ホッタン



それは、あたしと一樹くんが噂になった次の週のことでした。
部室の中が凄く重苦しくて嫌な空気だなって思ってたら、放課後部室にやってきた涼宮さんが、あたしが着替えるより早く、
「今日は活動中止!」
と怒ったような顔で言うだけ言って帰ってしまったんです。
あたしはどうしたらいいのか分からなくて困りながら一樹くんを見ました。
一樹くんも驚いているようでしたけど、
「涼宮さんがああ仰ったんですから、帰るとしましょうか」
と言って立ち上がりました。
キョンくんは何も言わずに荷物を掴むと、そのままいなくなります。
…やっぱり苦しそう。
一樹くんがああ言ったから、一樹くんの望むようにしてるけど、キョンくんが苦しんでるのを見ると、やっぱりそれじゃいけなかったのかもしれないって思うの。
一樹くんだって苦しんでるはずなのに、どうしてそんなに我慢出来るんだろう。
あたしには、分かりません。
でもきっと、多分ですけど、一樹くんがああやって我慢するのも、キョンくんが言いたいことを言わないで諦めようと必死になってるのも、好きだからなんじゃないかなって思います。
そんなこと、一樹くんに言ったら夢を見るにもほどがあるって笑われちゃうかなぁ。
本当は、どうするのが一番いいんだろう。
そんなことを考えながら、あたしはお茶を淹れようと準備してあった道具を片付け始めました。
その時です。
あたしの携帯電話にメールが届いたんです。
あたしは携帯を見て、びっくりしました。
届いていたメールは涼宮さんからのもので、そこにはびっくりするしかないようなことが書いてあったから。
『一度帰ったフリをして、もう一度部室に集合すること! キョンと古泉くんには秘密でよ。あたしに内緒で何かするなんて、百万年早いんだから!』
『内緒』、と言われて真っ先に思い浮かぶのはあたしたちの秘密の肩書きのことでした。
でも、それは今更気付かれるなんてことはないと思ったし、キョンくんと一樹くんには秘密と言われて、二人のことだってあたしにも分かりました。
気付かれちゃったのかしら。
だとしたらどうして?
あたしはどうすればいいの?
困っているのが顔に出ちゃったのか、一樹くんが心配そうに、
「どうかしましたか?」
「う、ううん、なんでもないの」
「なんでもないようには見せませんが……」
「大したことじゃないんです、本当に」
慌ててそう言っても、何かあったってことくらい、一樹くんにはバレバレだったみたい。
苦笑しながら、
「分かりました。みくるさんがそう仰るんでしたらこれ以上は聞かないでおきます。でも、何かあったんでしたら、僕にも相談してくださいね」
「うん…ありがとう」
優しい一樹くん。
優しすぎて、悲しくなっちゃうくらい、優しい人。
そのせいで自分が苦しんだり傷ついたりしてるってことに、一樹くんはどうして気付こうとしないんだろう、と思っていると、視線を感じました。
誰、と思いながら顔を上げると長門さんがあたしを見ていて、半分くらいカバンに入れた手元に、携帯電話があるのが見えました。
あたしにそれを見せたかったみたいで、あたしが見たのを確認するといつものように荷物をまとめて静かに部室を出て行ってしまったけれど、あれはもしかして、長門さんも呼び出されたってことなんでしょうか。
その予想は当たってました。
高校を出て、坂道を下り始めたところであたしは、一樹くんに言い訳をして部室に引き返したんだけど、そうすると正門で長門さんが待ってたんです。
「長門さんも…?」
かすかに頷いた長門さんは、
「涼宮ハルヒはあなたと古泉一樹の偽装工作を見抜いている。彼が古泉一樹を意識していることにも気がついている」
とだけ教えてくれました。
「そうなんですか…!?」
でも、だったらどうして世界には何の変化もないんでしょう。
涼宮さんはキョンくんが好きなはずで、それなら何かあっても不思議じゃないと思ったのに。
長門さんが何かしてくれてるの?
「私は何もしていない。……ただ、彼ならおそらくこういう時、こう言う」
そう言って長門さんはキョンくんみたいに優しい目をあたしに向けて、
「『ハルヒを見くびってやらないでください』」
「……そうですね」
思わず笑みが零れました。
あたしも一樹くんも涼宮さんに対して失礼なことを思っちゃってたみたいです。
そうよね。
昔の涼宮さんならともかく、今の涼宮さんなら、きっと許してくれます。
あたしはほっとしながら、長門さんと一緒に部室に戻りました。
そこにはまだ涼宮さんは来てなくて、
「お茶でも淹れましょうか」
と、いつもの席に座りながらも本を開いていない長門さんに聞くと、小さく首を振り返されました。
そこであたしも椅子に座ると、そっとドアが開いて、涼宮さんが顔を見せました。
「ちゃんと内緒にして来れたみたいね」
「はい」
あたしがそう答え、長門さんが頷き返すと、涼宮さんは笑って後ろでにドアを閉め――鍵を、掛けました。
思わず体が竦むのは条件反射だと思います。
だって、涼宮さんがそんなことをして、ロクな目に遭わなかった覚えがなかったんです。
「大丈夫よみくるちゃん。今日は新しい衣装なんて用意してないから」
明るく笑う顔がむしろ怖いです。
「あ、あああ、あの、す、涼宮さん…? あたしたち、どうして呼ばれたんですか…?」
怯えが声に出ちゃいながらもあたしがなんとかそう聞くと、涼宮さんは軽く腕を組んで、
「そう、それなのよ」
と真剣に眉を寄せました。
そうして、ビシッと効果音が響き渡りそうな動きであたしを指差すと、
「みくるちゃん、嘘吐いてるでしょ!」
「ふえぇ!?」
予想はしてましたけど、そこまでストレートに聞かれるなんて思いませんでした。
「う、嘘って、な、なんのことですかぁ…」
「とぼけたって無駄よ。ちゃあんと分かってるんだから」
そう胸を張った涼宮さんは、
「古泉くんと付き合ってるなんて、嘘なんでしょ」
あたしは、どう答えたらいいんだろうって悩みました。
言い逃れなんて出来ないってことは思いました。
でも、だけど、涼宮さんは強引なだけじゃないし、ワガママって訳じゃないってことも、さっきちゃんと分かったから、このままあたしが言わないでおこうと思ったらそうさせてくれるとも思ったんです。
一樹くんとの約束を思うなら、あたしはここで黙ってなきゃいけません。
だけど、でも、……一樹くんたちを放っておいて、事態が好転するとはとてもじゃないけど思えなかったんです。
涼宮さんがどうするつもりか、あたしには分かりませんでした。
でも、きっと悪いことにはならないって思ったんです。
それでもあたしにはなかなか勇気が出なくて、困って長門さんを見ると小さな頷きを返されました。
あたしを安心させるみたいに。
だからあたしは、
「……そう、です」
と嘘を吐いてることを認めました。
「やっぱりね」
満足そうに言った涼宮さんは、
「おかしいと思ったのよ。確かにみくるちゃんと古泉くんって仲がよかったけど、恋人には見えなかったし」
だったらどう見えてたんだろう、と思ったら、
「むしろ、仲のいい姉弟みたいに見えてたのよ。少なくとも、あたしには。間違ってないでしょ?」
「はい」
本当に、涼宮さんって凄い。
他の人みたいに勘違いしなかったなんて。
「それで、なんでわざわざ古泉くんと付き合ってるなんて嘘吐いたの? 男避けってわけでもないんでしょ? キョンをヤキモキさせて、キョンから告白させる作戦なの?」
「ち、違いますよ!」
なんでそうなっちゃうんですか。
っていうか本当にそんな風に簡単にいったら何も苦労しないです。
「違うの? だったらなんで?」
「――あたしがこんなこと言っちゃっていいのか分からないんです。一樹くんに悪いかもしれないって、思います。でも……涼宮さんは誰かに言ったりしませんよね?」
勿論、長門さんも。
「当たり前でしょ。だから、安心して話しなさい」
「…はい」
あたしは涼宮さんと長門さんの優しさが嬉しくなって、自分でも気がつかないうちに笑ってました。
同時に胸が温かくなったのは、こんな優しい人たちと一緒にいられて、SOS団にいられてよかったって、思ったからだと思うんです。
あたしは、涼宮さんに全部話しました。
何もかも本当のことだけを話したわけじゃありません。
だって、残念だけど、どうしても話せないことはあったから。
一樹くんがキョンくんを好きだってこと。
でも、一樹くんはキョンくんに苦労させたくないからって告白しないままでいること。
あたしとは仲のいいお友達で、でも他の人たちに誤解されちゃったから、キョンくんのことを諦めるためにも、噂を本当だと思いこませるようにしたこと。
キョンくんはどう思っているのか分からないけど、あたしとしてはキョンくんも一樹くんを好きなんだと思ってることも伝えたんです。
そうしたら涼宮さんは、
「あたしも、みくるちゃんと同じ考えよ。キョンは古泉くんのことが好きなんだわ。有希もそう思うでしょ?」
そう言われた長門さんは頷いて、
「…間違いない」
長門さんに断言されて、あたしもほっとしました。
それなら確実なんだって思えましたから。
よかった。
涼宮さんがこうして認めてくれるってこと、キョンくんは間違いなく一樹くんのことが好きなんだってことを一樹くんに伝えてあげたら、きっとうまく行きますよね。
そうしたら部室だってもっと楽しい場所に戻って、あたしたちももっと楽しく過ごせるはずです。
でも、涼宮さんはあたしよりももっと凄い人でした。
「じゃあ、あの二人が鬱陶しいからあたしたちでなんとかしてやりましょ!」
と高らかに宣言したんです。
「な、なんとかってなんですかぁ?」
驚いて聞いたあたしに、涼宮さんは満面の笑みを見せて、
「決まってるでしょ。あいつらがもう逃げられないようにしてやるのよ。追い詰めるだけ追い詰めて、そうやって真正面からぶつけてやったら、あいつらだって観念するわよ」
なんだか恋のキューピッド役っていうよりも大規模犯罪組織をとっちめようとしている警部さんか何かみたいです。
こんなきらきらした笑顔の警部さんがいるのかは知りませんけど。
「有希、あなたはキョンの相談に乗ってやりなさい。あいつのことだから、あたしやみくるちゃんには何も言わなくても、有希にならきっと相談するわ。相談に乗るフリだけでもいいわね。そうやって、あいつの本心を聞き出して、それを隠したりしないように仕向けるの。それから、出来そうだったら、古泉くんのことも挑発してやってちょうだい。うかうかしてたら人に取られちゃうんだって危機感を与えてあげなきゃね」
「…了解した」
「みくるちゃんは、」
と涼宮さんは今度は私の方に向かって言いました。
「キョンを煽ってやりなさい」
「え、あ、煽っちゃうんですか?」
そんなことしたらもっと雰囲気が悪くなるんじゃ……。
「一時的にはそうかもね。でも、それも作戦の内なの。部室の空気が悪くなったら、あいつらだってなんとかしようと思うでしょ? 変なところで責任感は強いみたいだから。だからあたしも、部室にはあんまり顔を出さないでおくわ。あたしがいると、どうも何もないみたいなフリするみたいだから」
す、鋭いです。
涼宮さん、鋭すぎます!
この調子でいつか何もかも全部ばれちゃうんじゃないかしらと気が気じゃなくなってきたあたしでしたけど、でも、最後にもうひとつだけ聞いておきたくって、色々と打ち合わせた最後の最後に涼宮さんに聞きました。
「どうして、涼宮さんがそこまでしてあげるんですか?」
って。
すると涼宮さんはにこって明るく笑って、
「SOS団は、あたしのものだからよ!」
と言い切ったのでした。
だからってお節介焼けちゃう涼宮さんも凄いけど、その言葉に納得しちゃったあたしもあたしかなぁ?