何気なくニュースを見ていると、古泉の姿が映し出された。
これは、うちの会社に関連する情報を拾い集めてくるように古泉によって設定されてるからなのだが、それにしてもただの社長としてとはいえ度々登場する古泉を見ていると本当に忙しいんだなと呆れたくなる。
労いたいと思うのを通り越して、強制的に休暇を取らせてやりたくなるくらいだ。
家にいる時とは大違いの、敏腕社長らしい古泉の姿をぼんやりと眺めながら、俺はまだ知り合ったばかりの頃のことを思い出していた。
あの頃の古泉は、本当に……なんというか、どうしようもなかった。
いや、今だってどうしようもないのだが、方向性があまりにも違う。
今のを甘ったれでどうしようもないのだとすると、昔は取り付く島もなくてどうしようもなかった。
顔には作り笑いを仮面の如く貼り付けて、口を開けば余計なことがついて出る。
…そんな厄介な時代もあったのだ。


ほんの2週間ばかり出入りしただけで、社長…じゃなくて、古泉の不健康な生活は俺にもよく分かった。
俺が顔を合わせるのは本当に、朝と晩の2回、それも多くて2回なのだから、偉そうなことを言うのはどうかと思ったのだが、それでもよく分かるくらい、古泉の生活は酷かった。
朝はギリギリまで眠り、睡眠不足か疲労かはたまた低血圧によるものなのか原因はよく分からんものの、不機嫌な面でシャワーを浴び、無理矢理鬱陶しさを洗い流した後、会社に向かう。
朝食を取る様子はない。
朝起きて、家から出るまでの間に余裕めいた行動があるかと思ったら、長門に対する挨拶くらいだったのだが、これもどうやら、本当にしたくてしているのかは怪しかった。
なんせ、毎日やってることも言ってることもほとんど同じなのだ。
まるで、用意された台本通りに過ごしているだけのような、おかしな生活を古泉はしている。
帰りは大抵遅く、早く帰っても書類がセットで付いて来て、書斎に立て篭もる。
そういう日は、夕食すら食っているのか怪しい。
遅い日は本当に遅くて、俺は長門を寝かしつけた後、仕方なく先に帰ることもしばしばだ。
むしろ、そういう日の方が多い。
だからと言って古泉が遊んでいると言うのではなく、社長として激務に追われているのだろうということくらい、社会人になりたての俺にだってよく分かった。
だから俺は、少しでもマシな生活が送れるようにと俺なりに気を遣ってみたってのに、古泉の態度はむかつくことこの上なかった。
「忙しそうだな。…体は大丈夫なのか?」
少しばかり早く帰ってきた古泉にそう声を掛けてやると、古泉はにっこりと微笑んで見せた。
「大丈夫ですよ」
その反応に、俺が安堵した瞬間、古泉は笑顔のままで、
「あなたはいい人ですね」
ともう一つ持ち上げた上で、
「お給料の前借でも必要なんですか?」
…と、来やがったのだ。
一瞬、意味が分からず、唖然とする俺に、古泉は年寄りのニワトリが立てるような音を立てて笑い、
「冗談ですよ」
と言ったが、目が笑っていなかった。
いや、笑っていなかったのはもしかすると疲れていたせいなのかもしれないのだが、はっきりと馬鹿にされたように感じた俺は別に被害妄想持ちでもなんでもなく、普通の人間のはずだ。
その時古泉相手にぶちきれずに済んだのは、俺の忍耐力が強かったと言うわけではなく、ひとえに、俺があまりのことに呆然としてしまったからであり、その間に古泉がさっさといなくなったからでもある。
そんなことがあったので、俺は極力古泉に余計なちょっかいを掛けないようにしていたのだが、長門に対する態度をめぐってちょっとばかりケンカ染みたことをやらかしたとなると、その態度を貫くわけにはいかなくなった。
いや、そうじゃないな。
これで、今度こそちゃんと世話も焼けるし、古泉だって流石に毒を吐きはしないだろうと思ったのだ。
ところがである。
古泉はそれでも相変わらず余計な一言を忘れなかった。
「古泉、お前も朝飯をちゃんと食え」
早めに叩き起こし、風呂にぶち込んでシャワーを浴びさせた古泉にそう言うと、古泉はテーブルに広げた朝食を見て、柔らかく微笑んだ。
作り笑いではないらしい、どこかあどけない笑みにほっとしたところで、
「とてもおいしそうですね。家庭料理なんて初めてです」
と言われ、俺もついつい笑みを浮かべた。
「栄養バランスもちゃんと考えて作ってみたから、ないとは思うが、嫌いなものとか苦手なものがあってもちゃんと食えよ?」
そう言うと、古泉は微妙な形に笑みを歪めた。
「これ、食べられるんですよね?」
……殴るぞ。
「す、すみません」
慌てて謝ったものの、訝しげな目で眺められては不快だ。
「あんまり言うと食わさんぞ」
「ええと、そのことなのですが…」
申し訳なさそうな顔をして、
「毒見なしで食事を取ってはならないときつく言われてまして……」
「毒見だと? お前、まさかとは思うが俺がお前に毒を盛るとでも思ってるのか?」
だとしたら殴るくらいじゃ済まさんぞ。
「いえ、僕はそう思ってませんけど、言われてることは言われてることですし……それに、毒を盛る手段なんていくらでもあるんですよ。あなたすら知らない間に、何か盛られてる可能性がないと、どうして言えるんですか?」
苛立ちながら、俺は吐き捨てる。
「ないだろ。大体、俺は毎日ここで食ってるんだぞ?」
「そうでしたね。…大丈夫ですか? 体調が悪くなったりは…」
「するわけねーだろ! お前は一体何考えてるんだ!」
当時、事情をよく知らなかった俺はそう言って、
「俺の作った料理が食べたくないなら、はっきりそう言えばいいだろうが!」
と怒鳴ると、そのままダイニングから飛び出した。
無性に腹が立ったのは、妙なことを言い出して煙に巻こうとする古泉の態度のせいかも知れないし、あるいは、そうやってわけの分からないことを言って食べてもらえないことが悲しかったのかもしれない。
やっぱり古泉は分かってない、と苛立たしく思った。
この調子じゃ、長門とちゃんと接することが出来るようになるまで当分かかるぞ、と思った俺の判断は正しく、それから優に半年ばかりを費やすこととなったのだった。


キスをされて目が覚めて、目を開けるとそこには古泉の締りのない笑顔があった。
「ただいま帰りました。遅くなってしまってすみません」
「ん…」
まだ寝とぼけながら、俺は古泉の頭に手を伸ばし、軽く撫でてやる。
「お前も頑張ってるよなぁ…」
「…どうしたんですか?」
きょとんとした顔をしている古泉に、俺は小さく笑う。
「別に、大したことじゃない」
不器用だったお前を思い出しただけだ。
「…ああ、昔のことですか」
「昔って言うほど前じゃないだろ」
「もう大昔みたいなものですよ。…まだ、僕が人間として不完全にもほどがあって、あなたにも有希にも辛い思いをさせてしまっていた頃のことでしょう?」
そう言って困ったように顔を歪めた古泉に、出来るだけ優しい声で言ってやる。
「そんな顔しなくていいから」
「…はい」
くすぐったそうに笑って、古泉は俺を抱き締める。
本当に、こいつの感情表現はストレートになった。
今思うと、あの頃のこいつは、ビジネス上のものでしか人との接し方を知らなかったのだろう。
だから、あんなに回りくどくて、皮肉な言い方しか出来なかった。
今は、驚き、呆れるほどに真っ直ぐで、こっちが照れ臭いくらいだ。
「あなたが教えてくださったんですよ」
そう言って古泉は俺を横抱きに抱え上げると、俺にキスをした。
行き先が寝室であることは言うまでもなく分かっている。
でも俺は、諦めて古泉の首に腕を絡めて、
「…明日、ちゃんと朝起きれる程度にしておけよ?」
と言うに留めた。
あの頃と比べたら、今の方が多少鬱陶しくても、ずっといいに決まってるからな。