神様の前で



それは、俺たちが高校を卒業して一月近くが過ぎた、三月も末のことだった。

新居である一戸建ての家も、気がつけば住み始めて半月が過ぎ、どうにか「自分たちの家」という感覚になってきたが、未だにこれは張り切りすぎじゃないかと思う。
なんで、社会人がひとりもいない、学生ばかりの家庭で一戸建てなんだ。
最初は賃貸のマンションとかでいいんじゃないか。
そんな俺のもっともな主張を退けたのは当然古泉だった。
「一般家庭と違って、うちには既に大きな娘もいるんですし、お互いのプライバシーを守り、個別の時間を持とうと思ったら、マンションじゃ狭すぎますよ。特に、有希には書庫が必要でしょうし」
そう、この家は中古なのだが、どうやら前の持ち主がかなりの本好きだったらしく、地下にはしっかりとした書庫があったりするのだ。
有希がそれに一目惚れしなければ、俺だってもっと反対出来ただろうに。
しかし、そこそこ大きな家でなくてもよかったんじゃないかと思うのは、何のかんのと言いながら、俺たちが大抵いつも居間に集まっているせいだ。
ソファに座って俺はテレビを見、長門は本を読み、古泉はパソコンをする。
日によって時間によって多少は変わるものの、過ごし方は大体そんなもんだ。
ちなみに今日は、俺も読書に勤しんでいた。
読書と言うか……自動車教習所のテキストを流し読みしてたってだけだが。
長門は何やら分厚い洋書を読み耽り、古泉はぼーっとテレビを見ながら人の脚にちょっかいを掛けてきていたのだが、不意に、
「何か忘れていると思っていたんです」
と口にした。
「何をだ」
人として弁えておくべき良識をどこかに忘れてきたというなら即刻拾って来い。
人の脚を好き勝手に触りまくるんじゃない。
「あなたは気付いてなかったんですか?」
それと脚を触るのはあなたが構ってくれないのがいけないんですよ、などという妄言は無視だ。
「だから何にだ」
指示語だけで会話を成立させるのが夢だとか言う話は聞いたが、まだそこまで達していない以上、主語述語の関係ははっきりさせてもらいたいし、目的語も明確に示してもらいたい。
俺が言うと、古泉は俺の手を両手で握りこんだ。
俺に、「結婚してください」と言ったあの時と同じように。
真剣な眼差しもほとんど同じ様子で、
「結婚式をしましょう」
――頭の中が真っ白になったのは前と同じだったが、その後の俺の思考は全く別の方向に働いた。
「お前はバカか」
思いっきり睨みつけてやると、古泉が傷ついたような笑みを浮かべた。
……傷ついたんなら笑みはよせと何度言えば分かるんだろうな、こいつは。
「だめですか?」
「当たり前だろう」
「どうしてです」
「男同士で結婚式を挙げられるような場所は少ない。それに、お前との関係について隠したりする気はないが、だからと言って思い切りオープンにするつもりもない。後、結婚式なんてしたら金が掛かるんだぞ。分かってんのか?」
「ええ、分かっていますよ。ちゃんと考えた上で言っているつもりです。小規模な人前式形式なら、大丈夫ですよ。招待客も、あなたのご家族のほかは、僕とあなたが親しくしている人だけを招けばいいでしょう?」
「嫌だ」
「どうしてそんなに嫌がるんです? あなたの人生の伴侶なのだときちんと言っておきたい、主張しておきたいという僕の気持ちが、中途半端なものだとでも思うんですか?」
「そうじゃなくてだな、その…」
俺は口ごもりながらも言った。
そうでもなきゃ押し切られると思ったからな。
「…そんな風に人前で認めてもらわなくても、…俺はちゃんとお前と一生添い遂げるつもりでいるし、お前が本気だってことも分かってるから、改めて……結婚式なんて、しなくていいってだけだ」
「……本当ですか?」
「嘘を吐いてどうする」
いくらなんでもこんなこっ恥ずかしい嘘は吐けんぞ。
「嬉しいですっ」
感激した様子で古泉が抱きついてきた。
勢いに負けた俺は、ソファの上に押し倒されちまった。
重い。
重いんだが……こいつの体重を快く感じちまうんだよな。
蓼食う虫も好き好きとはよく言ったもんだ。
まあこれで、結婚式をやりたいなんて馬鹿げたことは諦めてくれるだろう。
――と思った俺は浅はかだったね。
何しろ、可愛い娘の存在を忘れてたんだから。
「それでも」
突然有希が口を開き、俺たちは驚いて向かいの一人用ソファに座った有希を見た。
「私はお父さんとお母さんの結婚式を見たい」
「ゆ、有希…?」
そんな人の努力も苦労も水泡に帰するようなことを言わなくてもいいのに。
「結婚式は重要なイベントのひとつのはず。それなら、きちんとするべき。後々になってしなかったことを悔やむ人も多いと、先日テレビで言っていた」
有希の目が、いつになく力強い光を帯びて俺を見つめる。
「……お願い」
……有希のお願いに俺が勝てるはずがないと分かって言ってんだろうか。
「有希もこう言ってますし、しましょうよ。結婚式」
古泉は嬉しそうに言うな、うざい。
それと、俺の上から退け。
俺はひとしきり呻いた後、
「女装だけはしねぇからな」
と言って敗北を宣言した。

式が行われたのは、それから一月ばかり後の、四月も末だった。
ゴールデンウィークの始まりを告げるその日は、大安吉日でもなければ友引でもないが、暦なんて気にはしないから構わないだろう。
家族とハルヒ、朝比奈さんはともかく、国木田や谷口、鶴屋さん、おまけに準団員のコンピ研の連中や機関の方々まで、本当によく来てくれたよ。
……来なくてもよかったのに。
谷口にいたっては、面白がってか、こっちから頼む前に司会に名乗りをあげてくれた。
ハルヒは企画から携わり、有希とふたりで駆け回った。
ガーデンパーティー形式で行うと決めたのも有希とハルヒだし、ホテルを選んだのもそのふたりだ。
俺と古泉がしたことといえば、ふたりの提示してくるプランに可否を示すことくらいだった。
なお、ウェディングドレスの着用については全力で拒否させてもらったので、俺も古泉もモーニング姿だ。
ハルヒが、
「結婚式なんだからウェディングドレスを着ないでどうすんのよ!」
と怒鳴り、俺に長々しく説教まで垂れてくれたが、俺は頑として頷かなかった。
当たり前だろう。
男同士で結婚式なんてだけでも恥さらしなのに、女装趣味があるというわけでもない俺が女装して余計に恥をさらす必要はないんだからな。
だがそれでも、
「…十分恥ずかしいな」
手に持たされたブーケもさることながら、これから式場に「新婦」として入場させられるのが一番まずいんだろうな。
キリスト教式じゃないんだから、新郎新婦入場だの何だのにこだわらなくてもいいだろうに、なんでそういうところに細かいんだあいつらは。
しかし、式場に先に入っている古泉が注目を一身に受けていることを思えばまだマシだろう。
「大丈夫か?」
聞いてきたのは親父である。
新婦の父親として付き添いを、わざわざ買って出てくれた、子供思いの父親ではあるのだが、そんな役は妹の時一度限りにしてもらいたかった。
「腹が痛いから大丈夫じゃないって言ったら逃がしてくれるか?」
「無理だろうなぁ」
のほほんと笑うな。
俺が思っていたよりも、俺の父親は肝の据わった人間だったらしい。
式場から、谷口のテンションの高い声や、列席者の笑い声が聞こえてくる。
……結婚式の司会者がこのタイミングで笑いを取ってどうするんだ。
厳粛にしろとは言わないが、それにしたって相応しい雰囲気と言うものがあるだろうに。
『それでは、新婦の入場です』
とうとう聞こえてきたその声に、ぐっと顔を顰めると、
「笑った方がいいんじゃないか?」
と言われた。
笑おうと思って笑えるもんなら、俺はもう少し愛想がよかっただろう。
仕方ない、と苦笑した親父の手を取り、扉が開くのを待つ。
室内よりずっと明るい、さんさんと日差しの注ぐ庭には、なかなかの人数が集まっていた。
誰が来るとか来ないとかは事前に聞かされてはいたものの、実際目にすると意外な人の多さに驚かされる。
俺の知らない顔もそこそこいて、なんだ、古泉もそれなりに交友関係があったんじゃないかと、緊張も不安も忘れて目を丸くした。
足元には、バージンロードの代わりなのか、桜の花がまかれ、道を作っている。
よくこれだけ集めたものだと呆れた俺には、後でハルヒと有希が、参列者の有志みんなで拾い集めに行ったのだと教えてくれた。
しっとりした花びらと芝生のせいで、足元は柔らかく、少しばかり緊張を緩和してくれた。
それ以上に、暖かい眼差しを向けられることが嬉しくてたまらなかった。
招待客は厳選したというハルヒの言葉は嘘ではなかったらしい。
本当に祝福されていると分かった。
花びらの道の上に、古泉が立っている。
少しは緊張しているのか、心なしか強張った笑みを湛えて。
それが強張っていると分かるのは、俺と有希くらいだろうか。
ハルヒや朝比奈さんも、もしかすると分かるのかもしれない。
それくらい、古泉もハルヒたちと打ち解けているからな。
そのことにやきもきするよりも、そのことを嬉しく感じてしまう。
緊張した親父と古泉が互いに頭を下げた。
親父は小声で、
「息子を頼むよ」
と式次第にはない一言を付けたし、古泉は穏やかな笑みと共に、
「はい」
と短く答えた。
親父が俺の手を古泉の腕へと導く。
だが俺は、古泉の腕に自分の手を絡めるのでなく、対等に手を繋いだ。
予定と違う動作に、古泉が一瞬目を見張ったが、俺の意図を見抜いてくれたらしい。
小さく笑って、
「後で涼宮さんに怒られても知りませんよ」
と言った。
俺はニヤッと笑いながら、
「可愛げのない嫁で悪かったな」
と言い、古泉と並んで歩く。
俺の立場は確かに新婦だし、母親でもある。
その上、経済的には古泉の世話になることが確定済みだ。
それでも俺は、女の代わりではないし、俺として古泉と並んで歩いていくと決めたんだから、腕に縋ったりはしたくない。
全く、可愛くない嫁だ。
だが古泉は、この上なく幸せそうに、
「あなたが自分から、ご自分のことを嫁だと仰るなんて、驚きですね」
「この状況じゃ、違うと主張しても無駄だろ」
そんなことを小さく話しながら、俺たちは会場の一番奥、早咲きのバラのアーチの下まで進んだ。
その先に神父や牧師がいたりするわけじゃない。
そこで列席者を振り返り、会場の全ての人へ、向き直る。
緊張で心臓が壊れそうだ。
「新郎新婦から、挨拶を述べさせていただきます」
谷口も、そこは流石に真面目に言った。
俺たちの前へ、マイクが持ってこられる。
そんなもの要らないほど近くにテーブルがあり、人がいるってのにな。
俺の震える手をしっかり握り締めて、古泉が口を開いた。
「本日は、僕たちのためにこれほど多くの方々にご参加いただき、誠にありがとうございます。こんな日を迎えられるなんて、思ってもみなかったので、嬉しくてなりません。…本当に、思いもしませんでしたから」
繰り返される言葉に、俺は頷いた。
口上の原稿?
そんなもん、あるわけないだろ。
企画者がハルヒなんだ。
「作られた文章を読み上げるより、その時あんたたちが感じたこと、伝えたいことを言えばそれでいいのよ。失敗したって、笑いが取れていいわ」
という力強い言葉と共に、式次第には、
「古泉くんとキョンに任せる」
と大書されちまった。
当然、俺は古泉にほぼ丸投げだ。
だから、古泉はいくらか言うべきことを考えていたんだろう。
最初の言葉はまるきり、どこでも使いそうな言葉だったからな。
だが、途中からハルヒの言葉を思い出したのか、それとも本当に感極まったのか、紋切り型の言葉はなくなった。
「そもそも僕は、彼と交際出来ることさえ望外の幸せだと思っていました。それが、有希という娘を得て、ましてや、これほど多くの人の前で堂々と誓えるなんて、本当に夢のよう、夢よりも信じられない思いです。……本当に、夢じゃないんですよね?」
そう、古泉は俺に聞いた。
「疑うなら、殴ってやろうか?」
笑いながらそう言ってやると、式場からもどっと笑い声が上がった。
「いえ、いいです」
古泉は慌てた様子でそう言ったが、本気で殴られるとは思ってないんだろう。
「どうやら、本当に現実のようですね」
そう微笑んで、
「これから僕たちは、男同士と言うことで非難されたり、子供にも辛い思いをさせてしまうと思います。一緒にいると決めたことさえ、悔やんでしまう時があるかもしれません。でも、今日、これだけ多くの方々に優しく認められ、祝福されるのなら、一時の迷いで彼を手放したりはしません。一生、大切にしていきます。だからどうか、僕たちのことを認めてやってください」
深々と頭を下げる古泉に、俺はぽすん、と背中を叩いてやった。
「ここに来てくれてる時点で、認めてくれたようなもんだろ」
俺の言葉に、
「当たり前でしょ!」
とハルヒの声が飛ぶ。
「他の誰がなんて言ったって、あたしが認めてるんだから、胸張ってなさい!」
ハルヒは、自分の力のことを知らない。
その力は、弱まってはいるものの、失われたわけではなく、しっかり存在している。
だから俺たちにとって、ハルヒは未だに神様みたいな面倒な存在なのだが、それだけに、そう言ってもらえることが嬉しい。
「団長がああ言ってるんだ。いるかどうか分からん神様に誓うより、ずっといいだろ」
我ながら際どい発言だ。
だが、古泉は小さく笑い、
「そうですね」
と顔を上げた。
それから、珍しく真面目な顔になったかと思うと、
「この中にはもしかしたら、彼に思いを寄せる方もいらっしゃるかもしれませんが、すみません、彼は僕がもらいます。彼と一緒に幸せになりますから、許してください」
それを言うなら、俺の方が許しを請うべきだろうな。
俺は苦笑しながら古泉からマイクを取り上げ、
「他の誰とでなく、こいつと、それから有希と、幸せになります。これからもどうぞ、よろしくしてやってください」
深く頭は下げず、軽く会釈をすると、明るい拍手が巻き起こった。
古泉と顔を見合わせて笑った時だった。
「それでは、誓いのキスを」
ニヤニヤ笑いを浮かべた谷口が、とんでもないことを言いやがったのは。
人前でキスなんかしねぇぞ、と俺が抵抗し、式次第からその作業は削除したはずなのだが、ハルヒが笑っているところを見ると、あいつの仕業らしい。
「キョンくんキスするの?」
なんて言ってる妹の興味津々な眼差しが痛い。
そしてお兄ちゃんは人前でキスなんかしません。
「往生際が悪いですよ」
そう言いながら、古泉が慣れた手つきで俺を抱き竦めた。
「放せこの野郎」
「聞けません」
そう綺麗な弧を描いた唇が、俺の不機嫌にひん曲がったそれに重なる。
一瞬で離したからいいものの、そうじゃなかったら噛み付くかどうかしてやるところだ。
それと、巻き起こった拍手がなかったらな。
俺は出来るだけ小さく抑えたため息を吐くと、
「谷口、ブーケは投げていいのか?」
俺はさっさと終らせて座りたい。
「ああ、そうだな。――新婦から幸せのおすそ分けと言うことで、ブーケトスを行います。独身なら男性でもかまいませんよ。どうぞ、前の方へお進みください」
だが、男で前に出てくる奴はいなかった。
そりゃあそうだろうなぁ。
こんな場所で堂々とカミングアウト出来るような奴は、俺と古泉くらいで十分だ。
「キョーンっ! 早く投げなさいっ!」
最前列で構えているハルヒが怒鳴る。
お前、結婚する気なんてあったのか。
呆れながら俺は女性陣に背中を向けて、後ろ手に、ブーケを投げた。
わっと声が上がり、誰かがそれを受け止めたと分かる。
さて、次に結婚するのは誰だ、などと他人事気分で思いながら振り返ると、
「やったじゃない有希!」
というハルヒの声と、ブーケを抱えた有希の姿が飛び込んできた。
時間をまき戻して、もう一度全力でやり直したい気分だ。
有希に結婚はまだ早すぎます。
「そういうところは、あなたの方がお父さんみたいなんですよね」
有希がさっさと嫁に行っちまってもいいなどとは欠片も思ってないくせによく言うぜ。
有希はじっと静かにブーケを見つめた後、俺に近づいてくると、
「記念に置いておきたい」
と言った。
「取れた記念にか?」
俺が聞き返すと、有希はふるふると首を振り、
「お母さんとお父さんの結婚式の記念に」
……どうやら、今日のことを黒歴史として埋めることは不可能らしい。
俺は諦観しながら有希の頭を撫で、
「好きにしろ」
「…ありがとう」
かすかにだが、嬉しそうな顔をした有希を抱きしめると、
「私から、プレゼントがある」
「プレゼント?」
有希は頷き、
「本当は後で余興にと思った。でも、どうせなら、今」
「なんだか分からんが…」
「お母さんはじっとしてて」
「ああ」
首を傾げながらじっと立っていると、有希が谷口に目配せをし、懐から白いハンカチを取り出した。
谷口は心得たもので、
「突然ですが、おふたりの娘である、有希さんが手品を披露してくださいます」
手品?
それがプレゼントなのか?
有希は黙ったまま、ハンカチを広げる。
本来なら手の平より一回り大きいだけのはずのそれが、際限なく開かれていく。
薄いハンカチだと思っていたのに、既にシーツ並みに広がっている。
一体どうなってるんだ、と思うと有希が手を止めた。
それで終りなのか、と思ったのはまだ早かった。
有希は大きなそれを俺に思いっきり掛けたのだ。
「うわっ!?」
「じっとして」
白い布だというのに、光もほとんど遮られ、周りが見えない状態になる。
足元まですっぽり被されて、本当にどれだけでかい布なんだと呆れていると、
「お父さん、開けて」
と有希が言った。
「はい」
と古泉の声。
布が握られた、と思うと視界が開けた。
どよめく式場。
一体どうなってんだ、と思うまでもなかった。
「素敵ですね」
などとニヤケた面で言うバカは放っておく。
「有希」
低い声で呼ばわると、有希がびくりともせず、俺を見た。
「言ったよな。女装はせんと」
「……言われた」
「ならなんで、俺がこんな格好をせにゃならんのだ」
ウェディングドレスなんて、着たくもなかったと言うのに。
「…ごめんなさい」
素直に謝った有希だったが、
「……でも、見たかった」
俺はため息を吐く。
「それならそれで最初から言え。こんなだまし討ちみたいなのは卑怯だろ」
「…サプライズ」
それは間違ってないが、ちょっとおかしいだろう。
「いいじゃありませんか」
そう言った古泉が俺の手を取る。
「お疲れなんでしょう? 席に座ってしまえばいいじゃありませんか」
それはあれか。
俺に着替えるなと言うことか。
古泉を睨みつけていると、ハルヒが有希に飛びついた。
「すっごいじゃないの、有希! 手品なんて、本当に出来たのね!」
ぎゅうぎゅうと遠慮の欠片もなく抱きしめながら、
「キョンも、よく似合ってるわ」
「嬉しくない」
「なに言ってんのよ。正直に喜びなさい」
嫌なこった。
俺はもはやため息を吐く気力もなく、用意されたテーブルについた。
残る手順はパーティーだけだ。
精々大人しくさせてもらうとしよう。
しかしながら、座っていればいたで、俺のところにはひっきりなしに人が来た。
朝比奈さんはにこやかに、
「本当によかったです。長門さんも古泉くんも嬉しそうですし、涼宮さんも楽しそうで」
と言ったが、俺は苦笑するしかない。
森さんも、挨拶に来てくれた。
「古泉のこと、改めて、よろしくお願いしますね」
なんて言うところは、まるで古泉の姉か保護者のようだ。
「言われるまでもありませんよ」
と返すと、
「…そうでしたね」
と柔らかく微笑んだ。
だが、森さんはすぐに厳しい表情になると、
「もう随分前のことにはなってしまいましたけど、いつぞやは大変失礼しました」
「何のことですか?」
森さんが何のことを言っているのかは分かったが、俺はあえて、そう言った。
古泉が俺の前からいなくなろうとしたあの時、森さんがどうしたのか、俺は知らない。
止めようとしてくれたのかもしれないし、あるいは率先して古泉を呼び戻そうとしていたのかもしれない。
彼女がどうしたのか、知る必要はないだろう。
結局古泉は今も俺の側にいて、これからも一緒なのだから。
だから、謝罪も必要ない。
森さんは小さく笑って、
「ありがとうございます」
とだけ言った。
他にも、機関の面々と俺は顔を合わせた。
古泉と同じ、超能力者もいたのだろうが、彼らは別にそうとは名乗らなかったし、俺も聞かなかった。
機関がどうとか、そんなことは既に瑣末なことだからだ。
重要なのは、俺たちのことを祝福に来てくれたということだけである。
最後にやってきた鶴屋さんは、
「いやー、人が少なくなってからって思ってたらこんなに遅くなっちゃったよ。大人気だねっ、ふたりとも」
と笑った。
「鶴屋さんにも、今日はお世話になってすみません。ここも、鶴屋さんのホテルなんですよね?」
「あたしのじゃなくってあたしの親父様のだから気にしなくっていいっさ。ふたりとも、ちゃあんとお金を払ってくれてる、お客様なんだしっ!」
相変わらず朗らかに言った鶴屋さんは、
「あたしからの結婚祝い、受け取ってくれるかな」
とホテルのキーを突き出した。
「最上階のスウィートルームだよっ」
「そんなの、いただけませんよ」
俺が慌てて言うと、
「ここの使用料だって、少しもまけさせてくれなかっただろっ。これっくらい、どうってことないんだから、素直に受け取るにょろっ」
そう明るく言い、キーを俺に握らせると、
「そいじゃねっ! みくるをひとりで放っとくとあぶなっかしいからさ」
と言いながらさっさと行ってしまった。
いつものことながら、素早い人だ。
俺は苦笑しながら、
「どうする? 古泉」
と聞いた。
古泉は特に思案する様子もなく笑って、
「ありがたく受け取るしかないでしょうね。鶴屋さんのことです。涼宮さんや有希にも話を通しているんじゃありませんか?」
だろうな。
有希は今夜俺の実家に泊まると言っていたし。
「嬉しいですね。ところで、」
古泉はずいっと顔を近づけてくると、
「いつまで古泉と呼ぶつもりですか?」
「…悪いのか?」
「僕たちは結婚したんですよ? それなのに、名字で呼ぶなんておかしいじゃありませんか」
「それならお前も俺を名前で呼べよ」
「いいですよ」
案外あっさりと言った古泉が、俺の耳に唇を寄せ、滅多に呼ばれない俺の名前を囁いた。
それだけでぞくぞくする。
顔が赤くなるのは言うまでもない。
「さあ、あなたも名前で呼んでください」
そう微笑む古泉に、俺は仕方なく、
「……一樹」
と言ってやった。
古泉は上機嫌に笑いながら、
「嬉しいですね」
口にしなくても分かる感想を述べた。
そんなに喜ぶなら、これからはちゃんと一樹と呼んでやろう。
そう心に決められるだけのきっかけになったということは、この結婚式にも意味があったということなんだろうか。

挨拶では「幸せになりたい」と言ったが、あれは間違いだな。
正確には、「これから先も、ずっと幸せでいたい」、だ。