結婚式(前編)



「一週間待って」
といきなり言ったのは長門だった。
ちなみに俺たちは、
「結婚式を」
までしか言えてない。
にもかかわらず、長門はそう言った。
「一週間って……」
「ドレスを作るのに、それだけ必要。……急げば三日。ただし、その場合私は家に籠もる」
「待て待て待て、なんでそうなるんだ?」
驚く俺に、長門ではなくハルヒが答えた。
「当然でしょ。あんたが結婚式をするっていうなら、たとえそれが遊びや予行練習であっても、ちゃんとした衣装を用意したいものよ。ねえ、有希!」
こくん、と長門ははっきりと頷いた。
「で、」
とハルヒは俺たちを見た。
「そんな面白い企画を、まさかあんたたち二人だけで進めたりしてないでしょうね?」
「いや…その、式をしておきたいってだけで、具体的には何も……」
「なら、まだ許してあげるわ」
なんの権限があるんだ、と聞きたいところだが、団長としてのそれを振り回されるのが目に見えているので諦めて黙った。
「式場は鶴屋さんに聞いたらなんとかなるかしら。演出は勿論あたしにやらせなさいよ。みくるちゃんは何がしたい?」
いきなり話を振られたにも関わらず、朝比奈さんは、
「え? ええっと、」
と短く考え込んだだけで、
「ブーケとか、作ってみたいです」
という意見が出るってのはどういうことなんだろうか。
ハルヒに影響されすぎているのではないだろうかと思うと、色々と心配になるのは俺だけか?
「せっかくだわ。あたしたちの持てる力の全てを注いで最高の式にしてあげるから!」
力強くも恩着せがましい団長の発言に、俺は古泉共々苦笑しながら、
「予行練習にそこまで張り切ってどうするんだ? あんまり全力を出されると本番で困りそうだぞ」
「何言ってんのよ。本番は本番でそれ以上のものにして見せるわ。だからあんたは、余計なこと考えてないで、精々肌や体のコンディションを調えてなさい!」
そう言いきってハルヒは飛び出して行き、長門もさっそく仕事に取り掛かるつもりなのか、それからすぐに出て行った。
朝比奈さんも、
「あ、あたしも鶴屋さんに話してきますね」
と出て行ってしまったので、部室には俺たち二人だけとなった。
「…おい古泉、」
「は、なんでしょうか」
「……どうする、あれ」
「そうですねぇ…」
と古泉が浮かべる笑みも心なしか苦い。
「涼宮さんの興味がそういう風に現実に向けられ、しかもそこで発散させられるのはありがたい、と機関のメンバーとしての僕は考えますが、同時に、あなたのお義姉さんがどうにかして関わってくるだろうということを考えると少々でなく厄介なことになりそうですね。でも、」
と古泉は柔らかな眼差しを俺に向け、
「あなたと結婚式を挙げる身としましては、今からあなたのウェディングドレス姿がどんなものか、楽しみでなりませんね。そのためなら、オアズケを喰らってもいいくらいですよ」
「オアズケ?」
「花嫁にキスマークだらけでバージンロードを歩かせるわけにもいかないでしょう?」
悪戯っぽく囁いた古泉の声は甘く、俺の体に点火するには十分過ぎる威力を持っていた。
負けじと、出来る限りの色目を使うつもりで古泉を上目遣いで見つめ、
「だったら、寂しいなんて思う必要もないように、今のうちにしといた方がいいと思わないか?」
と小声で呟くと、古泉はかすかに声を立てて笑った。
「あなたには勝てませんよ」
そう言ってにやりと笑い、
「腰が立たなくなるほどしておきたいですね」
と言うから、俺たちも早々に部室を退散し、珍しくも文芸部室は下校時間より遥か前に無人となった。
それからのハルヒたちの行動の素早さおよび行動力について、改めて語る必要があるだろう。
なにしろそれは、後々にまで語り草にされるほどのものだったのだからな。
あいつらと来たら、本当に持てる力のかぎりを尽くしたとしか思えない。
本当に七日ほどでウェディングドレスを仕上げた長門は元より、式場の手配やらテーブルセッティング、出す料理まで全てを取り仕切ったハルヒもまた信じられないほどの手腕を見せたし、朝比奈さんさえ、見たこともないような美しい花を用意してブーケを作った上、その花の入手元については禁則事項の一言で貫き通した。
その他、協力したのは鶴屋さんや国木田といった身近な人間に留まらず、俺の仕事関係にまで声を掛けたのか勝手に集まったのか、とにかく様々な人間が関わったらしい。
その間俺たちはどうしていたかと言うと、何やら挨拶の文面を考えろと言われたり、衣装の仮縫いに付き合わされたり、よく分からないままに振り回されて過ごした。
そんな調子だったから、とてもその準備の全貌は分からない。
俺たちの関われたのはほんの一部に過ぎなかったのだと知ったのは、式の当日、迎えが来ると言われていた時間になってうちの前に現れたのが、新川さん運転するハイヤーだった時だった。
「な…どうして新川さんが……!?」
と驚く俺に、新川さんは楽しげに笑って、
「私としましても、あなた方を祝福したいですからな。自分の得意なことで、と言われたので、こうして協力させていただいているのですよ」
「はぁ……」
古泉は知っているのだろうか。
混乱も冷めやらぬ俺に、新川さんは優しく、
「さあ、そんなことよりも、早く乗ってください。時間に遅れますよ」
「え、あ、そう、ですね」
まだどこか混乱したまま、俺はスカートの裾を翻してハイヤーに乗り込んだ。
どうしてスカートなのかというと、それもまたハルヒの指示だったからである。
ちゃんと女装して来るようにと厳しく言われた理由を知ったのは、会場についてからだった。
どうしてハイヤーなんて寄越したのか分かるほど立派なホテルの前で鶴屋さんが思い切りよく手を振っていた。
「やあやあKちゃんよく来たねっ!」
「まさか、ここでやるんですか?」
それにその呼び方をするってことは……。
「あははっ、気がついたっかい? そうにょろ。どうせだったら広い会場でどーんとやりたいよねって話になってさっ、もういっそ宣伝を兼ねたイベントにしちゃおうよってことになったんっさ。そうしたら、社長も乗っちゃってねー。こういうことになっちゃったんだっ。びっくりしたにょろ?」
「びっくりなんてもんじゃありませんよ…」
呆然とする俺に、鶴屋さんはとても楽しそうに笑って、
「まっ、そういうことだから、期待しててほしいっさ!」
「…よろしくお願いします」
と頭を下げる他、何が出来るというのだろうか。
「こっちこそよろしくにょろ」
そう言った鶴屋さんに連れられて、ホテルに入る。
赤くふかふかした絨毯を踏んで、新婦控え室と書かれた部屋に入ると、そこでは当然のように長門が待ち構えていた。
それから、いつも仕事でお世話になっているメイクさんまで。
俺は照れ臭さに軽く苦笑しながらも、
「今日はよろしくお願いします」
と二人に頭を下げる。
長門は頷き、メイクさんも、
「こちらこそ、よろしく。こういうおめでたい時に手伝わせてくれてありがとうね」
と笑顔で言ってくれてほっとする。
というか、
「手伝いってことはまさか…これ、無償なんですか?」
「うん、代わりにご祝儀は要らないって言われたけどね」
……なるほど。
「すみません、ありがとうございます」
「いいんだよ。私も好きでしてるんだし」
にこにこしているメイクさん同様、長門もどうやらご機嫌らしい。
「徹夜したんじゃないのか? 大丈夫か?」
「大丈夫。……式が終るまで寝れない」
……そうかい。
「無理はするなよ」
軽く頭を撫でると、長門はこくんと頷いた。
とても一人では脱ぎ着出来ないようなドレスに着替えさせられながら、
「古泉も今頃着替えさせられたりしてるのか?」
「そのはずだけど、私たちはこっちで手一杯だから、特に聞いてないのよね。というか、団長さんだっけ? あの子がスタッフをうまく動かしてて、それぞれ自分の仕事にいっぱいいっぱいで、全貌はあの子しか知らないって状態になってるみたい」
苦笑混じりながらもメイクさんは楽しそうである。
ハルヒにそんな才能があったとは意外だ。
感心している間に着替えが終り、メイクもされる。
少しでなく派手なメイク。
仕事でもないのにこんなのは久しぶりで、なにやらくすぐったくもある。
「本当に、塗れば塗るほど華やかさが増していいわよねー」
とメイクさんはご機嫌だ。
長門はしっかりと出来映えを確認しているらしく、強すぎる視線が痛いくらいだ。
「長門…どうだ?」
「とてもよく似合っている」
即答だった。
「うん、Kちゃん今日も美人だよ」
そう笑って、
「はい、出来上がり」
と言ってやっと解放された。
ほっと息をつきながら立ち上がり、鏡の前に立つ。
「…うわ……」
これは本当に張り切ったな。
ハイネックで喉をきっちり覆っているのはいいのだが、胸元やら腹の辺りやら、所々に切込みが入り、素肌が透けている。
背中もかなり大きく空いていて扇情的だ。
前は比較的ぴったりしたラインのスカートだが、後ろは裾が長く広がっているのも面白い。
全体的にフリルなんかも控え目で、大人しく見せかけているが、おそらくシルクなのだろう、つるつるした美しい生地には、キラキラとビーズが輝いている。
「まさかスワロフスキーとは言わないだろうな」
と呟いたら、
「違う」
「ならい…」
「キュービック・ジルコニア」
「……は!?」
なんてこった、ガラスどころか人造ダイアか。
「お前…そんなもんどうして……」
「せっかくだから……」
「いや、使った理由じゃなくて……」
「安く譲ってもらった。……このドレスごと、宝飾品店で展示される約束になっている」
「……は…?」
「勿論、あなたの写真も添えて」
「……」
読めた。
つまりこれは立派なビジネスになっちまってるわけか。
「…全く……」
「……嫌だった?」
不安げに首を傾げた長門に、俺は小さく笑って、
「本番はもっと質素にひっそりやるぞ。参列者は俺と古泉の関係者だけで、スタッフも身内だけで」
「……そう」
残念、と呟いた長門には苦笑するしかないが、
「…本番も、ドレスは頼んでいいか?」
「勿論」
「じゃあ、頼んだぞ」
機嫌を直した長門に笑みを向けてから、俺は鏡を見つめなおす。
鏡に映っているのは、綺麗な花嫁だ。
まるで俺ではないような錯覚に陥りそうにもなるが、これは間違いなく俺であり、それも、古泉のためだけに装った俺なのだ。
早く古泉に見せたいような気になって、
「写真撮影とかするんだよな? 当然、古泉も一緒だろ?」
と尋ねると、長門は頷いた。
メイクさんは笑って、
「早く見せたくてしょうがないって顔になってるよ?」
とからかうように言ったが、
「正直、その通りですよ」
「本当にラブラブね。ああもう可愛いっ」
そう言って抱き締めたそうにしたが、そうしなかったのは、せっかくのドレスが崩れるのを恐れてのことだろう。
「これくらいのホテルなら、撮影用のスタジオがあるんですかね?」
「そうそう。いつものメンバーでスタンバイしてるから、安心してね」
と言われ、少し肩の力も抜ける。
「いつもの仕事と思ったんじゃいけないんでしょうけど…そうなりますね」
「あら、それは悪かったかな…。うーん、でもみんな本当に、Kちゃんと彼氏のことを祝福したくて、お手伝いさせてもらいに来たんだよ? だから今日は、仕事なんて思わなくていいからね?」
「…はい」
小さく笑って答え、俺は導かれるまま控え室を出た。
ゆっくりと廊下を歩き、すぐ近くのスタジオに入ると、なるほど、仕事を思い出すようなメンバーが揃っていた。
しかし、古泉の姿がない。
「古泉は……?」
と見回す俺に、
「…すぐ来る」
と長門が教えてくれた。
それから数秒後にドアが開く。
「お待たせしました」
その声に引かれて振り返ると、驚くほど見事にタキシードを着こなしている古泉が立っていた。
普段からかっちりした服装が似合う男だと思っていたが、礼服がここまで似合うというのも凄い。
日本人のくせに、洋服の正装がこんなに似合っていいんだろうか。
ただでさえべた惚れだってのに、更に惚れこんじまうような見事さにうっとり見惚れていると、古泉の方もじっと俺を見つめたまま、何も喋らない。
上から下までなぞるような視線を感じながら、俺も同じくらい不躾な目を向ける。
やがて、互いの視線が絡み合い、自然と笑みが零れた。
「よくお似合いですよ。今までで一番綺麗だと思いました」
「お前こそ、似合い過ぎだろ」
くすくすと笑いあう。
「すぐにも抱き締めてキスしたいくらいですけど、オアズケでしょうね?」
「当然」
と答えたのは俺じゃないぞ。
長門だ。
「式まで我慢して」
「畏まりました。でも、これくらいは構いませんよね?」
と言った古泉が俺の手を取る。
「今日はあなたのすぐ隣りで写っていいんですよね?」
「そうだろうな」
仕事用に回されるのについては、またいつものように手だけとかになるかも知れんが。
古泉にエスコートされて、スクリーンの前に立つ。
いつものカメラマンさんなんかに、
「今日はありがとうございます。よろしくお願いしますね」
と頭を下げれば、口々に祝福の言葉を投げられた。
「今日はおめでとう」
「おめでとう」
そんな言葉に嬉しくて、くすぐったくなったところさえ、撮られる。
「油断してるところを撮らないでくださいよ」
と唇を尖らせれば、それさえカメラにおさめられた。
「今日は仕事じゃないんだし、いいだろ? 記念だよ、記念」
「全く……」
文句を言っているはずなのだが、どうにも顔が締まらない。
それからまずは、と俺ひとりで写真を撮られた。
立ったままと椅子に座った状態と、それから後ろからも少し。
件の見たこともないような美しい花で作られたブーケを持たされたり、透き通るほど薄くてつややかなベールを被らされたりもした。
一通り撮影したところで、古泉が入る。
まずはいつものように手だけ。
それから普通の記念写真のように寄り添った状態でも撮影された。
「こういうのはだめですか?」
という言葉と共に背後から抱き締められ、くすぐったくなる。
「可愛いです」
そう囁かれ、ぞくりと体が震える。
「ん……こら……」
そういう声を出すな。
「すみません。…この距離も、久しぶりですね?」
だからそこで笑うな、耳に来る。
「我慢した甲斐がありましたね。…こんなに大胆なドレスだなんて……」
「長門の趣味かハルヒの趣味かはさっぱり分からんがな」
「…素敵ですよ」
「低音はやめろ」
「残念です」
くすくす笑いながら古泉は体を離し、
「今日の写真をみるのが楽しみですね」
「…なんでだよ」
「それは勿論、あなたがとても可愛らしい顔をしているからですよ」
……。
「…なあ、そんなに恥かしい顔になってるか…?」
「可愛らしい顔です」
…同じことだろ。
「ううううう……」
唸っている間もフラッシュが光る。
「程々にしてください……」
「いやいや、Kちゃん可愛い顔だから大丈夫だって」
「嬉しくないです」
うぐうぐ言っても無駄で、それからもかなりの枚数を撮られた。
「写真集でも出すつもりですか」
「それもいいね」
なんて笑ってるのは社長だ。
「…勘弁してください……」
「冗談だよ。作っても個人用だね。今日のお祝いに、どう?」
「ええと……」
それなら気になる気もするが、正直恥かしいことになりそうだ。
色々とやり過ぎな感じのデザインなんかになりそうで。
それで渋っていた俺の後ろから、
「是非ともお願いします」
と古泉が答え、
「いいよー」
と社長が応じちまった。
「古泉、」
「いいじゃないですか」
咎めることすら俺には許さず、
「記念なんですから、ね?」
「……全く…」
ため息を吐くのがやっと、ってのも情けない話だ。
どうしても、古泉には勝てる気がしない。
「それはこちらの台詞なんですけどね」
と苦笑した古泉は、
「もう少ししたら式の時間でしょうか。…また後でお会いしましょうね」
ウィンク一つを寄越して、出て行っちまった。
俺はこの後何があるのかもさっぱり分からん状態なんだが、あいつは聞いているんだろうか?
どことなく、自分だけ蚊帳の外のような気分になって、眉間にしわが寄った。
…花嫁のする顔じゃないな、と慌てて直したが。