おめでとう



俺が男の赤ん坊を無事出産し、和希と名前をつけた翌日、ハルヒが見舞いと称してやってきた。
その手に携えているのは果物の入ったかごだ。
ハルヒにしては常識的な選択だな。
「疲れてお腹も空いたでしょ」
と言ったハルヒは、ベッドの隣りに置かれたテーブルにかごを置いた。
それから俺に向かって穏やかな笑みを浮かべ、
「おめでとう、キョン。それから、お疲れ様」
「…ありがとな」
照れくさいことこの上ないが、ここは素直にそう言っておくべきだろう。
ハルヒは俺が勧める前に備え付けの椅子に腰を下ろすと、
「それにしても、男のあんたが妊娠して、子供を産んじゃうなんてね」
と面白がるように笑った。
「言っただろ? 一樹のコネなんだって」
「言ってたわね。男でも子供が産めるように、人工授精させた受精卵を手術で着床させる新技術、だったっけ?」
「ああ」
それは、ハルヒのための言い訳だった。
実際のところがどうだったかなどという話は、今更するまでもないだろう。
重要なのは、俺が一樹との間に授かった子供を、無事に出産出来たということだからな。
「やっぱり、子供が欲しかったのね」
「そりゃ、そうだろ」
自分の子孫をどうって言うより、俺といることを選んだために、子孫を残すチャンスを一樹から奪うということが心苦しかったこともあったからな。
子供を残すだけが必要なことじゃないと分かっていても、全く無視出来るような要素でもない。
だから、子供を産めて、本当に嬉しい。
「だからって、有希のことを仲間はずれにしたりするんじゃないわよ」
「言われるまでもないな」
「…そうね」
そうハルヒが笑ったのは、俺の枕元に置かれた、
「命名 和希」
と見事な明朝体で記された紙に気がついたからだろう。
「これ、有希が書いたんでしょ」
「ああ」
「名前を決めたのは? キョン? それとも古泉くん?」
「二人で相談して決めたに決まってるだろ」
「そう? キョンのことだし、それにこんな名前だから、キョンがひとりで決めたのかと思ったわ」
そう言ったハルヒはどうやら、和希の名前に込めた、俺の意図に気がついたらしい。
「当たり前でしょ。あんたの考えることなんて底が浅いんだから」
とハルヒは笑い、
「『カズキ』って、古泉くんの名前の読み方を変えただけじゃない。『希』って字は、有希と揃えたんでしょ? 自分の名前の要素は入れないくせに、二人の名前はちゃんと入れるってあたり、あんたらしいわ」
「俺はいいんだよ。戸籍上は、俺だけの子供ってことになっちまうんだからな」
「結局そうなったの?」
「男ふたりで婚姻届を提出したところで受理してもらえないもんでな」
だから、和希は俺の私生児として出生届を提出することにしている。
「でも、養子縁組とかすれば、あんたも古泉くんの戸籍に入れたんじゃないの?」
「そうしたら俺が一樹の子供ってことになるだろうが。悪いがそれは俺たちの望む形じゃないんでな」
事実婚状態だけでも十分だ。
「それで、ちゃんと家族だって印に、『和希』ってつけたのね」
ハルヒはその目を穏やかに細め、
「あんたらしいわ」
ともう一度呟いた。
それは褒め言葉として受け取っておこう。
「古泉くんと有希は? 大学?」
「ああ。ここにいても退屈だろうから、行けって脅してやった」
「退屈なんてするわけないでしょ」
「どうだか。それに、有希はともかく、一樹に四六時中側にいられると鬱陶しいんでな」
「結婚までしておいて、何言ってんのよ」
それはそうかも知れないが、しかし、本当に鬱陶しいんだぞ。
俺を労わっているつもりだか、それとも和希が生まれたことに浮かれているんだか知らないが、いつもの数倍は鬱陶しい。
「酷いですね」
と言いながらひょこっと顔を出した男の名前は今更言うまでもあるまい。
「…もう戻ってきたのか」
思わず顔を顰めながら言っても、
「はい」
と答える顔はひたすら笑顔だ。
それも、あの高校一年の時から見慣れた胡散臭げな作り笑顔ならまだマシだっただろうに、そうではなく、本気で嬉しそうな、頭の中にピンク色の花畑を作り出したかのような浮かれきった笑みである。
ハルヒの前なんだからもう少し引き締まった顔をしろ、と思っても無駄らしい。
ハルヒのお墨付きを貰ったばかりか、その前で結婚式まで挙げちまったため、もはや隠す必要どころか、キャラ作りをする必要さえないと思っているらしい。
……付き合い始めたばかりの頃の、少しばかりぎこちなく、どことなく余裕のなかったお前の方が好きだったと言ったら、どんな反応をするんだろうかと、好奇心が頭をもたげてきそうになるのだが、今更そんなことを言ったところで無駄だろうし、そもそも一瞬驚きはしてもすぐさま嘘だと見抜かれる気がする。
だから俺はため息をひとつだけ吐くと、
「退屈だから雑誌買って来い」
と一樹に命じた。
「何の雑誌がいいですか?」
そう問い返してくるのへ、
「――『文芸時代』」
「分かりました」
と応じた一樹が出て行くのを、
「間違えるなよ」
念を押しながら見送り、俺は小さく笑った。
ハルヒは軽く首を傾げ、
「そんな雑誌あったっけ?」
「ない」
とりあえず、そのことに気がつくまでに時間がかかるだろう。
万が一、同名の雑誌があったところで、それを見つけるまでにはさらに時間がかかるに違いない。
「……あんたね…」
呆れ返るハルヒに、
「まあ、あまりにも帰ってこなかったら携帯にメールくらいしてやるさ」
と言っておいた。
だが、一樹は思ったよりも早く戻ってきた。
どうやら有希にメールをして聞いてみたらしい。
面白くないやつだ。
ついでに有希を伴って戻ってくると、
「そんなに涼宮さんとふたりになりたかったんですか?」
と不貞腐れたような表情で言った。
ハルヒが帰っているのを確認してから言うくらいには、一応考えているらしい。
俺はため息を吐き、
「拗ねるな」
と一言言ってやると、図星を指された一樹が軽く顔を顰めた。
「拗ねてません」
「じゃあ妬くな」
「妬いてません」
「なら、何だって言うんだ?」
「……」
都合が悪くなると黙り込むのか。
俺は小さく笑いながら体を軽く起こしたまではよかったのだが、思った以上の痛みが走った。
「……っ、痛…」
「大丈夫ですか?」
慌てて駆け寄ってきた一樹の手を掴んで、ベッドにもう一度横になる。
「思ったより、痛むな」
「当たり前でしょう。縫ったばかりなんですから、無理しないでください」
「それでもな、」
言いながら俺は一樹の手を引っ張り、その頭を引き寄せた。
「後悔しないくらいは、お前の子供を産めて嬉しいって思ってんだから、これ以上拗ねるんじゃない」
「……じゃあ、なんで僕が側にいることを許してくれないんですか」
「それは…」
俺は一瞬迷ったが、そんなものはマイナスにしかならないとの判断の下、諦めと共に口にした。
「…照れ臭いんだ」
「……はい?」
「和希は呆れるくらいお前にそっくりなんだよ。で、明らかにお前の子供だって分かるだろ。そういうのが、妙に気恥ずかしいんだ」
頼むから分かってくれ。
「あなたは人一倍羞恥心が強いんですか? それくらい、気にしなくていいと思いますけど、でも、」
と一樹は柔らかく微笑みながら、俺の耳に口を寄せると、
「そんなところも可愛くて好きですよ」
「……っ、もう、お前はとっとと帰れ!」
真っ赤になりながら怒鳴ると、調子に乗った馬鹿に耳を軽く舐められた。
俺は拳を固めると、遠慮なく一樹を殴ってやった。