その日はやたらとハルヒの機嫌がよかったのだが、だからと言ってのんびりしてもいられない。 むしろ、機嫌がいい時ほど警戒しなければならんのがハルヒである。 一体何が始まるのかと思っていた俺にその答えが突きつけられたのは、放課後になってからのことだった。 「映画を撮るわっ!」 そうハルヒは宣言した。 何をどうしたのか、前よりよっぽどそれっぽい撮影機材やら、きちんと製本された台本まで積んである。 「一体なんなんだ?」 問いかける俺に向けられた言葉は、返答などではなく、 「今度のヒロインはあんたよ!」 という言葉と満面の笑みだった。 「……は?」 「正確に言うとKをメインにってことなんだけどね。でも、せっかくだから朝比奈ミクルの冒険のスピンオフってことにするわ」 スピンオフも何も、俺はそれに出ちゃいないんだが。 「古泉くんもちゃんと出るから大丈夫よ」 主役が同じままならそれはスピンオフとはいわないんじゃないだろうか、などと突っ込む前にハルヒは意気揚々と説明を始める。 「今度はバトルじゃなくて恋愛に焦点を置くことにしたの。ミクルとイツキが一緒に住んでる家に、ケイが居候として引っ越してくるところから始まるわ」 「…それが俺ってか」 「そう。でも普通じゃつまんないでしょ? だから、あんたにはKとして男装してもらうから」 ハルヒの言葉が一瞬理解出来なかった。 なんだって? 「何度も同じこと言わせないでよ。男装しろって言ってんでしょ」 「んなことしたら流石に俺だってばれる気がするんだが…?」 ひきつりながら言った俺に、 「問題ない」 と告げたのは長門だった。 「素顔とは違う、けれど、男性に見えるようにメイクを施す」 「…長門……お前…楽しそうだな」 てっきり着飾らせるのが好きなんだと思ってたのに、男装なんて地味なことをさせるのか。 「…お楽しみもあるから」 ぽつりと呟いた長門に首を捻っている間に、ハルヒはまとめにかかった。 「今回はスポンサーもついたし、脚本も有希なんかに協力してもらって既に用意してあるわ。がたがた言わずにあたしについてきなさいっ!」 と宣言されたなら、頷いてついていくしかないのが我々SOS団である。 早速渡された台本に目を通しながら、俺は古泉を軽く睨み、 「お前、知らなかったのか?」 「ええ」 困ったように笑って古泉は答えた。 嘘ではなさそうだな。 「知ってたらもう少しなんとかしようとしたと思いますよ。…台本の協力者の項目はご覧になりました?」 「いや?」 「森さんの名前があります」 「……は?」 慌てて台本をひっくり返すと、そこには本当に森さんの名前が書かれている。 おまけに、なんだこりゃ。 事務所の名前やら、仕事で世話になったあちこちの名前まであるじゃないか。 スポンサーだか協力者だかわからんが、よく集めたもんだと呆れるのはもはやただの逃避だ。 「……でも、まあ、ある意味では安心ですよね」 疲れたため息を吐き出しながら古泉は言った。 何がだ。 「これだけ人が関わっているならあまり無茶もされないでしょうし、あなたのイメージを壊すようなことも出来ないでしょう。もちろん、正体が露見するということもないと思いますよ」 …なるほど、そういう意味での安心か。 「もっとも、森さんが関わっているなら、どんなギリギリの無理難題が控えているかも分かりませんけど」 「だよな…」 俺はぱらぱらと台本をめくり、それから閉じて古泉に尋ねる。 「…これ、ちゃんとお前とのラブシーンもあるんだな」 「そのようですね」 と向けられた笑顔は柔らかくて、変にどぎまぎしちまう。 おまけに、 「…楽しみです」 なんて低く囁かれるとどうしようもなくて、顔が熱くなる。 「この台本だと、お前が物凄い浮気者になってるのに、いいのか?」 「構いませんよ。どうせ、あなたとお付き合いをさせていただいているというだけであれこれ叩かれているんですし」 「…そっか。お前も覚悟してんだな」 「え?」 「…だったら、俺も頑張るから、よろしくな?」 そう言った俺に、古泉は何か言いたそうな顔をしていたが、ややあって頷き、 「僕の方こそ、よろしくお願いします」 「つっても、俺は演技に関してはどうしようもないと思うがな」 「そんなことはないでしょう。僕の方こそ、足を引っ張らないか心配ですよ」 「嘘吐け」 演技は上手いくせに。 もっともそれは、日頃の仮面とカメラの向こうで演じてるのとの区別がろくにつかなかったという意味なのだが。 「恥をかく時はお前も道連れにしてやるからな」 と恨めしく呟いてやったのに、古泉はむしろ嬉しそうに笑って、 「ええ、喜んで」 と言いやがった。 かくして、またもや映画の撮影が始まったわけだ。 我等が超監督がちんたら準備させてくれるまでもなく、翌日にはクランクインした。 今回長門は出番がないとかで、カメラマンその他雑用担当だそうだ。 率先してやりたがったらしいが、それならさぞかし期待できるに違いない。 少なくとも俺が不慣れなカメラを回したのよりは出来がいいに決まっている。 場所は前にもお世話になった鶴屋さん邸。 俺は男物の服で来ることという指示がされた。 どうやら、俺はイツキの家の離れで世話になることになった遠縁の少年、ということになるらしい。 その正体が女の子、というのはともかくとして、当然のように付与されたこの属性はなんなんだろうな、と俺は胡乱な目つきで台本を睨んで投げ出した。 明日は休みで、妹も連れて来いと言われてる。 それを話すと妹は大喜びで、準備をすると言ってくれたおかげで今夜は静かに眠れそうだ。 「…ま、やれることをやるだけだろ」 諦めのように呟いて、俺は布団にもぐり、目を閉じた。 翌日、まだ早い時間に鶴屋さんの御宅にお邪魔した俺たちを、鶴屋さんは上機嫌で迎えてくれた。 「やあやあ皆の衆っ! 今回も参加出来て嬉しいよ!」 なんて言ってるくらいだ。 「今回はきょ…じゃなくって、Kちゃんがメインヒロインなんだって? やー、みくるも大変だねっ」 そう笑う鶴屋さんに、朝比奈さんは笑って、 「あたしは別にそんな……」 「そかそかっ、みくるはみくるで違う可愛さだもんね! ほんっとみくるは可愛いっさー」 ぎゅうぎゅうと抱き締めて頬ずりまでしている鶴屋さんを微笑ましく眺めていると、 「メイクするから…」 と長門に呼ばれた。 「ああ、すまん」 そう答えて俺は長門に連れられて、ディレクターチェアに座らされる。 薄く化粧を施されながら、 「服装はこれでよかったか?」 と尋ねると、 「問題ない」 と返される。 ちなみに今日の服装は、黒の綿パンにシャツとジャケットを重ねただけだ。 転居の挨拶に行くという設定らしいから、ラフ過ぎもせず、かといって堅苦しくもない服を選んだつもりである。 長門は手早くメイクを施してくれた。 薄く、男とも女ともつかない程度に、と言った割に、睫毛は濃くされた辺り、俺の顔だちの分かれ目はやっぱりそこなんだよなと思う。 前髪も少しいじられて、形を整えられる。 「どう?」 確認のために渡された手鏡を覗き込めば、なるほどユニセックスな感じに仕上げられていた。 「本当に長門は器用だよな」 しみじみ呟くと、長門は心なしか嬉しそうな顔をした。 「準備出来たわね」 ハルヒが言い、そうして相変わらずぐだぐだながらも、前よりはまともな感じで、撮影は始まったのだ。 とは言ったが、俺が化粧をされたりしている間にも、古泉や鶴屋さんがカメラを回したりして撮影は始まっていたらしい。 イツキの家の平凡な朝、といったところだろうか。 相変わらずミクルと同居している設定なので、朝比奈さんとの睦まじげな姿が演じられるが、別にどうということもない。 むしろ、カメラを向けられていない間に古泉が見せる申し訳なさそうな顔ににやけそうになる。 そうしてようやく俺の出番が来たので、俺は玄関に立たされる。 風流な家らしく、チャイムなんぞないので、 「ごめんください」 と声を掛けさせられる。 声はあまり作らないでいいと言われたが、素のままの声で俺だとばれても困るので、少しだけ高く作る。 ややあって出てきたのは朝比奈さん…いや、ミクルだ。 今回も戦うウエイトレスという属性は排除されなかったため、悩ましいご衣裳は健在だ。 いきなりウエイトレスが現れたことにおどろいて見せるべきかと後になって思ったが、台本の台詞を思い出すのに精一杯だった俺は、 「ケイです。今日からお世話になります。どうぞよろしくお願いします」 と告げた。 演技なんてものはろくに出来てなかったな。 表情だって硬いしほぼ棒読みだ。 カメラには慣れていても、台詞を喋らされるなんてのはないから仕方ない。 それに超監督としては構わないらしい。 ミクルとそれっぽいやりとりをしていると、奥からイツキが現れる。 「どうしたんですか?」 と言って顔を出したイツキは、俺を見て小さく息を飲んだ。 本当に見惚れたのか、そういう演技なのかはよく分からないが、俺は超監督の指示のもと、嫣然と笑ってみせる。 「お前がイツキくん?」 「え、ええ…そうですが……あなたは…?」 「俺はケイ。今日からお世話になりますって、連絡行ってなかったか?」 「ああ…父から電話が入ってはいましたけど…こんなに急だったんですね」 「悪いな。まあ、とにかくよろしく頼む」 そう言って俺は手を差し出し、半ば強引にイツキと握手した。 そんな風にして話は始まったらしいのだが…台本があっても不安なのが我等が超監督だ。 どうなるものやら、と思いながら、なんとなく楽しくなってきた俺だった。 |