基本的に俺の仕事は古泉の不在の間、長門の世話をすることである。 だから、必然的に俺の休日は古泉の休日ということになる。 古泉が休みで、長門の面倒を見れる時だけ、俺は休めると言うわけだ。 その理屈で行くと朝だって古泉がやればいいような気もするのだが、あの寝穢い男が長門の世話を焼けるほど余裕を持って自力で起床できるはずもないのだから、俺が早起きを強いられても仕方ないのだろう。 どこか釈然としないが、その分本当に報酬は弾んでもらっているのでよしとしたい。 俺が通うようになってようやく半年ほど、古泉に朝飯を強要するようになってからすら数ヶ月が過ぎた最近では、古泉もすっかり俺のやり方に慣れたらしく、出来るだけ早く帰って来て長門と一緒にいてやれと言う俺の命令を聞き、帰宅時間が少しずつ早くなってきている。 おかげで俺は残業が減ったのだが、どういうわけか、古泉が帰ってきたからと言ってすぐに帰ることはせず、せがまれるまま夕食を二人分こしらえたり、夕食後に古泉が帰ってきた時にはコーヒーなんぞ飲みつつ古めかしいアナログゲームに興じたりするようになっている。 気分はすっかり、仕事と言うより友人の家に遊びに来たついでにそこの家の幼い妹の面倒を看ているという感じだ。 古泉と長門は、持ち主と人形という関係からすると主従に近いようなものがあるはずなのだが、慣れていくに従ってそれがどうも、頼りない兄としっかり者の妹というように見えるようになってきていた。 長門は少し教えればすぐに覚えるし、覚えたことは忘れないので、古泉のためにバスルームまで着替えを運んでやったり、食事の支度が出来たことを伝えに行ったりと甲斐甲斐しいことこの上ない。 逆に古泉は、いつまで経ってもミルクの温め方は不十分だし、長門に世話を焼かれっ放しである。 どう見ても、兄妹という感じしかしない。 普通なら、こんな人形とその持ち主なんて言ったら、イメージだけで既に耽美の世界に入っちまいそうな気がするってのに、そんなものは勿体無いまでにありやしねぇ。 古泉が少しの恋情もない目で、ひたすら優しく長門を見つめるからだろうか。 あるいは長門の方がなにやら使命感らしきものに燃えているからだろうか。 深い事情を知らないままの俺にはよく分からないが、しかし、これはこれでいい関係のように、俺には思えていた。 そんなある日のことである。 俺が出勤すると、珍しくも古泉が起きていて、ソファで寛いでいた。 しかし、長門が着替えていないところを見ると朝食前ではあるらしい。 「急に休みになってしまったんです」 と古泉は苦笑混じりに言った。 「あなたに連絡を、と思ったのですが、本当に急なことだったので、僕のところにもついさっき連絡が来たところだったんですよ。もうあなたはご自宅を出てしまっている頃でしょうし、どうせなら一緒に朝食を食べるくらいいいかと思ったんです」 「まあ、それくらいいいが……。俺も臨時休暇ってことでいいのか? たまにはお前もひとりで出かけたいとか言うなら、長門を看ててもいいが……」 「別にいいですよ。僕も長門さんと一緒にいたいですし。ね?」 と古泉が言うと、長門は頷いて、思い出したように古泉の膝にちょこんと座って、古泉をぎゅっと抱き締めた。 うむ、可愛い。 「可愛いですね」 そんな風に素直に呟けるようになった古泉にも安堵しながら、 「じゃあ、とりあえずは朝飯か」 と俺は調理に取り掛かる。 まだ着替えてないからスーツのままだが、エプロンをすれば大して汚れもしないだろう。 今日は古泉もすっきりと目覚めているようだし手早く、と思いかけて俺はふと気がついた。 こいつがいまだかつてこんなにも爽やかに起きていたことがあっただろうか? いや、ない。 むしろありえないとすら言ってやったっていい。 俺は古泉を振り返り、遠慮の欠片もなく睨みつけ、 「…お前、さては徹夜しただろ」 古泉は表情を変えもしないでしばらく俺をじっと見つめ返した後、悪戯がばれた子供のように笑い、 「………ばれました?」 「ばれるわ!!」 むしろばれないとでも思ったのかと罵ってやりたい。 「まさかと思うが、臨時休暇のために夜通し働いてたとかじゃないだろうな?」 「いえ、結果的にそうなりましたけど、狙ってそうしたわけじゃないんです。ただ、持ち帰った書類の処理をしているうちに段々テンションが変な感じに上がってしまいまして、気がつくと翌日の分も終らせて、ついでにやらなくてもよかったはずの企画書が完成してしまっていたので、今日一日暇になってしまったんです」 ………。 「言って、いいか」 「はい? なんでしょうか」 「休みをくれたのは当然森さんだよな?」 「そうですよ。僕の生殺与奪のほぼ全てを握ってるのは彼女ですからね」 さらりと恐ろしいことを本気の口調で言っているが、それにツッコむ以上に言いたいことがある。 「……それ、休みをくれたっていうより、休めって言われたんじゃないのか?」 一応状況を理解しているのだろう、古泉は気まずげに目をそらし、 「…そうですね」 「…っ、ちゃんと休めこのアホ古泉! つうか寝ろ!!」 と怒鳴った俺に長門と古泉が揃って首を竦めた。 すまん長門、お前を驚かせたかったわけじゃないんだ。 ただ、このアホに我慢が出来なくなっただけで。 「で、でもせっかくのお休みですし…」 「体を休ませるのも休みにしなきゃならんことだろうが。ただでさえ馬鹿みたいに休みなく働いてるくせに何やってんだ」 「…じゃあ、せめて、昼まで休むってことにしませんか?」 「はぁ? なんで昼までなんだ?」 休むならきっちり休めばいいだろうが。 俺なら徹夜なんぞしたら一日中でも眠りたいところだ。 しかし、古泉にとっては違うらしい。 「あなたと僕が一緒に休めるなんてことは滅多にないでしょうから、長門さんも連れて、三人で出かけてみたいと思いまして。…だめですか?」 上目遣いに俺の顔色をうかがってくるんじゃない、気色悪い。 それでも社長か。 俺は古泉を睨みつけつつ、 「…三人でどこに出かけるっつうんだ?」 「そうですね…。食材を見に行ってもいいですし、この家の中で必要なものがあればそれを買いに行ってもいいでしょう。僕としては、長門さんの服を買いに行けたらと思うんですが、どうですか? 是非あなたに選んでもらいたいと、彼女も思っているはずですが」 言われて長門を見ると、きらきらした水晶のような瞳がじっと俺を見つめていた。 これは……一緒に行きたいという意思表示に他ならないんだろうな。 そんな期待の輝きに溢れる瞳に俺が逆らえるはずもなく、俺はがくりと脱力しながら、 「……分かった。から、朝飯を食ったらお前はすぐに寝ろ。昼まででもいいから寝ろ。分かったな?」 「了解しました」 と古泉はにっこり微笑んで了解した。 全く、なんでこうなるんだか。 というわけで、手早くという大義名分の下、いくらか手抜きの朝飯を古泉に食わせた後、俺たちは古泉を早急に寝室へと運び込んだ。 「さっさと寝ろよ」 「あまり眠れそうにないんですが……」 「それでもいいから寝ろ。目を瞑ってりゃそのうち眠れるだろ」 「…案外ムチャ言いますよね、あなたって」 くすりと笑った古泉が、一応は大人しくベッドにもぐりこんで見せたものの、本気で眠れないらしく、目をしっかり開けたまま俺を見つめ、 「……添い寝でもしてもらえませんか?」 と言ったので、俺はさっくりと、 「長門、寝言を言ってるってことはこいつはもう寝てるらしいから俺たちはさっさと出るぞ」 「あああ、待ってくださいよ。言ってみただけじゃないですか」 冗談だと言うなら俺のシャツを掴んで放さんその手を開け。 皺になったらどうする。 というか、 「添い寝ならいっそ長門に頼んだらどうだ?」 なあ、と長門に言えば、長門はこくりと頷き、まだネグリジェ姿だったのをいいことに、そのままいそいそと古泉のベッドに潜り込んだ。 おお、長門も乗り気じゃないか。 俺はにやりと笑って古泉に言ってやる。 「野郎の硬い体を抱き締めて寝るより、そっちの方がよっぽどよく寝れそうだろ?」 「…そうですね」 くすぐったそうに笑った古泉が大人しく目を閉じるのを確認し、 「おやすみ。…昼飯はもうちょっと手間のかかったもん作ってやるから、楽しみにしとけよ」 と言い残して灯りを消し、寝室を出た。 それからやっと着替えをして、俺はキッチンに立つ。 まだまだ時間はあるってことは分かっているが、長門もいないんじゃ時間の潰しようもない。 精々、滅多にしないくらい手間暇かけた昼食を振舞ってやろうじゃないか。 幸い、ここの冷蔵庫はいつだって勿体無いくらい食材が入れてある。 いつもなら遠慮して使わないところだが、今日は大盤振る舞いだ。 賞味期限の近い奴から優先するのは俺の生来の貧乏性による習性だから仕方ないが、品数を多くそろえてやるつもりだから、十分贅沢なことになるだろう。 長門も食べられるならもっといいだろうに、と思ったところで俺はふと思い出した。 長門が食べるのは砂糖菓子とミルクだ。 つまり、砂糖とミルクで作れるものなら食べさせても平気なんじゃないだろうか。 ミルクが大丈夫なら生クリームやバターなんかも平気だろう。 ……よし、時間もあるから長門のためにも何か作ってやろう。 何かと言っても俺の思いつくのはミルクと砂糖しか使ってないようなアイスクリームくらいしかないわけだが。 今度機会があったら、卵や小麦粉もダメなのか確認してもらおうと思いながら、料理をするのは楽しいものだった。 古泉の分もそこそこ力を入れて作れたのは、長門の喜ぶ顔を想像したからだろう。 長門はどうやら、自分への特別扱いよりも古泉への特別扱いの方が嬉しいというような、健気な性格をしているようだから。 そうして俺が無駄なまでに精を出した豪華な昼食の完成に目処が立ち、昼を少し回ったところで古泉が長門に伴われて起き出して来た。 以前とは比べようもない寝起きのよさは、けたたましい目覚ましではなく長門に起こされるからなのかそれとも他に要因があるのか。 「おはようございます」 といくらか眠そうではあるもののちゃんと挨拶をよこしてきたので、 「よく眠れたみたいだな?」 と言ってやると、笑ってすら見せた。 「ええ、おかげさまで。睡眠時間の割に、目覚めもすっきりしましたよ」 「いいから、もっとちゃんと目を覚ますためにシャワー浴びて来い。あっついのをな」 「はい」 古泉は小さくくすりと笑ったが、その笑みもイヤミなものではなく、くすぐったそうな嬉しそうな笑みだった。 本当に機嫌がいいようだ。 長門は古泉をバスルームに連れて行った後、戻ってきて俺の手元を覗き込んでいる。 どうやら、手伝いたいらしい。 俺はその旺盛な好奇心にも似た長門の優しさに思わず目を細めつつ、 「これ、テーブルまで運んでくれるか?」 と小さめの皿をひとつ渡した。 頷いた長門は、慎重な手つきでそれを受け取ると、殊更ゆっくりと歩いてテーブルへ向かう。 かえって転んでしまわないのかとこっちがハラハラさせられるほどだ。 普段ならやりもしないテーブルセッティングに力を入れている間に、古泉もバスルームから戻ってきた。 「早かったな」 と声を掛けると、 「目は覚めていましたし、何より、あなたをこれ以上お待たせしたくもありませんでしたから」 とにこやかに返された。 俺にまで愛想笑いなんて振りまかなくていいと思うんだが、どうやら癖らしいので注意するのも諦める。 「俺じゃなくて、長門を、だろ」 と言ってやれば、古泉は笑いながら否定も肯定もせず、長門をそっと抱き締めた。 「彼のお手伝いをしてたんですか? いい子ですね」 よしよしと頭を撫でられた長門はくすぐったそうに目を細めている。 普段の様子からすると、古泉の方がひとりでちゃんと髪を拭いて出てきたことなんかを長門に褒められても不思議じゃないんだが、長門にしてみれば、これはこれで嬉しいようだ。 全く、微笑ましいね。 「あなたも、ありがとうございます」 なんて言いながら、古泉は俺のことまで抱き締めようとしやがったので、反射的に軽くだが突き飛ばした。 本当に軽くだ。 それこそ、拒否の意思を示す程度の抵抗でしかない。 それなのに、古泉はオーバーすぎるくらい悲しげにしょげ返ると、 「…だめですか」 と捨てられそうな子犬みたいに言いやがったので、俺は今度こそ脱力するしかない。 「お前な、普通俺まで抱き締めようとしたりせんだろ」 「どうしてです? いけないことだとは思いませんが。それに、愛情表現の方法としてハグを提案してくださったのは、あなたでしょう?」 「それは長門に対しての話だ。俺にまでせんでよろしい。大体、長門みたいに小さくて可愛い子ならともかく、俺みたいな可愛げの欠片もない野郎を抱き締めたって楽しくないだろ」 「そんなこともないと思いますけど」 と苦笑した古泉が、試すように俺を軽く抱き締めた。 まさかと思っていた俺の抵抗が遅れたのをいいことに、ぎゅっと力を込められる。 痛いぞ、っつうか、離せ。 「…いい匂いがします」 へらりと笑った顔は、頼むから外ではしてくれるなよと言いたくなるほど気の抜けたものだったのだが、どういうわけか、俺はそれを見つめたまましばらく動けなくなった。 それが見慣れないほど力の抜けた、作り物でない笑顔で、あまりにも珍しすぎたからだと思いたい。 ぽかんとした間抜け面をさらす俺に、不思議そうに小首を傾げた古泉は、そろりと俺を解放すると、 「どうしました? そんなに嫌でしたか?」 「え? …あ、ああ、いや……」 ごにょごにょと言葉を濁したものの、どう言えばいいのかすら分からなくなった俺は、 「ほら、さっさと席につけ。俺は空腹なんだ」 とわざとらしく乱暴に言って、古泉から離れた。 驚かされたせいでやかましい心臓に、らしくもなくうろたえながら。 |