕舞えよ」 と声を掛けられ、慌てて原稿用紙を仕舞いこみに走った。 俺は自室へ、姉さんは書庫へと。 |