控え室に戻って、化粧を直され、改めてベールを被らされる。 今度は顔まですっぽりと、だ。 いよいよ式場に向かうのかと思うと、緊張してきた。 「長門、大丈夫だよな? どこも変じゃないな?」 そう尋ねると、 「大丈夫」 と頷かれる。 長門の一言というのはいつだって安心感があって助かるが、今日ほどそう思ったこともないだろう。 「…ありがとな」 ほっと落ち着きながら、それでも鏡の前で気合を入れる。 自分が恥をかくのは、古泉の恥にも繋がっちまう。 だから気をつけよう、と。 しかし、 「なあ、長門」 「……何」 「式でどうするとか、全く指示をもらってないんだが……大丈夫なのか?」 「…問題ない」 「……まあ、お前が言うならそうなんだろうな」 任せておけばいいということだろうと解釈しよう。 「…そろそろ時間」 そう言われ、控え室を出る。 そこには朝比奈さんが待っていた。 「あ、キョンくん。今呼ぼうと思ったところだったんです」 と微笑んだ朝比奈さんも、いつになくフォーマルな服装で非常に可愛らしい。 年齢に対して服装がどこか背伸びをしているように見えるのは相変わらずだが、その表情にはどこか凛々しさも感じられる。 「朝比奈さんが案内してくださるんですか?」 「はい」 にっこりと笑った朝比奈さんにつれられて、会場へと向かうのかと思ったら、小さな部屋に連れて行かれた。 そこではなんと、正装したうちの父親が待っていた。 「…ええと……」 「綺麗じゃないか」 と親父が笑ってくれて、正直助かった。 一瞬血の気が引いたからな。 「…ハルヒに呼ばれたのか?」 「ああ、是非と言われたし、息子の結婚式なら当然出席するべきだろう?」 ……こういう妙な順応性の高さは、血のつながりをひしひしと感じるところだな。 「…ありがとな」 「礼を言われるようなことじゃないだろ」 そう笑って、尋ねる。 「お袋と妹も来てるんだな?」 「当たり前だろう」 じゃなきゃ、後々まで文句を言われるだろうな。 俺は小さく笑って、 「来てくれてありがとな。…その……本当に、嬉しい。…本番も頼むな」 「当然だ」 笑みを交わしたところで親父が時計を見た。 「そろそろだな」 「そうなのか?」 「ああ。…お前はとりあえず誘導されるのに任せておきなさい」 「おう」 ハルヒたちが関わっているんだったら、心配はないだろう。 …いや、演出やその他の面での不安がないわけじゃないがな。 それでも、本当に無理は言わないと信じていられる。 改めて覚悟したところで、ドアがノックされた。 ひょこりと顔をのぞかせたのは朝比奈さんだ。 「準備が出来ました」 そうどこか緊張した顔で言うのへ、 「ありがとうございます」 と軽く頭を下げる。 「これからですよ、キョンくん」 悪戯っぽく笑った朝比奈さんに、俺も笑みを返す。 「そうでしたね。…頑張ってきます」 「はい」 そうして、親父にエスコートされて控え室を出て、式場に向かった。 朝比奈さんともう一人、みたことない女性が大きな扉を開き、式場が見える。 広々としたチャペルには思ったより多くの人がいる。 国木田や部長氏がいるのは俺の正体を知っているからだろうが、なんで谷口までいるんだろうか。 国木田伝いにばれたのか、招待したのか、それともハルヒがばらしちまったのかよく分からん。 もしかしたら、俺だとは知らずにミーハーしに来ただけかも知れん。 あいつは前に確かクラスでKについてどうのこうのと騒いでいたからな。 それから、森さんや新川さん、多丸さん兄弟の姿もある。 古泉の知人として、なんだろうな。 それにしても、俺が知っている人間より、知らない人間の方が多くないか? 仕事でちょっと会っただけの人なんかもいる気がする。 随分来たもんだと呆れると共に、それだけの人に祝福してもらえることが嬉しくもなった。 泣きそうだ、と思いながらも、化粧が崩れると困るのでぐっと堪える。 泣くなら後でいい。 震えそうになりながら、ゆっくりとバージンロードを歩いた。 その先に待つ古泉のところまで駆け寄りたくさえなる。 それでも、我慢して、降り注ぐ拍手の中、一歩一歩踏みしめるようにして古泉のもとへと向かう。 そうして、親父から古泉へと俺の手を取る相手が変わる。 親父は小声で、 「よろしく頼むよ」 と言ってくれた。 その声が酷く優しくて、ほっとする。 本当に祝福してくれているんだと思うと、泣きそうに嬉しい。 今日は本当に泣きたくなるばかりで、そのくせ我慢しっ放しだ。 後で、もう泣いてもよくなったら、ドンビキされるほど号泣してやろうと決めていると、 「こちらこそ、ありがとうございます。…大切にしますから」 という古泉の声が聞こえて、目に涙の膜が張りそうになる。 心臓がドキドキして、苦しくて、堪りかねて古泉の腕をきつく掴んだ。 ぎゅうっと、しわが寄るほど強く。 「…どうしました?」 心配そうに問う古泉を、薄いベール越しに見つめれば、優しく微笑まれた。 「ええ、本当に……嬉しくて、幸せなことですね」 言わなくても分かってくれるというそのことで、余計に目頭が熱くなる。 「…泣かせるな、ばかっ……」 小さくそう罵って、今度こそしゃんと前を向く。 ゆっくりと、さっき以上にバージンロードを踏みしめる。 泣くのを堪えるのに必死になりながらも、ようやく壇上にたどりついた。 そこで、司会をやってくれているらしいハルヒが口を開き、思った以上にまともな挨拶を述べた。 型通りの、 「本日はご来場いただきまことにありがとうございます」 などというそれから始まり、 最終的に、 「この二人の結婚に異議があるなら後で文書で提出しなさい。あたしが直々に、その不心得について説教してあげるから」 などという言葉で締めにかかったのには、泣きそうになってたのも忘れて笑っちまったが。 そうして、マイクがこちらにやってくる。 「どんな言葉でもいいわ。この場で結婚を誓いなさい」 とハルヒはどこまでも上から目線だ。 しかし、それについて咎めたって仕方ないだろう。 何しろ、我等が団長様だからな。 俺はベールの中で苦笑しながら、古泉がマイクを受け取るのを見つめる。 古泉は、少し困ったように考え込んだ。 どうやら、なんの指示も受けていなかったのは俺と同じであるらしい。 それでも、喋ることは得意な奴だから、すぐに何か思いついたらしい。 「まずは、」 と口を開いた。 「今日、こうして大勢の皆さんにお集まりいただき、祝福していただけることに、お礼を申し上げます。また今日は、大勢の方々にご協力いただいたと聞いております。それについてもお礼を。本当に、ありがとうございます」 その声が綺麗にマイクに乗って、会場に響き渡る。 いつも人前で出すそれよりも、ずっと柔らかくて優しい声に、俺の胸が震える。 「僕は、今日、この場で、皆様の前で、誓います。……この人を生涯の伴侶とし、何があろうと苦楽を共にして行くことを誓います。彼女を永遠に愛し、慈しみ、大切にしていくことを誓います」 はっきりと、一音一音確かめるように口にされた言葉に、涙腺がまた熱を持つ。 そんな状態でマイクを渡されて、まともに喋れるはずがない。 俺は震える声で、 「…私も……誓います。彼と共に、これから先、一生過ごしていくことを……。一生…っ、愛し、続けることを……誓います……」 半分泣いてるような声になったし、古泉のようにきちんと話せもしなかったが、それでも気持ちだけは届いたらしい。 暖かな拍手に包まれ、安堵したところで、ハルヒの声がした。 「それじゃあ、古泉くんっ、ベールを上げて、誓いのキスをしちゃいなさい。あ、写真を撮りたい人は前に来たらいいわ!」 あのな、ハルヒ、もう少し情緒のある話し方をしてくれ。 涙を止めてくれるのはありがたいが、色々と拍子抜けする。 「涼宮さんらしくていいではないですか」 くすくす笑いながら、古泉はベールに指をかける。 「いいですか?」 「ん……」 ふわりとベールをめくり上げられ、ようやく鮮明に古泉の顔が見えるようになる。 「…愛してます」 そっと囁きながら、古泉の手が俺の肩にかかる。 俺は目を閉じ、触れるだけのキスを待った。 柔らかなそれが、酷く嬉しくて、愛しくて、今度こそ涙が滲みそうになる。 なんとか堪えて目を開けると、優しく微笑まれた。 もうだめだ、嬉しいということ、ただそれだけでいっぱいになる。 軽く抱き締めようとしたところで、 「それじゃ、結婚証明書にサインしなさい」 というハルヒの声で遮られた。 くそ、絶対分かっててやっただろ。 恨めしく思いながら、傍らに置かれていた小さなテーブルの上の結婚証明書に近づく。 そこに古泉が署名し、俺もそれに続けて名前を書こうとして、手を止める。 「…どうしました?」 「…いやこれ、本名で書いていいのか?」 「……どうします? Kとサインしたのでも構わないとは思いますが……」 ちょっと考えたが、いいだろうと開き直る。 「お前と結婚するのは俺だからな」 と自分の名前をきっちりと書いてやった。 古泉のそれよりはよっぽど読みやすいだろう。 「ちゃんとサインしたわね? じゃあ、指輪の交換よ」 ハルヒのその言葉を合図に、うちの妹が指輪の乗った花だらけのバスケットを掲げて出てきた。 ドレスなんか着て、随分めかしこんでいるが、そんなもん、いつの間に用意したんだろうか。 黙ったまま掲げてやってきた妹は、そのバスケットを俺たちに差し出して、にこっと笑った。 「お幸せにねっ!」 とか言ってもらえて、嬉しいんだか恥かしいんだか分からんな。 苦笑しつつ、先に古泉が指輪を取る。 「お手を……よろしいですか?」 「ん…」 頷いて、左手を差し出すと、薬指にちいさな銀色のリングが通される。 ぴったりとはまるのが正直怖いくらいだし、この指輪の出所もかなり気になるのだが、今は深く考えるまい。 指輪は、打ち出しの細かな模様と小さな石で飾られていた。 …まさかダイアじゃないとは思うんだが……いや、今は考えるな、問い詰めるなら後だ。 俺もそろりと指輪を手に取り、当然ながらも残念なことに、自分のそれとさしてサイズの変わらないそれを、古泉の左の薬指にはめた。 それを満足気に見たハルヒが、 「それじゃあ、結婚の承認の拍手を」 と言うと、それを合図に盛大な拍手に包まれる。 嬉しくて、幸せで、堪らない。 ハルヒが挨拶をしてくれるのを聞かなければならないと思うのに、涙を堪えるのに必死にならざるをえなかった。 おかげでよく分からないうちに式は終り、俺は古泉に連れられて式場を出た。 すぐ側の控え室に戻ったところで、 「大丈夫ですか?」 と問いかけられ、首を振る。 「だいじょぶ、じゃ……ない…っ……」 目が熱い。 胸が痛い。 我慢し過ぎて息が詰まる。 「嬉しくて…っ、幸せで、死にそう……」 「泣いてもいいですよ?」 と抱き締めてくれる古泉の背中に腕を回しながら、 「や、だ……っ! 化粧、ぐしゃぐしゃになっちまうだろ……」 「多分、そのためなんでしょうね……」 面白がるように古泉は笑った。 「は……?」 なんだ、その反応。 「化粧道具が用意してあります」 「……へ…?」 ぽかんとしている俺に、古泉はくすくすと笑って、 「ちゃんと化粧を直せるように、ということなんでしょう。それから、この後の予定の書いてある紙もありますが、どうやら、披露宴まではたっぷり時間があるようですよ?」 「……それ、って……」 「泣いていいってことでしょうね」 「う……」 「どうします?」 そんなもん、泣くに決まってるだろ! 披露宴に遅刻しそうになるほど盛大に泣いた俺は、腫れぼったくて見っとも無い目を衆目にさらす破目になったのだった。 ……本番の時には、目を冷やすための氷か何かも用意しておこう。 |