ひとつの日常風景



金曜日には彼と僕、そして長門さんと三人で買い物をして長門さんのマンションに泊まる。
夕食は彼と長門さんが料理をして、三人でそれを食べ、川の字になって眠る。
市内探索の入っている土曜日なら、僕、長門さん、彼の順番でマンションを出て、何食わぬ顔で集合場所へ。
彼が最後なのは、それでいいと彼が主張し、また僕と長門さんのどちらかが遅れても奇妙に映るからだ。
市内探索が入っていない土曜日なら、昼頃まで思い思いに長門さんのマンションで過ごす。
彼は大抵ゆったりと眠り続け、長門さんは彼の姿が見えるような位置に座って本を読む。
僕はと言うと、コーヒーを飲みながらだらだらとニュースを見たり、長門さんと会話をしたり、長門さんお勧めの本を読んだりと、日によって気分によって違うことをしながら過ごす。
そうやって、バラバラに過ごしていても、何故だか暖かく感じる。
大切なのは何をするかではなくて、誰の側にいるかなんだと実感する、穏やかな時間だ。
「おふぁよ…」
十時過ぎになって起き出してきた彼に、
「おはようございます」
と僕が言うと同時に、長門さんも、
「おはよう」
と言った。
それを当然のこととして受け止めながら、彼はテーブルに目をやると、僕の前に置いてあったコーヒーがいくらか残っているのを見てそれを取り上げた。
冷め切ったそれを飲み干して、
「古泉、おかわり」
「はい」
答えて彼の手からカップを受け取り、キッチンへ向かいながら、自分の頬がだらしなく緩んでいることに気がついたが、気付いたところでどうにもならない。
顎で使われて嬉しいかと問われたら、笑顔で嬉しいと答えよう。
彼が無防備に僕を頼ってくれるのが嬉しい。
思えば、初めて彼に思いを告げた時の彼は戸惑いと緊張でがちがちになっていたっけ。
自覚がなかったからなのか、僕がキスをしても抱き竦めても何の反応もせず黙り込んでいた彼に、僕も緊張した。
自分の思い違いで彼を傷つけるような真似をしてしまったのではないだろうかと、平気な表情を作りながらも、内心では狼狽していた。
だからこそ、彼が赤い顔をして、体を震わせながら、
「俺は……お前が…好きなのか…」
迷うように、自分自身に言い聞かせるように呟いた時は、嬉しくてたまらなかった。
思わず抱きしめる力を強めた僕に、
「うん……好き、みたいだ」
と言ってくれた時はこれでいつ死んでもいいと思ったほどだ。
今では、いつ死んでもいいなんて馬鹿なことは思わないけれど。
何しろ、可愛い娘がいて、彼が傍らにいてくれる。
この幸せを僕は知って、それだけでなく、手に入れてしまったから。
もう手放せないし、手放せと言われて拒めなかったとしても、彼と長門さんが助けてくれるだろう。
他力本願と言われればその通りだけれど、ただの他力本願とは違うのは、この確かな信頼感の存在だと思う。
僕は熱いコーヒーを彼のカップと僕のカップに注ぎ、
「長門さんも飲みますか?」
と聞いた。
長門さんは黙って首を振る。
僕はまだ彼ほど長門さんの動作や表情を読むことが出来ないからか、長門さんは彼に対してよりもやや大きな動作をとってくれる。
その優しさがまた嬉しい。
自然、浮かんでくる笑みを消しもせず、僕が座っていた位置にだらしなく座っている、彼の隣りに腰を下ろし、
「愛してますよ」
と囁いた。
「朝っぱらからなんだ」
呆れたように言いながらも、彼は嫌がらない。
それどころか、今日は、機嫌がよかったらしい。
僕の頬に軽くキスをして、
「ほら、これで満足だろ」
と顔を赤らめながらそっぽを向いた。
「ええ、とりあえずは」
僕が頷くと彼は小さくため息を吐いた。
とりあえず、という部分につっこまないのは、以前それで「痛い目」を見たからだ。
痛い目、というのは彼の言葉であり、僕としてはかなり善くしてさしあげたつもりなんだけれど。
コーヒーを吹き冷ましながら、彼が長門さんに言う。
「長門、昼はどうする?」
「私が作る」
「そうか。じゃあ、頼むな」
「頼まれる」
長門さんは彼の教育の甲斐あってか、最近メキメキと料理の腕を上げている。
彼の腕を技術面で追い越す日も遠くはないに違いない。
「古泉? 長門見ながら何にやけてるんだ?」
と彼が僕の頬をつついた。
あなたこそ、何可愛いことしてるんですかね。
「いやあ、お母さんのお仕込みがいいからか、長門さんも日に日に料理が上手になっているなと感心していただけですよ」
「俺がどうっていうより、長門が勉強熱心なんだよ」
言われてみれば、最近は料理の本を読んでいるのを見かけたりする。
もっとも、大半がイラストも写真も入っていない洋書だったりするのだが、そのあたりは、彼女なりの恥じらいのあらわれなんだろうか。
「ただ問題は、」
と彼がため息を吐いた。
「洋書のせいか、日本人の味覚にあわないものが出来ることだな」
「そうだったんですか?」
「お前の口に入る前に俺が誤魔化してるんだ。最近は長門も分かってきたのか、自分で調整してくれるけどな。少し前まで大変だったんだぞ」
「全く気がつきませんでした」
正直に僕が言うと、彼はずいっと僕の顔に自分の顔を近づけてきた。
「本当か?」
「ええ。あなたのフォローがよかったんでしょうね」
「……でもなぁ」
と彼は首を捻る。
「お前、『いいとこの坊ちゃんで味にはうるさいです』みたいな顔してるくせに、実際はかなり大雑把な舌だからな」
そう言われると反論は出来ない。
彼曰く、コンビニ弁当を一週間連続で食べ続けられる奴は味オンチ、とのことなので、余計に。
「でも、顔でそう判断されても困るんですけどね」
そんな僕の意見は当然のように黙殺された。
それから、長門さんの手による見事な昼食をとり、僕と彼は長門さんに見送られながらマンションを出た。
当然のように彼が先に立ち、向かう先は僕の部屋だ。
これが恒常化している状況は僕にとっては嬉しい。
しかし、毎週のように週末に二日連続で外泊をしたりして、ご両親が心配したりはしないのだろうか、と心配になってしまう。
その辺りを彼に問うと、あっけらかんと、
「うちは放任主義だし、第一、彼女の家に泊まってると思われてるから問題ない」
と答えられた。
思わず唖然とした僕に、彼は笑いながら、
「俺もどうかと思ってたんだがな、ほら、毎週金曜日に長門の家に泊まるようになった頃に、お袋に聞かれたんだよ。恋人でも出来たのかってな」
恋人、ですか。
「彼女って言わずにわざわざ恋人って言うから、てっきりお前とのことがばれたのかと思ったら、長門と付き合ってると勘違いされたらしい。それでもまあ、その方が都合がいいから、長門に頼んで口裏を合わせてもらってる」
で、そういうことをあなたは僕にも内緒にしておくんですね。
「言った方がよかったか?」
どうやら、隠し事をしていたという感覚ですらないらしい。
何一つ隠し事をしないなんてことを求めてもいなければ、そもそも機関の任務の関係などで彼に本当の事を言えないことが多い僕にそんなことを言う資格などないのだが、それでも一抹の寂しさを覚えるのは、彼と長門さんの仲のよさに嫉妬してしまうからなんだろうか。
「出来れば、言っていただきたかったですね」
「余計なことかと思ったんだが……まあ、悪かったな」
「いえ、確かに大したことではありませんし、構いませんよ」
「でも、寂しいんだろ?」
見透かされて驚く僕に、彼はにっと笑い、
「お前、分かりやすいぞ。多分、自分で思ってるよりずっとな」
「そうでしょうか」
それはそれで困るな、と思いながら頬を撫でると、彼は笑みを浮かべたまま、
「心配しなくても、SOS団副団長とか超能力者のお前は表情なんかじゃ読めねえよ。俺は面白くないがな」
と僕の背中を軽く叩いた。
「あなたは本当に僕を喜ばせるのが得意ですね」
思わず微笑みながらそう言って、人目がないのを確かめてさっと口付けると、さっきまで余裕綽々だった彼が真っ赤になって怒鳴った。
「何考えてんだバカ!」
「あなたのことですよ。ほかに何を考えるっていうんです」
今だって、僕の頭の中はあなたのことでいっぱいなのに。
「そういうことを言ってるんじゃない!」
あなただって、嬉しがっているくせにそう指摘すると、彼はますます赤くなって、僕の背中を痛いほど打った。
それでも、僕のマンションへ向かう足は止めもしないで。
彼のそんなところにあらためて好きなんだなと思いながら、僕は浮かんでくる笑みを止めることも出来ず、だらしない表情のまま、彼についていくのだった。
なんて幸せなんだろうという思いを噛み締めて。