待ちに待ったその日は朝から仕事で、古泉と二人して少し離れたスタジオまで出かけていた。 これは前から分かっていたことなので、作戦の実行は昼頃、待ち合わせをして、ということになっている。 弁当を断って早々にスタジオを後にした俺たちは、急ぎ足で駅に向かい、電車に飛び乗った。 予定通りに終ったので慌てる必要はないはずなのだが、それでも気が急く。 「なんかドキドキしてきたな」 と俺が呟くと、古泉も苦笑して、 「僕もですよ」 「そうなのか?」 ちっともそうは見えないな。 「見えないだけです。本当にうまくいくのか、これ以上厄介なことにならないかと気が気でないんですから」 「まあな」 俺は少しばかり苦いものを感じながら、目を細めた。 「しかし、なんとかなるって気がしないか? ただ代役を頼むってんなら見破られないか心配にもなるだろうが、まず心配はないだろうし、相手は何しろただの人間じゃなくて異世界人であり、時間旅行者みたいなもんだぞ」 「…そうですね。僕もなんとかなるような気はしますよ。彼に付与された属性がどうというよりもむしろ、彼が『あなた』であるからこそ、そう思いますね」 「……どういう意味だ?」 首を捻る俺に、古泉は小さく声を立てて笑い、 「あなたならなにがあっても大丈夫だという信頼があるってことですよ」 といくらかとぼけた言い方をしたが、 「…なにがあっても大丈夫だなんて強さは持ち合わせてないぞ」 そう呟いて、隣りに座った古泉の肩に頭を寄せる。 「お前がいてくれるなら大丈夫だとは思うが」 「……本当にあなたは…」 その後何を続けるつもりかと思ったが、古泉は言葉では告げず、ただ俺の頭を軽く撫でてくれただけだった。 そうこうするうちに、いつもの駅に着いたので下車し、早足で改札に向かう。 改札をくぐってから、携帯で用意してあった文面をジョンに向けて送信して、さてどれくらいで来るだろうかと思いながら、待ち合わせ場所の広場に続く横断歩道で信号待ちをしていると、 「よう」 と背後で声がした。 ぎょっとして振り向けば、そこにはジョンがなんでもないような顔で立っていた。 「心臓に悪い出方をするなよ!」 思わずそう咎めると、ジョンは苦笑して、 「悪かったな。お前らの近くに、と思ったらたまたまここに出ちまっただけなんだ。それより、」 と笑みを悪戯なものに歪め、 「女の子らしく喋らなくていいのか?」 「…いつもこんなだからいいんだよ」 「だが、今日は人に見せつける必要があるんだろ? だったらいっそ、言葉遣いからきちんとして、より女の子らしく振舞った方が仕草やなんかにもそれが出るんじゃないか?」 ジョンの言葉には一理ある。 あるんだが、少しばかり抵抗があるのはジョンの前だからだろうか。 それとも普段、古泉とデートをするにしても関係者でない人間以外の前ではこういう風に喋っているから今更直すのが気恥ずかしいとでもいうのだろうか。 戸惑う俺に、古泉は柔らかく微笑して、 「僕もそうした方がいいと思いますよ。女性らしく話すあなたは一層女性らしく見えますし、何より僕もあなたのハスキーな高音の響きが好きですから」 「……じゃあ、努力する…」 恥かしさに顔を赤らめながら小さく返事をすると、ジョンはにやりと笑って、 「ああ、その方がよさそうだな」 などと言う。 「お前な…」 「まあいいからとっとと行こうぜ。昼飯も食べずに来たんだろ? 俺も腹が減ったから、どこかで何か食べさせてくれ」 食べさせて、というのは、今日こうして付き合わせるからには飲食費なんかはこっち持ちにさせてくれとこちらが頼んだからの発言である。 それにしても、そんな台詞を図々しさを感じさせることなく無邪気に言ってのける辺り、こいつもある意味凄いと思うのだが、 「あなただって、おねだり上手じゃないですか」 と古泉が意地悪く笑いやがるので、 「うるさい」 と額をぺちりとやっておいた。 「キョンも笑い過ぎ」 軽く睨むと、小さく肩を震わせていたジョンは驚いたように俺を見た。 「…何よ」 「いや、案外高い声が出るのに驚いた」 「……慣れの問題よ」 「……後、やっぱりハルヒの影響は受けるんだなとしみじみとな」 「…は?」 「ハルヒみたいな喋り方になってるぞ」 そう指摘したジョンはくっくっと笑い、 「まあ、毎日のようにがんがんまくし立てられてりゃ、嫌でも染まるか」 「……というか、苛立たしいのに朝比奈さんのように愛らしく話せるほど、あたしは人間が出来てないだけの話だと思うんだけど」 「いや、ハルヒっぽいのも悪くはないと思うぞ。そもそも、女の子みたいに喋れと言われてオネエにならないってだけでも感服ものだな」 「馬鹿にしてるでしょ」 「してない」 馬鹿にされてるとしか思えん、と黙り込めば、古泉が面白い顔をしているのに気がついた。 「……どうかしたの?」 「いえ…ね」 古泉は笑っているようでいて悲しんでいるような、ピカソの絵だかピエロのメイクだかにたとえたくなるほど複雑な顔をしたまま呟いた。 「…大変仲がよろしくて羨ましくなりました」 ……お前な。 呆れたのは俺だけではなかったようで、 「何言ってんだか。お前らの方がよっぽど仲がいいだろ。俺は相当当てられる覚悟をしてきたんだぞ」 とまでジョンは言った。 「大体、お前とKは付き合ってんだろ? それも結構長いこと。そのくせこれだけいちゃいちゃ出来るんだったら、ライバルになり得ない人間が少々仲良く話そうが堂々としてろよ」 それには全く同意する、と頷けば、古泉はいくらか悲しみの色を増やしながら、 「それでも、妬けますよ」 と言ったんだが、ああもう、なんだこいつ。 「…可愛いこと言わないでよ」 文句を言いながら頭を撫でてやれば、古泉は恥かしそうに顔に赤味を足しつつ、 「可愛くはないと思いますよ」 と言うのだが、 「可愛いだろ」 とジョンも同意したが、 「お前は分からなくていいってば」 「……あー…なんつうか、お互いやきもち焼きでごちそうさま?」 ジョンはよく分からないコメントをしておいて、少しだけ足を速めた。 適当に選んだのはちょっとしたカフェで、土曜でもランチがそこそこ手頃な値段で楽しめる店だから何度か利用しているところだ。 しかしジョンにはあまり気に入ってもらえなかったようで、 「こんなおしゃれがましいところで飯とか…食った気がしなさそうだな……。が、お前らには似合う」 「別にこれくらい普通だと思うけど? あんまり文句言うと、もっと高級なレストランのランチにするわよ」 「それは勘弁してくれ」 慌てて頭を下げるジョンに笑いながら食事をするのもなかなか楽しかった。 食事の後は、とにかく人目につくところを選んで買い物をすることにしていたので、予定通りにする。 商店街だとか駅前付近をうろつけば、嫌でも北高生の目に止まるだろう。 ジョンは俺の隣りをだらだら歩きながら、 「女の買い物は大抵長くなると決まってるらしいが、お前はどうなんだ?」 と聞いてきた。 さて、どうだろう。 「んー……他のことはそうでもないと思うんだけど、身につけるものに関しては、時間が掛かるかも知れないわね」 「ああ、服とか?」 「服は特に、どうしたって体型が違う分、サイズが合うかどうか試着してみないと分からないから時間が掛かってるんじゃないかしら。アクセサリーもあれこれ吟味するから。…化粧品は案外すぐ決まるけど」 「そうなのか?」 「だって、自分の肌の色とか合う色、ほしい色は決まってるし、メーカーも大体同じところにするから。新色が色々出てると多少迷うけど、冒険してみるか定番にしておくかって程度なら、男物の服を選んだりするのと同じようなもんでしょ?」 「なるほどな」 と納得したジョンは、 「じゃあ今日は何を見ることにするんだ? 時間が掛かるのは別に構わんが、人目につきたいなら洋服屋にこもってるわけにもいかんだろ」 「そうね…」 と俺は少し考え込み、 「いいわ、今日はウィンドーショッピングってことにしましょ。どうしてもほしくなったら買っちゃうかもだけど」 「分かった。後は精々北高生が多そうな辺りで時間をつぶすか。…つっても、ゲーセンもファーストフードも似合わなさそうだけどな」 「え?」 「お前も古泉も、そんな場所はチープ過ぎて似合わんだろ?」 とこれはどうやらからかっていたらしい。 にやにやと笑う顔がどう見ても意地が悪い。 俺もこんな顔をしているんだろうか、と思わず自省しながら眉を寄せ、 「キョン、」 「その語調は勘弁してくれ。ハルヒに文句をつけられてるみたいだ」 と両手を揚げる。 「…ばか」 思わず笑っちまっただろうが。 そんな調子で案外楽しく歩いていたのだが、不意に、 「おーいキョン!」 と谷口の声がしてぎょっとしたが、幸いにもジョンの方が反応が早く、ぱっと振り向き、 「なんだ谷口、またナンパか? お前もあれだけ成功率が低いってのによくやるな」 と自然な調子で口にした。 演技らしさは微塵もなく、あまりの役者っぷりにこっちが驚くくらいだ。 俺がそうだったのだから、谷口だってそうだったんだろう。 「うるせぇよ。大体、今日はナンパに来たんじゃねえ。ただの買い物だ買い物」 「ほう」 「お前こそ何してたんだよ」 「俺? 俺は嫌がらせに遭ってた」 は? 「はぁ?」 俺も驚き、谷口も首を傾げたのに対して、ジョンはわざとらしく大真面目な顔を作って、 「嫌がらせ以外の何物でもないだろ。人のデートに付き合わされてるなんて」 「それはそうだろうが、人のデートって……」 とここでようやく谷口は俺と古泉に気付いたらしい。 まじまじと俺を見つめ、それから古泉と見比べる。 「…おいまさか……」 「そのまさかだ」 にやりとジョンは笑い、 「実はKは俺の親戚でな。悪い虫がついたとおっさん共が騒ぐから、いかに健全なお付き合いかということを調べた上で報告しろという馬鹿馬鹿しい命令が俺に下ったんだ。残念ながらうちは未だに長幼の序を重んじてるもんだから、年長者の命令は絶対なんだ。よって、俺は嫌々ながらもこいつらのデートに同行させられてる訳だ」 と堂々と大嘘を吐きやがった。 そんなこと、打ち合わせてもないのに咄嗟によくこれだけ言えるもんだ。 しかし、これには乗っておいた方がいいだろう。 「甘く報告してやるから飯をおごれ、とかなんとか言い出したのはキョンでしょ」 と拗ねた調子で言ってやれば、ジョンはふてぶてしく、 「弱味をこしらえたそっちが悪いんだろ。大体、モデルの仕事だって親には散々反対されたのに押し切りやがって」 「しょうがないじゃない。やりたかったんだし、せっかくのチャンスだったんだから」 「ああそうかい」 「過ぎたことをどうこう言ったってしょうがないんだから、あんたはもっと建設的に物事を考えなさいよ」 「考えたから、昼飯くらいで勘弁してやるって言ってんだろ」 「全くもう…」 谷口はなにやら目を瞬かせていたのだが、ややあってジョンの肩を引っ掴むと、 「お前、なんでもっと早く言わなかったんだよ!」 「やかましい。お前に言う必要なんぞこれっぽっちもないだろうが」 これっぽっち、と言いながら指のジェスチャーを付け加えたのはいいが、どうみてもその指には隙間がない。 「冷たい野郎だな! 俺だってKのファンなんだぞ!? プライベートショットを寄越せとまでは言わん、せめてサインくらい…!」 「ほしけりゃ今当人に頼めばいいだろ」 と面倒そうに言ったジョンに谷口は目を輝かせ、 「そ、そうだな」 と言ったのはいいものの、ちらりと俺を見ては目をそらす。 どうやらこいつにも人並みの神経はあったらしい。 俺は腹を抱えて爆笑してやりたいのを堪えながら、 「サインくらいならいいですよ」 と親切心を出してやる。 「本当ですか!」 大喜びの谷口は、しかし、サインをするのに適したものを持っていないらしい。 「今度キョンに色紙を渡すんで、それにサインしてもらえますか!?」 と谷口にしてはよく考えたらしいことを言うので、 「構いませんけど、他の人には内緒にしてくださいね? あまりたくさん頼まれると困るので…」 「分かりました! 男谷口、決して他言はしません!」 落ち着け、と言ってやりたい、と俺が思ったのを汲んでくれたわけではないのだろうが、 「落ち着け」 とジョンが言う。 「これが落ち着いてられるか!」 「うるさいっつの。本気で頼むから大人しくしろ。じゃないと他の連中にも聞かれるぞ。もしサインを大量に頼まれた場合、お前のは一番最後にしてもらうからな」 「それは困る」 と素直に声を潜めるんだから、谷口は本当に分かりやすいよな。 苦笑したところでずっと黙っていた古泉が、 「そろそろ行きませんか?」 さりげなく俺の肩に手をやりながら言うので、 「ん、ああ、そうだったわね。それじゃあ、これで」 と谷口から離れた。 俺は古泉と腕を絡めながら小さく問いかける。 「妬いた?」 「…妬きましたよ、勿論」 不貞腐れた顔で言う古泉が本当に可愛くて、 「そういう顔しないでよ。キスしたくなるでしょ?」 なんて言ってやると、古泉は拗ねたように、 「そういうことを言えば機嫌が取れると思ってます?」 「思ってないってば。…本当に可愛いんだから」 横を向いた顔に軽くキスをしてやると、古泉はくすぐったそうに笑い、 「やっぱりあなたには勝てそうにありません」 と言った。 ジョンは少しばかり谷口に引き止められたようだったが、少しして追いついてきた。 もしかすると俺たちがいちゃついてるのに呆れてタイミングを計っていたのかも知れないが、そういうことは口に出さず、 「あれくらいでいいだろ?」 と言った。 「うん、上出来だと思う」 「あいつのことだからサインさえもらっちまえば黙ってられなくなって、あれこれ言いふらすかも知れんが、サインしてやるかどうかはお前が好きにすればいいだろ。あいつがKとキョンが別人だと言触らしてくれるなら少々騒がれても安いと思わないか?」 「そうね」 「……じゃあ、そろそろいいか?」 「え?」 「…俺としても待たせてる奴がいる以上、出来れば早いうちに帰ってやりたいんだが……」 と言ったジョンの顔が少しばかり赤い。 だから、というわけじゃないが俺はニヤリと意地悪く笑い、 「だめよ」 「はっ?」 「その待たせてる奴、って相手の話も聞いてないし、予定じゃ夜まで一緒にいることになってたでしょ? うちの近所まで行って、あえて姿を見せておくなんてのも、いいと思わない?」 「…嫌がらせか……」 げんなりとしてため息を吐きながらも逃げないあたり、こいつは本当にお人好しだ。 俺はもう少しいじめてやりたいのを堪えつつ、 「ちょっとした意趣返しってやつよ」 と出来るだけきれいに笑ってやった。 |