涼宮さんがいなくても、部室の空気は悪くならなかった。 むしろ、和やかで楽しい雰囲気だ。 穏やかな気持ちでオセロの準備をしていると、みくるさんが彼の前にお茶とお菓子を置いた。 「はい、キョンくんの分です」 「ありがとうございます、朝比奈さん」 嬉しそうに目を細める彼に、僕も嬉しい気持ちになる。 「このお菓子はどうしたんですか?」 「あたしがお家で作ってきたんです。初めて作るお菓子だから、ちゃんと出来てるか心配なんですけど……」 「大丈夫ですよ。とても美味しそうです」 そう言って彼は可愛らしいラッピングバッグを丁寧な手つきで慎重に開くと、中からしっとりしたチョコレートケーキを取り出した。 それをぱくんと口に含んだ彼が、すぐに柔らかな笑みを浮かべる。 「美味しいですよ」 という言葉を聞かなくても、本当にそうなんだと分かった。 「よかったです」 と微笑むみくるさんとあわせて見ても、なんて可愛らしいんだろうなぁ、なんてほんわかした気分で眺めていた僕に気がついた彼は、きゅっと眉を寄せると、 「…何見てんだよ」 「え、あ、…すみません」 気に障ってしまったかな、と思いながら謝ると、 「謝る必要はないだろ」 と呆れたように言われてしまった。 怒ったんじゃなかったならさっきのはなんだったんだろう? 「…お前、なんでそんな嬉しそうにしてんだ?」 「それは…あなたとみくるさんが仲良くしていて、微笑ましいと思ったからなんですが……」 いけなかったでしょうか、と問うと、 「ああ」 と返された。 「どうせなら妬けよ」 拗ねたような調子で言う彼に僕は目を見開いた。 いくら事情をちゃんと分かってくれているとはいえ、長門さんやみくるさんの前で彼がそんな態度を取るとは思わなかったのだ。 どちらかというと、それでもひた隠しにしようとしたりするタイプの人だと思っていたんだけれど、それは僕の思い違いだったのだろうか。 僕が唖然としている間にお茶を飲み干し、チョコレートケーキを食べきってしまった彼は、椅子から立ち上がり、つかつかと長門さんに近寄った。 そうして、 「長門、」 と声を掛けながら長門さんを抱きしめた。 長門さんは驚きもせず、ただ一応、本からは顔を上げて見せた。 「きょ、キョンくん…!?」 驚いて声を上げるみくるさんにも構わず、彼は僕の方を横目で見ると、 「……感想は?」 「えぇと……」 「正直に言えよ」 そう念を押されてしまったら言い逃れることも出来ない。 僕は苦笑を浮かべながら、 「やっぱり、微笑ましいと思いました」 「……お前な…」 だって仕方ないじゃありませんか。 妬く必要なんて少しも見当たらないんですから。 「……なんでお前はそんなに余裕なんだ」 苛立った言葉の裏には、「俺には余裕がないのに」という言葉が見えて、顔が緩みそうになった。 「いけませんか?」 「ああ。……ムカつく」 「だって、」 僕はにやけた笑いではなく苦笑に見えているよう祈りながら言った。 「あなた、僕のことが大好きじゃないですか」 「なっ…!」 真っ赤になってうろたえる彼に、僕は首を傾げた。 そんなに意外な言葉だっただろうか。 だとしたら僕は自分の想いをまだ彼に伝えきれていないということだろうか。 困ったな、と思いながら僕は言う。 「あなたが僕のことを愛してくださっているとちゃんと分かっているから、あなたを信じているから、妬いたりもしないで済むんです。…ありがとうございます」 「……ッ、俺だってな、お前を信じてないって訳じゃないんだ。が、それでも、…もやもやするんだよ…!」 恥ずかしそうに赤くなりながら、それでも言ってくれた彼にまた愛を感じる。 彼が愛しい。 同時に、それだけ向けられる愛情が嬉しくてたまらない。 「ありがとうございます」 「…本当は、面倒な奴だとか思ってるんだろ」 「思ってませんよ」 「嘘付け…」 「嘘じゃありませんってば」 どういえば分かってもらえるんでしょうか、とぼやいたところで、みくるさんが助け舟を出すように、 「あたしは、一樹くんが言う通り、妬かなくていいと思いますよ?」 と優しく彼に言った。 「一樹くんってば、本当にキョンくんのことが好きなんだもの。あたしと話してても、大半はキョンくんのことなんですよ?」 いつもいつも惚気すぎてすみません、と謝れば、 「ううん、いいんです。あたしもそんな話を聞くのが楽しいから」 と優しく微笑まれた。 彼がみくるさんのことを女神とか天使とか賛美する気持ちも分かる、なんて思っていると、彼に思いっきり睨みつけられた。 「煮とけたみたいなバカ面さらしてんじゃない」 だからそう厳しく言わなくったっていいじゃないですか。 僕とみくるさんの間には色っぽいものなんて欠片もないと分かってるんですから。 ――と反論することも許されないくらいの視線に、僕はそっとため息を吐いた。 みくるさんは僕に苦笑をくださり、長門さんは彼の方に同情的な視線を向けた。 すっかりむくれてしまった彼と一緒に帰路を辿る。 みくるさんたちとは既に別れた後だ。 このまま彼を家まで送っていこうか、それとも僕の部屋に彼が来るんだろうか、などと考えている僕の隣りで、彼が呟くように言った。 「…なあ、正直に答えろよ」 はい? 「本当に、思ってないのか? 俺のこと、鬱陶しいとか面倒だとか煩いとか……」 自分で並べ立てながらひとりで落ち込んでいきそうな彼に僕は苦笑して、 「思ってませんよ。むしろ、とても可愛い人だと思っていました」 「なっ……」 絶句した彼も可愛い。 僕は浮かんでくる笑みを隠しもせず、 「可愛いですよ。そうして妬いてくださるのも、僕のことを愛してくれているから、なんでしょう? だから、嬉しいです。鬱陶しいなんてそんなこと、少しも思いませんでしたよ」 「…っだ、誰もそんなこと言えとは言ってないだろ!」 「言うな、とも言われてませんよ」 彼の照れ隠しが可愛くて、くすくす笑いながら言うと、 「…やっぱりその余裕はムカつく」 と言われてしまった。 続いてため息を吐いた彼は、 「……普通、好きな相手が別の人間と親しくしてたら、多かれ少なかれ、妬いたりするもんじゃないのか?」 と心底不思議そうに呟いたけれど、 「僕としては、たとえあなたが浮気をしたって妬かないと思いますよ?」 「は!? なんだよそれ!」 憤慨した様子で言った彼が僕に食って掛かろうとした。 それに笑みを返して止め、 「だって、本気は僕だけなんでしょう?」 「……そりゃ、そうだが…」 「あなたがどんな人のところへ行こうとも、どんなことをしようとも、必ず僕のところへ帰ってきてくれるのでしたら、僕はそれでいいんです。そしてあなたは、間違いなくそうしてくれるでしょう?」 それくらい僕のことを愛してくださっている、というのは僕の思い上がりではないはずだ。 彼は赤い顔をして何か言おうとしたがうまく言えなかった様子で、しばらく黙り込んでいたけれど、小さく、 「……ばか」 と毒づいた。 それさえも可愛い。 「あなたが妬いていることで苦しむのは僕の本意ではないのですが、僕はその分あなたの愛を感じられるので、妬かないでくださいとは言いませんよ。…自分に不甲斐無さは感じますけどね」 「…じゃあ俺は、それだけ信頼されてるってことにお前の愛を感じればいいのか?」 「そうですね。そうしていただけたら嬉しいです」 そう頷いた僕の手を、軽く握り込んだ彼は、 「……その弊害、分かるか?」 と潤むような目で僕を見上げた。 泣きそうになる、とかそういうんじゃない…ですよね、これは。 それにしては熱っぽい瞳だから。 「ええと……」 「…分からないんだな」 ふくれっ面を作るように小さく息を吐いた彼は、 「お前のその鈍過ぎるところはあんまり好きじゃない」 とぼやきながら僕の耳に唇を寄せ、 「お前の部屋に行っていいよな?」 「え? …ええ、勿論、構いませんが……」 どうしたんですか? 「……シたくなったんだよ!」 耳に噛みつくように言った彼に、僕は目を丸くした。 どうしてそうなるんですか。 っていうか明日も学校なんですけど大丈夫なんですか? 「うるさい。スルったらスル!」 駄々っ子のように言う彼に、本当にこの人はなんて可愛い人なんだろう、なんて思っている時点で僕の負けは確定済みで。 翌朝、僕たちは二人揃って遅刻寸前まで寝過ごしてしまった。 |