古泉の過去を全力で捏造しております
捏造が嫌いな方はお引き帰しくださいませ















あくむ



おかあさんは ゆうがた おしごとに いく。
たばこと おさけの においが しみついた あかるい いろの ふくを きて。
おかあさんは くらい かお。
おしごとは たのしくないみたい。
それとも おうちの なかが くらいから いけないのかな。
だから ぼくは、 すこしでも おうちの なかを あかるく したくて えがおを みせる。
にこにこ わらってたら ほいくえんの せんせいも おともだちも みんな、
「いっちゃんの えがおは いいね」
「かわいいね」
「あかるく なれるね」
って いって くれるから。
だから おかあさんも あかるく なって くれないかな。
でも おかあさんは、
「ナニ ヘラヘラ ワラッテンノ? ブキミナ コ」
と ぼくを みる。
しっぱいして しまった みたい。
てれかくしに ぼくは わらう。
でも おかあさんは もう、 ぼくなんて みて なかった。
「おかあさん」
すごく かかとの たかい、 あぶなそうな くつを はこうと している おかあさんに、 ぼくは きく。
「おかあさん、 どこに いくの?」
おかあさんは こたえない。
ぼくも ほんとうは こんなこと きかなくて いいって しってる。
おかあさんが おしごとに いくって ことくらい、 ちゃんと しってる。
その じゃまを しては いけないという ことも。
でも ぼくは きいて しまう。
おかあさんが ぼくを おいて どこかに いって しまうんじゃ ないかと おもって。
おかあさんは ぼくが いつも いつも おなじ ことを きくもの だから、 さっきより もっと こわい かおに なって しまった。
もちろん こたえて くれない。
「おかあさん、 いつ かえるの?」
あさには きっと かえって きて くれると しって いるのに、 ぼくは きく。
おさけ くさく なってても、 おとこの ひとの においが しても いい。
かえって きて くれたら、 それで。
「おかあさん、 かえって きて くれるよね?」
それでも やっぱり おかあさんは こたえて くれなかった。
もっと もっと こわい かおで ぼくを にらんで、 そのまま でていって しまう。
ばん と おおきな おとを たてて どあが しまった。
おうちの なかには ぼく ひとり。
しいた ままの、 ぺったんこの おふとんに はいって、 はやく ねなきゃ いけない。
でも さむい おうちの なかで、 ひとりで ねるのは こわい。
だから ぼくは おふとんの なかで じっと かずを かぞえる。
かぞえながら おかあさんの めを おもいだす。
どんなに くらくても、 おばけなんて いない。
どろぼうだって、 こんな なんにもない おうちには はいって こない。
いちばん こわいのは、 おかあさんの め。
ぼくの ことを きらう、 あの めが いちばん こわい。
せかいで いちばん だいすきなのは、 おかあさん。
せかいで いちばん こわいのは、 おかあさんの め。
だいすき だけど こわい。
こわい けど だいすき。
おかあさん ぼくを おいて いかないで。
おかあさん ぼくを ひとりに しないで。
いかないで。
ひとりに しないで。
そばに いて。
そばに いさせて。
おねがい だから。
おねがい します。
どうか。
どうか、お願いします。
お願いですから、どうか、僕を見捨てないでください。
捨てないでください。
置いていかないでください。
側に置いてください。
どこかへ行ってしまわないでください。
どうか、どうか、どうか、どうか…。



酷い悪夢を見た。
忘れてしまったっていいはずなのに忘れられない、幼い頃の記憶。
物心ついた時には僕に父親はなく、父親のことを聞ける雰囲気さえ、すでになかった。
水商売をしていた母と暮らした、狭くて汚い安アパートの一室で、僕は育った。
育てられたという気はあまりしない。
母に何かしてもらったという記憶があまりないからだろう。
ただ、それでも僕にとって「お母さん」というのはあの人一人きりで、後になって施設に連れて行かれてからも、里親に引き取られてからも、僕は「お母さん」と呼ばなかった。
別に、あの人を特別好きで、他の人たちをそこまで好きになれなかったわけじゃない。
ただ、「お母さん」とはああいうものだと思ったから、あの人とは似ても似つかない、優しい人たちをそんな風に呼びたくなかっただけだ。
今でも、思い出すだけでぞっとする。
僕のことを鬱陶しい生き物どころか、鬱陶しい物とばかりに見ていたあの目。
あの人にとって僕は愛情を注ぐ対象なんかではなく、むしろただの邪魔な物でしかなかった。
だから、あの人は僕を置いていってしまった。
最後に僕にくれた言葉は、
「あんたみたいな鬱陶しくて可愛げのない子供、なんであたしから生まれてきたんだろ」
というものだった。
鬱陶しい、というのが最初から最後まであの人が貫き通した僕への評価だった。
何年も過ぎてから、何気なく手に取った民俗学の本で、目には呪力があるとされていたという記述を見た時、酷く納得したのを今も覚えている。
同時に思ったのは、僕はあの目に呪われてしまったんだということだった。
あの目に睨まれてからずっと、僕は何かに恐怖を感じていた。
それが、人を好きになることや人に執着を示すこと、人を束縛することに対する恐怖だということさえ、ちょっと前にやっと分かったばかりで、それまで漠然としていた恐怖に形が与えられると、余計に僕の心身を縛り上げるかのように思えた。
人を好きになることだけじゃない。
人に好かれていると誤解することも怖くてならない。
思い上がって裏切られるのが、怖い。
期待してしまった分、心の深いところまで傷ついてしまうから。
悪夢の余韻に震えながら、僕は布団を掴む。
目を開けて、部屋の中を見回せば、あの汚くて狭くて暗い部屋じゃないと分かる。
おまけに今日は、彼が一緒に眠っていてくれた。
ほっとしながら、僕は温もりを求めて彼を抱きしめる。
今は眠っているからきっと大丈夫。
朝になって怒られないよう、彼より早く目を覚まそう。
抱きしめた体はとても暖かくて、いい匂いがして、僕を幸せな気持ちにしてくれる。
この幸せな気持ちのまま、このまま死んでしまいたい、消えてしまいたいと、心の底から願った。

彼より先に目を覚ました。
なんにもなかったような顔をして、彼に朝の挨拶も出来た。
そう思ったのに、僕が作った簡単な朝食をとりながら、彼は難しい顔をして言った。
「なあ、古泉」
「なんですか? あ、もしかしてお口に合いませんでしたか?」
「いや、飯はうまいけど…そういうんじゃなくてだな、」
彼は言い辛そうにしながらもじっと僕を見つめて、
「…お前、悪い夢でも見たのか?」
まだ朝食を半分も平らげてないのに、胃がずんと重くなったように感じた。
「どうしてですか?」
「…うなされてたぞ。お母さん、とか…なんとか……」
重くなった胃袋に、苦いものを無理矢理流し込まれ、しかもそれが口まで逆流してきたような気持ちになった。
僕は何も答えられない。
何一つ告げられない。
そんな僕に、彼はとても心配そうな目を向ける。
もったいないほどに。
でも僕は何も言わない。
ただ祈るしかなかった。
彼がこれ以上聞かないでくれるように、と。
彼に本気で聞かれたら、僕はきっと白状するしかないだろう。
でも僕は、説明したくない。
他の誰よりも彼に、知られたくないのだ。
あんな母のことを。
…あんな母、と言いながら、恨みはしても憎めず、まだあんな人をどこかで好きでいるような僕を、いつかまたあの人に会いたいなんてことをかすかにだけれど思ってしまうような僕を、知られたくない。
知られて、嫌われたくない。
でも、嫌われたくないからこそ、彼に聞かれたら僕は答えるしかない。
だから、聞かないで欲しい。
聞かないでくれるよう、祈るしかなかった。
俯いて、膝の上に置いた拳を震わせる僕に、彼は何か感じたのだろうか。
箸を置いて立ち上がると、僕の背後に立ち、僕の体を優しくそっと抱きしめた。
どうしてそんなことを、と問いたいのに声が出ない。
震えるだけの僕を、更に強く抱きしめて、
「俺は側にいる。…いなくなったり、しないから、だから……」
心配するなと言いたいのだろうか。
それとも大丈夫だと言いたいのだろうか。
そんな優しい言葉じゃないかもしれない、と酷い夢に痛めつけられたばかりの心が、自己防衛を図るように囁く。
けれど、彼が口にしたのは予想外の一言だった。
「お前の、本当の気持ちを、聞かせてくれ……」
「本当の……気持ち…?」
「ああ」
優しく彼は囁く。
「お前が今、どう考えてるのか、何を考えてるのか、知りたい。たとえば…そうだな。今、俺がこんな風にして、どう思った?」
「どう、と…言われましても……」
「嫌か? 食事中に席を立つなんてマナー違反だって思ったか?」
「そんなことありません!」
僕は慌ててそう否定して、それから、小さな声で言った。
「…嬉しい、です。抱きしめてもらって……。あったかくて、気持ちいい…です…」
「そうか」
ほっとしたような声を響かせた彼は、
「じゃあ、うなされるほど怖い夢を見たくせに、俺のことを起こそうとしなかったのはなんでだ?」
「……って、お、起きてたんですか!? あの時…」
なんで言ってくれなかったんですか、と慌てる僕に彼はため息を吐き、
「起きてたらかえって俺に気を遣って、抱きついてきたりしなかっただろ、お前は。だから寝たふりしてたんだよ」
「そ…れは……」
そうかもしれませんけど、と口ごもる僕に、
「で、返事は? …言いたくないなら、無理強いはせんが……」
「……あなたに、迷惑を掛けたくなかったんです」
正直に言うと、彼は困ったように、
「迷惑なんかじゃないって、分からないか?」
「……分かりません…。だって、眠っているのを邪魔されたら、誰だって嫌に思うものでしょう?」
「お前に起こされたら、おまけに嫌な夢を見たからって起こされるんなら、俺は迷惑になんて思わない。むしろ、お前に頼られて嬉しく思う。…昨夜も、正直言うと、嬉しかった」
「嬉しかったって……」
「誤解するなよ? お前が嫌な夢を見たのは、俺にとっても嫌なことだ。でも、それで俺に頼ってくれたなら、それは凄く嬉しいんだ。…お前が頼ってくれるだけの価値があるんだって、思えるから…」
「そんな、あなたは僕には勿体無いくらいの人です。だから、そんな風に卑下しないでください」
「卑下してるのはお前だろ」
いくらかきつく言われ、僕は思わず身を竦ませた。
それを宥めるように、彼は僕の頭を優しく撫で、
「頼むから、勿体無いとか言うなよ…。俺はお前が好きで…お前じゃなきゃだめなんだから…」
「……すみません」
「ばか、謝るなよ」
そう小さく笑った彼は、
「なあ、何を隠してるんだ?」
と聞いてきた。
「何…って……」
「ああ、別にお前が抱えてる秘密全部暴露しろって言ってるんじゃない。ただ、お前、何か隠してるだろ? いつも、何か言いたそうにしながら俺のこと見てるくせに、肝心なことは何一つ言わないじゃねえか。だから、俺は……不安にも、なるんだ」
そう言って、彼は僕の頭を腕の中に抱え込むような形で抱きしめなおした。
額に彼の唇が触れる感触がする。
「…お前は俺のこと、どう思ってるんだ?」
「それはもちろん、好きですよ…?」
「それは流石に分かってる。でも、それだけなのか? 好きってだけで、終っちまう程度の感情なのか?」
「……え…」
胸がざわざわした。
気持ち悪い。
どうしたらいいんだろう。
逃げ出したい。
怖い。
分からない。
助けて欲しい。
「俺は、お前のことが好きだ。好きだから、お前のことを独り占めしたいって思うし、お前に頼って欲しいとも思う。お前の一番になりたいし、お前が俺じゃない誰かと一緒にいるのが嫌で、嫉妬してる自分が嫌になるくらいだ。そんなのを知られたら、お前に嫌われるんじゃないかとも思う」
「嫌ったりなんてしませんよ…」
「ああ、分かってる。…愛想尽かされるなら、もうとっくにそうなってるよな」
あえて明るく笑った彼が、声を潜めてそっと囁く。
「…お前は……?」
「……言ってしまって…いいん、ですか…?」
怖々聞く僕に、彼は優しく言う。
「聞かせてくれ。俺が、聞きたいんだ」
「…本当ですか?」
「ああ、本当だ」
「それで、嫌いになったり……」
「するわけないだろ。……見くびるなよ」
僕はゆっくりと手を伸ばし、彼の腕を握り締めた。
暖かいのに震えているのは、彼も緊張しているからだと思っていいんだろうか。
「緊張…してるんですか…?」
「…っ、当たり前だろ。これで、好きだけど本当は野郎なんて抱きたくなかったとか言われてみろ。俺はそのまま舌噛んで死ねるぞ」
「そんなことありませんよ」
思わず笑ってしまった僕の首を、
「笑うな」
と言いながら彼が軽く絞める真似をする。
「やめてくださいよ」
抵抗する真似をしながら、そのまま少しじゃれあって、それから、彼がもう一度聞いた。
「…教えて、くれないか?」
「……手を、」
握っていてくれますか、と言うまでもなく、彼は僕の手を優しく握り締めてくれた。
震える手と手を繋ぎ合わせて、僕は深呼吸をする。
心臓は激しく脈打っていて、このまま壊れてしまいそうなくらいだ。
怖くて怖くてたまらない。
この手を振り解かれたらと思ったら、それだけで目の前が真っ暗になってしまいそうだ。
でも、僕の目を見つめてくる彼の瞳はとても真摯な色をしていた。
大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせながら、僕は口を開く。
…でも、言葉が出なかった。
もう一度、もう一度、と何度も試みて、やっと声が出る。
「…僕は、あなたが好きです」
話し始めれば、あっという間だった。
「好きで好きで、堪らないんです。一生側に、なんて、ワガママを言って嫌われるのが怖いくらい、あなたが好きなんです。本当は、あなたが浮気をしたって平気だなんて、嘘だったんです。平気なんかじゃないです。平気なわけ、ありません。でも、あなたを束縛して、それでかえって、あなたが僕から離れていってしまうことになるんじゃないかと思うと、余計に怖くて…。それと比べれば、たとえ浮気されても、あなたが一時側にいてくれなくても、いつか戻ってきてくれるなら、それでいいと、思ったんです。大人みたいなふりして、理解があるような顔をして、そうしていれば、鬱陶しいと思われたりしないって、どこかで思ってたんです。あなたは本当に浮気なんてしないとも、思ってましたし……。何より僕は、こんな執着を、あなたに、知られてしまうことが、何より、怖かったんです…」
話している間に、いつの間にか泣き出していた僕を、彼は優しく抱きしめ直してくれた。
「…ばかだな」
言葉に対して、優しすぎるほど優しい声を響かせて。
「それとも、不器用なやつって言った方がいいのか?」
「知りません、そんなこと…」
「でもまあ、…よかった」
「…何がですか」
ぐしぐしと涙を袖で拭いながら聞けば、彼はにやっと笑って、
「お前も人並みに感情を持ってるんだなと安心できたからな」
「どういう意味ですか、それは…」
訳が分からない。
もはや呆気にとられている僕に、彼は教え諭すように、
「嫉妬もしないし執着もろくに示さない――なんて、本当に好きなのか分からんだろうが。それでも好きだって言ってくれるし、一応大事にしてくれるから、お前はてっきりどこか感情が欠落してるのかと思ってたんだぞ、こっちは」
「す、すみませんでした…」
「まあ、もう分かったからいいんだがな」
そう言った彼は僕に抱きつくような形で僕の膝に乗ってきた。
感じる重みや体温が、心地好い。
「…愛してる」
囁かれる声は心の中まで深く満たされるように響く。
「お前になら、どんなに束縛されたっていい。たとえお前がストーカーみたいになったって、俺はお前を嫌いになったりしないって、保障してやったっていい。…それくらい、俺はお前が好きだ……」
「ストーカーなんて、しませんよ」
「そうなのか? …ちょっと、残念だな」
「な、なに言い出すんですか!?」
驚く僕に、彼は小さく笑って、
「俺のこと、愛してるんだろ? 俺に知られるのが怖いくらい執着してるって言うなら、それくらいかと思ったんだが…違ったのか?」
「そこまでじゃありませんよ…。それに、なんでそれで残念がられるんですか」
「は? そんなの、言うまでもないだろ」
そう言いながらも、彼は僕がちゃんと説明されないと分からないということを理解してくれたらしい。
顔を赤くしながら、
「…そんな風にお前に愛してもらえたら、嬉しくて死ねる……」
と小さな声で言ってくれた。
その言葉に、その可愛らしさに感激しながらも、
「死なれては困りますから、絶対にそんなことは出来ませんね」
と軽口を叩けば、
「ばか、誇張表現に決まってんだろうが」
と笑われた。
だから僕は彼を抱きしめて、
「…あなたが好きです」
「……ん…」
「あなたと一緒にいるだけで満たされるほど、あなたを愛しています。本当は…あなただけを見つめて過ごしたい。あなたの目に、他の誰も映さないでおきたい。そう…思うくらい、あなたが好きです。あなたから片時も離れたくないほど…」
「そうしたいなら、そうしろよ。…可能な限り、叶えてやる」
不敵に言いながらも、彼は恥らいの表情を見せる。
その唇を味わいたくて、キスをする。
「愛してます」
止め処なく繰り返す言葉の数々に、やっと気持ちが通じたと思った。