俺たちは、地下にある専用駐車場で専用車に乗り込み、裏からこっそりとビルを出た。 本当はそんな大仰なことは苦手なのだが、流石に先日あんなことがあったばかりだったので、反発出来るはずもなく、大人しく従うしかなかったのだが。 実際、古泉が危ない目に遭うと分かっていながらわがままを言えるはずもなく、だから、表面上は平静を保っていたつもりだったのだが、古泉は申し訳なさそうに、 「すみません。窮屈ですよね」 「いや、広いだろ」 無駄に、と付け加えたくなるほど。 「そうじゃありませんよ」 と古泉は苦笑し、 「あなたが堅苦しいことや大袈裟なことが嫌いなことはよく分かっていますから」 「……お前も大変だよな」 思わず呟くと、古泉は苦い笑いを見せたものの、 「だからこそ、あなたに出会えたんですから、もういいんです。それより、」 と古泉はいくらか難しい顔をして、 「やはり色々と手配した方がよさそうですね」 「何がだ?」 「あまり考えたくはないんですが、もし、あなたに危害を加えようとする人間が出たら、と思うと恐ろしくてならないんですよ」 笑って言ったが、本気でそれを案じているのだろうと言うことはその表情だけで分かった。 「まあ確かに、お前の大事な人間ってことなら、襲撃するだけの価値は出てくるだろうな」 全く、厄介な奴に気に入られたもんだ。 「…後悔してますか?」 軽く唇を噛んで俯いた古泉に、俺は笑う。 「するわけないだろ」 手を伸ばし、古泉の頭を軽く撫でてやると、古泉はほっとしたように口元をほころばせた。 「で、買い物自体はどうするんだ?」 そっちもぞろぞろとボディーガードを連れ歩かなきゃならんのか? 「いえ、それは大丈夫でしょう。…僕に死んでもらいたいと思っている人は多くても、それがあからさまな他殺では嫌なようですからね」 殺人未遂だけでも、相続権を失うもんだからな。 「ですから、事故に装えないようでは困る、ということのようですよ。おかげで、人の多い場所ではあまり心配はありませんね。これがパーティーなどになると逆に、毒を盛られる可能性があって気が抜けないのですが」 ああ、それで有希を同行させてるのか。 思わず寄りそうになった眉を伸ばして、俺は有希を見た。 有希は外出着であるいつものドレス姿よりは少しおとなしく、ベルベットのワンピースを着て、ちょこんと座っている。 それなのに人形らしくは見えないのは、俺の目が有希の表情を読み取れるようになったから、だろうか。 今の有希は、買い物を本当に楽しみにしているらしい。 先日は最後の最後で台無しになっちまったからな。 今度はちゃんと楽しめるといいんだが。 …いや、楽しめるようにしないとな。 「有希、」 と俺が声を掛けると、有希が軽く目を上げてこちらを見た。 「何か欲しいものはあるか? 見たいものでもいいが」 戸惑うように有希が俺を見て、古泉も案じるように小声で俺の名前を呼んだ。 古泉の言いたいことは分かっている。 有希にはそんな質問じゃ答え辛いって言うんだろ? だが、これくらいなら大丈夫だ。 俺はそう答える代わりに古泉に小さく笑いかけ、それから有希に返事を促した。 「何かあるか?」 「……」 当然のように黙ったままの有希が、こくりと頷く。 「じゃあ、それが何か、先に当てられた方が勝ち、ってのでどうだ?」 と古泉に言ってやると、古泉はきょとんとした顔で俺を見た。 「え?」 「有希、お前は頷くか首を振るかして返事をしてくれ。分かるな?」 分かった、と頷く有希に、俺は質問をする。 「じゃあまず質問だ。それは欲しいものか見たいものかで選ぶなら、欲しいものか?」 頷く有希。 「よし、じゃあ今度は古泉、」 「はい?」 なにやらまだ訳が分かっていない様子の古泉に、 「お前の番だ。有希に質問するか、有希の欲しいものが分かるなら、その名前を言ってみろ」 「ええ?」 「…お前、こういうゲームもしたことないのか?」 俺なんかは、小学校の頃なんかに授業でやらされたもんだが。 「すみません」 「謝らんでいいから、さっさと質問しろ。言っておくが、出来るだけ具体的な答えを出せるようにしろよ」 「分かりました」 笑って頷いた古泉は少しの間考え込んだかと思うと、有希に聞いた。 「それは、有希さんが使うものですか?」 少々の躊躇いの後、有希は頷いた。 使う、とは言い難いということだろうか。 俺は首を捻りつつ、 「同じようなものを持ってるか?」 と聞く。 返事は頷きだ。 「それは、有希さんだけが使うものですか?」 ふるふると有希がかすかに首を振った。 有希だけが使うんじゃないってことは、 「俺も使うのか?」 こくんと有希が頷く。 「僕も使いますか?」 これまた頷く。 俺たち三人が共通して使うもの……? さて、一体何のことだろう。 首を捻りながら、 「毎日使うものか?」 と聞いてみると、長門が頷いた。 「ええと、毎朝使うものですか?」 これも肯定。 「昼も使うか?」 肯定。 「夜も…ですか?」 肯定。 ……朝昼晩と使うもの? 「他の時間にも使うか?」 そう聞くと、なにやらしばらく躊躇った後、頷いて首を振った。 はっきりそうとは言えない、ということだろうか。 つまり、使う時と使わない時があるということなのだろう。 「毎日欠かさず使いますか?」 頷く有希。 さて、一体これは何なんだ? 左右に首を傾げ傾げ、俺はふと思いついて聞いてみた。 「持ち運べるものだよな?」 肯定。 「じゃあ、使う場所は限定されませんよね…」 と古泉が独り言のように呟くと、有希は首を振った。 うん? 限定されるってことか? それで、ピンと来るものがあった。 「有希、それ、台所で使うものじゃないか?」 肯定。 「ああなるほど。台所用品なら、使う場所が限定されますよね」 そういうことだ。 感心したように呟いた古泉に同意してやりながら、 「しかし、それでもまだ多いよな。台所用品ってのは色々あるんだから」 「そうですね」 と笑った古泉だったが、 「有希さん、それを使うには電気は必要ですか?」 と質問した。 なるほど、うまいな。 答えは否定だったが、少しずつ絞っていける。 「それは器か?」 肯定。 おお、随分狭くなったな。 そう思ったところで、車が止まった。 目的のショッピングモールに着いたのだ。 「答えは分からないままだが、目的地は決まったな」 「ええ、食器を見て回らなければなりませんからね」 俺たちは有希を挟むようにして歩き始めた。 手を繋いでいるのは、有希のためでもあるし、そうしたかったからでもある。 有希の顔を覗き込むようにして話しかけつつ歩く古泉は、とても優しい顔をしている。 社長としての顔とは全然違うそれに、俺もつい目を細めた。 歩きながらも、質問は続け、最終的に俺たちは、えらく高級な陶器店のカップコーナーに立っていた。 「要するに、ミルクを飲むカップが欲しいんだよな?」 頷く有希。 「それは、僕たちとお揃いのものがいいんですよね?」 これまた肯定。 「全く、」 俺が思わず笑い出しながら呟くと、有希は心配するように俺を見たが、別に文句を言いたいんじゃないんだぞ? 「可愛い娘だよ、本当に」 そう言ってしゃがみこみ、有希を抱き締めてやると、有希のまとう空気がふわりと軽くなった。 古泉も手を伸ばし、有希の頭を撫でる。 嬉しそうにする長門を見ると、こっちまで嬉しくなるな。 「さて、どのカップがいい? 言っておくが、俺にはどこのがいいとかそういうのはさっぱりだからな。強いて言うなら、使うのに緊張しない程度の値段のやつがいいんだが、お前らの生活するからすると無理だよな?」 「ふふ、すみません」 謝っているようだが、その笑顔からして本気じゃないんだろう。 有希は少し申し訳なさそうだが、高級品じゃなきゃならないって言うのなら仕方ないんだろ。 「そんな顔はしなくていいんだぞ?」 「そうですよ、有希さん。さっきのは彼なりの表現で、僕たちに自分の分も選んで欲しいと言っていただけのことなんですから」 それはその通りなのだが、古泉にそう言われるとなにやらイラッと来るのはどういうことだろうな。 「照れないでくださいよ」 照れとらん。 「照れてるだけ、でしょう? ……それとも、本当に嫌ですか? 僕なんかに、分かったように言われるのは」 「古泉?」 何でお前そんないきなり落ち込むんだ。 扱い辛い奴だな。 俺は思わず渋い顔になりながらも、軽く古泉の頭を撫でてやり、 「阿呆。……自信満々に言い放ったら、最後までそのペースを保てよ」 「すみません」 苦笑した古泉だったが、俺の言いたいことはちゃんと伝わったらしい。 やれやれ、とため息を吐きながら有希に視線を戻そうとして、 「……うん?」 と首を傾げる破目になった。 「有希はどこに行った?」 「え? …おや、いつの間に……」 気がつくと、有希がいなくなっていた。 全く、いつの間にいなくなったんだろうな。 まさか、誘拐ってこともないだろう。 何せ有希は、ただの女の子でもなければただのプランツでもないんだからな。 「他のものでも見に行ったのか?」 まさかとは思うが、俺と古泉のやりとりが恥かしくて見ていられなかったなんて理由で席を外したんじゃなければいいのだが。 きょろきょろと辺りを見回して有希の姿を捜し求めていると、有希はどういうわけか、ひょっこりと店の外から戻ってきた。 「有希」 慌てて駆け寄ると、いつもと同じきょとんとした顔でこちらを見る。 「心配するからいきなり消えんでくれ」 驚くだろ、とため息を吐くと、有希が申し訳なさそうに俺を見つめた。 そうして、謝るように頭を下げる。 「…分かったら、今度から気をつけてくれ」 まあ、有希がいることも忘れて話し込んでた俺たちも悪いんだろうが。 有希も分かってくれたんだろう。 それからは、いきなりいなくなったりはせず、熱心にカップを見つめていた。 俺には覚えられないような名前の工房によって作られたカップを見つめながら、有希と古泉は会話らしいものを続けている。 「そうですね、このデザインはいいと思います。しかし、使い勝手はどうでしょう?」 とか、 「ええ、非常に愛らしいかと。しかし……少々、我々が使うには恥かしいものが…」 とか、聞こえてくる。 こう書き出すとまるで古泉が反論してばかりのようだが、古泉が勧めるものを有希が首を振る動作一つで却下したりもしているのだ。 結局、選ばれたカップはなかなか立派なティーカップだった。 口は広く、薄いので口当たりもいいだろう。 他のゴテゴテとレリーフ染みた装飾がなされていないのもありがたい。 色違いで3セット揃ったのもラッキーだった。 白地に薄っすらと小さな花の模様が描かれたものが、有希の分。 薄い緑に同じ花模様が描かれているのが古泉の分で、俺のは薄い青だ。 花柄、というのが少しばかり恥かしかったが、本当にさり気なく描かれているので、許容範囲ではある。 ぼんやりしながら支払い終えるのを待っていると、どういうわけか有希が心配そうに俺を見つめ、戻ってきた古泉も眉を下げて俺を見た。 「…やっぱり、楽しめませんか?」 「え?」 何でそう思うんだ? 「いえ……、浮かない顔をしておられるように見えたものですから」 「…ああ、いや、別に楽しくないわけじゃないんだ。不安があるって訳でもない。ただ、」 と俺は苦笑して、正直に答えた。 「俺は本当に、お前らとは住む世界が違うんだな、と思ってな」 「そんな…」 「実際そうだろう?」 不安そうな顔をする二人に、俺は笑う。 「別に、だから離れたいってんじゃない。むしろ逆だ」 「逆……ですか?」 分からない、とばかりに首を傾げた古泉に、俺は小さな声で答えを与えた。 「…それなのに、出会えたのが嬉しいって思ってんだよ」 「…っ、僕も、嬉しいです!」 感極まったように叫んだ古泉にかわす間もなく抱き締められ、有希にまで抱き締められる。 「お、おい、人目があるんだぞ!?」 通り過ぎる人の視線が痛い、というか、生温いのが逆に居た堪れない。 それでも二人はなかなか俺を解放してくれず、俺たちはしばらくの間まるで見世物のような状態になったのだった。 |