「あ、ああっ…ひんっ…」 部屋の中に響き渡るのは、言葉にさえならない俺の嬌声。 いやらしく湿った水音。 腰をうちつける乾いた音。 もう何度目とも知れない白濁を吐き出しながら、俺は訴える。 「も、止めろって…っ」 今日は月曜日でつまり明日は火曜日だ。 祝日でもない以上、明日はきっかりと学校がある。 そしてハルヒの性格を考えると、休むことなど許されないだろう。 下手をすれば見舞いに来る可能性もある。 それに、俺の喉も身体ももう限界だ。 これ以上もたん。 それなのに古泉は、いつになく余裕のない声で、 「すみません。後一回だけ…」 「後一回って、それ、何度目、っぁ」 もう数えられないほど繰り返した抽挿をまだ繰り返される。 お前は発情期の犬か、と怒鳴って蹴りを入れられるならどんなにか楽だろう、と思いながら俺は声を上げ続けた。 喉と頭と繋がっている部分と、どこが一番先に壊れるんだろうなと考えるほど、この夜の古泉はおかしかった。 口にした言葉と言えば、「愛してます」と「好きです」と「すみません」。 「後一回だけ」ってのも何度も言いやがったな。 後は……何か妙なことを長々と話していた気がするが、その時にはすっかり疲れ切っていた俺は半分寝ながら聞いていたのでよく思い出せない。 分かるのは、古泉がおかしかったという、ただそれだけだった。 翌日、どんなに抗おうと思っても朝は来る。 俺が寝た後に呼び出しでもあったのか、古泉の姿はすでになかったが、それももはや日常だ。 適当に冷蔵庫の中の物で朝食を作り、もう大分前に渡された鍵で施錠して、古泉の家を出た。 すっかり辿りなれた道を高校へ向かう。 しかし、なんだって昨日はあんなにしつこかったんだ? おかげで腰は痛いし、まともに喋れもしない。 これでハルヒに感づかれた時に俺のせいにされたら堪らんな。 やれやれ、とため息をつくのももう何度目だろうな。 全く、昨日は結局何度やったんだ? 四回まで数えたところで断念した。 あいつの絶倫ぶりなんぞ思い知りたくない。 というか、そこから先は俺の記憶も大分曖昧で、はっきりしないのだ。 四回で済まなかったことだけは確かなんだが。 この調子でやられたら俺の身が持たん。 もう当分やる気も起きんぞ。 一度本気で避けてみるか? ――そんな要領でつらつらと、出来もしないことを考えながら到着した教室にはハルヒがもう来ており、退屈そうに机に突っ伏していた。 「おはよう」 掠れた声で言うと、ハルヒが顔を上げながら、 「何? あんたも季節はずれの風邪?」 「そんなところだが…あんたも、ってことは他にも風邪を引いた奴がいるのか?」 「古泉くん。風邪が酷いんで今日は休むらしいわ。職員室を通りかかったらそう連絡が入ったところだったんだけど、あんた、古泉くんが風邪気味だなんて気がついてた?」 いいや、まさか。 「よね。…でも、全然気がつかなかったなんて、団長として恥ずかしいわ……」 それで憂鬱ムードを漂わせてたのか。 心配ないぞハルヒ。 古泉が風邪ってのは嘘に違いないからな。 休むほど酷い風邪を引いてる奴があんなハードな運動を繰り返し、しかも長時間に渡って出来るものか。 などとは流石に口に出来ないので、俺はとりあえず、 「あいつがいつも通りの涼しい顔をしてたからだろ。あんまり丈夫そうにも見えないし、案外昨日帰ってからぶっ倒れたとかかもしれないぞ」 「……やっぱり、お見舞いに行こうかしら」 てっきり行く気になってると思ってたんだが、違ったのか? 「うん。…古泉くんが、お見舞いはいい、うつるといけないからって」 ますます嘘くさいな。 「じゃあ、俺が様子を見に行く」 「あんたが? でも、あんたも風邪引いてんじゃないの?」 「だから、これ以上うつらんだろ」 「……そうね。じゃあ、任せるわ。ちゃんと報告するのよ?」 「任せられた」 そう答えておいて、俺は携帯を取りだした。 古泉に見舞いに行く旨を伝えておこうと思ったのだ。 ところが、そこにはすでに古泉からのメールが入っていた。 一体なんだ、とメールを開いた俺は、一瞬心臓が止まったかと思った。 メールにはサブジェクトさえなく、ただ短く、 『長い間お世話になりました。彼女とお幸せに。』 とだけ書かれていた。 これはなんだ? なんの冗談だ? 今日はエイプリルフールじゃないぞ。 メールくらい分かりやすい内容で送れ。 岡部が入ってくる前にと大慌てでそんなことを書いたメールを発信する。 しかしメールは宛先不明で戻ってきやがった。 本気なのか、古泉。 ホームルームが終るまでの短いはずの時間が途方もなく長く思えた。 そうしてハルヒの不審そうな目を気にする余裕もなく、古泉へ電話を掛ける。 出なくてもいい、せめて繋がれ。 そう念じたのも虚しく、返ってきたのは、 『お掛けになった電話番号は現在使用されておりません』とかいうお決まりの内容で。 頭の中が、真っ白になった。 昨日おかしかったのはこのせいなのか? 俺の、俺たちの前から消えるから、あそこまでしつこかったのか? 古泉は、本気でいなくなろうとしてるのか? 脳裏によぎるのは、かすかに残る昨夜の記憶か。 古泉はなんと言っていた? ハルヒのことを話してたんだったか? 確か、延々ハルヒのことを褒めた挙句、俺にハルヒと付き合うつもりはないのか聞いてきたんだ。 俺はないと即答した。 当然だ。 古泉がいるのになんでハルヒと付き合わなければならんのだ。 二股を掛けるなんてことは絶対にしたくないし、そもそもあのハルヒが俺に好意を抱いてると思ってるお前等の方がおかしいんじゃないか。 ――と、そんなことまで言った気がする。 あの時俺は疲れ切っていたし、よりにもよって二人で寝てる時にそんなことを言いだす古泉の正気を疑ったんだ。 古泉はそれに対してどうした? 思いだせ、俺の脳みそ。 「キョン? どうかしたの?」 ハルヒが心配そうに俺をのぞき込んでくる。 心配してくれているところ悪いが、放っておいてくれ。 俺はなんとしてでも思いださなきゃならんのだ。 古泉は――いつものように苦笑しながら――確か――。 俺は勢いよく椅子から立ち上がった。 ハルヒが呆然と俺を見ている。 ハルヒだけじゃない。 谷口や国木田もだ。 だが、そんなものに構っている余裕はない。 教師の視線も制止も聞くものか。 俺は携帯と財布だけを引っ掴んで、教室を飛び出した。 向かう先はとりあえず、二年の教室だ。 まだ授業が始まってないといいんだが、と飛び込んだ鶴屋さんの教室はぎりぎり授業が始まる前だった。 「鶴屋さん!」 「どうしたんだい、キョンくん。めっずらしいねー。何かあったにょろ?」 あったも何も、大アリです。 とにかく機関の連絡先を教えてください。 あなたなら知っているはずでしょう。 「機関ねー…」 困ったように鶴屋さんは俺を見た。 「予想はしてたけど、めがっさ早かったから、あたしもびっくりさ。あちらさんも予測済みだったみたいだね。これが、キョンくん用の連絡先だよ」 と鶴屋さんは一枚のカードを俺にくれた。 名刺サイズのカードに書かれているのはメールアドレスだけだ。 「ありがとうございます、鶴屋さん」 「好きなんだね、ほんとに」 何気なく放たれた言葉に驚く必要はない。 どうせ鶴屋さんは何でもお見通しに違いないからだ。 「ええ、そうです」 「いい顔だねっ、キョンくん。男っぷりが上がったよ」 ばんっと俺の背中を叩いて、鶴屋さんは笑った。 「頑張るんだよっ!」 「はい」 背中を叩かれたせいで腰の痛みもぶり返してきたが、そんなものを気にしている余裕はない。 俺はまた教室を飛び出し、とにかく人気のないところに、ということで部室に入った。 授業中だから、当然、部室棟は静まり返っている。 その静寂さえ耳に痛かった。 俺は携帯が壊れるんじゃないかと思うような勢いでメールを打った。 怒り狂って混乱している割に、内容は簡潔だ。 俺の要求は短いものだからな。 「古泉を戻せ。戻さないならハルヒに切り札を使う」 こんなところであの切り札を持ち出すとは俺自身思ってもみなかったが、手札が少ない以上仕方がないだろう。 この件に関しては俺は長門やハルヒを頼るわけにはいかないのだから。 アドレスは携帯のものだった。 それだからか、返信も早い。 しかし内容と来たら最悪だった。 『古泉は自らの希望で配置転換を願い出た。 戻すのは彼の意思に反する』 嘘を吐け、と俺はらしくもなく吐き捨てた。 古泉が昨日何と言ったと思ってるんだ。 『機関に僕たちのことがばれてしまいました。僕は処分されるのでしょう。あなたともきっと……これで最後です』 どうしてあの時ぶん殴ってやらなかったんだ。 自分で自分を叩きたくなる。 古泉がおかしいと気付いてたならそれを聞けばよかったんだ。 俺は乱暴にメールを打ち返す。 「古泉がなんと言っても俺には関係ない。とにかく戻せ」 我ながら傍若無人だと思うわないでもない。 ハルヒが乗り移ったんだとでも思ってくれ。 それに対する返信も的外れだった。 『古泉のことは諦めて、涼宮ハルヒとのことを真剣に考えてみた方がいい。 世間的にも認められないことを続けてどうする。 君はまだ若いから分からないかもしれないが、恋愛など不安定なものだ。 一時の気の迷いで世界を崩壊へ導くつもりか? 彼女と添い遂げることこそ世界のためであり、君のためでもある』 添い遂げる? 言葉が古い上に飛躍しすぎだ。 一時の気の迷いでもいいじゃないか。 未来のことは未来人に聞いてくれ。 俺の管轄じゃない。 少なくとも、今の俺にはあいつが必要なんだ。 「期限は明日の放課後。それまでに古泉を戻さなければ切り札を使う」 そう送った後、携帯は沈黙した。 俺はパイプ椅子に座ったまま、考えることさえ出来ずにいた。 無為に時間が過ぎていく。 「あんた、こんなとこにいたの?」 呆れ切った声に弾かれて顔を上げると、ハルヒが俺を偉そうに睨んでいた。 「何やってんのよ。もう昼よ? まさか、朝からずっとここにいたの?」 もう昼だと言われても信じる気になれず、俺はのろのろと携帯を見た。 確かに昼休みの時間だ。 「調子悪いんじゃなかったの? 顔色も悪いし……」 「ハルヒ、」 俺はハルヒの言葉を遮って尋ねた。 「世界の平和と自分の幸せなら、俺はどっちを選ぶべきなんだ?」 「はぁ? あんた頭に虫でもわいたの?」 ああ、そうかもしれん。 むしろ、そっちの方がずっとマシかもしれない。 「昨日、途中まで見た映画がそんな話をしてたんだ。世界のために自分の恋人を差し出せば世界の平和は保たれる。だが、恋人はもう戻ってこない。今の幸せを差し出さなければほぼ確実に世界は終る。だが、恋人との幸せはいつまで続くか全く分からん。明日終るかもしれんし、明後日終わるかもしれん。恋人は自分を犠牲にしろと言う。恋人を差し出してもまた新しい恋を見つけるかもしれないし見つけられないかもしれない。でも、やっと手に入れた幸せを手放したくない主人公がどちらを選ぶのか、最後まで見れなかったんだ。お前が監督だったら、どっちを選ばせる?」 ハルヒは、 「そんな映画あったっけ?」 と呟きながらも考え込み、 「どちらも選ばせないわ」 そう、やけに力強く答えた。 「恋人を差し出すことなく、世界の平和も守る、そんな方法が絶対にあるはずよ。あたしならそうする」 「その恋人ってのが世間的に認められない存在でもか?」 「世間って何よ。そんな実態の見えないもの、あたしは大嫌いなの。むしろ堂々とやっちゃいなさいって思うわね」 「――ありがとう、ハルヒ」 俺は笑った。 作り笑いじゃない。 自然に笑えたのだ。 ハルヒのおかげだな。 お前が神様だって説を、信じてやってもいいぞ。 「分かんない奴ね。で、その映画のタイトルは?」 「それも忘れたんだ」 「全くもう、役に立たないわね」 「すまん」 ハルヒは笑って、 「わざわざ探しにきてあげたんだから、感謝のしるしに昼食でもおごってよ」 「そうだな。俺も、今日は弁当じゃないんだ」 「それじゃあ、行くわよ」 足取りも軽く歩きだすハルヒを見て、俺は思った。 大丈夫だ。 ハルヒは認めてくれる。 そりゃあ、いきなりカミングアウトしたら混乱するだろうが、きっと、酷いことになりはしない。 そう思えた。 だからと言ってすぐに告白するつもりはさらさらないが、とりあえず俺は、古泉を諦めなくていい。 そう確信出来たことが何より嬉しかった。 午後からは上の空ながら授業を受け、放課後が来た。 メールの返信はまだない。 だが、ハルヒに不信感を抱かせるわけにもいかないだろうと、俺はハルヒに、 「じゃあ、古泉の見舞いに行くから、今日は休む」 と嘘を吐いた。 ハルヒは疑いもせず、 「古泉くんによろしく伝えてね。何か手伝えそうなことがあったら、あたしたちを呼んでもいいわ。頼んだわよ」 「ああ、分かった」 俺は早足になりながら答え、教室を出た。 向かう先は一応、古泉の部屋だ。 もう引き払っている可能性もないではないが、とりあえず行けるところはそこしかない以上、仕方ない。 今朝、俺が掛けたはずの鍵を開け、室内に入る。 薄暗い室内は変化がないように思えたが、ひとつだけ違っていた。 玄関の靴箱の上、目立つところに小さな封書が置いてあったのだ。 宛名は俺。 俺は封筒をびりびりと破るようにして開け、中身を取り出す。 『部屋の中にあるあなたのものは持って帰ってください。 この部屋は今週中には引き払います。』 それだけ。 簡単にもほどがある。 部屋の中を見渡すが、他に変化はない。 ここでずっと待っていたら、部屋を引き払いに来るあいつに会えるんだろうか。 それとも、それさえ業者や機関任せで、あいつは戻ってこないのだろうか。 …その可能性が高いな。 そう思うくせに、望みを捨てられない。 いっそ、ここで干からびるのもいいかもな。 そんな考えが何度も浮かんでは消える。 床に座りこみ、膝を抱え込んでため息を吐いた。 ため息を吐くたびに幸せが逃げて行くというのが本当なら、俺の人生はもうまっしぐらにどん底へ落ちていくしかないに違いない。 それなら、俺を巻き込んだ誰かを道連れにしたっていいじゃないか。 そんなことを考えているうちに室内はますます暗くなってきた。 何度か携帯が鳴ったが、家からのは無視した。 もうそんなのに答える余力もない。 ハルヒからのメールには短く適当に答えたが、それもそのうち答えなくなった。 そして、やっと待っていたメールが届く。 『今からそこへ行きます』 素っ気無いメール。 それでも分かる。 これは古泉だ。 そこへ、と言う以上俺の居場所は知れているのだろう。 それならもっと早く来い、と罵ってやりたい。 一発でいいから殴ってやりたい。 バカみたいに泣き喚いて、みっともなく取り縋ってもいい。 それであいつが元通り戻って来れるなら。 俺ってこんなに形振り構わないやつじゃなかったよな。 こうなったのも全部あいつのせいだ。 だから、とにかく殴る。 何を言おうと殴る。 立ち上がる気力もないくせに、なに考えてんだって気もするが。 ドアが開く。 廊下の照明のせいか、それとも街の灯のせいか、外の方が明るいらしい。 部屋の中に光が差し込む。 逆光であいつの顔が見えない。 だが、シルエットは間違いなくあいつだった。 「…なんてとこに座りこんでるんですか」 玄関に座りこんで何が悪い。 「そこに、何時間いたんです?」 いつものように優しい声がする。 教え諭すような、悟りきったような、声。 本当は悟ってなんかいないんだろ。 なのになんでそんな風に演技をしていられるんだ? こいつはまだ笑っているんだろうか。 笑っている顔は見たくない。 だから、逆光で丁度よかった。 ドアが閉まる。 廊下からの光がなくなり、部屋の中はまた暗くなった。 古泉がかがみこむ気配がした。 俺の手に触れる、古泉の冷たい手。 「……すみません」 「謝るなら、」 声が嫌に掠れた。 昨日酷使したせいもあるし、喉がカラカラにかわいているせいもあるんだろう。 だが、そんなもんに構ってられやしない。 「なんで、いきなりいなくなるんだ…っ」 「…すみません」 それしか言わないつもりか? 「僕は、あなたと距離を置いた方がいいんです。だから、」 「黙れ」 動かないかもしれないと思ったが、俺の手は意外に素直に動き、古泉の腹を殴っていた。 「っ……」 「どうしてお前はそうなんだ。いつまで経っても、作った顔ばっかり俺に見せて、俺には隠してばかりで、その上、いきなりいなくなろうとしたり、して…っ」 涙がボロボロこぼれてくる。 情けない。 「ごめんなさい…」 口先だけの謝罪なんか要らん。 お前はただここに戻ってくると言えばそれでいいんだ。 「…それは……出来ないんです」 そう古泉は力なく言った。 「僕とのことが涼宮さんに知られたらどうなるか、予想はつくでしょう? 僕はこの世界に愛着があるんです。あなたのことよりも、ずっとね」 言葉が痛みを伴って降ってくる。 痛みを感じているのは俺なのか、それとも古泉なのか。 「僕はあなたより世界を選びます。それが最良だと思いますからね」 「嘘吐け」 涙を袖で拭い、古泉を睨みすえる。 「本気ですよ」 「ならなんで、そんな顔してるんだ」 壊れた人形みたいな、笑い方を忘れたピエロみたいな、悲しい顔。 お前だって、本当はここからいなくなるのが嫌なんだろ。 「…あなたとの約束を果たせないまま去るのは不本意ですが、仕方ありません。どうか、分かってください。その手を……離してください」 自分でも気がつかないうちに古泉の手首を掴んでいた俺の手に、古泉が触れる。 「断る」 「あなたはもっと冷静に考えられる人でしょう。きちんと考えてください。そうすれば、これしかないと分かるはずです」 「ハルヒはそんな二者択一はさせないって言ってたぞ」 「……どう言う意味です」 俺は昼間の話をざっと説明した。 「俺とお前の関係なんてな、お前らの言う神様にとっては罪でも何でもないらしいぞ」 「……それは一般論としての質問だからでしょう。実際にあなたが僕と付き合っていると知れたら、彼女は悲しみますよ。そして、この世界を改変させ――」 「ない。絶対にそれはない」 俺は自分でもおかしくなるくらい自信たっぷりに断言した。 「あいつは認めてくれる」 「…どうしてそう言い切れるんです?」 「解るからだ」 面白がって色々質問するくらいのことはするだろうし、閉鎖空間も発生するかもしれないが、世界を創り変えたりはしない。 何故なら、 「あいつも、この世界が好きになってきているからだ」 それに、あいつが俺に好意を抱いているってのも間違ってるかも知れないだろ。 確かに、初めて会ってからしばらくの間のあいつの態度はそう思っても不思議じゃないくらいだったかもしれない。 だがな、もうあいつと俺の間にあるのは信頼や友情みたいなもんなんだよ。 恋愛感情みたいに不安定なもんじゃない。 そうだ、俺はあいつを信じてる。 下手すると、古泉、お前以上にな。 「……羨ましい関係ですね」 苦笑混じりに古泉が言った。 「恋愛感情よりも友情の方がいいのか? 変な奴だな」 だが、今更お前と友情を育むようなことは俺には出来ないね。 だから、隣の芝生を羨ましがってないで、 「戻って来い、古泉」 古泉が沈黙した時、タイミングを図っていたかのように俺の携帯が鳴った。 発信者を見て、すぐに応じる。 「……ああ、頼む。やってくれ」 それだけ答えて通話を終了させると、古泉が妙な顔をして俺を見ていた。 「誰だったんです?」 「さあな。お前には関係ないだろ」 俺が悠然と笑うと、古泉は眉間に皺を寄せて再び黙り込んだ。 そんな風に嫉妬するなら、正直に戻るって言えばいいのにな。 とそこへ、聞き慣れない着信音が響き渡る。 今度は古泉のだ。 古泉は怪訝な顔をしながら俺に背を向け、見覚えのない携帯を取り出すと通話をオンにした。 「はい、古泉です。………は? え、ええ、多分、それはそうかと……。はあ、分かりました。……いえ、こちらこそありがとうございますと言うかなんと言うか……」 混乱の様相を呈しながらも古泉は一応まともに会話を終らせ、胡乱そうに俺を見た。 「一体どんな魔法を使ったんです?」 魔法なんか使っちゃいないさ。 で? 機関のお偉いさんはなんだって? 「僕に対する処分は取消だそうです。それから――あなたへの謝罪を伝えるように頼まれましたよ」 なるほどね。 俺は携帯を取りだすと、着信履歴から電話を掛けた。 「長門、もういい。あちらさんも仕事が速いらしい。――それから、今日は説明も何もしなくて悪かったな。お前が頼りにならないんじゃなくて、俺だけで何とかしようとしてただけなんだ。だが、正直助かった。ありがとう」 電話の向こうからはいつものように短い返事がひとつふたつあっただけだ。 しかし、すぐに古泉の携帯にメールが入ったことからして、長門も怒っていたのかもしれない。 「長門さんが何かしたんですね」 と言いながらメールを開いた古泉は、唖然、という言葉がしっくり来るような間抜け面を見せた。 「長門か?」 俺が問うと、頷き、メールを見せた。 そこには短く、しかし長門にしては長く、 『お母さんを悲しませたらお父さんでも許さない。 お父さん以外なら、尚更。』 と書かれていた。 親孝行な娘で嬉しいね、全く。 「結局、長門さんは何をしたんです?」 「ハッキングだ」 俺はあっさりと答えた。 「機関の持つハルヒの特殊能力に関する情報を引き出せるだけ引きずり出して、全世界へばら撒いてやるって脅したんだよ」 「そんな……そんなことをしては、彼女たちの目的に反するじゃありませんか」 「情報統合思念体の中にはハルヒを刺激してみたいと思ってる部分もあるんだぞ。それならそれだってありじゃないか。それに、長門だって本気でそうするほど怒っちゃいないだろう。ただ、機関の一部の情報が流出してるかも知れないが」 ぎょっとする古泉に、俺は笑う。 「機関も金の使い方なんかを見直す機会になっていいんじゃないか?」 古泉は沈黙し、それからくすくすと笑い始めた。 「あなた、本当はSOS団最強なんじゃありませんか?」 それは俺もちょっと思ったが、それよりもまず、言うべきことがあるんじゃないのか、古泉? 俺が意地悪く笑いながら言うと、古泉も穏やかな笑みを浮かべ、 「……ただいま。また、お世話になります」 「おかえり」 俺は古泉を抱きしめてやりながら、この長い一日の代償をどう支払わせてやろうかと思った。 |