初めてスタジオ以外の場所で撮影をする、と言われて気合を入れていたら、微妙に気が抜けたのは、それがお義姉さんが裏から手を回した結果であり、そのため撮影場所も機関の建物内であると知ったからだった。 「…コネで仕事ってのもどうなんだ」 「そうむくれないでください」 なだめるように言いながら、俺の頬をつついたのは当然古泉だ。 「それに、逆ですよ」 「何が逆だってんだ?」 「こちらがコネを使って仕事をくれるようお願いしたのではなく、あちらがコネを使って森さんを頼り、あなたに仕事を依頼してきたんですから」 「………冗談だろ?」 ぽかんとする俺に、古泉はにっこりと微笑んだ。 ああ、やっぱり冗談なんだな。 「いえ、本当ですよ」 「…んな馬鹿な…」 「本当ですって」 くすくすと笑いながら、古泉は俺を抱き竦め、 「それくらい魅力的なんですって、そろそろ自覚しません?」 「うー…そうは言ってもだなぁ…」 なかなか難しいものがあってだな、ともごもご言い訳をする俺に、古泉は優しく笑うと、 「まあ、いいですよ。あなたはそうだからこそいつまでも驕ることがなくていいのかもしれません。それで引き寄せられる悪い虫は、僕が責任を持って追い払いますから」 そんな物言いに俺は軽くくすぐったいものを感じながら、 「…ああ、よろしくな」 と言って古泉の手を握り締めた。 「ともあれ、あまり緊張されないのならその方がいいかもしれませんね。いつもなら、撮影の時にリラックスしきれてないでしょう?」 「あれだけライトを当てられて、カメラを向けられて、それでリラックス出来るほど俺は慣れてないんだよ」 軽口を叩きながら、撮影場所に到着して、俺は目を見張った。 「これ、マジで機関のなのか?」 「正確には、機関に協力してくださっている誰かの持ち物でしょうね」 「にしても……」 それはなかなかに見事な廃ビルだった。 そういう類の建物にも色々あるが、これはどうやら建設途中で放り出された類のものらしい。 むき出しのままの鉄筋はさび付き、コンクリートの上にも埃が積もっている。 「安全性は確認済みですから、心配要りませんよ」 「いや、それは大丈夫だろうけどな」 それにしてもよく探してきたもんだと呆れている内に、社長に呼ばれ、本日のスタッフに引き合わせられた。 「よろしくお願いします」 と俺が頭を下げると、 「こちらこそ」 と愛想よく返したいつものカメラマンさんの隣りから、雑誌の編集者とかいう初対面の女性が、 「本当に、男の方なんですね」 と大きく目を見開いて呟いた。 「すみません」 「いえ、話は聞いてましたけど、でも、……ううん、話してても分からないくらいです」 そこまで褒められると流石に嘘臭いが、 「ありがとうございます」 と返しておこう。 「よろしければ、今度うちの雑誌でインタビューでもさせていただきたいです」 と名刺を渡されたが、 「すいません、そういうのは一切お断りすることにしてるんで」 「勿体無いです」 何がどう勿体無いんだろうか、と思いつつも、俺は準備に向かう。 スタッフは大抵いつも同じ人を揃えてくれているので気が楽だ。 それにつけても、本当に破格の待遇だと思う。 そこまでしてもらえるほどのもんじゃないと思うのだが、これもお義姉さんの力なのだろうか。 だとしたらやっぱり凄いな。 しみじみ思いながら、衝立で仕切られた隣りの部屋にいた、すっかり顔なじみのメイク兼スタイリストのお姉さんのところへ行くと、 「Kちゃん、今日の衣装はこれ! かっわいいでしょ!」 ジャーン! と取り出されたのは、……ええと、これはなんて言ったらいいんだ? ゴスロリ…じゃないな、あそこまで甘くはない。 かと言ってゴシックってのも違う気がする。 革製で、いかにもきつそうなそれは、なんて呼ぶものだったか。 もっと、なんていうか……、 「…なんて言ったらいいんですか、そのSMの女王様みたいなの」 他に表現が見つからずそう聞いたら爆笑されてしまった。 「ボンデージよ、ボンデージ。ちゃんと濁って発音してね」 「はぁ」 というか、 「可愛い、ですかね」 「Kちゃんが着たら間違いなく可愛いわよ?」 「ええと……ありがとうございます?」 首を捻りつつ、しかしこれどうやって着るんだと更に首が曲がる。 「ちゃんと手伝ってあげるわよ。さあさあ、脱いで脱いで!」 強引に脱がされ、着替えさせられる。 胸元をきつく覆った革のビスチェは、中に詰め物がしてあってもギリギリと締め上げられて苦しい。 そのくせ、へそは出てるし、足だって、網タイツと革製のガーターベルト以外は、恐ろしく短いマイクロミニのスカートくらいしかないからほとんどモロダシだ。 腕にはやはり革で編まれたグローブ。 体は覆われているはずだってのに、体のラインがモロ分かりというのが、なんていうか、 「…俺はいつの間にSM雑誌のグラビアに載ることになったんでしょーか」 「そんなんじゃないってば」 けらけらと笑いながら、お姉さんは仕上がりを細部まで確認し、 「うん、美人美人!」 と満足したようだった。 「それにしたってこれは……男だって今度こそばれそうですね」 「何言ってるんだか」 俺の懸念を軽く笑い飛ばし、 「Kちゃんはどこからどう見ても女の子よ」 と太鼓判を押してくれた。 それに背中を押されたというわけでもないんだが、びくつきつつ、それでも控え室にしているスペースを出ると、待ち構えていた古泉が目を見開いた。 いつもなら笑顔で、こちらがもういいと言いたくなるほどに褒め称えてくれるくせにそんな反応をされたので、 「う……や、やっぱり似合わん、か?」 と怖気づく俺に、 「いえ、そうではなくてですね……」 古泉は困り果てた顔をしながら、さり気なく俺の前に立ち、人目を遮ると、 「……あまりの艶かしさに、嫉妬が込み上げてきまして、」 なんて言う。 嫉妬って。 「嫉妬しますよ。そんな格好を衆目にさらすなんて。そもそも、どうしてそんな服なんですか……」 今日のテーマが監禁だか緊縛だか調教だかになってるせいだろ。 「だめです、帰りましょう」 ひしっと古泉が俺を抱き締め、それで、古泉の背後に立っていた小柄な人物の顔がやっと見えた。 「お義姉さん…」 「え」 瞬間、びくっと竦みあがった古泉の首根っこをお義姉さんが引っ掴み、 「何をしてるんでしょうね、このお馬鹿は」 「ももも、森さん……」 ひきつる古泉に対してお義姉さんはにっこりと――しかしながら、だからこそどう見てもどす黒くしか見えない――笑みを浮かべ、 「今ここで彼女を拉致って逃亡なんてはかった日にはどうなるか、……………分かりますよね?」 「……すみませんでした」 古泉は両手を挙げて降参するしかなかった。 そういうわけで、一応問題なくカメラの前に立った俺なのだが、いきなり手錠で繋がれることになった。 壁を這う塗装の剥げた配管の一つと手錠で繋がれ、汚れた床にぺたんと座り込む。 「これでいいですか?」 と聞いてみたら、 「んーと、色んな座り方してみてくれるかな?」 と言っても、この服は伸縮性が皆無と言っていいようなものだから、結構大変なんだがな。 よいしょ、と苦労しながら女の子らしいぺたんとした座り方やら、横座り、膝を曲げて体育座りとかしてみる。 「もうちょっと挑発的に出来るかな。彼氏に怒られない程度でいいんだけど」 と笑い声と共に言われ、俺も苦笑を返すしかない。 「さっきも説明したけど、今日のシチュエーションは監禁されてるってことなんだけど、でも、物理的に囚われてるのはKちゃんでも、心理的に囚われてるのは捕まえた側だから、絶望したような顔よりは強気で睨んでみてよ」 ああ、そういうのもあって、こんな見た目的にも強そうな服なのか。 言われた通り、俺はカメラのレンズを睨みつける。 「そうそう、その感じ。捕まってるけど、そんな風にされたところで絶対に屈服しない強さが欲しいんだ」 それなら、と俺は手錠で繋がれた左手をぐっと引っ張り、ジャラ、とその鎖を鳴らす。 込めるのは、逃れようとする気持ちじゃない。 俺をこんな目に遭わせやがってコノヤロウ、一発殴らせろ! とでもいうような怒りだ。 「女王様みたいな感じで!」 大分ノッてきたらしいカメラマンに言われるまま、冷たくレンズを見据える。 憎しみでもなく、悲しみでもなく、怒りと憤りを込めて。 笑わなくていい分俺としても楽で、その後も体に鎖を絡められたり、ぐしゃりと髪を乱されたりしながらもこれと言って困ることもなく撮影は続いた。 そんな調子だったから、小道具こと古泉の出番はないのかと思ったら、休憩時間になって古泉が進み出てきた。 手錠の鍵はちょっと前に、 「どうせだから」 と冗談交じりに古泉に投げ渡されていたから古泉が持っている。 だから、外してくれるんだろうと思っていたら、繋がれたままの状態でお茶を渡された。 「……外してくれないのか?」 「外して欲しいですか?」 「…そりゃ、いい加減外して欲しいんだが……」 「でも、似合いますね」 と古泉は小さく、低く囁いた。 その声の響きにぞくりとする。 「…こら」 「どうかしました?」 「……分かってるくせに」 拗ねる調子で呟くと、古泉は声を立てて笑われた。 「本当に、女王様みたいでしたよ。凛としていて、美しくて」 「そうかい」 「ええ、思わずかしずきたいくらい」 冗談だろうと思った俺の前に膝をつき、古泉は恭しく頭を下げ、俺の爪先に額をつける。 「おい……」 そのくすぐったさと絵面の危うさにドキドキしながら声を掛けると、古泉は流し目を送るみたいに俺を見つめ、 「お嫌ですか?」 「…嫌、じゃ、ないけど……」 「それならいいですよね」 ほら、と古泉は休憩の間食用にと持って来ていたクッキーをポケットから取り出し、俺の口元に持ってくる。 「右手は自由なんだから自分で食えるぞ?」 「僕が食べさせたいんですよ」 「…しょうがないな」 あーんと口を開いて、クッキーをかじる。 当然、クッキーなんて食べたら喉が渇くわけだが、それを察して古泉はお茶も口元に持ってきてくれるわけだ。 口にあてがわれたカップの中身はほどよく暖かく、美味しい紅茶だった。 口の端から零れたそれを、丁寧にハンカチで拭き取ってくれる古泉に、 「…お前って結構尽くすタイプだよな」 と呟くと、古泉は柔らかく微笑んで、 「何を今更仰いますやら」 まあな。 そんな調子でいちゃいちゃしてるのを、悪戯半分で撮影したカメラマンのおっさんは、 「いつものことだけど、ラブラブだよねぇ」 と笑った。 「同じ服装で、メイクも直してないのに、全然違う顔に見えるよ。さっきまでのKちゃんが女王様なら、今はお姫様ってところかな。呪われて繋がれた姫君と、それを世話する従者みたいな感じかな」 それに対して古泉は、 「従者では嫌ですね」 と苦笑しながら囁いた。 「従者では、いつかあなたを助けに来た王子様に、あなたを取られてしまうんでしょう?」 「それが嫌なら、その前にお前が手錠を外して助けてくれりゃいいんだよ」 そうすりゃお前が王子様だろ。 いや、そうしなくてもそうだけどな。 |