国木田と別れ、俺たちは当然のように古泉の部屋に入ったのだが、ソファに落ち着く間もなく、古泉が言った。 「やっぱり、あなたは心配な人ですね」 咎め口調と苦笑が入り混じり、どこか拗ねたような声だった。 「…なんでそうなる」 思い切り眉を寄せた俺に、古泉はわざとらしくも深いため息を吐き、どうやら嘆きらしいものを表すと、 「ご自分がどれほど魅力的なのか、ちっとも分かってくださらないからですよ」 「自分で言うのもおかしいが、女装してる時なら、美人だと思うし、あれなら男が寄ってきても仕方ないとは思うが、そういうのとは違うのか?」 「違いますね」 短く答えて、古泉は俺を背後から抱きしめた。 ふわりと甘く優しい香りが鼻孔をくすぐる。 「普段のあなただって、十分に魅力的なんですよ。ただ、それは一般向けのそれとは少々違って、あなたのことをよく知って、初めて気がつく魅力なのですが」 そんな風に手放しで褒められると非常にくすぐったい。 それこそ、居心地が悪くなってもいいくらいだと思うのだが、古泉の言葉だと思うと、くすぐったさも気持ちよさに変わるように思えた。 古泉の体にもたれかかりながら、 「もっと褒めろ」 とねだれば、古泉は戸惑いすらしないで、 「あなたは素敵な人ですよ。あなたのテンポのいい受け答えも、言葉の応酬も、楽しくてなりません。あなたの声を聞くのも好きです。あなたの可愛い唇が動くのも。引き結ばれた唇も、あどけなく開かれた唇も、僕は愛しくてなりません。他の誰にも見せてやりたくないくらいに」 ぎゅう、と強く抱きしめられる。 言葉に出来ないほどの思いを伝えようとするかのように。 「他人に見せない、というのは難しいでしょうから、我慢します。でも、決して他の誰にも奪われないでくださいね」 大まじめにそんなことを言いながら、古泉は俺の顎に触れ、強引に引き寄せた唇を重ねた。 「と言っても、男の恰好してる俺に魅力なんて感じるのはお前だけだろ」 俺が言うと、古泉はえらく深いため息を吐いた。 不満そうだな。 「いえ、どうしたらあなたに、危機感を持っていただけるのかと考えても思い付かないものですから」 嘆かわしげに呟いて、古泉は俺の体を反転させた。 至近距離で見詰め合う形になって、 「本当に、あなたが仰るように、あなたが僕にとってだけ、素晴らしく見えるのならよかったのに」 と呟いた。 なんだそりゃ。 「本当は、あなたのことが愛らしく思えるのも、愛しくてならないのも、僕の価値観が他の人と随分と違っているからであり、他の人にはあなたの魅力なんて少しも感じられないのならよかったのにって思うんです。…そうしたら、誰かに奪われる心配をしなくていいでしょう?」 「……そうなると、お前が悪趣味ってことになるが、それはいいのか?」 「全く問題ありませんね」 あっさりとそう言った古泉は、 「でも、残念ですし、おもしろくないことでもありますけど、あなたは僕以外の人にとっても魅力溢れる人なんですよね」 と悩ましげなため息を吐く。 というかだな、 「はい?」 「それを言ったら俺の方がよっぽど心配してるんだが?」 「…どういう意味でしょうか?」 首を傾げる古泉の頬を軽く引っ張って、 「お前はちゃんと一般受けする魅力があるだろ。……そりゃ、お前は呆れるほど俺に夢中だから、妬くだけ馬鹿を見るということくらい、俺にだってよく分かっちゃいるが、それでも、全く不安にならないわけじゃないんだからな」 俺はむくれながらそう言うと、古泉を強く抱きしめた。 そうして顔を隠しながら、小さく、 「…お前がもっと醜男だったらよかったのに」 と割と酷いことを自分では言ったつもりだったのだが、古泉は一体どういう解釈をしたのか、感激したように俺を抱きしめた。 「なんだよ」 「いえ、存外強い執着を示してもらえたのが嬉しくて、つい……」 と答えるのを、こそりと上目使いにうかがって見れば、本当に幸せそうに笑っているから、なんていうか、馬鹿だな、と思った。 俺も、古泉も。 なんでだかいつもいい匂いのする胸板に顔を埋めて、 「お前がそんなに心配だって言うなら、護身術でも習いに行こうか?」 と聞けば、古泉は軽く首を傾げた。 「どうしてですか?」 「お前が心配しているのはそういうことじゃないのか?」 俺がどんなに夢中か知ってるんだから、他の奴に転ぶ可能性を案じてはないと思う。 ただ、俺が思い余った奴に襲われるとかそういうことを心配してくれているのだろう。 実際、未遂なら何度かそういうこともあったわけだし。 「確かにそれも心配していることではありますし、解決手段のひとつだとは思いますけど、練習などでこれ以上あなたと過ごせる時間が減るのは辛いですし、」 なるほどそれもそうだな、と頷きかけた俺に、 「何より僕は、他の誰かがあなたに思いを伝えることも、それであなたが、その申し出を断るためにしても、僕でない誰かのため、頭を悩ませ心を痛めることも、面白くないんです。ですから、護身術を習ったところで無駄ですよ」 と続けられ、唖然とした。 なんだそりゃ。 どんだけ強い独占欲なんだ。 「呆れましたか?」 自嘲するように、古泉は薄く笑った。 「正直、驚いた」 「僕もですよ。……自分がこんな思いを抱くようになるなんて、思いもしませんでしたからね」 くすりと笑った古泉に、 「だが、悪くはないな」 と言えば、古泉は少しばかり驚いた顔をした。 「今更これくらいのことで呆れたり引いたりするわけないだろ」 そう笑って、俺は古泉の唇に自分のそれをそっと合わせた。 「愛してる。……そう思ってるのが自分ばかりだなんて思うなよ?」 そりゃあ確かに、俺は口にするのはそんなに得意じゃないし、だから誤解もされるのかもしれんが、口にしない分、俺の方がよっぽどお前を愛してるんだからな。 「……あなたには敵いませんね」 苦笑するように言った古泉は、優しく俺に口づける。 「勝てるとでも思ったのか?」 「思いの強さでは負けないつもりでいたんですけどね。どうやらそれも僕の思い上がりだったようです」 そう言いながらも古泉は楽しそうで、俺も幸せな気持ちになった。 そういう空気になった時の常で、結局ベッドに縺れ込んだ俺たちは、やることを終えてもまだ離れがたくて、横になったままだらだらとテレビを見ていた。 包まったシーツの中で手足を絡ませ、悪戯でも仕掛け合うようにしながら、甘ったるく余韻に浸っていると、結婚式場のCMが流れた。 「……いいな…」 思わず口をついて出た呟きにも、古泉は嫌がりもせず、 「やっぱりウェディングドレスには憧れますか?」 「ん……そりゃ、な」 「じゃあ、僕と結婚式を挙げてくれます?」 「……へ?」 一瞬何を聞かれたのかと思った。 ぽかんとする俺に、古泉はとっておきの美声で囁く。 「ウェディングドレスを着せてあげますよ。勿論、それに相応しい場所で。お色直しも沢山して、ね」 「というかだな、古泉、」 思ったより低い声が出て、自分でも戸惑いながら、それでも込み上げてくる思いは止められなかった。 「この期に及んで、式も挙げないつもりだったのか?」 「え」 古泉が呆れているのが分かる。 だが、止められない。 「生涯の伴侶として、付き合ってるんじゃなかったのかよ。家族にも、挨拶して、くれた、くせして……」 揚げ足取りのような発言だと、自分でも分かっていた。 だが、それでも、そうだったのかと思うと切なくて、苦しくて、涙が出そうになった。 くしゃくしゃに顔を歪めた俺をなだめるように、古泉は慌てて謝った。 「すみません、そういうつもりで言ったわけじゃないんです。ただ、本当にそんな日が来るのか不安になってしまう時だってあるんです…」 「んな、もん、俺だって同じだ…っ」 ぼろ、と涙が零れた。 それを古泉は優しく舐めとってくれながら、必死に俺を口説く。 「結婚式は必ずしましょう。その時には、レンタルなんかでなく、ちゃんとあなただけのためのドレスを作って、お客様には友人も招いて、今時ちょっとないくらいの豪華な式にしましょう。そうして、あなたの一番綺麗な姿を、見せ付けてやりませんか。いえ、見せ付けさせてください。あなたは僕の大切な人なんだということを、全ての人に知らしめるくらいのつもりで」 その熱心さは、それこそ見たことないほどのものだった。 何しろ、俺が勝手にほだされたような形で付き合いはじめたからな。 他のあれそれも俺からリードしてやったことの方が多かったし。 だから、俺は泣いているうちにそれがさっきの切なさや苦しさのせいなのか、それとも嬉しくて泣いているのかさえ分からなくなったくらいだった。 見ている古泉には更に、どういう涙なのか分からなかったに違いない。 「いっそのこと、近いうちに式を挙げましょうか」 「…ふ、ぇ……?」 戸惑いの声を上げた俺を見つめて、古泉は断言した。 「そうしましょう。勿論、急拵えにはなってしまいますから、あまり盛大には出来ませんけど、リハーサルのつもりでやってみましょう。勿論、いつかは本番をするってことですよ。その時は何倍も盛大かつ本格的に」 「って、え、お前、何を……」 呆気に取られて涙も止まった。 古泉は楽しげに笑って、 「僕と結婚してください」 と言いながら、恭しく俺の手の甲に口づけた。 返事なんて言うまでもないだろうから言わないでおく。 |