おもみ



いつもと、あまり違いのない帰り道。
僕はみくるさんと彼の間に挟まれて、つまりは両手に花と言った状態で歩いていた。
と、そこにぱたぱたと軽快な足音と共に近づいてきた人がいた。
鶴屋さんだ。
「やぁやぁ、お熱いねっ!」
と言って僕の肩をぽんと叩いた彼女は、
「みくると古泉くんが付き合い始めたって時はどうなるかと思ったけど、なかなかうまく行ってるみたいじゃないか」
とみくるさんの保護者役らしいことを言う彼女に、
「おかげさまで、闇討ちされることもありませんね」
「あっはっは、そりゃー何よりだよ古泉くんっ!」
そう笑った鶴屋さんだったけれど、不意に目を細めると、まるでその視線で僕を射抜こうとするかのように、
「でも、なぁんか違う感じがするんだよねー」
と呟いた。
「違う感じ、ですか?」
「うん。普通のカップルとは違うなってね。まあ、あたしの気のせいだと思うから気にしないでおくれよ。気を悪くしたんなら謝るからさっ」
「いえ、気を悪くはしませんが…」
何か気付かれてしまっているんだろうかと思うと自然身構えそうになる僕に、みくるさんと彼が心配そうな目を向ける。
鶴屋さんはそんな僕たちの反応を見ると、いつものように明るく笑い、
「まあとにかく、あたしが言いたいのはひとつだけさね」
と僕に目を向け、
「みくるを泣かせたりしたら、古泉くんでも承知しないよ?」
とあくまでも明るく言った。
「そんじゃね!」
来た時と同じように明るく言って、まるで嵐のように過ぎ去っていった彼女を見送っていると、みくるさんが困ったように言った。
「ごめんね、一樹くん…」
「いえ、謝られるようなことはありませんよ」
それに、と僕はまだ鶴屋さんを見つめながら、
「……彼女には、本当のことをお話してもいいんですよ」
とみくるさんに言った。
「え? でも……」
「鶴屋さんでしたら、悪戯に言触らしたりしないでしょうし、何よりみくるさんの大切なご友人でしょう? それなら、いつまでも内緒にしておく方がみくるさんも辛いんじゃないでしょうか」
「それはそうだけど……いいの?」
「はい」
「…じゃあ、今度あたしからちゃんとお話ししときますね」
そうみくるさんが嬉しそうに微笑んだと言うことはやはり、心苦しさを覚えていたと言うことだろう。
「すみません。もっと早くそうしておくべきでしたね」
「ううん、いいの。鶴屋さんに内緒のことなんて…これだけじゃ、ないんですし……」
「…仕方ないことなんですから、みくるさんのせいじゃありませんよ。そんな、悲しい顔をしないでください」
「ごめんね、一樹くん…」
そう言って、みくるさんは気丈にも笑顔を見せてくれた。
大切な人たちに嘘を吐き続けているのは、本当のことを話せないままでいるのは、僕も同じだ。
大切な友人であるはずの涼宮さんにも、何より大事な恋人である彼にも、僕は秘密ばかり抱えていて、それなのに受け入れられていることが嬉しいのに、それ以上に申し訳なくて仕方ない。
いつか、何もかも話せる時がきたなら、その時こそ真っ先に謝りたい。
涼宮さんにも、彼にも。
「一樹くんこそ、そんな顔しないで。…ね?」
優しくみくるさんが言い、僕は笑顔を作って頷いた。
それから、僕たちはどこか口数が少なくなったまま歩き、途中でみくるさんと分かれ、僕は彼と二人きりになった。
彼はなにやら考え込んでいるようで、難しそうに眉を寄せている。
だから、もしかしたら今日僕の部屋に来るという約束は反故にされるのかと思っていたのだけれど、彼はむっつりと黙り込んだまま僕の部屋にやってきた。
「邪魔するぞ」
と一声掛けたかと思うと、後は僕の方を見もしないで荷物を玄関に放り出し、居間のソファに陣取ると、そこにごろりと横になった。
二つ並べておいてあったクッションのうち一方を枕に、もう一方を抱え込んでごろごろと転がっているのは大変可愛らしいのだけれど、寄せられたままの眉が気になる。
僕は、
「お茶でも淹れましょうか」
と声を掛けたのだけれど、彼から返ってくるのは生返事ばかりだ。
僕は仕方なく、勝手にお茶を決め、みくるさんに教わった通り、ゆっくりとお茶を淹れる。
それから、いい香りを漂わせるお茶が冷めないうちに居間に運ぶと、まだソファに寝転がっていた彼が、じっと僕を見つめてきた。
「お茶、入りましたよ」
しかし、彼はそれには答えず、
「…なあ、古泉……」
「なんですか?」
「…本当に、朝比奈さんはお前のことを男として見てないのか?」
いきなり何を言い出すかと思った。
僕は驚き、戸惑いながらも、
「そうですよ」
と答える。
それは今更聞かれるようなことだろうか。
「にしは、鶴屋さんがお前を脅かしてたじゃないか」
不満そうに唇を尖らせつつ、彼は僕から目をそらし、
「…お前、鈍いからな」
「何を、仰りたいんです?」
思わず眉間に皺が寄ってくるけれど、彼はそれも見てはいないらしい。
「…実は、お前が気付いてないだけなのかも知れないな」
ひくり、と眉が揺らいだ。
驚いたことに、僕は彼のそんな言葉に苛立ちを感じているらしい。
思いあがっている、と思うのに彼が言葉を取り消そうとも、冗談だと誤魔化そうともしないのでそれは消えるばかりかどんどん募り始める。
「……だとしたら、どうだって言うんです?」
声にもいくらか苛立ちが滲んでしまったけれど、彼に気付かれるほどではなかったらしい。
彼はまだむくれたまま、
「――お前だって、俺なんかより朝比奈さんの方がいいんじゃないのか」
と呟いた。
どうしてそんなことを言い出すのか、と考える必要はなかった。
彼はまた妬いているんだ。
それは僕が不甲斐無いからだから仕方がないのかもしれない。
でも、なんでまだ、そんなことを思うんだろう。
僕とみくるさんとの関係がそんなものじゃないことくらい、とっくに分かってくれていると思っていたのに。
こう言うとおこがましいけれど、一種裏切られたような気持ちになりながら、僕は彼が零す言葉を聞いていた。
「考えてみろよ。鶴屋さんのことだ。本当に朝比奈さんがお前のことをなんとも思ってないんだったらあんな風に釘を刺すと思うか? 鶴屋さんが朝比奈さんのことを分かっていないというのも考え難い。あのお二方の友情は俺なんかじゃ考えられないくらいしっかりしたものみたいだしな。だったら、お前が、もしかすると朝比奈さん自身すら気付いていないだけで、本当はお前のことを好きなのかもしれないだろうが」
そこまで話して、彼はやっと僕が黙っていることに気が付いたんだろう。
「…古泉、聞いてるのか?」
「……ええ、聞いてますよ。仰りたいことは、それだけでいいんですね?」
僕が言うと、彼は訝しげに眉を寄せた。
まるで、僕が怒っているのを分かっていないかのように。
それでも仕方ないのかもしれない。
僕自身、どうしてここまで怒ってしまっているのか、よく分からないのだから。
可能性としては、彼に疑われることが悲しいからかもしれない。
そうでなければ、みくるさんとの友情を侮辱されたように感じ、憤っているのかもしれない。
そのどちらも違うのかもしれない。
ただ分かるのは、自分が苛立っている、ないしは怒っているということくらいだ。
「古泉…?」
「僕は、」
彼にこれ以上何も言わせたくなくて、僕は語調を強めた。
「たとえ他の誰に好かれようが嫌われようが、どうでもいいんです」
「どうでもって…」
「どうでもいいですよ。僕が好きなのはあなただけなんですから。仮にみくるさんが僕のことを好きだとしても、僕は今と態度を改めたりは出来ません。僕にとって彼女は、かけがえのない友人なのですから。そして、友人と恋人が違うということは言うまでもないでしょう」
それから、と僕は彼を見つめたが、もしかすると睨みつけたようになってしまったかもしれない。
彼が怯えるように、腕の中のクッションを強く握り締めたから。
でも、止められない。
「あなたがどのように感じられようと勝手かも知れませんが、これだけは言わせてください。…僕にとって、みくるさんは姉のような存在であり、大切な友人なんです。それを……そんな風に、邪推しないでください」
「ご…めん。悪かった…」
彼は申し訳なさそうに視線を伏せた。
「…言い過ぎだったな。悪い」
だが、と彼は僕と目を合わせないようにしたまま、呟くように小さな声で言った。
「…俺も、不安なんだ……」
と。
不安に思わなくていいと言いたかった。
そんな必要はないと、僕なりに言ったつもりだった。
それでも彼にはちゃんと通じない。
うまく伝えられない。
もどかしくて、唇を噛み締めた。
「…どうしたら、あなたに通じるんでしょうか」
僕はあなたを不安にさせたくなんかない。
信じてほしいと願っている。
それなのに、不安にさせてしまう。
どうしてこうなんだろう。
「ごめん…」
謝って欲しいわけじゃない。
どうしたらいいのか分からなくて、僕はただ、
「…すみません。僕の…せいです……」
と呟くしかなかった。

――それで、頼る相手がみくるさんしかいないのが、やっぱりまずいんだろうか。
次の土曜日に喫茶店で待ち合わせていたので、ついでとばかりにあの日のことを話したら、みくるさんは驚いたように目を見開きながら、
「凄いですね…。なんだか、少女マンガみたい」
と笑った。
すいませんみくるさん、僕たちにとっては笑い事じゃないんですけど…!
「あ、ご、ごめんなさい」
そう謝ってはくれたけれど、まだ顔が笑ってる。
思わずため息を吐くと、
「ごめんね。でも、あたし、嬉しくって…」
「嬉しい…ですか?」
どういうことだろう。
みくるさんは他人の不幸を喜ぶほど人が悪くはないはずなんだけれど。
「だって、」
とみくるさんは幸せそうに柔らかく微笑み、
「一樹くんの相談って言ったらいつも、キョンくんを好きなのに諦められないって話ばっかりだったでしょ? そうじゃなかったら二人して、皆に内緒にばっかりしてて嫌になるとか暗くお話してたじゃないですか。それと比べたら物凄い進歩だなって、思っちゃったの」
「…それもそうかもしれませんね」
考えてみれば、全く贅沢な悩みだ。
これでは笑われてしまっても仕方がない。
僕が苦笑すると、みくるさんも小さく声を立てて笑い、
「でも、そうですね……」
とやっと真剣に考えてくれるようになった。
「…やっぱり、不安にさせたくないなら、それをちゃんと伝えるしかないと思うんです」
「そう…ですよね。僕としては努力しているつもりなんですが…」
「言葉で、でしょ?」
「そうですけど……」
何かいけないんだろうか。
みくるさんは困ったように眉尻を下げ、
「言葉だけじゃ、上辺だけに聞こえてしまう時って、あると思いませんか? …あ、もちろん、言葉だって大事なんですよ? でも、口で言う割に行動が伴わない人は信用されないでしょう? 一樹くんも、それと同じに思われてるんじゃないかなぁ…」
「僕は信用できない、と?」
そうなんだろうか。
いささかショックを受けながら問い返した僕に、みくるさんは慌てて、
「え、あ、あのね、あたしが言いたいのはそういうことじゃなくって……その、……ああもう、うまく言えないです…」
と困ったように言い、四苦八苦しながらも続きを口にした。
「一樹くんのことだから、好きとか、そういうことはちゃんと言ってるんですよね? でも、態度には出せてないんじゃないのかなぁ…」
「…出てません、かね」
自分ではどうしようもなくなるほど、表情にも態度にも彼への思いが滲み出てしまっていると思うのだけれど。
「んんっと、そうじゃなくって、ね。……一樹くん、控え目でしょ? 自分から求めたりしてないんじゃないのかな」
「それは……そうかも、知れませんけど……」
口ごもった僕に、みくるさんは、やっぱり、と小さく呟いて、
「それがいけないんじゃないのかなって、あたしは思います。口でいくら好きって言ってもらえても、それが態度に出てないと、不安になると思いませんか?」
「……」
黙り込んだ僕へ、みくるさんはやさしく手を伸ばす。
そうして、
「…あのね、一樹くん、怖がらないでいいんですよ」
「怖…?」
「怖がってるでしょ。キョンくんのことを束縛したりするのを」
一瞬、心臓が止まるかと思った。
ぎくりと体を硬直させた僕に、みくるさんは慈母の如き笑みを見せ、
「あたしのこと、見くびらないでくださいね? ちゃあんと一樹くんのことを見てるんですから」
とその笑みには似合わないほど軽やかに、悪戯っぽく言い、
「…一樹くんって、本当はただ鈍いってだけじゃないんじゃないですか?」
「…どういう意味ですか?」
戸惑う僕に、みくるさんは困ったように笑いながら、
「うぅん…一樹くんが全然自覚してないみたいだから言い辛いんだけど…」
「言ってください。お願いします」
僕が気付いていないことで彼を何度も傷つけてしまっているのだから、もしまだ気付けていないことがあるのなら知っておきたいと思ってそう言った僕に、みくるさんは苦く笑い、それでも僕のためにだろう。
薄桃色の唇をそっと開いた。
「…あのね、一樹くんって、もしかして恋愛恐怖症みたいなところがあるんじゃないかなって思ったんです」
「……え…」
恋愛恐怖症、と言われても…。
「僕は、彼が好きですよ?」
「うん、それは分かってるの。でも、ずっと恋愛に関して積極的になるのを避けてたでしょ? 違いますか?」
「……そうかもしれません…」
「今も、本当はずっと怖がってるんじゃないですか? キョンくんのことを好きになり過ぎないように、依存してしまわないように、どこか線を引いてしまってるみたいに見えます。そのせいで、キョンくんには古泉くんが本気に見えなくなってしまったりするんじゃないかなぁ…」
みくるさんの言う通りかもしれない。
僕はずっと何かを怖がっている。
いや、何かじゃない。
…彼に嫌われてしまうことを、何よりも恐れている。
そして、嫌われてしまうかもしれないと思うからこそ、自分から積極的に彼に働きかけられない。
「…僕は……どうしたら、いいんでしょうか…」
いつの間にか俯いてしまっていた僕は、助けを求めるようにみくるさんを上目遣いに見た。
みくるさんは優しく笑って、
「キョンくんとしたいことって、ありませんか?」
「……あります。いくらだって、あるんです。でも…」
「怖がらなくていいんですよ」
そう言ってみくるさんはもう一度僕の頭を撫でてくれた。
小さな子供にするように、そっと。
「一樹くんがどんなことをしたいと思っていても、ちゃんとキョンくんのことを好きって気持ちがあるんだったら大丈夫に決まってます。キョンくんも…それを待ってるんじゃないのかな」
「…そう、でしょうか……」
「たとえば、どんなことをしてみたいんですか?」
そう聞かれて、僕はしばらく考えこんだ。
彼としたいことはいくらでもある。
その中でもしたいことと言ったら、
「…ちゃんと、デートとか、したいです。手を繋いで歩いたり、一緒に食事をしたりするような、デートを。それから、一緒に旅行に行ったりもしてみたいです」
「それぐらいなら、絶対大丈夫ですよ。あたしが請負います」
明るく笑ったみくるさんは、
「…だから、怖がらないで、キョンくんに一樹くんのしたいことをちゃんと伝えてみてください。それで、実際にやっていったら、一樹くんの恋愛恐怖症も治るでしょうし、キョンくんだって不安になんて思わなくなりますよ。きっと」
「そうでしょうか…」
「うん、大丈夫です」
明るいみくるさんの微笑みに、勇気付けられる思いがした。
でも、
「…頑張ってみます」
としか約束できない自分が、臆病すぎる自分が、嫌になった。