招待

金曜に長門の部屋に泊まりに行くことはもはや習慣と化している。
当然、その前に買い物に行くこともだ。
長門がまともな料理を覚え、冷蔵庫にもそこそこ食料があるようになってはいるのだが、長門の細腕に大荷物を持たせるのが忍びなく、俺と古泉が荷物を持ってやると言って、スーパーに立ち寄ることは続けていた。
もっとも、長門なら少々の荷物の重さなんか堪えはしないのだろうが、それでも娘の面倒を看る口実はとっておきたいものなのだ。
長門には少なく、古泉には多めに荷物を振り分けてやって、スーパーを出たところで俺は、
「あ」
と足を止めた。
問い掛けるように長門が見上げてくるのへ、
「にんにく買い忘れた。ちょっと行ってくる」
と言うと、古泉が、
「では、僕は先に帰っておきましょう。アイスが溶けると大変ですし。ついでに、あなたの荷物も持ちましょうか？」
買い足すのはにんにくだけだから構わん。
長門はどうする？
「…一緒に行く」
と俺を見て言ったということは、俺についてくるという意味なんだろうな。
古泉が苦笑しながら歩き出したのを見て、俺と長門はスーパーの中へ引き返した。
ちなみに、古泉も俺も長門から部屋の合鍵をもらっており、古泉も長門に部屋の鍵を渡している。
自宅住まいの俺としては、なんとなくその鍵を渡しあう行為が羨ましいんだが、古泉と長門は俺がそんなことを思っていると気がついているんだろうか。
…長門はともかく、古泉は気付いてないんだろうな。
閑話休題。
にんにくを買うだけにそう手間取るはずもなく、俺は、瑣末でしかないにんにく代まできっちり出そうとした長門に無理矢理財布をしまわせながら、にんにくを買った。
どうせ買ってやるならアクセサリーやなんかの様になるものがいいんだが、それをするには長門は生真面目過ぎ、俺の財力も心許ない。
それならせめて、これくらいでも奢らせてもらいたい。
長門は俺の意図を分かってくれたのか、スーパーを出ながら小さな声で、
「…ありがとう」
と言ってくれた。
「どういたしまして」
と返しながらも顔が緩むのが分かる。
やっぱり長門は可愛いな。
思わず長門の頭を撫でてやると、
「…キョン？」
と声がした。
聞き間違えるはずのない声の主は、ハルヒだ。
「珍しいな、こんなところで」
「あんたこそ、何やってるのよ」
「何って、」
見りゃ分かると思うんだが。
「長門と買い物」
ハルヒはきょとんとしたような顔をした後、
「あんた、ゲイじゃなかったの！？」
とあたりに響き渡る大声で叫んだのだった。
集中する視線が痛い。
「大声で言うな」
胃と頭が痛くなる。
「別にいいでしょ、嘘じゃないんだし」
嘘じゃなければいいというものでもない。
「うるさいわよ。それで、なんであんたが有希と一緒に買い物なんてしてるのよ。古泉くんは？　一緒じゃないの？」
古泉なら長門の部屋で待ってるはずだが。
「はあ？」
怪訝な顔をしたハルヒに、長門が一歩近づき、口を開く。
「彼等は私のお父さんとお母さん」
長門は見事に空気を読まず、うまく説明してくれるんだろう、と思った俺の淡い期待を見事に打ち砕いてくれたのだった。
「どうなってるの？」
ハルヒが俺に言ったが、俺としてもどう説明したものか、悩むところだ。
考え込む俺の袖を引いて、長門が言った。
「…連れていって説明する方が、早い」
それはハルヒをお前の部屋につれて行くということか？
「そう」
いいのか？　それで。
「いい」
分かった。
俺は小さくため息を吐くと、
「ハルヒ、お前も来るか？」
「どこによ」
「長門の部屋。ちなみに今日の晩飯はスパゲッティとサラダの予定だ」
ハルヒはしばらく目を白黒させていたが、きっと表情を引き締めると、
「行くわ。あんたが有希にロクでもないことを教えてないか、心配だし」
ロクでもないことって何だ。
そういうことを教えるのは俺じゃなくて古泉の方だぞ。

「お帰りなさい」
とドアを開けた古泉は、不機嫌な面をしたハルヒを見て、かすかに表情を引きつらせた。
しかしすぐに平常に戻ると、
「いらっしゃいませ、涼宮さん。どうかなさったんですか？」
ハルヒはどこか不機嫌な顔で、
「キョンに誘われたのよ」
と言って、部屋に上がりこんだ。
ハルヒの名誉のために付け足しておくと、一応ちゃんと、
「お邪魔します」
と声は掛けていたからな。
それくらいの常識は、あいつも弁えているらしい。
ハルヒに道を譲った古泉は、俺と長門の手から買い物袋を取り上げながら小声で言った。
「どうしたんです？」
「スーパーを出たところでばったり会ってな」
と俺は大体のところを説明する。
長門が「お父さん」とか「お母さん」とか言っちまったことも含めて。
その間に長門は部屋へ上がり、勝手知ったるなんとやらでどっかと腰を下ろしていたハルヒにお茶を淹れていた。
説明を終えた俺は、
「悪いが古泉、うまく誤魔化してくれるか？」
長門にはうまく嘘を吐くなんてことは出来ないだろうし、かといって、正直に説明すれば長門に両親が最初からいないことやなんかまで言う破目になるだろ。
必要なだけ嘘を吐いて、必要なだけ本当のことを言ってやってくれ。
「大役ですね」
と古泉は苦笑しながらも頷いた。
「承りました。長門さんも、同意しているんですよね？」
当たり前だ。
「それなら、僕は構いません。全力を尽くさせていただきますよ」
それからやっと俺は部屋に上がり、古泉が冷蔵庫の前まで運んでくれた買い物袋から今晩使うものだけ取り出し、残りを仕舞う。
その間に長門と古泉が入れ替わり、長門が俺を手伝い、古泉がハルヒの相手をする形になった。
今日の夕食はさっきハルヒに言った通りだ。
大して手間はかからん。
さっさと作って、ハルヒにも食わせてやるか。
ハルヒも長門に負けないくらい健啖家だったよな、とどれくらい作るか考えながらエプロンをつける。
ジャガイモの皮むきを長門に任せ、スパゲッティを棚から引っ張り出していると、古泉の声が聞こえた。
「実は僕たちは長門さんの親代わりをしているんですよ」
あの胡散臭い顔をしているんだろうなと分かる声に、俺は思わず笑いだしそうになるのを堪えた。
だがハルヒにとっては胡散臭い顔こそデフォルトの古泉だからか、特に疑うような様子もなく、
「親代わりって、有希のご両親はどうしたの？」
「長門さんが小さいうちに、亡くなられたんだそうです。もちろん、長門さんは未成年者ですから、保護者という法的な親代わりはいるのですが、愛情までは注いでもらえなかったようでして…」
と古泉は皆まで言わず、言葉を途切れさせた。
「食事も、外食や買ってきた物で済ませていた長門さんを、彼が見かねたんですよ。そうして世話を焼いているうちに、彼女も娘として彼を慕うようになりまして、気がついたらこうして家族のように過ごすようになったというわけです」
多少順番やなんかが違う気がするが、大部分は本当だな。
「いつからそうしてたの？」
「そうですね……もう、三ヶ月くらいになりますか」
「そんなに前から？」
驚いたように声を上げたハルヒが、俺の方を睨み、
「あんたって、単純そうに見えるのに、隠し事得意よね」
すまん、と口先だけで謝った俺に、ハルヒは驚きの表情を見せた。
なんだ、何か妙なことでも言ったか？
「そうじゃなくて、あんた、そのエプロン何なの？」
何なの、と言われると困るな。
長門と古泉の趣味だ。
「それにしたって、白くてふりふりのエプロンなんて、みくるちゃんみたいじゃない」
それについては俺も同感だ。
なんだったら、考え直すようにこいつらを説得してやってくれ。
これを選んだのはその二人だからな。
と言った俺を無視して、ハルヒは古泉に言った。
「どうせなら割烹着とかの方がキョンは似合うんじゃない？」
おい。
「何よ。なんか文句でもあるの？」
大アリだ。
なんで更にマニアックな方向に走るんだ。
「うるさいわね。どこがマニアックなのよ。割烹着だったらメイド服と違ってその辺の衣料品店にもあるでしょ。あ、言っとくけど、割烹着は白の無地しか認めないから」
誰がお前の趣味を聞いてるか。
「いいじゃありませんか」
いつもの倍は鬱陶しい笑顔で古泉が言った。
「せっかくの涼宮さんの提案ですよ？　ね、長門さん」
「……見たい」
お前ら…こういう時ばっかり結託しやがって…。
「とにかく、俺は着ないぞ」
この際だからエプロンももう少しまともなものに変えてやる。
「割烹着なら三角巾も欲しいわよね」
俺の話も聞けよ、ハルヒ。
しかし、古泉ともども妙に盛り上がったハルヒが俺の話を聞くはずがなく、俺はため息を吐きながら調理作業に戻ったのだった。

「おいしい！」
とハルヒが歓声を上げた。
いい笑顔だ。
「あんた料理上手だったのね。有希も。なんとなく意外だけど」
そう言って山のように盛り付けてやったスパゲッティがどんどん減っていくのは見ていて気持ちがいい。
長門の食欲もハルヒと同等、もしくはハルヒを上回る勢いだが、こうやって分かりやすく好感触を得られると、やっぱり嬉しいな。
いや、長門がいけないと言いたいわけじゃないんだ。
長門だって、新しい物が作れた時に嬉しがっていたり、美味しい物を食べた時に満足げにしたりすることが、俺には分かってきてる。
長門はそれでいい。
だがやっぱりこういう反応というのは作り手冥利に尽きるというもので……と、いくら言ったところで言い訳にしかならんな。
……すまん、長門。
「ねえキョン、あんた今度お弁当作って来てよ。みくるちゃんの分も入れて、五人分」
俺が！？　五人分も！？
「そう、あんたが。どうせなら和食がいいわね。イモの煮っ転がしとか、出汁巻き卵とか。学食もそこそこ美味しいんだけど、和食はイマイチなのよねー」
言いながらハルヒはぽいぽいと口の中にジャガイモとアスパラのサラダを放り込んでいく。
「長門にもいつも言ってるが、もっとよく噛んで食えよ」
俺が言うとハルヒは大きく目を見開き、それから笑った。
何だよ。
「本当にお母さんなんだと思ったの」
…それは褒め言葉なのか？
「そうに決まってるでしょ。有希があんたに懐いてるのも分かるわ」
その言葉に長門が頷いた。
古泉もしたり顔で頷き、
「でも、涼宮さんには譲りませんよ」
ととんでもないことを口走った。
唖然とした俺とは対照的に、ハルヒは声を上げて笑って、
「古泉くんってそういうキャラだったっけ」
「彼については僕も余裕がありませんから」
「心配しなくても、あたしはキョンのこと、そういう意味で好きになったりはしないわよ。ね、キョン」
だろうな。
「でも、古泉くんがキョンを虐めたりしたら容赦なくもらってくからね」
にやりと不敵な笑みを浮かべてハルヒは言い、古泉は穏やかな笑顔で受けた。
「そんなことにはならないとお約束しますよ」
その隣りで頷くのは長門だ。
「心配は要らない」
なんと言うか、くすぐったいな。
俺は苦笑しながら長門のグラスに麦茶を注いでやった。

ハルヒが帰ったのは、結局夜も九時近くになってからだった。
その間ハルヒが何をしていたかと言うと、もう遥か昔のことにも思えるクリスマスパーティーの二次会――というのかね、あれは――の時に長門の部屋に持ち込んだきりになっていたゲームをやったり、勝手にタンスを漁った挙句、俺と古泉の着替えやなんかを見つけ出して、にやにやと品のない笑みを披露したりしたわけさ。
ついでに、次回市街探索の時に持っていくことに決まってしまった弁当について古泉と長門も交えて徹底的に討論した挙句、御節料理と見紛うばかりの重箱弁当を作る破目になっちまった。
それも五段重ねだぞ。
誰がそんなもん持ってるんだ、と言ったらハルヒが自宅の台所で眠っていると言い、その調達を理由に断ろうとした俺の目論みは見事に崩された。
更に言うなら、五段に団員それぞれをイメージした物を詰めろという無茶な指令つきである。
そんな器用なこと出来るかよ、と言うと、
「無理ならそれぞれの好物を入れるだけで許してあげるわ。ただし、その時は物凄く面倒なもの言ってあげるから、覚悟しなさい」
と言われちまった。
どっちが楽だろうな、と古泉に振ると、
「何にせよ楽しみですね。あなたが我々に対してどのようなイメージを持っているのか、その一端でもうかがえるわけですから」
と返事と思えないことを言われた。
お前のところにはノリ弁でも詰めてやろうか。
白いご飯をめくるとどす黒いノリとか、お前にはぴったりだぞ。
どうしたものか、と考え込んだ俺に、
「手伝う」
と長門が言った。
「…ありがとうな」
本当に、可愛い娘だよ。
俺が頭を撫でてやると長門は嬉しそうな気配になった。
ただし、次の瞬間には俺もろとも、
「あたしも有希のこと撫でる！」
と主張したハルヒに押し倒されて、それも分からなくなったが。
それにしたって、ハルヒとここまで開けっ広げに付き合えるってのも分からないもんだな。
古泉と付き合い始めた頃には本当にびくついていたはずなのに、もう何があっても大丈夫だと言い切れるようになってる。
それが古泉と付き合っているからだとしたら、こんな関係も悪いものじゃないんだろう。
俺は玄関でハルヒを見送りながら、
「また来いよ。いつでもとはいかないが、金曜は大抵ここに泊まることになってるから」
「そうね。まあ、お邪魔にならない程度にしておくわ」
にやっと笑ったハルヒは、
「それじゃね。ごちそうさま！」
と明るく帰って行った。
「気をつけて帰れよ」
一応声を掛けたが、ハルヒには聞こえちゃいないんだろうな。
くい、と長門に袖を引かれて振り返る。
「どうした？」
「……」
長門は無言で俺に抱きついてきた。
寂しかったんだろうか。
俺は長門のことを抱きしめ返し、その頭を撫でてやった。
「…あなたが、お母さんになってくれてよかった」
「俺も、長門が娘になってくれて嬉しいよ」
「……大好き」
「俺もだ」
「僕もですよ」
いきなり乱入してくるな。
「いいじゃありませんか。涼宮さんがいる間、我慢したんですから」
我慢って何だよ。
と言いかけた俺のことを古泉は抱きしめ、有無を言わさずキスをした。
だから、長門の前では止めろって。
「私は気にしない」
そういう問題じゃない。
というか、何で玄関みたいな狭いところで三人引っ付いてなきゃいけないんだ。
「じゃあ居間でいちゃいちゃしましょう」
いちゃいちゃ言うな、キモイ。
文句を言いながらも大人しく移動してやるあたり、俺はこいつらに甘いんだよな。
ふぅ、と吐いたため息はしかし、どうにも重さのないものだった。