幼なじみ



一度遊んだだけで、有希も九曜も妹によく懐いた。
「やはりあなたと似たところがあるからでしょうか?」
と古泉は言ったが、どちらかというとうちの妹は古泉に似てる気がするんだがな。
「そう、ですか?」
戸惑うように首を傾げる古泉に、
「どっちも子供っぽいだろ」
にやりと笑ってやれば、面白がるように笑った古泉は、
「あなたの前では、ですけどね」
……なるほど。
しかし残念だったな。
「それはうちの妹も同じだ」
「そうなんですか?」
「ああ。家族の前以外では、あれでもきちんとやってるらしいぞ。元から面倒見は悪くないしな」
「それはやはり、あなたの教育の賜物でしょうね」
「うちの親のしつけの問題だ」
「あなただってきちんとするように言ったんでしょう? …僕にもそうするように」
「……そりゃな」
「では、あなたのおかげで僕と妹さんが似てきたということで」
「あほか」
というか、なんでこんな話になってんだ。
…ああそうだった。
「せっかく懐いたんだし、どうせ元々お前が出張なんかでいない時には九曜をつれて実家に帰っていいって話だったんだから、そうしていいよな?」
という確認がしたかったんだ。
「勿論構いませんよ。ご両親によろしくお伝えください」
そう微苦笑を見せた古泉は、明日から出張が決まっている。
先日、テロ騒動のおかげでダメになった埋め合わせだとかで、やはり一週間ばかり留守にするのだという。
二日や三日の出張ならともかく、一週間も九曜と二人だけで過ごしてはカビが生えそうだし、そんな時間が勿体無くもあるからな。
俺も今度こそ実家でのんびりさせてもらうことにした。
その旨を実家にメールしようとしていたところで、そういう話になったわけだ。
「精々、いい旦那なんだってアピールしといてやるよ」
実家へのメールを打ちながらそう言った俺に、古泉は少しばかり寂しそうに笑って、
「そうですね、是非ともよろしくお願いいたします。…僕はどうやら、あまり心証がよろしくないようですから」
「あー……」
それは否定も肯定も出来んな。
俺は少し考え込んでから、ぽふりと古泉の肩に自分の頭を寄せ、
「…俺が急かしたりしたせいだ、すまん」
と小さく謝ったし、反省もしているのだが、後悔はしていない。
そうしなければどうにかなりそうなほど、俺はこいつを好きなんだと自覚しちまったのだ。
他に手段はなかったし、たとえあったとしてもそれを思いつくのを待つ余裕すら、俺にはなかった。
だから、後悔はしない。
してはいけないとも思う。
だから、とそう謝った俺に、古泉は優しく微笑して、そっと俺の頭を撫でてくれた。
「謝らなくていいんですよ。僕のせいも大きいんですからね」
「……だな」
お前がもっと普通な身の上ならよかったのに。
「あなたのその、お金や権力なんてものに執着しないどころか、むしろ嫌悪すらしてそうなところが好きですよ」
からかうように笑った古泉に俺は軽く眉を寄せ、
「実際、面倒なばかりだろうが。お前が金を持っててよかったってことは、有希と九曜を迎えられたことくらいだ」
「そして、あなたと出会え、暮らせることですね」
甘えるように囁いて、古泉は俺にそっと口付ける。
「…メール打つ邪魔なんだが」
「すみません」
苦笑しながら、
「あなたといると、どうしてももっとくっついていたくなるんです」
と恥かしいことを恥ずかしげもなく言ってのけた。
「……ばか」
毒づきながらも、急いでメールを打ち終えるってのはなんなんだろうね。
頼むから、俺には聞いてくれるなよ。
まあそんなこんなで、俺は実家に打診の上、実家に帰ることになったわけだ。
出発する間際の古泉が散々愁嘆場を演じてくれたことは言うまでもない。
あまりの酷さにこちらとしてはむしろ冷めたし引いた。
泣きそうな情けない面をした古泉に抱き締められ、
「僕も気をつけて、ちゃんと帰ってきますから、あなたも気をつけてくださいね」
とずびずび鼻でも鳴らしそうな声で言われた俺は、喉元まで出かかるため息と罵りの文句とを抑えながら、背中を撫でさすってやる。
「ああ、分かってる。…早く行って、早く帰って来いよ」
「はい…」
「ほら、しゃんとしろ。そんなぐずぐずじゃ人前に出られんだろ?」
「うー…」
「…そういうのは、俺の前だけでな」
少しばかり恥かしいのを我慢して言えば、古泉は嬉しそうに笑って、俺に口付ける。
「はい。…頑張ってきますね」
「おう、その分は……まあ、帰ってきてからいくらでも聞いてやるし、甘やかしてやるからな」
「ふふ、そう思うと出張も楽しみになりますね。頑張ってきます」
そう言ってようやく俺から離れた古泉は、九曜のことも抱き締め、
「いってきますね。お母さんのことを頼みますよ?」
といくらか悪戯っぽく、しかしながら実に真剣に頼み、九曜もゆっくりとした動作ながらもしっかり頷いた。
俺も有希に、
「頼りないお父さんをよろしくな」
と頼む。
こくんと頷いた有希を抱き締め、
「行ってこい」
と二人を見送った。
「行ってきます」
と悲愴に告げて出て行った後、俺と九曜も荷物を抱えて家を出る。
すぐに出ると、古泉を見送る秘書課のおねーさん方やら、ほかの社員と鉢合せしちまって、気まずくなるからな。
十分に間を取り、それでも人目を避けてこそこそと、俺は九曜の手を引いて、会社を出た。
前とは少しルートを変えて、会社を出るなりすぐ、頼んでおいたタクシーに乗る。
そこそこの出費になるが、これくらい痛くも痒くもなければ、少々の出費よりも安全性重視というのが古泉という男なので、俺もそこは折れることにした。
何より、まだ駅も改修作業中で、代替のやつは使い勝手がいまいちだという話だからな。
古泉に与えられたカードを使って支払い、タクシーを降りれば、もう家に上がりこむだけだった。
「ただいま」
と声を掛けながらドアを開けると、
「お帰りっ! 遅かったじゃない」
と言われたが、
「…どうしてお前がいるんだ、ハルヒ」
「あんたが帰ってくるって聞いたからに決まってるでしょ」
悪びれもせずに言ってのけたハルヒにはため息が出る。
「全く……」
嘆かわしい、と呟いた俺の手を、九曜が不安げに握ってくる。
「あー…、九曜、大丈夫だ。とりあえずこいつはこれでも悪い奴じゃないから、心配は要らん」
「あんたね…」
とハルヒが不満を露わに言ってくるのは軽く無視して、
「こいつは、俺の幼なじみで、中学以来、部活の部長みたいなもんだったんだ」
部員が少なくて同好会以下の謎のサークルだったがな。
まだ訝しげにハルヒをみていた九曜だったが、何かしら感じるものがあったらしい。
俺の手を離すと、深々と綺麗なお辞儀をして見せた。
「ああ、そうだな、ちゃんと挨拶しなきゃならなかったな」
えらいぞ、と頭を撫でてやる俺を、ハルヒはしげしげと眺め、
「その子があんたの娘ってプランツ?」
「ああ、九曜だ。こいつの姉に有希がいる」
「ふぅん…。プランツ・ドールを見るのは初めてだけど、本当に人間みたいね」
言いながらハルヒは屈みこみ、九曜と目の高さをあわせる。
そうしてにっこりと微笑むと、
「あたしは涼宮ハルヒ。SOS団団長よ。あなたのお母さんはうちの団員なの。だから、あたしがしっかり面倒をみてあげるわ」
何が「だから」なのか全く分からん。
しかしながら、小さい子供に対してハルヒが意外なまでの面倒見のよさを発揮することはよく知っているので、心配は要らないか。
たまには俺や古泉以外の人間と接するのもいい刺激だろう。
俺は苦笑しながら、ハルヒに九曜を任せ、自分の部屋に入る。
半ば物置と化しつつあるそこでも、一応俺の部屋だ。
荷物を下ろし、ちょっとばかり整理しておく。
洋服の入替とかな。
ほかにもあれこれ持って行きたいデータの類を取り込んだり、あるいは誰かにうっかり見られるとまずそうなものを削除したりして、それこそ嫁に行く準備などしていると、階段を誰かが上がってくる音がして、ドアが開いた。
顔を覗かせたのは九曜だ。
「どうした? ハルヒは遊んでくれなかったのか?」
九曜は小さく首を振り、そのくせ甘えるように俺に抱きついてくる。
俺は九曜を抱き締めてやりながら、
「やっぱりなれないところだと不安か?」
と聞くと、九曜はやはり首を振る。
じゃあなんだろうか、と少し考え、
「…恥かしい、のか?」
と尋ねると、九曜はちょっとの躊躇いの後、かすかに頷いた。
なるほど。
有希と違ってパーティーなんかに出てる訳じゃない分、九曜は人見知りをしちまうらしい。
先日は俺の家族ということもあったし、古泉や有希もいたから平気だったのだろう。
逃げてきた九曜を追ってか、膨れた顔をしたハルヒまでやってきた。
「九曜ちゃん、あんたと一緒じゃなきゃ嫌みたいよ」
「そうらしいな」
「…むかつくくらい嬉しそうな顔して……」
恨めしげに呟いたハルヒは、俺の膝に移動した九曜の瞳を覗き込みながら、
「……可愛いわね」
と言った。
「当然だろ。俺の娘で、愛情をこれでもかってくらい注いで育ててるんだからな」
「よく言うわ」
そう呆れたように言っておいて、ハルヒはにやりと笑い、
「九曜ちゃんと一緒に買い物にでもと思ったんだけど、その様子だとあんた同伴じゃなきゃだめみたいね。さっさと支度して行くわよ」
と高校時代と変わらぬ暴君っぷりを見せたが、それだってある種の親愛の情の表れだ。
それが分かるようになった俺はにやりと笑みを返し、
「お前とのデートも久しぶりだな」
と聞きようによっては酷い誤解を招きそうな冗談を口にすると、ハルヒは悪戯っぽく笑って、
「久しぶりにお茶をおごらせてあげるから、喜びなさい!」
なんて返しやがった。
やっぱりこいつの方が一枚上手だ。
しかしながら、こいつとこうやってやりあうのも大学を卒業して以来だと思うとなかなかに懐かしく、楽しい。
「九曜が飲めるように、ホットミルクを出してくれる店を頼むぞ」
言いながら俺は九曜を膝から下ろそうとして、心配するような瞳にぶつかった。
九曜、心配なんて要らないんだぞ。
「お前のお父さんは、俺が友人とお茶をするくらいで妬くような狭量な男じゃないからな」
ところがそうでもなかったと知ったのは、それから二週間ばかりが過ぎてからのことだった。