デート?



土曜の朝、九時三十分。
駅前の目立つ場所に立っている少年がひとりいたとする。
少年は明らかな人待ち顔だが、約束の時間には程遠いのか、時計を落ち着かなさそうに見ることもなければ、じっと駅の改札口を見つめている様子もない。
ただぼんやりと立っているだけにも、見えないでもない。
と、ほどなくしてそこへ、見るからに大人しそうな少女がやってきた。
時刻は少年が来てからさほど経っていない。
ふたりは一言二言、挨拶らしきものを交わし、さあそれでは出かけよう――となるかと思いきや、会話もなくてんでに立ち尽くしている。
少年は戸惑いの混ざった表情で、しかし動きだけはやけに計算されたような動きで、肩を竦めて見せた。
それからはまた同じように突っ立っているだけだ。
少女の方はというと、これまたかなりマイペースであるらしく、手に持っていたカバンから分厚いハードカバーのSF小説の新刊を一冊取り出すと、黙々と読み始める。
二人の距離がもう一歩分離れていれば、たまたまその場に居合わせた赤の他人にしか見えないだろう。
そんな風にして待つこと十五分ほど。
そこへ、もうひとり少年がやってきた。
駅のすぐ近くに自転車を止め、走ってきた少年に、先に来ていた少年がにこやかに声を掛け、少女も本を仕舞った。
そうして三人は一緒に――それも少女を間に挟むのではなく、後から来た少年を、けんかしないように分け合うかのようにして――歩いていった。

さて、この三人の関係は何か?
――とでも問われたら困るだろう。
いや、大して考えもせずに「友人」と答えるのが一般的かもしれないし、それはあながち間違ってもいない。
しかしそれは完全正答とは言えない。
完全正答は「ホモカップル+女友達」、あるいは「擬似家族」他、それに類するものである。

俺が古泉と長門と待ち合わせをしたのは十時半なのだが、いつも早く来るこいつらのことだからと思い、十時前に着くように俺は家を出た。
ところが、こいつらは既に到着済みで、後になって聞いたところによると、約束の一時間前、つまり九時半には既に到着していたらしい。
律儀と言うべきか、はたまた、よっぽど暇なんだなと呆れてやるべきか。
後から来た俺には、こいつらがどのようにして時間を潰していたのかなど、知ることはできない。
つまり、先に挙げた文のうち、大半は俺の想像または妄想にすぎない。
だが、おそらく大きく間違ってはないはずだ。
俺が自転車を置いて歩いていくと、すでに長門も古泉も来ていることが分かり、俺は慌てて走り出した。
そうすると、古泉も俺の姿を見つけたらしい。
軽く手を振りながら、笑顔で、
「おはようございます」
と言い、その隣りでは長門がぱちんと本を閉じていた。
「悪い、待たせたか?」
「いえ、大したことはありませんから。ねえ、長門さん」
古泉が言ったが、長門は軽く古泉を見ただけで答えない。
そんな長門の態度には慣れているのだろう、古泉は苦笑混じりに小首を傾げただけで肩も竦めなかった。
そこで俺は長門の変化に気がついた。
長門はSOS団の集まりなどで外へ出かける時も決まって制服のままで、よっぽど特殊な場合でない限りは私服姿など披露しない。
それが今日は、ネイビーのワンピースに白いカーディガンという服装である。
それは長門によく似合っていたが、それ以上に俺はその一揃いの服に見覚えがあった。
それは、先だって、俺が選び、長門に買わせたものだった。
思わず口元が緩む。
傍から見たら不審者かもしれないが、しかたない。
何しろただでさえ可愛い「娘」が余計に可愛く見えて仕方がないのだからな。
「よく似合うな」
俺が言うと、長門はうっすらと頷いた。
それでもどうやら満足しているらしいことは俺にも分かった。
俺はぽんぽんと長門の頭を撫でてやり、
「それじゃあ、行くか」
と歩きだした。
古泉が俺の横に立って歩きだし、長門も反対側を進む。
そうして少し進んだところで、周囲から人がいくらか減った。
すると、まるでそれを待っていたかのように長門が、
「お母さん」
と俺を呼んだ。
俺としてはそう呼ばれても困るのだが、長門が気に入っているのだから仕方がない。
それにまた、長門とこういった秘密を共有するのも楽しければ、長門が俺だけに懐いているというこの状況も嬉しいのだ。
何しろ長門ときたらSOS団や時々出入りするようになっているコンピ研、そして同じ宇宙人仲間以外との接点はほとんどないに等しいらしく、クラスでも空気に徹しているようなのだ。
それではつまらないだろうと俺なら思うのだが、長門はそれで十分であるらしい。
本以外のものにも目を向け、もう少し世界を広げてみたら、もしかするともっと熱中出来るものを見つけられるかも知れないぞ、と言いたくなるのは「親」心というものだろうか。
さて、それで俺を「母」と認識しているらしい長門が俺をそう呼んで何をしたかと言えば、かなり単純なことだった。
つまり、手を伸ばし、俺の手を取り、きゅっと軽く握りこんだのだ。
簡単に言えば、手を繋いだと言うことだな。
しかしそれは俺の意識を訳の分からない思考の渦に叩きこむには十分だったわけで、俺は先に挙げた問題文もどき他の、この場にそぐわないことをつらつらと考えるに至ったのだった。
空いていた方の手を古泉に繋がれて正気を取り戻した俺は、思いっきり古泉の手を振りほどいた。
「酷いですね。いくら僕でも傷つきますよ」
と古泉は笑顔で言った。
その顔で言っても説得力はないぞ。
第一、おかしいだろう。
女連れだと言うのにわざわざ男と手を繋ぐのは。
「では、僕だけ仲間はずれですか?」
寂しそうに言うな、お前はどこかの消費者金融のCMに出てくるチワワか。
俺はしっしと追い払う仕草をしてやりながら言った。
「そんなに手が繋ぎたいなら長門と繋げ」
すると、古泉は不特定多数の奴等が近くにいない時にしては珍しく、微妙に強張った笑みを浮かべてみせた。
なんだっていうんだ?
俺は古泉ではなく、長門に言う。
「長門、手を繋いでやってくれ」
長門は俺を見つめ、それから古泉へ目をやり、そうしてまた前方に目を戻して言った。
「彼は私が苦手」
「そんなことはないだろう」
お前を苦手としているのは大小の朝比奈さんであって古泉ではない。
「……そう?」
と長門は俺に問うのではなく、古泉に尋ねた。
古泉は如才ない笑みを浮かべ、すっと長門の隣りに移動すると、
「ええ。長門さんさえよろしければ、お手をどうぞ」
とどこかの高級レストランのボーイが客をエスコートするかのように完璧な角度で手を差し出した。
それに対する長門の返事はいつもながら簡潔で、
「…そう」
とかすかに頷いて古泉の手を取った。
どうやら古泉も長門も満更でもないらしいと、すっかり見慣れてしまったふたりの表情から判断し、俺もほっとした。
手間のかかる奴等だ。
そうして、特に会話もないまま、しかしなんとなく心地よい感覚を味わいながら歩いていると、前方に大きなショーウインドーが見えた。
そこに映っている自分たちの姿を見て、俺は思わず足を止め、思ったままを口にした。
「…小さい宇宙人を捕まえたとか、生きた宇宙人を捕まえたとか、そういうネタ、なかったか?」
古いネタで恐縮だが、古泉には通じたらしい。
古泉が思わずぶっと吹き出し、体を二つにおらんばかりにして笑う。
いつもそうなのだが、古泉はどこか笑い上戸なところがあるらしく、一度つぼに入るとしばらく笑っていることがあるのだ。
では長門のリアクションはと言うと、
「それは『捕まった宇宙人』と題される写真のことであると推測する。多くSF関係書籍やサイトにおいて扱われる。1950年頃、メキシコで撮影されたとされているが諸説あり、詳細は不明」
とご丁寧に解説してくれた。
おかげで、古泉の笑いの発作は延長するし、俺まで馬鹿みたいに笑った。
長門だけはまっすぐに突っ立っていたが。

古泉の希望でおもちゃ屋に寄り、古泉がまたもやアナログなゲームを購入し、長門の希望で本屋に寄り、長門推薦の本を買った。
俺はと言うと、なにやら楽しそうな長門を見ているだけで十分満足したため、特にどこへ行こうと言うこともなく、連れまわされるままになっていたのだが、昼の十二時も過ぎると流石に腹が減ってきたので、ふたりをつれてファーストフードショップに入った。
それぞれ適当に頼み、古泉に全ての支払いを任せた後、4人掛けのテーブルに、俺と長門が並び、俺の向かいに古泉が座るといった形で腰掛ける。
そもそも今日は古泉と買い物に行く予定であったのを変更して長門を誘ったので、古泉が俺の向かいに座りたがるのは分からないでもないのだが、流石に不自然じゃないだろうか。
ホモのカップルってのはもっと世を忍ぶものじゃなかろうかと思うのだが、他と比べる手段も俺にはないので、あくまでも論理学的な意味ではあるのだが、俺の認識が間違っているという可能性もないと言い切れるものではない。
こうして俺が余計なことを考えている間も、この場に会話はないわけだが、どうしたことか、沈黙が苦痛ではないのだ。
長門の沈黙などいつものことでしかないし、古泉については俺と古泉の関係を考えればそれで当然かもしれない。
だが、一緒にいて気持ちのいい人間を集めたところでその気持ちよさが持続されるとは限らず、場合によっては後々まで続く不快感や居心地の悪さが発生することを考えると、十分不思議に値する現象ではないかと思う。
だからと言ってハルヒに報告しようとは思わないが。
塩の効き過ぎたポテトをかじりながら俺は正面にある古泉の顔をじっと見る。
古泉はすぐに気付き、わざわざ貴公子然とした微笑を向けてきた。
作り笑いよりは爆笑してる時の顔の方が俺は好きなんだが、と思いながら長門に目を向けると、ゆっくりと顔を上げ、俺を見た。
無表情が嬉しそうに見える。
長門に笑って欲しいような気もするのだが、俺の方がまだ当分の間は、長門の笑顔を平然と受け止められない気がする。
前に長門の笑顔を見た時は長門が作り変えた世界の、普通の無口な少女としてのそれだった。
それを見た時、俺が感じたのは眩暈だけだったし、長門の笑顔はあの時の記憶と酷く鮮明に結びついているのだ。
勿論、実際に長門が笑ってくれたとしたら俺はそれを満足や安堵と共に受け入れられるのかもしれない。
それまでに積み重ねてきたものがあの時の文学少女長門有希と今俺の目の前にいる文学宇宙人長門有希とは明らかに違うのだから。
だが、まだしばらく、そうだな、俺の覚悟が決まるまで、長門には笑顔を大事に取っておいてもらいたいと思う。
いざと言う時まで残しておく切り札のように。
俺がじっと凝視しているのを不審に思ったのか、長門がかすかに首を傾げる。
それに対してなんでもないと返し、正面へ向き直ると、古泉が俺に向かってすっとポテトを突き出してきた。
「……なんのつもりだ?」
「おや、察しのいいあなたのことですから言うまでもなく気がついてくださると思ったんですが」
察しがいいからこそお前に冷静になってもらいたくて時間稼ぎをしているんだろうが。
言っておくが、俺はSOS団に入って以来散々恥ずかしいことをやってきたが、だからといってそこまで恥ずかしいことをこの衆人環視の中で平然とやれるほど羞恥心を捨てた記憶はないぞ。
「それではお聞きしますが、ここのどこに衆人環視と言えるほどの人目がありますか?」
確かに今俺たちがいる一画には人が全くいなかった。
土曜日とはいえわざわざ三階のしかも奥の方に陣取るような物好きは他にいないらしい。
古泉、席を選んだのはお前だったな。
最初からそういう魂胆だったのか。
「いやあ、そういう訳でもないんです。自分でも、僕たち三人が妙な取り合わせだと言う自覚はあるものですから、自然と人目をさけてしまったというだけのことです。しかしそれが思いがけず、」
と古泉はお得意の鼻にかかる笑いをひとつこぼし、
「今の状況には都合がいいということです。さあ、口を開けてください」
そんなセリフを世界で一番高頻度で言う職業を俺は知っている。
歯医者だ。
それとともに相手が従わず、口を固く閉じ続けるセリフであるということくらい、お前にも分かると思うんだがな。
口を開けて言って聞かせてやれないのが残念だ。
ああ、残念だとも。
「強情な人ですね」
そう言うなり、古泉は腰を浮かせ、テーブル越しにぐっと身を乗り出してきた。
狭い上に固定された長椅子に逃げ場はない。
さらに古泉は俺の顎を固定するという強引な技まで使い、引き結んでいた俺の口にまんまとキスしやがった。
「お前はなんつーことを…!」
長門の目の前だぞ、と苦情を言おうとした口に、古泉がポテトをひとつ放り込んだ。
俺は一瞬絶句した後、全身の力が抜けていくのを感じながら聞いた。
「お前、まさか本当にこれがやりたいだけだったのか?」
「はい」
古泉はいっそ清々しく見えるような笑みを浮かべてそう言った。
思わずテーブルに突っ伏した俺の肩に、長門が触れる。
「どうした? 長…」
またポテトだ。
今度こそ言うべき言葉を失い、黙ってポテトを噛み締める俺に、長門が尋ねた。
「おいしい?」
「……ああ」
「そう」
古泉、お前のせいで長門が妙なことをしかも微妙に勘違いして覚えちまっただろうが。
責任取れ。
と言ってやるより早く、古泉が言う。
「違いますよ長門さん」
何を言うつもりだ、と俺は古泉を凝視した。
古泉はやけにもったいぶった手つきでポテトをひとつつまむと、長門に、
「口を開けていただけますか?」
と言い、長門はまたえらく正直に口を開いた。
古泉は笑みを浮かべつつ、
「はい、あーん」
言いながらポテトを長門の口に放り込んだ。
「これが正しい食べさせ方です」
ある意味正しいかも知れない。
しかし本当に訂正すべきはそこなのか?
普通はやらないということも教えてやるべきだろう。
「そうですね。これは大体仲の良い恋人同士や夫婦、あるいは母親が小さな子供に食事をさせる際や病人にお粥などを手ずから食べさせる際に使う方法ですから、多くの高校生はほとんどしないでしょうね。まあしかし、あなたが長門さんの母である以上僕は父親のようなものですから、こんなことがあってもいいのではないでしょうか」
どうしてこう余計なことにばかり頭も舌も回るんだこいつは。
呆れきった俺に、古泉が口を開けて見せた。
「僕が長門さんにしたことがご不満でしたら、正しく恋人同士であるあなたが僕にしてくださいませんか」
文章のつながりがいい加減だぞ、古泉。
「いいじゃないですか。ポテトを喉につき立てられても文句は言いませんから」
その言葉忘れるなよ、と俺は自分の手元にあるポテトの中から一番長いであろうひとつを取り出すと古泉に向かって突き出した。
だが、その時には既に古泉は口を閉じていた。
「どうした。お前が食わせろと言ったんだろう」
「どうせならちゃんとしていただきたいですね」
わがままだな。
「そうですか? 僕にしてみれば長門さんと一緒にデートをしている時点であなたの方がかなりわがままを言っていると思うんですが」
それを言われると弱いな。
俺は諦めてため息を吐き、
「…あーん」
と小声で言った。
古泉は満面の笑みで口を開け、
「あーん」
とそれをくわえた。
……くわえずに喉の奥まで素直につっこませればいいものを。
だが、俺はあえて文句を言うのを止め、食べやすそうな大きさのポテトを取ると、長門に向き直った。
「長門」
長門は黙ってこちらを向く。
俺は軽く笑いながら、
「あーん」
とポテトを突き出した。
長門は小鳥の雛がそうするようにぱかりと口を開け、閉じる。
餌付けでもしている気分になるな。
もぐもぐと咀嚼している姿が心なしか嬉しそうで、心が和む。
すると長門はポテトを取り、古泉にむかって、
「…あーん」
とあの淡々と響く声で言ったのだ。
俺は勿論驚いたが、古泉にとっても予想の範疇を遥かに越えたことだったらしく、
「え、ぼ、僕ですか?」
かなり間の抜けた調子で問われた長門はただこくりと頷いた。
「あ、ありがとうございます」
言いながら口を開けると、長門は丁寧にもう一度、
「……あーん」
と言いながら古泉にそれをくわえさせた。
古泉は状況を把握しかねているかのように首を捻っていたが、俺にはなんとなく分かった。
つまりは、古泉もある意味で長門に認められたのだろう。

なんだかんだと過ごすうちに、夕方の四時になり、俺たちは長門をマンションの前まで送っていった。
わざわざ送っていったのは、長門が女の子だからだというのも勿論あったが、あの後長門と共にかなりの買い物をしてしまったからだ。
部屋まで持って行こうかと言う俺たちに長門は静かに首を振った。
買った物は本の他は軽い服やアクセサリーの類だ。
おそらく長門でも運べるだろう。
俺が、
「じゃあ長門、またな」
と言い、古泉が、
「今日は楽しかったですね。よろしかったらまた学校外でも会いましょう」
とさもデート後であるかのような発言をすると、長門は辺りに衆目のないのを確認した後で答えた。
「お母さん、また月曜日、学校で……」
そうしてくるりと背を向ける。
古泉には何の言及もなしか、と思った時、
「…お父さんも」
という小さな、しかし確かな声がした。
すたすたと歩いていく長門を見送りながら俺は呆然と呟いた。
「……お父さんだとよ」
よかったなあ古泉。
やっぱりお前は長門に認められたらしいぞ。
「いやあ、なかなかいい気分ですねえ」
ちっとも堪えてねえな。
いきなり「お母さん」と呼ばれた俺は断固拒否するくらいプライドがあったんだが、イエスマン古泉にはそんな概念など通用しないのだろうか。
楽しそうに笑いやがって。
「ところでお母さん」
お前にまでその呼称を許した記憶はないぞ。
もっとも俺は普段俺に対して用いられるあのふざけた呼称に関しても同様なんだが。
「お母さんは泊まっていかれるんですよね。僕の家に」
これ以上俺を不快にさせるつもりなら、そんな約束もなかったことにしてやったっていいんだぞ。
「夫婦なのに冷たいですね」
「黙れ、古泉。とっとと帰って文字通り寝るぞ。俺は疲れたんだ」
古泉は肩を竦め、だがそれ以上何か言うこともなく、俺と共に歩きだした。
向かう先?
わざわざ聞かないでくれ。
長門に対してよりはいくらかマシではあるが、古泉に甘いってことも自覚しているんだ。