いなくなろうとしていた古泉を取り戻すべく俺が奮闘した、あの嫌に長い一日からもう二週間近く経とうとしている。 古泉は何事もなかったかのように前の携帯と番号を取り戻しており、表面上は何事もなかったかのようだ。 長門はあのあとしばらく不機嫌で、どうやら、俺がすぐに頼らなかったことを静かに怒っているらしい。 「親」としての見栄くらい分かって欲しいものだが、――多分、長門もいくらかは分かってくれているのだろうが――それでもおさまらないらしい。 それならここはいっそ、長門にそれだけの感情が育っていることを喜ぶことにしよう。 朝比奈さんとハルヒは結局何も知らないままだが、とりあえず今はそれでいい。 古泉がいなくなろうとしていたことはある意味ではSOS団にとっても危機的な状況だったが、今回の一件はそれ以上に個人的なことだったからな。 そうして一応の平穏を取り戻した俺たちだったが、目下のところ問題がないのかと言われればそれは違うと言わざるを得ない。 その問題というのは、俺が古泉にした提案のことだった。 「ハルヒに、言いたい」 俺が言うと、古泉は驚いて目を見開いた。 「それは、僕とのことを、という意味ですか?」 そうだ。 他に何があるって言うんだ? 「あなた、正気ですか!?」 本気の顔でそう言われ、肩を両手で掴まれた。 「俺はちゃんと正気だ。お前の方こそ落ち着いたらどうだ」 「落ち着けるわけないでしょう。いきなり何を言い出すんです」 いけないことか? 「危険すぎます。よしんば、あなたの主張を認め、涼宮さんがあなたに恋愛感情を抱いていないと仮定したとしても、彼女のショックは計り知れないものとなるでしょう。あなたは世界を崩壊させたいのですか?」 崩壊するとは限らんだろう。 ハルヒがそこまでショックを受けるとも。 それにな、古泉、機関はハルヒの希望の通り、ハルヒに何事もなくあって欲しいのかもしれないが、本当にそれでいいと思うのか。 ハルヒには妙な力があるかもしれん。 だが、それでもあいつは一応高校生なんだぞ。 その間に体験するだろうありとあらゆる衝撃的な出来事からあいつを守るのか? そうやってあいつの周囲から危険を取り除いて、その結果あいつが落ち着いていられるとでも思うのか? 何もない、ショックを受けることもなければ悲しむこともない世界こそが、あいつの嫌いな平凡でつまらない世界と言うやつなんじゃないのか? 「……それでも僕は認められません」 苦しそうな声で古泉はそれだけ言い、会話を打ち切った。 しかし、だからと言って俺が諦めると思うか? まあ確かに俺は諦めが悪いとは言いがたい系統に属する人間ではあるかもしれない。 だが、それはハルヒとその仲間たちによる奇妙奇天烈な出来事に巻き込まれるということに関してや、あるいは普通の男子高校生に降りかかってくる勉強や成績と言ったどうしようもない出来事に関してであり、そうでないところでは意外に諦めが悪いのだ、俺は。 妹にお兄ちゃんと呼ばれることも未だに諦めていないし、古泉を機関から離脱させられないものかとか、長門を親玉から独立させられないものかとか、眠れない夜に唸りながらない頭を絞ることだってある。 それらの懸案事項に比べたら、この一件のどんなに簡単なことか。 ゆえに俺は決断した。 ――古泉抜きでやってやる。 その日の朝、俺はハルヒに、 「相談したいことがあるから、放課後教室に来てくれるか?」 と言っていた。 ハルヒは、 「ヒラ団員のあんたと違ってあたしは忙しいのよ」 とか、 「大体相談したいことって何よ」 とかぶつぶつ言っていたが、最終的には、 「しょうがないわね。団員の相談に乗るのも団長の責務だから。でもキョン、その代わりに明日の探索の時はあんたが一番乗りでもあんたの奢りだからね。だからって遅刻しても許さないんだから」 団長様の言う通り、とでも言って頭を下げたくなるようなことを言ってのけてくれたのだが。 有難いんだか嫌なんだか全く分からんね。 で、今がその放課後なんだが、ハルヒはいつものように授業終了と共に教室を飛び出してしまっていた。 俺としても人がいるうちに会話を切り出すつもりはなかったので都合がいいと言えばいいのだが、まさか忘れてるんじゃないだろうな? しかし、放課後になるといつも文芸部室へ向かう俺が教室で大人しく窓の外など眺めていると妙な注目をされるらしく、国木田と谷口が帰り際に、 「今日は行かなくていいの?」 「お前もやっとあいつの異常性に気がついたんだな」 とか好き勝手言っていったが、俺はほとんど聞きもせず、適当に返事をした。 やがて教室に人がいなくなると、まるでそれを待っていたかのようにハルヒがやってきた。 「話って何?」 素っ気無い上にいきなりだな。 とりあえず、ドアを閉めたらどうだ? 「本当に、人に聞かれたくない話なのね」 どこか呆れながら、しかし同時に心配そうにハルヒは言った。 俺は自分の席に座り、ハルヒも自分の席に腰を下ろした。 話せるし、話すと決めていたはずなのに、ここに来て決心が鈍りそうになる。 ハルヒの目は真剣で、俺も誤魔化すように笑うことさえ許されないような空気だった。 何度も考えていたはずの言葉なのに、口にするのが躊躇われ、俺はハルヒがイライラと眉の辺りを顰め始めるまで、何度も口の開閉ばかりを繰り返していた。 「…同性愛とか、お前はどう思うんだ?」 「はぁ? 呼び出しといて、しかもあんなに待たせといてそれ?」 ちっ、いっそのこと中庭とかで話せば良かったのか? 考えてみれば古泉から超能力者発言を聞いたのも中庭だったな。 でもってあの話はどこにも漏れていないらしい。 それなら中庭でよかったんだろうか。 いきなり失敗したかと焦る俺に、しかしハルヒは答えた。 「なんだかわかんないけど……同性愛とか異性愛とか関係なく、あたしはどうでもいいわ。そうね、でも、同性愛の方が興味があると言えば言えるわね。だって、いるいるって言うのに実際に見たことはないんだもの。異性愛の方はそこいらじゅうにいっくらでもいて、鬱陶しいくらいべたべたしてるのに、同性愛者ってのは慎み深いのかしら。異性愛者もその辺りは見習うべきだと思うわ」 それじゃあ、と俺は聞く。 「気持ち悪いとか、思わないのか?」 「別に。見苦しいようなガチムチマッチョ同士のゲイカップルとかは見た時にうっと思うかもしれないけど、それはそれで面白そうだし、可愛い女の子同士ならそれはそれで眼福だわ。みくるちゃんと鶴屋さんってアヤシイと思わない?」 思わないしそれはおふたりに失礼だろう。 「で? 今のが相談って訳じゃないわよね。本題は何なの?」 ハルヒはきらんと目を輝かせて聞いてきた。 逃げるつもりはなかったんだが、思わず逃げたくなる。 俺は数秒の躊躇いの後、とうとう口にした。 「もしも、俺がそうだって言ったら、お前はどうする?」 ハルヒは驚いたように、ただでさえでかい眼を更に大きく見開いた。 心臓がバクバクする。 これで世界が崩壊しちまった日には、俺は核爆弾の発射スイッチを押すよりもヤバいことをしちまったことになるな。 それから、ハルヒがもう一度口を開くまで、恐ろしいほど時間が長く感じられた。 「別に、どうもしないわよ」 意外にも、ハルヒの声は笑っていた。 俺は知らず知らずのうちに下を向いていた顔を上げ、ハルヒの顔を見る。 ハルヒはいつものようにニヤニヤ笑って、 「だからってSOS団を追い出されるとでも思ったの? そんなことするわけないでしょ。あんたは永久にSOS団の団員その一なの」 今回に限っては有難いお言葉だな、おい。 「それで? どうしてわざわざあたしにカミングアウトしたの? ご両親には?」 「親に言えるわけないだろ」 「それなら余計になんであたしには言ったのよ」 「そりゃあ、」 と俺は我知らず笑いを浮かべながら、 「お前に隠していたくなかったからだろ」 「…そうなの?」 「団長に隠し事は禁止じゃないのか?」 「そうよ。そうだけど…でも…」 「俺は、お前が悪戯に言触らしたりしないって信じてる。お前も、俺のことを信じてくれるだろ。これが嘘じゃないって」 「信じるけど……」 「その証拠みたいなもんだと思ってくれればそれでいいんだ」 「…キョン」 ぎゅ、と机越しにハルヒに抱きしめられた。 「ありがとう」 「こっちこそ、変な話聞かせて悪かったな」 「別に、変なんかじゃないわよ。前に言ったでしょ? 男が百人いればそのうち五人はゲイなのよって」 ああ、そうだったな。 「それに、どうせならもっと面白い話を聞かせてよ。キョンもオネェ言葉で話したりするの?」 なんだそれは、どういう筋の情報だ。 「違うの?」 少なくとも俺はそういう話し方をしないし、するやつにお目にかかったこともない。 「つまらないわね。それで、いつからゲイになったの? 生まれつき? それとも誰かに押し倒されちゃったとか?」 そこで目を輝かせるんじゃない。 「いいから答えなさいよ」 逃がしてはくれないんだろうな。 「当然よ」 俺は諦めのため息を吐き、 「……ゲイになったのは、半年くらい前か? いきなり告白されたんだ」 「それで流されちゃったの?」 「流されたと言うか……自分で気がつかなかっただけで、俺もそいつのことが好きだったらしい」 未だにどうしてそうなってたのかよく分からないんだが。 それでもまあ、今の状況は気に入ってるし、形振り構わなくなるくらいにはあいつのことも気に入ってる。 「じゃあ、その彼と付き合ってるの?」 「ああ」 「あたしも知ってる?」 「知ってるも何も、」 と俺は苦笑するしかない。 「古泉だ」 「………古泉くんが?」 ハルヒはぽかんとした顔で呟いた。 「前からそれっぽいかなと思ってたけど、本当にゲイだったの?」 「いや、あいつも俺が初めてだって言ってたけど、……ゲイっぽかったか? あいつ」 「うーん、なんていうか、雰囲気とか、キョンへの態度がね」 それはまた面白い話だな。 「それにしても、半年前から古泉くんと付き合ってたなんて、全然気がつかなかったわ。有希やみくるちゃんは知ってるの?」 「長門は知ってる。朝比奈さんは知らないと思うが、わざわざ言う必要はないだろ」 「そう? まあ、それでいいかもね。みくるちゃん、潔癖っぽいし」 くすっと笑ったハルヒは、更に俺へ質問を浴びせかけ、下校を促すチャイムが鳴るまで俺は解放されなかった。 「じゃあまた明日、駅前でね!」 楽しげにそう言って帰っていくハルヒを見送った俺は、隣りの6組に入った。 そこには長門がひとり佇んでいる。 「長門、ありがとう」 「私は教室に誰も近づかないようにしただけ。大したことではない」 「それでも助かったからな。…ありがとう」 「……どういたしまして」 本当は、長門は保険だったのだ。 ハルヒが混乱し、世界を改変させたりしないようにするため、いざと言う時には長門に誤魔化してもらうかハルヒを眠らせて夢だと思わせるつもりでいたんだが、 「…長門、手に持っているそれは何だ?」 「プラカード」 ああ、確かにプラカードだな。 ただし、大きく派手な文字で、 『どっきり』 と書いてある。 「涼宮ハルヒに事実を虚偽と誤認させるために用意した」 言いながら長門はプラカードを跡形もなく消してしまったが、長門があんなプラカードを持っている姿を、俺は当分忘れられないだろう。 翌日はハルヒが言っていた通り、市街探索だった。 いつものように駅前で待ち合わせ、俺はハルヒよりも先に到着したが、昨日の約束があるからお茶代は当然俺持ちだ。 決まりきった手順でくじを引いた結果は、俺と古泉、ハルヒと長門と朝比奈さん、という男女分けだった。 幹線道路を挟んで南北に別れる段になって、ハルヒがにやっと笑って言った。 「いーい? キョン、古泉くん。デートじゃないんだから、ちゃんと真面目に探すのよ!? 手を繋ぐくらいは許可してあげるけど」 了解、と応じた俺の横で、古泉がぽかんと間抜け面をさらす。 それを見て笑うハルヒに背を向け、俺は古泉の手首を掴んだ。 「とっとといくぞ、古泉」 「え、あの、ちょっと、今のは…!?」 いつになく戸惑う古泉に、俺も思わず笑いをもらしたのだった。 |
「なんかムカつく」 そう呟いて、あたしは寝返りを打った。 明日は大事な探索の日なのに、全然眠れない。 それもこれも全部、キョンのせいよ。 キョンがあたしより先に恋人を作ったりするから。 しかも相手が古泉くんで、あたしに何の相談もなしで。 団員間の恋愛禁止令でも出しておくべきだったかしら。 でも――キョン、嬉しそうだったな。 ……って、なんであたしがここまでキョンのことばっかり考えなきゃいけないのよ。 考えることもなんか変だし。 これって、どっちかって言うと男に対して思うことじゃないわよね。 ……あたし、キョンのこと、どう思ってたんだろ。 最初は……うん、つまらない奴がまた寄ってきたって、正直鬱陶しく思ったんだった。 でも、キョンはあたしの髪型のことやなんかに気がついて、見込みがあると思ってたら、つまらないなら自分でやればいいってことを教えてくれて、それで、気に入ったのよ。 気に入って…一時期はあいつのことが好きになったのかと思ってたんだけど、でも、段々なんか違うと思い始めた。 あたしはあいつにドキドキしたりしない。 そりゃあ、みくるちゃんと一緒に並んでるところなんか見るとむかっとすることもあったけど、どちらかというとみくるちゃんの横にいるキョンにいらっとしてたし。 有希と仲がいいと思っても、別にどうも思わなかった。 だから多分――あたしはキョンに恋愛感情を持ったりしなかった。 そうよ、なんであたしがあんな奴を好きになったりするのよ。 あたしの理想はもっと高いの。 宇宙人とか未来人とか超能力者とか! それに、あたしとキョンとの間にあるのは惚れた腫れたような浮ついたものでもなければ不安定なものじゃない。 あたしたちは同志よ。 平凡な生活に退屈して、不思議で面白いことがないか探してる、仲間なの。 だからこれは嫉妬じゃない。 嫉妬じゃないんだけど、そう思ってもやっぱりムカつくから、 ――仕返ししてやるわ。 次の日、何の収穫もなかった探索の後の別れ際、あたしはキョンの両肩を掴んで言ったわ。 「キョン、古泉くんに振られたらすぐ言うのよ!? 何かあったらあたしのところに帰ってきなさい!」 キョンはちょっと驚いてたけどすぐに笑って、 「ああ、そうする」 と返事をした。 キョンの隣りにいた古泉くんは愕然として、それから少し青褪めた表情で胃のあたりを押さえてた。 ちょっとイイ気味かも。 あたしの大事な同志を恋愛沙汰なんかに引きこんだんだから、それくらい妥当よね? |