デパートの近くで待ち合わせていたみくるさんと顔を合わせるなり、僕は思わず苦笑した。 挨拶もそこそこにため息を吐いて、 「長門さんと結託するなんて意外でした。本当に驚かされましたよ」 と言うと、みくるさんは悪戯っぽく、しかし魅力的に微笑んで、 「でも、よかったでしょ?」 「ええ、そうですね。…ありがとうございました」 「うふ、どういたしまして。キョンくんとは、ちゃんとうまく行きましたか?」 「はい。それもこれも、みくるさんと長門さんのおかげですよ」 「昨日はあの後、ちゃんと話し合ったんですよね?」 「ええ。…ちゃんと、言いましたよ」 「よかったです」 でも、とみくるさんはちょっとだけ表情を曇らせた。 どうしたというのだろうか、と首を傾げる僕に、 「本当に、よかったの? 今日もあたしと一緒で」 「え? だって、もう随分と前からお約束していたでしょう?」 「それはそうですけど……」 もごもごと口ごもったみくるさんは、 「…ちゃんとキョンくんには言ったんですか?」 「言いましたけど……」 「えっと、ちなみに、なんて…?」 「みくるさんとデパートのスイーツ展に行って食べ歩きしてきます、と」 「そ、それでキョンくんはいいって言ったんですか?」 「いいも何も……だって、みくるさんの方が先約でしょう?」 行きますとだけ言って別に許可は求めたなかったと言うとみくるさんはぐったりと脱力して、 「たとえ先約でも、昨日やっと付き合えるようになった恋人がいたら、ううん、恋人がいたら普通は、間違いなくそっちを優先させるものだと思います…」 「そう…ですか?」 頷いたみくるさんは、 「やっぱり、今日は止めませんか? で、一樹くんはキョンくんに会いにいってあげてください」 「でも、今日を逃したらもう来れませんよ?」 デパートの企画展なんて一週間もやってくれないし、そうであれば平日学校がある僕らには今日を逃したら行けそうにない。 そう言うとみくるさんも決心がぐらついたようで、 「せ、せめてキョンくんも誘いませんか?」 「彼は甘いものはそんなに好きじゃないと思いますけど……」 「いいから、連絡してみてください」 そう言われ、僕は自分の携帯を取り出すと、彼に電話を掛けてみたのだけれど、電話は繋がらなかった。 「彼もどこかに出かけてるみたいですね」 それなら心置きなく過ごせそうだ、と思った僕の内心を見透かしたように、みくるさんは僕を軽く睨みあげると、 「一樹くん、」 とお説教モードに入りかけた。 僕は皆まで言わせまいと、 「すみません。…でも、みくるさんと出掛けるのは僕の楽しみのひとつでもあるので許してください」 「…本当にもう……」 みくるさんは深い深いため息をつくと、そっと呟いた。 「可哀想なキョンくん…」 どうして彼が可哀想と言う結論になるのだろうと首を捻る僕の腕を軽く抓って、 「じゃあ、さっさと行って早めに帰りましょ。帰ったらすぐにキョンくんに電話して、ごめんなさいって言ってくださいね」 だからどうして何に謝らなければならないのか分からないままでは謝罪も意味を持たないと思うのですがと言う言葉を無理矢理飲み込んで、 「仰せのままに」 と僕は頷くしかなかった。 デパートに向かう間も、みくるさんは困惑顔だった。 むしろ、申し訳なさそうに見える、わずかばかりながらも青褪めた顔に、僕は首を捻り続けるしかない。 どうして、と問うのは簡単だ。 でもきっと答えてはもらえないし、呆れられるだけだ。 それに、僕が自分で気づかなければならないんじゃないかという気もしていた。 問題は、僕が自分で思っている以上に鈍いらしいということだ。 答えが出るまでに一体どれだけかかるんだろう。 考えながらみくるさんの顔を横目でうかがうと、やっぱり晴れやかと言うには程遠い表情をしていた。 楽しんで欲しかったはずなのに、どうしてこううまく行かないんだろう。 僕はため息を吐かないように気をつけながら、慎重に息を吐き出した。 ところで、みくるさんに機嫌を直してもらうのは意外と簡単だった。 というか、やっぱり彼女と僕は似通ったところがあるのだと思う。 デパートの催し物会場いっぱいに満たされた甘い香りを感じ、色とりどりの美味しそうなお菓子を見るなり、みくるさんは喜色に頬さえ赤くした。 「わぁ…本当に凄いですね」 嬉しそうに言ったみくるさんに頷き、 「何から買いますか?」 「えぇっと……」 きょろきょろと会場内を見回すみくるさんに、僕は入り口付近に置いてあったリーフレットを渡した。 「これでお目当てのところをまず探しましょうか。どうします? 個数限定のところから回ってみますか? それとも、何かこの場で食べられそうなものを買った後、並ぶことにしましょうか」 「うぅん、悩んじゃいますね」 嬉しくて贅沢な悩みにしばらく頭を抱えたみくるさんは、 「とりあえず何か買いましょう。こんなにいい匂いがしてるのに我慢なんて出来ません」 と言って可愛らしく小さなベイクドチーズケーキを売っている店の場所を指差した。 「あたし、これが食べたいです」 そう言って、そのまま人混みへ突進して行きそうなみくるさんに僕は苦笑して、 「はぐれちゃいますよ」 とその手を握った。 そうして、放っておくと迷子にでもなってしまいそうなみくるさんをちゃんとお目当ての店へ案内すべく歩きだそうとした時だ。 くんっと服の裾を引っ張られた感じがした。 誰かの荷物が引っかかったのかと思いながら振り返るとそこには、泣き出しそうな顔をした彼がそこにいた。 昨日も思ったのだけれど、彼はいつのまに尾行の技術を身につけたのだろうか。 「あ、の……」 奇遇ですねと返すことも、どうしたんですかと問うことも出来ないまま言葉を失ってしまった僕以上に、みくるさんは察しがよかったらしい。 ぱっと僕の手を放すと、彼のプライドを刺激しないようにだろう、出来るだけ彼の顔を見ないようにしてあげながら、 「ごめんなさい、キョンくん」 と言い、それから僕に向かって、 「またね、一樹くん」 と言って、僕の手から取り上げたリーフレット共々、人混みの中へ消えてしまった。 残された僕は途方に暮れかけながら、 「とりあえず、移動しましょうか」 と、昨日と似たようなことを言った。 こくん、と頷くのがやっとと言った様子の彼の手を引いて人混みから離れ、人気の少ない会場の隅へ行き、少々古めかしいベンチに腰を下ろした。 昨日ベンチに座った時よりも距離が近いのは、それだけのことがあったということなのだけれど、すぐ近くに座った僕に、彼は戸惑うような視線を向けた。 「…どうしたんですか?」 意を決してそう問うと、戸惑いの視線は非難めいた厳しいものに変わった。 彼の眉が寄せられる。 けれどそれは、怒りにというよりもむしろ、涙を堪えるためのように思えた。 「……お前、俺のこと、好きだって言ったよな…?」 「言いましたよ」 どうしてそれを確認するんだろう、と思いながら同意すれば、 「なのになんで、朝比奈さんとデートするんだよ…!」 搾り出すような声でそう言われてしまった。 でも、 「デートじゃありませんよ?」 「どう見たってデートだろ!」 小さく怒鳴った彼の目からぽろりと涙が零れた。 昨日彼があれだけ見るなと言った涙が。 彼は袖でそれを拭いながら、 「若い男女が待ち合わせして、一緒にデパートに来て、楽しそうに話しながら買い物するのが、デートじゃなかったら、なんだって言うんだ」 「ただのお出かけ、ですよ」 何故ならデートは恋人同士じゃなければそうとは言えないはずだ。 僕とみくるさんの関係はそんなもんじゃない。 ただのお友達、親友、仲間、だ。 「それはちゃんと昨日も説明したでしょう? 僕はみくるさんと付き合うフリはしましたけど、実際に付き合ったことなんてありません」 「だ、けど…っ」 同じことを繰り返そうとする彼に、僕は軽く眉を寄せた。 どうして分かってくれないんだろう。 「デートじゃないんです。…どうして、そんなことを言うんです?」 「そうにしか、見えないからに、決まってんだろ…!」 泣きじゃくりながら、彼は決して僕にすがろうとはしなかった。 僕のせいで泣いているんだから当然かもしれないけれど、それが酷く悲しく思えた。 「見える見えないで言うなら、なんだってそうなってしまいます。重要なのは事実でしょう。…僕はそんなに信用なりませんか」 悲しさを押し隠そうとして放った言葉は妙な苛立ちを伴って僕の耳に響いた。 僕でさえそう思うのだから、彼にはもっとそう聞こえたに違いない。 びくりと身を竦ませた彼が、怯えるように僕を見た。 「すみません」 反射的に僕はそう謝っていた。 「少し、言い過ぎました」 「……」 黙ったまま、彼は僕から目をそらし、床を見つめた。 「なあ、」 彼は呟くように言った。 「…本当に、デートじゃないのか? 付き合ってないのか?」 「ええ、本当です。僕が愛しているのはあなただけですよ」 はっきりとそう言ったのに、彼はまだ微笑んでくれなかった。 涙で目を潤ませたまま、 「なのに…っ、俺ばっかり、好き、みたいで、……ムカムカしてくる…!」 「僕もちゃんと好きです」 「嘘吐け…」 「嘘じゃありません」 そう繰り返しても、彼はふるふると首を振った。 どうしたら信じてもらえるんだろうか。 考えながら、ふと、思った。 なんと言うのだろうか、どうして彼がそんなにこだわるのか、その理由について、少しだけ思い当たることがあったのだ。 「あの、違ったらすみません」 そう前置きして、僕は彼の顔をのぞきこむようにして言った。 彼の反応を見逃さないように、と。 「…もしかして、デートしたい、ん、です…か?」 「……え」 一瞬絶句した彼の顔が、真っ赤に染まる。 赤くなった顔も可愛い、なんて思ったことをそのまま口にしたら、彼は喜ぶのか怒るのか。 少なくとも余計に照れて、顔を赤くすることは間違いないだろう。 しばらく言葉が出ない様子で口をぱくぱくさせていた彼は、 「――っ、も、もう、この、バカッ!」 と真っ赤になったまま僕に怒鳴った。 その返事じゃ、したいのかしたくないのか分からない。 これだから僕は不器用だとか言われてしまうんだろうか。 僕の戸惑いを見透かしたように、彼は深いため息を吐き、 「……分かった」 と心底納得行った様子で呟いた。 「お前はホンっ………トウに鈍いんだな」 そう力を入れて言わなくてもいいと思うんですが。 「だって、本当のことだろうが。――俺だって、そりゃ、お前と一緒に出歩いたりしてみたいって、思わないでもないけどな、……お前の、別の友達と、一緒のことなんて、したくない」 不貞腐れるように言われ、僕はほとほと困り果てた。 一緒のことはしたくないと言われても、だったらどうしろって言うんだろう。 「だから、」 苛立ちを隠そうともせず、彼は言った。 「お前が朝比奈さんとしてないことをしたいんだ。…一体これまでにどんなことをしたんだ?」 「これまでに…ですか?」 「ああ。隠さず答えろよ」 みくるさんとしたこと、か。 今日みたいにお出かけするのも何度もしているし、一緒にお茶をしたり、ああ、うちで一緒に料理をしたこともあったっけ。 誕生日にはお互いプレゼントをしあったりもしたし、一緒にうちで映画を見たりもした。 「……お前な」 彼は苛立ちも怒りも通り越してしまったのかのように、ぐったり脱力しながら言った。 「…それで本当に付き合ってないって言えるのかよ」 言えるでしょう。 「みくるさんは、あくまでも友人であって、彼女じゃありませんから」 「それもムカつく」 「はい?」 「なんで俺のことはろくに名前で呼ばないくせに、朝比奈さんとは名前で呼び合うんだよ」 「それは、切り替えのためです」 僕と彼女の間には立場上、大きな隔たりがある。 公私を混同してしまわないように、僕たちはそうやって区別をつけなければならない。 本当なら、そんなことをしなくても、彼女との友人付き合いを誰に気兼ねすることもなく続けていけたなら一番いいのだろうけれど、それは実現出来ないことだ。 だから、と説明する僕の話を聞いているのかいないのか、彼はぼそりと、 「…もう何も残ってないのかよ」 「あの……別に、同じことでもいいとは思いませんか? あなたとみくるさんでは同じことをしても違うでしょうし、感じる楽しさも絶対に違うんですから」 「――本当にそう思うか?」 と上目遣いに僕を見た彼は、本当に犯罪的に可愛かった。 目元がまだ潤んでいるせいもあって余計に頼りなく、可愛らしく見える。 これはきっとあばたもえくぼなんてものではなく、間違いない事実として彼がそうであるということなのだろう。 僕は他の誰にもそんな顔を見せていないことを祈りながら、 「ええ」 と請負った。 ほっとしたように微笑む彼に僕も胸を撫で下ろしたのだが、 「……だが、やっぱり同じは嫌だ。俺だって、お前の初めてが欲しい」 どこか不穏当なものを感じさせる言葉に戸惑う僕の耳へ、彼は唇を近づけ、 「…これから、ちょっと付き合え」 「え? ええ、いいですよ。勿論」 結局デートで満足してくれるのなら何よりだ。 でも、それも結局はみくるさんとしたことと同じことに入るんじゃないだろうか。 少なくとも、彼の分類に従えば。 首を傾げ続ける僕の腕を痛いほどに掴んだ彼は、 「いいから、鈍感男は黙ってついて来い!」 と言い放った。 僕は一体どこに連れて行かれるんだろう。 |