安心材料



谷口は馬鹿でアホだから、という理由で保留にしたものの、国木田についてはそうならなかった。
あいつは馬鹿でもアホでもないし、同性愛に偏見があるような様子もない。
多少面白がられそうな気はするが、引き際は心得てくれていることだろう。
だから、
「カミングアウトの練習としては、悪くないのかもな」
と俺は言ったのだが、古泉は眉間に皺を寄せて難しい顔をしていた。
何だその顔。
せっかくの美形面が台無し……とまではいかないか。
いつものへらへらした顔とはまた違った魅力があることは俺が認めるまでもなく、歴然とした事実としてあるな、うむ。
しかし、珍しい顔だ。
「いえ……やっぱり、羨ましいものがあると思いまして」
……そうかい。
「国木田氏とは、中学以来のご友人でしたか?」
「ああ、まあな」
「…羨ましいですね。僕がどう足掻いても、時間を巻き戻すことは出来ませんし」
「そんな馬鹿みたいなこと考えてたのか?」
と俺が目を剥くと、古泉は恥かしそうに目を伏せながらも、
「馬鹿ですみません。自分でも、言ったって仕方のないことだとは思うんですけどね」
「……それならやっぱり、国木田にちゃんと言うことにするか」
「……」
「そしたら、その……なんだ? 俺の中学の頃の話を、お前が聞きに行ってもおかしくないだろ?」
「え」
今度は古泉が驚く番だったらしい。
そこまで驚かなくてもいいとは思うんだが。
「中学時代のことを知りたいんじゃなかったのか? 時間を巻き戻すことは出来ないが、話を聞くことは出来るだろうし、他にも…その、なんだ? 俺についての愚痴りとかも出来るかもしれん。………俺、なんか変なこと言ったか?」
俺がそう言ったのは、古泉がくすぐったそうな妙な顔をしたからだ。
「変じゃありませんよ。ただちょっと、その……」
なんだ。
「嬉しくなりました」
そう言って、古泉は柔らかく微笑んだ。
俺なんかよりも、もっとずっと綺麗に。
「聞きに行ってもいいんですか? 僕はあなたのことならなんでも知りたいと思っているんですよ? あなたが嫌がるほどに、根掘り葉掘り聞いてしまうかも知れません」
そうだろうな。
国木田がまたえらく楽しそうに話すのが目に浮かぶ。
おそらくだが、俺が忘れているようなことまで話すに違いない。
だが、それだっていい話の種になるんじゃないか?
「本当にいいんですか?」
「くどいぞ」
と笑いながら俺は古泉の頭を引き寄せ、額をこつんと合わせた。
「俺の過去にどんな椿事や醜聞があっても、お前は俺に愛想を尽かしたりしないんだろ? それが分かってるから、構わん。好きなだけ、聞いて来い」
笑って言った俺を、古泉は強く抱きしめた。
「僕があなたに愛想を尽かしたりすると思いますか?」
「全く思わんな」
そう言ったろ。
見れば、古泉は何がどう琴線に触れたのか分からんが、えらく感激した様子で、改めて俺をきつく抱きすくめた。
顔なんてもうくしゃくしゃもいいところで、せっかくハンサムなのに勿体ないくらいだ。
こいつの面の皮一枚だけでこいつに惚れてるやつなら幻滅してたかもしれん。
だが、俺にして見れば、嬉しいばかりで、むしろ込み上げる愛しさなんてものをどうすりゃいいのか教えてもらいたい。
「嬉しいです」
と古泉は口走った。
「あなたがそこまで僕を思ってくださっているなんて」
「あほ。今更だろ」
「それでも嬉しいものは嬉しいんですよ」
――愛してます。
耳慣れた囁きだというのに、俺の心臓は相も変わらず跳ね上がる。
それこそ、初めて女装した頃の方が、よっぽど優位にいられた気がするくらいだ。
そう思うと、俺を好きなだけ煽れる古泉が少しばかり憎らしくて、俺は意趣返しの意味を込めた爪で、古泉の腕を少々手酷く抓ってやった。

というわけで、俺たちは国木田を放課後の教室で足止めした。
教室でなんてうかつに思うかもしれんが、案外放課後になれば人気はなくなるものだし、何より、いざとなったら長門でも機関でも、泣きつく先はある。
……最終手段だとは思っているが。
国木田は、いきなり呼び止められ、長々とどうでもいいような話で足止めされたというのに、面白がっているようですらあった。
お前にしろ古泉にしろ、何がそんなに楽しいんだ?
自分じゃよく分からんような理系話で盛り上がられ、ついつい本来の目的を忘れかかっていたところで、いいのか悪いのか、国木田から水を向けてくれた。
「それで、今日は一体なんのために呼び止めてくれたのかな?」
にこやかに言われ、俺たちは苦笑するほかない。
俺は軽く眉を寄せながら、
「お前のことだから分かってんだろ」
「どうだろうね。僕の思ってることとキョンが思ってることは違うかもしれないよ?」
白々しいな。
「お前ならどうせ気付いてんだろうが、ひとつ告白しておきたいことがあるんだ」
国木田は大人しく俺の目を見ていた。
緊張に声が震えそうになりながらも、口を開くのが俺なのは、俺の友人にカミングアウトするんだからと俺が古泉を押し切ったからだ。
それだけに、古泉は心配そうに俺を見ているだけしか出来ないのを、歯痒く思っているらしいのが手にとるように分かって、正直むずがゆい。
だが、その視線に勇気付けられるのもまた事実で、まごついていた俺は、結果として、適度に効果的な間を取って、告白することが出来た。
「実は、こいつの彼女でモデルのKってのは俺なんだ」
と。
それに対して国木田は、さして驚いた様子をもなく、軽く鼻を鳴らすように、
「ふぅん……」
と呟いたくらいの反応しか寄越さなかった。
ええい、驚かせ甲斐のない奴め。
「やっぱり気付いてたんだな」
「なんとなくだけどね」
苦笑するように国木田は答えた。
「お化粧してても、骨格は変わらないし、キョンが最近綺麗になってきてたのにも気付いてたから、カマをかけてみたんだよ。確証はなかったんだけど、やっぱりそうだったんだね」
「なんだ、ブログを見てたわけじゃないのか」
穿ちすぎだったかね、と思いながら呟いた俺に、国木田はへらりと笑い、
「Kのブログなら見てるよ?」
「は?」
「キョンは何も書かないの? 結構楽しみにしてるんだけど…」
「楽しみにって……なんでだよ」
「キョンの考え方って面白いだろ? だから、仕事の感想とか聞きたいと思ってたんだ。勿論、K名義じゃなくてもいいとは思うけど」
「感想……ねぇ…」
国木田が言うなら書いてみてもいいか? などと思ったところで、俺の隣で愛想笑いなどを浮かべていたはずの男が、冷ややかな目をしていることに気がついた。
やばい。
どうやらまたやらかしちまったらしい。
背筋を冷たいものが伝う。
どうしたものか、と思っていると、国木田が吹き出した。
声を立てて笑いながら、
「珍しいものを見せてもらっちゃったな」
などと言う。
何が珍しいんだ、というか、頼むからこれ以上古泉を刺激しないでくれ。
「心配しなくても、」
と国木田はまだ笑いを帯びたままの声で、俺ではなく古泉に向かって言った。
「キョンに対して恋愛感情なんて持ってないよ。友人としてなら、勿論好きだけどさ」
それにしても、と国木田は古泉の戸惑いが滲む不機嫌な面を見て、軽く笑いを振り返しつつ、
「本当にキョンのことが好きなんだね」
思わず顔を赤らめた俺とは違い、古泉はむしろ胸を張って、
「ええ、愛してますから」
と堂々と宣う。
俺がぎょっとしても止まらないらしく、
「日頃この人と親しくしておられるあなた方にも嫉妬してしまうくらい、好きなんです。余裕なんてありませんから、見苦しいかとは思いますが、反省も後悔もしませんよ」
「古泉くんってそういうタイプだったんだね」
何が楽しいんだか、国木田は愉快そうに言った。
「安心したよ。友人として、キョンを応援出来そうで」
「そうでなかったらどうしてたんです?」
訝しむように尋ねた古泉に、国木田は薄く、そう、あの思わせぶりな笑みを見せた。
「勿論止めたし、邪魔だってしたんじゃないかな。古泉くん相手にそれは骨が折れそうだから、そうしなくて済みそうで何よりだよ」
「……過去に、あなたのお眼鏡にかなわなかったような人でもいましたか?」
「どうだろうね」
立ち込める不穏な気配に寒々しいものを感じながらも、どうやら古泉と国木田が意気投合してくれたらしいというそのことに安堵を覚えた俺も、相当どうかしている。
だが、まあ、そんなもんだよな。
友人と恋人が険悪にしてて居心地よく感じる奴なんて、そう居やしないだろうから。
そんなことを考えながら、俺が窓の外を眺めたのを、現実逃避と言わないでもらいたい。
誰が好き好んで、自分が当事者であるらしいのに全く心当たりのない浮いた話を聞いたり、ましてやそれで周囲の温度を引き下げている恋人なんてものを見ていたがるもんか。
国木田、頼むから冗談もほどほどにしてくれよ。
後で酷い目に遭わされるのは俺なんだからな。