子供が寝た後で



いつも泊まりといえば長門の部屋か古泉の部屋なのだが、今日は珍しく俺の家に二人を泊めることになった。
世話になってばかりというのが心苦しかったのもあるし、たまたま妹がミヨキチのところへ泊まりに行くというので都合がよかったということもある。
なんにせよ、俺も一度くらい二人を泊めてやりたいと思ってたわけだ。
妹がいない時を狙ったのは、妹がいたら長門はほぼ確実に妹の部屋に連れていかれ、長門が望むように一緒の部屋で眠れないだろうと予想がついたからだ。
と言っても、いつも長門の部屋でそうしているように、三人川の字になって寝るわけにもいかないだろうと、俺はベッドを長門に譲り、床に敷いた布団で古泉と狭苦しく寝ることにした。
狭苦しい、と言いつつその距離がもはや自然になっている事実についてはなんとも言い難いのだが、そこにはあえて目を瞑ろう。
問題は、なんとなく興奮して眠れないということだ。
親がいる屋根の下に、秘密にしている恋人と二人布団に入っているのが悪いのか、それとも自分の部屋に長門と古泉がいるという状況が悪いのか、とにかく寝付けない。
気がつけば長門の呼吸は眠っている時の落ち着いたそれに微妙に変化している。
長門は寝つきのいい方だがそれでも寝入るにはそこそこ時間がかかるはずであり、つまり俺もそれなりの時間をこうして落ち着かずに過ごしているわけである。
困った、とため息を吐くと、
「あなたも寝付けませんか?」
と隣りから押し殺した声が聞こえた。
俺は仰向けになったまま、
「ああ」
と頷いた。
声はやはり小さくしたままだ。
一度眠った長門はそうそう目を覚まさないと分かっていても、穏やかな眠りを妨げたくはないので、自然とそうなる。
俺は手探りで古泉の手を探し出すと軽くそれを握りこみ、
「少し話でもしてるか?」
「ええ」
「途中で寝ても怒るなよ」
「それくらいで怒ると思いますか?」
「…一度怒ったくせに…」
「それはあなたが最中に寝たからでしょう」
と手を軽く抓られた。
痛いって。
抓り返してやりながら、俺は言う。
「今日、こうやってお前と長門を泊めるって言ったらお袋が妙な顔をしてたぞ」
「そうでしょうね。長門さんだけ、もしくは僕だけならまだしも、二人一緒にですからね」
長門だけなら反対するつもりもあったらしいんだが、その妙な取り合わせに驚いたのか、意外とすんなり認められた。
怖いのは、後になって、いつも泊まりに行く時も三人一緒なのかと聞かれることだな。
「それを機にカミングアウトするというのはどうでしょう」
「却下だ」
というか、まだ諦めてなかったのか。
それが出来るようになるまで、つまりは俺が子供を産める状況になるまで、待つんじゃなかったのか?
「早められるのであればそうしたいと思うのは間違ってますか? 子供を産める状況には、ご両親に認めてもらうということも含まれていると思うのですが」
それはそうかもしれないが、急いてはことを仕損じるという言葉もあるだろう。
焦るのはお前らしくないぞ。
「…そうですね」
疲れたのか傷ついたのか判断しづらい声で言った古泉の指に自分の指を絡めながら、俺は言った。
「それより、明日の朝飯はどうする?」
「どうすると言われても…あなたが作るんですか?」
「お袋に任されたんだ。明日は早くから出なきゃならんとかでな。だから、明日、ちゃんと起こせよ」
一応目覚ましは設定してあるが、あの目覚ましが日々役に立ってないのは言うまでもない。
「あなたは寝覚めがが悪いですからね。いいですよ、僕が責任を持って起こします」
「任せる」
言いながらぎゅっと手を握ると、握り返された。
「何か食べたいものは…って、お前に聞いたところで無駄なんだろうな」
「なんですか、それは」
「そもそもお前が何か食べたいと希望したことがあったか? 長門だって、希望を言うようになったってのに」
作り甲斐のない奴だ。
いっそ味にうるさい方が面白かっただろうに、俺がどんなに手のかかった物を作ろうが、逆に失敗しようが、同じ顔で平然と食ってのけるに違いない。
後者については優しさという奴もいるかもしれないが、本当に相手のことを思うなら、失敗は失敗と伝えてもらいたいと思う俺の認識は決して間違ってないと思う。
「あなたが料理で失敗するなんて、考え辛いですね」
買い被り過ぎだ。
「そうですか? 少なくとも、これまでにあなたの手料理を美味しくないと感じたことは一度もありませんけど」
だから、お前の大雑把な舌は当てにならんと何度言えば分かるんだろうな。
「じゃあ聞きますけど、長門さんを除外すると、僕以外に誰か手料理を食べさせたいと思う相手が、あなたにいるんですか?」
「……いるわけないだろ」
分かりきったことを聞くな。
「それを聞いて安心しました」
「聞く前から安心してろ、ばか」
毒づきながら古泉とは逆の方へ顔を向けた。
「……なんか、ハルヒを見てると、今度合宿とかに行く時には相部屋にされそうだな」
「ありがたいですね」
「全然ありがたくない」
ハルヒがニヤニヤと品のない笑いを浮かべながらからかってくるのは目に見えてるからな。
ハルヒに色々と――それこそハルヒが自覚しているのも自覚していないのも含めて――世話になっている身としては、それくらい我慢するべきなのかもしれないが、居合わせる朝比奈さんが可哀相だ。
「僕としては、未だに夢のような心持ちになるんですけどね」
「何がだ」
「あなたとこうしていられるということも、涼宮さんに認められたことも、ですよ」
「心配しなくても、もう逃がしてなんかやらんからな。悔やむんだったら一人で悔やめ」
「後悔なんてしませんよ。あなたに嫌われない限りは」
俺はため息を吐き、つぅっと古泉の指をなぞるようにして撫でた。
「お前はありえないことを考えるのが好きなんだな」
それもやけに悲観主義者だ。
「幸せに慣れることが出来ないのは性分なんです。お見苦しいかと思いますが、許してやってください」
「見苦しいってのには同意するが、これだけ恵まれた状況にあって文句を言ってたら罰が当たるぞ」
「そうですね。ところで…」
と古泉は苦笑混じりに言い、空いていた手で俺の手を包むようにした。
「さっきから誘ってるんですか、この手は」
「違う」
分かりきったことを聞くんじゃないとさっきも言わなかったか?
「ただ単に触っていたいだけだ」
長門が隣りにいるのに盛るなよ。
「分かってます」
言いながら、その手が逆に俺の手を撫で始めた。
愛撫するように優しく、どこかくすぐるような感じで。
気持ちよさにぞくぞくとしたものが背筋を這うが、それはそれ以上に熱を高めるのではなく、それだけで満たされるような感覚だった。
これまで何度も体を重ねて、キスなんて数えられないほどしているのに、それでもまだ、これだけのことで満たされるのをお安いと思おうか。
それとも、正しい男子高校生なんてそんなもんだろうと開き直ってやろうか。
何にせよ、これだけで満たされるのはつまり、古泉のことが好きだってことなんだろうな。
そう思っただけで口にしなかったのに、
「ありがとうございます」
と言われた。
俺は思わず古泉を振り向き、
「今、口に出てたか?」
「いえ、でも、分かりますよ」
顔が真っ赤になってもこれくらい暗ければ分からないと思う。
思うんだが、頭の中まで見透かされてるんだ。
表情の変化くらい、お見通しだろう。
それならいっそ、と俺は古泉の唇へ自分のそれをぶつけるようにキスをした。
「大人しく眠っちまえ」
毒づくようにそう言って背を向けても、繋いだ手は離せないままで。
「…おやすみなさい」
笑いを帯びた声でそう言われた。
腹立たしいのは古泉が余裕綽々だからだろうな。

翌朝、俺が目を覚ますと何故か古泉の姿さえなかった。
長門については言うまでもない。
時計に目をやると、とっくに起きていてしかるべき時間だったからな。
あの野郎、何考えてんだ。
苛立ちながら、起き上がり、台所へ行くと、長門が当然のように朝食の支度をしていた。
古泉は妹の相手をしていたが俺を見つけるとソファから立ち上がり、
「おはようございます」
とわざわざ至近距離で言ってきた。
「……おはよう」
というか、俺としてはなんでこうなってるのか説明してもらいたいんだがな。
「昨日、あなたに頼まれる前に長門さんに頼まれてたんですよ。泊めてもらう分、朝食の準備は自分がしたい。お母さんを十分寝させてあげたいと。そちらが先約でしたので、優先させていただきました」
俺は眉間に皺を寄せ、古泉を睨んだ。
面白くない。
俺との約束よりも長門のそれを優先させたことも、長門と古泉が俺の知らない間にそうやって結託したりするようになってることも、面白くないぞ。
「怒りました?」
俺は頷き、廊下までずるずると古泉を引っ張っていくと、
「いつの間にそこまで長門と仲良くなったんだ?」
「いつの間に、と言われましても」
と古泉は苦笑し、
「長門さんの部屋に泊まる際には大抵あなたが最後に起きてくるでしょう? 必然的に長門さんとふたりで朝は過ごしますから、それなりに会話もするようになってるんです」
それにしたって、ここまでとは思わなかった。
別に、古泉と長門が親しくなるのはいい。
だが、俺の知らないうちにというのが面白くないのは、どう言えばいいんだろうな。
「妬いてるんですか」
驚いたように古泉が言ったのを睨み上げ、
「妬いてる、というよりはむしろ苛立ってるんだ」
「どう違うんですか?」
長門は嫉妬の対象になり得ないだろ。
俺は「白雪姫」に出てくる王妃ではないので娘に嫉妬したりはせん。
だから、多分これは、
「疎外感からくる寂しさだな」
これが一番しっくりくる。
「最初から言ってくれれば俺だって納得したんだ。その程度のことをわざわざ隠すな」
長門にも後で言っておこう。
そんなことを思いながら、すでに当初の苛立ちが消えていこうとしていることに気がついた。
なんのかんの言って、俺は本当に古泉と長門に甘いらしい。
「すみません」
と謝る古泉へ苦笑し、
「まあ、長門がわざわざお前に嘘を吐かせてまでやるって言った以上手出ししないでおくか」
「そうしておいてあげてください」
ほっとしたように笑った古泉に、そんなことをしたのは魔が差したからだ。
あるいは、悪戯でもしてやりたくなったからと言えばいいかも知れん。
何の前触れもなく古泉の胸倉を掴んで引き寄せると、噛みつくようにキスをした。
呆気にとられている古泉の間抜け面を見つつ、
「俺を仲間外れにしたんだ。その分、後でみっちり仕返ししてやるからな」
と捨て台詞を吐いて、背を向けた。
古泉がどんな顔をしてるかなんて、見なくても分かる。
ハルヒには決して見せられないような、緩みきった顔で間違いないからな。