九曜は、他の少女たちとは勿論、有希と比べても変わったプランツだ。 まず、非常に鈍臭い。 反応も鈍ければ動作も鈍く、首を傾げる間にも、頭に蝿が止まりそうなくらいだ。 それでも可愛く思えてしまうのはやはり、俺が親馬鹿というものに成り果てていると言うことだろうか。 「九曜は可愛いですよ」 黙れ親馬鹿2号。 「いいじゃないですか、僕たちの娘なんです。可愛く見えて何が悪いんです? それに、たとえ鈍くても、九曜が来てからいいことばかりでしょう?」 「例えば?」 「有希がお姉さんらしくなりました」 それは古泉の言う通りではある。 九曜がこんなだからか、はたまた妹が出来たからなのか、有希は随分とお姉さんらしくなった。 九曜の分のミルクを温めてやろうとしたり、九曜の着替えを手伝ってやったり、九曜の量が多くて長い黒髪をせっせと櫛で梳いてやったりと、甲斐甲斐しいことこの上ない。 元から、古泉の面倒を見るのに余念がなく、随分と世話焼きタイプだと思ってはいたのだが、九曜の鈍さを見るに見かねてか、更に拍車が掛かっている。 時には、読み聞かせているつもりなのか、九曜と一緒に絵本を読んでいることもあるくらいだ。 有希と九曜の気が合うか、非常に案じていた俺としては、こうなって本当にありがたいと思っている。 「それに、九曜を見ていると癒されません?」 「うん?」 「あののんびりとした動きを見ていると、こちらも穏やかな気持ちになれるんですよね。不思議と、動作の遅さに苛立つようなことはなくて」 「ああ、なるほど、そういう意味か。それは確かにあるかもな」 たとえるなら、水槽で飼ってるくらげを見ているような気分だ。 あのシルエットもあいまって、ゆったりした気分になれる。 古泉が帰ってきたのを出迎える時なんかは、有希が素早く玄関に走り出ていくのに対して、九曜は間に合わないので最初からリビングに向かい、古泉が落ち着いた頃になってふわりと抱きつくのも、案外可愛かったりする。 「何より、九曜が来てくれたおかげで、あなたをひとりにしなくて済むようになりました」 「だからって、置いてけぼりを食らうのが面白くなくなったわけじゃないんだがな」 わざとそう言ってったってのに、古泉は本気にしたのか、悲しげに目を伏せて、 「すみません。極力あなたと一緒に過ごしたいとは思ってるんですが…」 「分かってる。忙しいんだろ? パーティーだなんだと接待で忙しいのは若干不愉快ではあるが、まあ、社長が資金繰りで忙しくしてるよりはずっといいさ」 「…ありがとうございます」 そう言って、古泉は小さく微笑むと、俺のことを抱き締めた。 「本当は、行きたくないんですよ? わざわざ遠方のレセプションへの出席なんて。新しく業務展開する地域でもなければ断るところです。あんな肩の凝ること、したくありませんからね。いっそ、あなたを同伴出来るのであれば、また気分も違ったとは思いますが…」 「そういうことは、せめて正式に婚約してから言ってくれ」 「…すみません」 泣きそうにしょげ返った古泉は、実はまだ、俺の両親への挨拶すら出来ていなかったりするのだ。 状況がそれを許さないと言うか、敏腕若社長は忙しいのに加えて、案外足元の地盤が不安定なため、うかつに動けないと言うことらしい。 生まれついての一般庶民の俺には分からん世界だが、そういうこともあるということくらい、今となってはよく分かる。 「一週間だったよな? 俺は九曜を連れて実家に帰ることにするから、退屈はしなくて済むだろ。だから、気にするな」 「…はい。せめて、迎えに行きたいんですけど……」 「ばか。お前の方が遠征になるんだ。無理するな。くたびれた顔で俺の家族に会うつもりじゃないだろうな」 「だめですか」 「…挨拶に行くつもりなら、万全の準備を整えて、びしっとしたところを見せてやってくれ。紹介する俺の立場もあるんだ」 「…分かりました」 俺は古泉にそろりと口付けて、 「いつまでだって、待ってやるから、焦るなよ」 「…ありがとうございます」 と、まあ、そういうことがあった夜から数日後の話だ。 予告通りに、旅装ながらもびしっと決まりきっていて隙の欠片もない格好をした古泉と有希が玄関に並んで立っているのを、俺と九曜が反対側で並んで見送ることになった。 「本当に、あなたたちを置いて行きたくはないんですけど…」 「分かった、もう何度も言われて聞き飽きた。お前の誠意もじゅーぶん通じた。だからさっさと出てけ。いい加減タイムリミットだろ」 「なんでそんなにあっさりしてるんですか」 と古泉は泣きそうな情けない面になっているが、俺にしてみれば、なんでたかだか一週間の出張如きで今生の別れみたいになってるのか聞きたいくらいだ。 「飛行機が落ちるかもしれないじゃないですか」 「お前が乗るのは飛行機じゃなくて最新鋭の長距離移動型エアカーだろ。大体、大昔と違って今時飛行機も落ちやしないんだ。馬鹿なこと言ってないでさっさと出てけ」 「冷たいですよ…」 「どっちがだ」 こんなもん、ちょっと前のお前と比べたらどうってことないだろ。 「…せめて、お見送りのキスくらいしてもらえません?」 「……仕方ないな」 俺は期待して目を閉じた古泉に、ではなく、その隣りで突っ立っていた憐れな有希の頬にキスをしてやった。 「気をつけてな」 こくんと頷く有希の頭を撫でて、歪んだ帽子をきちんと整えてやる。 それからやっと、情けなさを極めつつある古泉に視線を戻し、軽くその首に腕を巻きつけた。 「…早く行って、早く帰って来い。分かったな?」 と言って、その唇に触れるだけのキスをしてやった。 「…はい。行ってきます……」 それでもしょんぼりと肩を落として出て行く古泉が心配でないといえば嘘にはなるのだが、あいつのことだ。 下のフロアに下りた頃には、いつものように隙の欠片もない社長になってるだろう。 「俺たちも、行くか」 九曜に声を掛けると、ゆるゆると俺を見上げた九曜が、これまたゆっくりと顎を引いて、肯定を示した。 古泉を見送る連中とかちあわないように時間を空けようとするまでもなく、九曜のペースに合わせてゆっくり歩けば十分間隔が空いた。 こういうのもある意味便利だな。 「どうせ急ぐわけでもないからな。のんびり行くか」 ゆっくりと肯定を示した九曜を連れて、ビルを出た俺たちは、いたって一般人らしい顔をして、地下鉄のターミナルを目指す。 「九曜は地下鉄は初めてだよな?」 こ………っくん、とでも言う感じのゆっくりした動きで九曜が頷く。 「っていうか、プランツは子供料金でいいのかね」 人形だからと言って無料とはいかないだろうし、そもそも俺の方が、そんな風に九曜を荷物扱いするような真似をしたくない。 とりあえず、体重からしても身長からしても、子供料金でいいだろう。 そう思いながら、俺が地下鉄のターミナルへ降りる階段へ足をかけようとした時だった。 何かが俺を引っ張り、俺は弾き飛ばされるように地面に転がった。 「なっ…!?」 そこに響いたのは、轟音だ。 爆発音とも土砂崩れの音とも付かないような。 「え……」 巻き上がった物凄い粉塵の中、それでも俺には見えた。 俺を守るように立ちはだかる、小さな少女の姿が。 「九曜……?」 声を掛けると、九曜は振り返って、そして、小さくだがはっきりと笑った。 嬉しそうに、満足そうに。 誰かを守ること、それが九曜の役目だからなのだろうか。 それにしても、こんな時に笑うなんて、とても悲しい笑みに思えた。 あんなに幸せそうな笑みなのに、だ。 「…今のは……なんだ? 地震とかの災害なのか?」 九曜は首を振った。 いつもより動きが速い。 「じゃあ、まさか……俺が狙われて…?」 違う、と九曜はもう一つ首を振る。 後になって分かったことなのだが、この時は本当に偶然巻き込まれただけだったらしい。 起きたのはよくあるテロの類であり、俺は危うくその巻き添えで命を落とすところを九曜に助けられたということだ。 それでも、この時の俺には何が起きたのかさっぱり分からなかった。 呆然としている俺の手を取り、九曜は俺を立たせた。 そうして、俺が怪我をしていないのを確かめると、もう一度にっこりと微笑む。 「…九曜……」 俺は何も言えなかった。 何か言ってやれるような気持ちですらなかった。 ありがとうと伝えたい。 しかし、申し訳ない気持ちも強かった。 どうして、九曜はこんな風に作られてしまったのかと、悔しくてならなかった。 今更九曜や有希の機能をいじることは出来ないと聞いてはいる。 そうすると、その記憶も個性も変質してしまうのだと。 だが、それでも、九曜や有希が普通の、血生臭さや硝煙の匂いのない少女になれるなら、それでもいいんじゃないかとさえ、思えた。 俺は九曜を抱き締めて、少し、泣いた。 「ごめんな、九曜……」 九曜は不思議そうに俺を見る。 「…ありがとな」 そう言うと、今度は微笑む。 それでも、役目を思い出したのだろう。 九曜は俺の手を引いて歩き出す。 向かっているのはどうやら家らしい。 あそこなら確かに安全だろう。 俺は九曜の小さな手の平を握り締めながら、ビルへと走った。 社内もやはり騒然としていたが、専用のエレベータで最上階まで上がると、喧騒は遠くなった。 ただ、土煙やどうやら火が出たらしい黒煙ははっきりと見える。 「…酷いな」 一体何が起きたのか分からなくても、被害の大きさは予想がついた。 うちの社員もよく使う駅だ。 死傷者が出てないといいのだが、そうもいかないだろう。 せめて、死者が出ないことを願いながら、俺は煙を避けるようにして九曜と共に家の中に入った。 九曜はまだ警戒を解いていないらしく、いつもの鈍重さは欠片もない。 きびきびと辺りを見ている。 俺はそんな九曜の様子を見ながら、据え置き型の端末に手を伸ばす。 何が起きたのか、気になったからだ。 テレビをつけると、既に生中継が始まっていた。 この様子なら、あっという間に世界中にニュースが広がるのだろう。 俺は端末を叩いて、簡単に、無事を伝えるメッセージを古泉に送った。 この状況だから、多少ネットワークが混雑している可能性もあるが、遅れてもちゃんと届くだろう。 しばらくして、返事があった。 それもメッセージのみじゃなく、音声付きで。 『大丈夫ですか!?』 慌て切った古泉の声に笑えたのは、ほっとしたからなんだろう。 「お前、外だろ? そんな声出していいのか?」 敏腕社長のイメージが崩れちまうぞ、と笑えば、 『そんなこと言ってられませんよ。……本当にご無事なんですね?』 「ああ。…危ないところだったが、九曜が助けてくれた」 『よかった……』 安堵の息を吐いた古泉は、それでも少し厳しい調子で、 『こんなことになりましたから、出張は中止にします。うちの社員も巻き込まれている可能性がありますし、早急に救援のための人員を割く必要があります。ですから、これからすぐに、帰りますから、』 「阿呆。うちに帰ってどうする。ちゃんと社長室に行けよ」 と言ってやると、古泉も小さく笑ってくれた。 『では、合間を見てなんとかそちらにも顔を出しますから』 「ああ。……待ってる」 思った以上に切ない声が出て悔やむ間もなく通話は切れた。 そうかと思うと、俺の個人用の端末がメッセージの着信を告げる。 お袋からだ。 安否を問うそれに、無傷だということと、こんなことになったから帰れそうにないということを伝えておく。 九曜はというと、安全を確認出来たということなのか、疲れたようにソファで横になっていた。 「大丈夫か?」 こくんと九曜が頷く。 その深い瞳にはなんの感情も読み取れない。 「ありがとな。お前のおかげで助かった」 礼を言って九曜を抱きしめると、九曜の瞳は嬉しそうに輝いた。 でも、笑わない。 有希も九曜も、よほどでなければ笑ってくれない。 九曜は特に、緊急用の情報に容量を取られているとでも言うのか、日常の動作さえ覚束ない。 それが二人の作られた理由のせいかと思うと悲しくなる。 だが、存在理由まで悲しいものにはしたくない。 いつか、二人が普通に笑って過ごせるようにしたい。 いや、そうしてみせると誓いながら、俺は九曜の小さな体を抱き上げ、ベッドに運んで寝かしつけた。 |