クッキー、ゲーム、キス



昼休みになる少し前から、どこからともなく甘い匂いが漂ってきていた。
どこかのクラスが調理実習だったんだろう、と思いながら弁当を広げていると、国木田に、
「彼氏が来てるよ」
と言われた。
「彼氏って……お前な…」
脱力する俺に国木田はけろっとして、
「周知の事実じゃない。それより、待たせていいの?」
そう言って身を引くと、古泉がドアの前に立っているのが見えた。
俺はため息を吐きながら立ち上がり、古泉に近寄った。
「どうかしたのか?」
ハルヒなら例によって例の如くどこかに飛んでったが。
「いえ、個人的な用事ですよ」
と笑った古泉が、ピンクの不織布でラッピングされた包みを差し出してきた。
「……なんだこりゃ」
「クッキーです。先ほどの授業が調理実習だったんですよ。あなたに食べていただきたくて、持って来ました」
調理実習は9組だったのか、というより、9組にもあるんだな、調理実習。
しかし、なんでクッキーなんだ。
理数系クラスなんて男のが多いだろうに。
「女性が少ないということは、女性が主導権を握ると言うこととほとんど同義なんですよ。今回の実習は各クラス毎に希望をまとめて行うことになってましたからね」
女子に押し切られたのか。
それは大変だったな。
「でも、これはこれで楽しかったですよ」
そう笑った古泉に、一体どんなクッキーを作ったのかと興味が湧いてきた。
「開けていいか?」
「どうぞ」
リボンを解こうとして、気になったことを聞いてみる。
「…ちなみに、ラッピングは誰がしたんだ?」
「僕ですよ。材料は同じ班になった方が分けてくれたんですけど」
「器用だな」
包みを開くと、小さな、しかし明らかに俺と分かる顔の形をしたクッキーが入っていた。
「……お前…」
「え、だめでしたか? 結構可愛く出来たと思うんですけど」
可愛いとは思う。
思うが、
「何やってんだ…!」
調理実習ってことは他の奴と並べて作ったんだろ。
それなのになんでこんな恥ずかしい物体を作り上げやがったんだよ。
「あなただけじゃないですよ。有希も、涼宮さんも朝比奈さんも作ってみました」
器用だな、おい。
呆れながら包みの中を探ると、有希以外は見つかった。
「…有希は?」
「それは、有希に持って行く方に入れたんです。もう包んでしまったのですが……ご覧になりたいのでしたら、写真も撮ってありますよ?」
「ああ、じゃあ後で見せてくれ」
それより気になるのは、いびつな形に歪んだ丸型クッキーと推定される物体だ。
「何でお前は顔型クッキーとかウサギりんごとか妙なものは器用に作るくせに、こういう単純な形で失敗するんだ?」
「いやぁ、簡単な形のほうが難しくて」
「こんなもん、型抜きするだけだろ。どうやったら失敗出来るんだよ」
妙な奴だ。
この波打ってる棒状のクッキーはもしかすると直線になる予定だったのか?
「そうです。それを見ただけで分かってくださるなんて、流石ですね」
普通はこういう時、顔型クッキーがクイズになるんだと思うんだがな…。
呆れながら、いびつな丸型クッキーを取り、口に放り込む。
「…うまいんだが……大分甘いな」
どれだけ砂糖を入れたんだ。
クッキーなんだか砂糖菓子なんだか分からんぞ。
「そうですか?」
「牛乳かお茶が欲しいな。……放課後、部室で食うか。ハルヒと朝比奈さんにあげてもいいんだろ?」
「ええ、構いませんよ。うっかり他の人にも貰ってしまったので余ってますし」
「……貰ったのか」
「はい?」
平然としている古泉にムカつきながら、俺は古泉の耳を掴むと、思いっきり引っ張ってやった。
「いたたたた…何するんですか」
「目を覚まさせてやろうかと思ってな」
こうやって耳を引っ張ってやると、眠気が飛んで頭がスッキリするらしいぞ。
「心配しなくても、『部室でお茶菓子にさせてもらいますね』って言って貰ったんですよ? つまり下心は受け取れませんという意思表示をちゃんとしてですね…」
「下心含みの物を貰うなと、俺は言いたいんだが?」
「……すみません。正直に言いますと、」
と古泉は苦笑し、
「断るのが面倒だったんです」
……この女の敵め。
いや、同年代の男としても腹立たしいことこの上ない男だな。
「何を言っても気に食わないんですね」
「お前がスケコマシなのが悪い」
「酷いですね」
むかつきをクッキーにぶつけてやろうと、もうひとつ拾い上げたクッキーを噛み砕いてやると、
「また今度、作ったら食べてくださいますか?」
「もう少し甘くない方が俺の好みだな」
「善処します」
「…どうせなら有希と三人で作るか?」
誘ったらハルヒと朝比奈さんも参加しそうだが。
「それも楽しそうですね」
「ほら、有希にも届けるんだろ。さっさと行け」
ぽんと背中を押してやると、
「はい」
と答えた古泉がまたえらく嬉しそうに笑って行きやがった。
やれやれ、分かりやすいやつだな。
あれを見ると、ほとんど素に戻っているという話を信じてやる気になれる。
「キョン、口元が緩んでるよ」
分かってるからわざわざ指摘するな、国木田。
「それにしても堂々としてるね。普通ならもう少し隠してもいいと思うんだけど」
呆れたように言った国木田に、俺は小さく笑い、
「神様が味方についてるからな」
と言っておいた。

放課後、俺は古泉に言った通り、朝比奈さんのお茶に添えるお茶菓子として、古泉手製のクッキーを提供していた。
どうやら勿体無くて食べられなかったらしい有希は、自分と俺と古泉の顔の形をしたクッキーを並べて、満足そうに見ている。
ハルヒも満足げに、
「うん、美味しいわ。古泉くん器用なのね!」
と言いながら自分の顔型のクッキーをばりばり言わせていた。
……普通自分の形のは避けるんじゃないのか?
「なんでよ。どうせ食べるんだったら自分のじゃなきゃ嫌じゃない。人に自分の顔が食べられてるところなんて見たくないし」
それはそれでハルヒらしいな。
朝比奈さんは自分の顔のクッキーを手に持って、
「でも、本当に上手ですね。可愛く作ってもらえて嬉しいです」
と微笑んだ。
モデルがいいんだから、朝比奈さんのクッキーが可愛いのは当然ですよ。
「今度、紅茶も買ってきますね。クッキーにはやっぱり紅茶の方が合いますから」
「ああ、古泉がまたクッキーを焼きたいって言ってるんで、よろしくお願いします」
朝比奈さんに言ったのに、反応したのはハルヒだった。
「あんたもクッキー作れたわよね?」
「ああ」
「じゃあ今度はあんたも顔型の作って見せてよ。あんたがどんな風に作るか気になるわ」
「…俺は古泉ほど器用じゃないからこんな風には作れんぞ」
「別にいいわよ。崩れたりするのも愛嬌があっていいわ」
「……分かった」
どうせ一緒に作るつもりでいたから、少々わがままを言われるくらい構わんだろう。
「ところでキョン」
ハルヒが楽しげに言ったが、おかげで俺は顔を顰めさせられた。
こいつがこういう顔をする時には大抵ロクなことにならないからな。
「今度は何だ」
「この細長いクッキーを見て何か思い出さない?」
「何かって……」
俺には波線にしか見えないんだが。
「そうじゃなくて、ほら、あるでしょ。市販のお菓子で…」
「…ああ」
それがどうしたっていうんだ?
「こういう時、やることはひとつよね。キョン、古泉くんとポッキーゲームしなさい!」
「なんでそうなるんだ!」
「いいじゃない。少しくらい娯楽を提供しなさいよ。別にキスしちゃっても怒らないから」
「そういう問題じゃない!」
お前は男同士でキスしてるところが見たいとでも言うのか?
「うーん…ちょっと見てみたい気もするわね」
「お前なぁ…っ!」
人がキスしてるところなんて見たってしょうがないだろ!
「何よ、ノリが悪いわね」
不貞腐れたいのはこっちだ。
イライラしながら正面に向き直ったところで、口にクッキーを突っ込まれた。
目の前にある爽やかなニヤケ面を睨みつけると、
「少しくらいいいじゃないですか」
と言った古泉が反対の端をくわえた。
「流石ね古泉くん!」
ってハルヒ、お前は何に対してこの馬鹿を褒めてるんだ。
俺が呆れている隙に、古泉がクッキーをかじり始める。
「こーら! キョン! ノリが悪いわよ!」
そう言われたところでやる気になれるかよ。
くわえてるだけでも奇跡的状況だぞ。
俺がげんなりしている間に古泉がじわじわと食い進めている。
どこまでするつもりだ、と思いながら俺はクッキーに思いっきり歯を立て、折ってやった。
「もう、つまんないわね!」
アヒルみたいに口を尖らせるハルヒに俺は、
「妙なもんを見たがるお前が悪い」
と言ったのだが、古泉が、
「今のがポッキーゲームであり、その一般的なルールに従うのであれば、わざと折ったあなたの負けですよね?」
と笑顔で確認してきた。
一体何をするつもりだ。
「つまり、僕の勝ちですね」
「…それがどうしたって言うんだ?」
「ご褒美をください」
そう言った古泉が俺の頬に手を添え、避ける間もなくキスしてきやがった。
「わ」
と朝比奈さんが声を上げ、
「やるわね、古泉くん!」
とハルヒが歓声を上げた。
有希が黙ってこちらを凝視しているのは、見なくても分かる。
俺は古泉を思いっきり突き飛ばし、
「お前は本当に何を考えてるんだ!」
「さて、なんでしょうね」
「知るか。俺には理解出来ん!」
本気で腹が立つ。
古泉が立場上ハルヒを不機嫌にさせるわけにいかないのは分かるが、それにしたってここまですることはないだろう。
やりすぎだ。
俺の意思も無視しやがって。
とりなそうとしてか、ハルヒが、
「キョン、そこまで怒んなくっても…」
と言ったのを、
「お前が言うな」
と睨みつけて黙らせた。
むかつきを隠しもせずカバンを掴むと、
「帰る」
とだけ言って部室を出た。
ドカドカと足を鳴らしながら廊下を歩き、階段を下る。
下駄箱まで行ったところで、
「待ってください」
と追いついてきやがった馬鹿は無視だ。
八つ当たり気味に靴を地面へ投げ、足を突っ込む。
「話を聞いてはくださいませんか」
無視してんだから当たり前だろ。
分かりきったことを聞いてくるんじゃねえ。
苛立ちを強めながら、外に出る。
今なら青空にだって八つ当たり出来そうだが、今日の天気は曇りで、余計にムカついた。
「お願いします。話を聞いてください」
掴まれた腕を振り払う。
口もききたくないどころか視界にすら入れてやりたくない。
「聞いてくださらないんでしたら、」
妙に覚悟を決めたような声で、
「このまま大声で話し続けます。それでいいですか?」
と脅してきやがった馬鹿を睨むと、
「…やっとこっちを見てくれましたね」
と微笑まれた。
……殴りてぇ。
思わず拳を固めていると、古泉が距離を詰めてくる。
殴りやすくなったな。
この後の展開によっては思いっきりぶん殴ってやろう、と思いながら、
「ひとつだけ言っておく。俺も、お前との関係も、見世物じゃねえんだよ」
それなのにハルヒと朝比奈さんの前で――有希についてはもはやいつものことだ――キスはするわ、今だって人目があるどころか衆目を集めているような状況で大声で話しかけてきやがって、突き刺さるような視線が痛いだろうが。
視線を振り払いたくて足を速める。
特に動じる様子もなく平然とついて来る古泉にむかっ腹が立つ。
「すみません」
「…お前が、ハルヒの機嫌を損ねたくないってのは分かるが、それでもあんなのは許容範囲外だ」
「すみません、でも、」
でも?
古泉のくせにこの状況で口答えするつもりか。
「涼宮さんの機嫌を損ねたくないから、あんなことをしたんじゃありませんよ?」
「……なんだと?」
じゃあどういうつもりだったって言うんだ。
「涼宮さんの前で、あなたと思う存分いちゃつけるのが嬉しくて、見せ付けたかったんです。…涼宮さんの機嫌を気にせず、思うままに出来ることが」
そう笑う古泉は、幸せそうだった。
それこそ、頭に花でも咲いてんじゃないかと思うくらい。
俺はため息を吐き、
「その気持ちは分からんでもないが、自重しろ。俺はお前ほど開き直れやしないんだ」
「すみません」
にこにこと笑う古泉に、怒りが収束するのもどうかと思う。
俺は呆れながら足を止め、辺りを見回した。
中途半端な時間帯のせいもあり、人影はない。
帰宅部はすでに帰り、部活がある連中はまだ校内で活動に勤しんでいるんだろう。
高校のタイムテーブルに無関係な一般人も見当たらない。
俺は古泉のネクタイを引っ掴むと遠慮なくそれを引き寄せ、古泉にキスした。
目を丸くする古泉に、ニタリと笑い、
「キスは人目のないところでするもんだろ。……今度人前でやらかしやがったら、お前の舌を噛み切ってやるからな」
「…はい」
嬉しそうに頷くな。
「分かったら、とっとと帰るぞ」
歩きだしながら古泉の手を引っ張ると古泉も笑った気配がした。