茶会



ハルヒが九曜の手を握り、九曜は俺の手を握り締めているので、三人手を繋いで並んだ状態になって歩いていた。
「こうやって九曜と歩くのは初めてだな」
と言いながら九曜を見つめると、九曜はこっくんと頷いた。
どことなく嬉しそうに見えるのは俺の気のせいではあるまい。
もうちょっと九曜や有希と気軽に散歩でも出来りゃいいんだろうがな。
ああ、いっそバケーションシーズンになったら、どこかにつれてけと三人がかりでねだってみるか。
そうすれば、ちょっと人が来ないような穴場的ホテルなり別荘なりあいつなら知ってそうだし用意も出来そうだ。
うん、楽しそうだな。
覚えておこう。
そうやって、あいつに金を使わせるようなことをねだれるようになっているというのはいいことなのか、悪いことなのか、ちょっとばかり判じかねるのだが、あいつに聞けばまず間違いなく喜ぶと思うので、とりあえずはよしとしよう。
そんなことを楽しく考えていた俺に、ハルヒは眉を寄せて、
「初めてって…あんた、普段はどうしてるのよ」
「あー…基本的に家の中にこもってるな。出ても庭くらいか」
買い物も人任せだし、散歩にも出辛いし。
「何それ。あんた引きこもり?」
「別にそうなりたい訳じゃないんだがな…」
「プランツが二人もいるってところで相当なお金持ちだとは思ったけど、あたしの想像以上みたいね」
「そうか?」
「そうよ。…あんた、それでいいの?」
「うん?」
ハルヒは珍しくも深刻そうな顔をして俺を見つめ、
「自由に出歩けもしない、閉じ込められたような生活でいいわけ?」
「…別に、閉じ込められてるわけじゃないんだが」
ただ単に、出入りの手続きが煩雑なのと、下手に出歩いて殺されそうになるというのが怖いだけで。
「ま、あんたは前から怠惰だったもんね」
意地悪く言ったハルヒは、
「それに、あんたが気に入るような相手だもん。よっぽど変な奴に違いないわ!」
「…頼むから俺の好みのタイプは変な奴だという噂をこれ以上拡散してくれるな」
そんなのは根も葉もない戯言だ。
「そう?」
「ああ、そうだとも」
もっとも、古泉も変といえば相当に変な奴ではあるのだが。
「そうよね。あんたに彼女がいたりしたことなんてないんだし」
「お前と付き合ってると誤解されるせいだろうが」
「あら、でもあたしには彼氏がいたこともあるわよ?」
「5分限定とかでな」
軽口の応酬をしながら適当に歩いていると、しばらくぶりというだけで随分と街並みが懐かしく思える。
「多少変わったな」
「そうね。新しいお店が増えて、雰囲気もよくなったわよ。……ちょっと寂しいけどね」
「いつもの喫茶店は?」
俺が問いかけると、ハルヒはにまっと笑った。
「勿論無事に決まってるじゃない。あそこが閉めるなんて言ったら、断固反対してやるわ!」
お前が反対するにしたって、店の都合でやめるならしょうがないだろうに。
「何言ってんのよ。どんな理由であれ、あたしは全力でバックアップするわ。あそこだって、部室なき今、あたしたちの大事な場所のひとつなんだからね!」
「…そうだな」
ハルヒがそういうならなんとでもなっちまいそうなところが怖い。
「そうだわ、せっかくだからあそこでお茶にしましょ。みくるちゃんも呼んでさ」
「ああ、そりゃいいな」
朝比奈さんがいれば、九曜に女性らしさの勉強をさせることも出来るだろう。
ハルヒじゃ全く参考にならんが、朝比奈さんなら違う。
そう考えるだけで口にしなかったってのに、ハルヒはむっと眉を寄せて、
「気持ち悪い顔」
と唸った。
悪かったな、気持ち悪くて。
「もう……みくるちゃん呼ぶのはやめようかしら」
「お前な…」
「あんたが変な顔するからいけないんでしょ。九曜ちゃんの教育にも悪いわよ」
不貞腐れた顔で言っておいて、ハルヒはポケットから端末を引っ張り出し、
「あ、みくるちゃん?」
と電話を掛け始める。
しばらく話した後、
「そう、いつものところで。うん、待ってるわ」
と切ったということは、
「朝比奈さん、来れるのか」
「たまたま近くにいるって。あたしたちも急ぎましょ。待ってるって言ったのに遅れたりしたんじゃ、みくるちゃんが困っちゃうわ」
「だな」
店を覗き込みながら途方に暮れる姿が目に浮かぶ。
俺は九曜の手を強めに握り、
「九曜、少し急ぐぞ」
と抱き上げた。
ハルヒはまだ九曜の手を握ったままだが、構わんだろう。
二人して足を速めながら、
「あんたって、本当に九曜ちゃんが可愛くてしょうがないって顔してるわ」
と呆れているのかからかうつもりかよく分からん調子でハルヒが言った。
しかし、
「そんなもん、当然だろ」
可愛い娘なんだからな。
「…あっそ」
小さく笑って、ハルヒは俺を追い越す勢いで歩き出す。
「おい、」
「早くしなさいよ。みくるちゃんを待ちぼうけなんてさせたくないでしょ」
仕方がないからほとんど走る寸前みたいになりながら、いつもの喫茶店を目指した。
それだけ急いだ甲斐があったということか、喫茶店に朝比奈さんの姿はなく、俺たちはいつもの指定席、ということになっている席に座った。
「流石にくたびれたな」
言いながら九曜を席に下ろすと、九曜は物珍しそうに辺りを見回した。
まあ、そりゃあ珍しいだろうな。
「九曜はホットミルクだけにしとくんだぞ」
そう言い聞かせながら、俺もメニューは見ずにホットコーヒーに決める。
「ハルヒは?」
「そうね…。久しぶりだし、ケーキとか頼んでやろうかしら」
「…勝手にしてくれ」
どうせ俺が払うんだろ、と諦めつつ、ハルヒが真剣にメニューを睨んでいるのを眺めていると、
「遅くなりました」
と鈴を鳴らすような声がして、朝比奈さんがやってきた。
高校生の頃は本当に小さくて可愛らしかったのだが、その後背も伸び、体つきもぐっと大人らしくなったため、久しぶりに会うと余計にどきりとさせられる。
本当に魅力的な大人の女性だ。
しかし、中身は相変わらずの、どこか危うい、少女らしい人である。
「全然遅くありませんよ。まだ注文もしてないくらいですから」
「よかった」
と笑った朝比奈さんは、
「キョンくん、久しぶりね」
と花のほころぶように微笑した。
男で一番華やかかつ綺麗に笑うのは古泉だと思っているのだが、女性で一番はやはりこの方だろう。
思わず見惚れている間に、朝比奈さんはハルヒの隣りに腰を下ろした。
そうして軽く身を乗り出して、
「その子がキョンくんの…?」
ときらきらした目で聞いてくる。
「ええ、俺の娘の九曜です」
「可愛い…」
そう言った朝比奈さんは優しく九曜を見つめているのだが、九曜は恥かしそうに顔を背けた。
そのまま俺の背中に隠れようとするので、俺は苦笑して、
「すみません、人見知りする奴なんです」
と朝比奈さんに言ったのだが、朝比奈さんは気を悪くした風もなく、
「いいんです。それに、うふ、そうやって隠れてるのも可愛い」
とにこにこ笑って言ってくださるのでこちらとしてもほっとした。
ハルヒがケーキセットとアプリコットティー、朝比奈さんが同じくケーキセットにダージリンティーを頼んだところで、のんびりと近況報告らしいものが始まる。
当然、俺は結婚というか婚約の報告をさせられるわけだ。
「…今度、古泉一樹ってやつと結婚することになりました」
と朝比奈さんにこう改まって報告する、というのがなにやら気恥ずかしいものがあるのだが、
「古泉一樹…って……」
と驚かれ、更に恐縮する。
「ええと…多分、その古泉一樹です」
「…凄い人と結婚するのね」
感心したように呟かれるとなにやら余計に恥かしい。
「まあ…なんというか、縁があったみたいで……」
苦笑しながら頭を掻いた俺に、朝比奈さんは柔らかく微笑した。
「キョンくんが幸せならいいと思います」
「…ありがとうございます」
「幸せにならなきゃダメよ!」
と言い切るのは当然ハルヒだ。
「キョンはこれでもSOS団員なんだし、その団員が不幸になるなんてこと、団長としては見過ごせないわ。古い2Dの映画であったみたいに、式場からかっさらってやるんだから!」
「勘弁してくれ」
そう返しながらも、そんな風に心配してくれるのはありがたい。
だがな、
「そんなもんは取り越し苦労もいいところだと思うぞ」
「……そう?」
「ああ。…少なくともあいつ自身が俺を不幸にするなんてことはないな」
「…そう断言出来るなら、信じてやってもいいわ」
そう言ったハルヒを、九曜はじっと見つめていた。