びっくり箱



開けてびっくりとはまさにこのことだと思った。
このこと、というのは、俺の「初仕事」の内容だ。
「ちょっとしたカタログの仕事」と言われて引き受けたはずだったのに、本当はそうじゃなかったと俺が知ったのは、その仕事から結構な時間を経てからのことだった。
「キョン! あんたよくやったわ!!」
という歓声と共にハルヒに抱きつかれたのは、部室でのことだった。
朝から教室で目が合うたびに、何か言いたげな様子を見せるかと思ったら、どうやらハルヒなりに我慢していたということだったらしい。
しかし、
「何がだ?」
俺にはさっぱり分からん。
「これよ、これ!」
とハルヒが見せたのは、男の俺でさえ、女装にはまる前からでも知っていた、有名な女性向けファッション雑誌だった。
雑誌業界が厳しいと言う昨今にも関わらず、堅実な売り上げを保持しているとどこかで聞いた覚えがあるそれをハルヒは誇らしげにかざしていた。
「それがどうした?」
「何よ、あんた自分の仕事内容も知らないの?」
きょとんとしたハルヒの言葉に、俺は顔から血の気が引いた。
「仕事内容だと?」
「そう。これ、あんたでしょ?」
そう言ってハルヒは、くっきりと折り癖のついたページを俺の目の前に開いて見せた。
そこに写っているのは、見覚えのある服を着て、見慣れきってしまい、指先だけでもそれと分かる手を握っている俺の姿だった。
「なっ……!?」
「やるじゃない、これ、ここのブランドの新作なんでしょ? そのモデルだなんて、いきなり大仕事じゃない」
「んな馬鹿な……」
ちょっとしたカタログの仕事と言ったくせに、これじゃ、カタログってところからして違うじゃないか。
愕然としている俺に、
「…ああ、それでだったんですね」
古泉がなにやら感慨深げに呟くのが聞こえた。
何がだ。
「いえ、撮影の際、途中から雰囲気が変わったでしょう? 服も、現場も。何かあったのかとは思ったのですが、その間に何かあったのではないでしょうか?」
「……なるほど」
その可能性は大いにありえた。
スタジオにはいろんな人間が出入りしていたし、社長やスタッフさんがみんなして集まり、何か真剣に話し合っていたような覚えもある。
あの時仕事内容が変更になったってことだろうか。
「ほんとよく撮れてるわ! ただ綺麗だったり可愛かったりするだけじゃなくて、中性的な感じがしてるし。ちょっと色惚けしたようなところもあるけど、それもひっくるめてあんたらしくっていいわね。今度、カメラマンの人にお礼言っておいてちょうだい」
とハルヒはご満悦だ。
「いきなりぱっと出てきたモデルが使われたってことで結構話題にもなってるみたいよ? これからきっとじゃんじゃん仕事も来るわね! それでSOS団の活動をおろそかにするのは許さないけど、広報活動の一環として認めてあげてもいいわ。精々頑張りなさい」
とまで言っている。
それを横目で見ながら、俺は古泉に近寄り、
「…機関が何かしたんじゃないだろうな?」
と絶対にハルヒに聞かれない様気をつけて小声で問うと、古泉は苦笑した。
「機関としては何もしていないと思います」
…妙に引っかかる言い回しだな。
それ以外なら何かしたっていうのか?
「僕ではありませんよ。ただ…」
と古泉は困ったような顔をして、
「怪しい人物はいるんですよ」
「誰だ?」
俺が問うと、古泉は一層声を潜めて、
「……あなたのお義姉さん、ですよ」
……あー…なるほど。
納得した。
あの人ならどんなコネクションを持っていたとしても不思議ではないし、こうして俺の女装を後押しするようなことをしてもおかしくはないからな。
「あの人なら顔も広いですし、それくらいやりかねないかと」
全く、お義姉さんらしいといえばまさしくその通りなんだが、一体どうするつもりなのかね。
と嘆息していると、ドアが勢いよく開いた。
ハルヒが室内にいる以上、そんな開け方をするのは一人しかいない。
鶴屋さんだ。
「やぁやぁっ、皆の衆っ、今日も律儀に揃ってるね!」
と振りかざした手にはハルヒが持っているのと同じ雑誌だ。
「まずはキョンくんっ、」
ときらきらした笑顔を向けた鶴屋さんは、
「お仕事ご苦労様っ! 社長さんも喜んでたっさ。予想以上に反響が大きいらしいよ?」
何ですって?
「すんごい話題になってるんだよっ。仕事の話とかの問い合わせなんかもたっくさん来ててね。でもキョンくん、スリーサイズとか身長体重以外は、モデル名くらいしか出してないっしょ? 性別すら内緒でさ。それが余計にミステリアスでいいってんで、もう話題騒然って感じなんだって。他にもちょこちょこお仕事してたっしょ?」
そう、あの初仕事以来、他にもいくらか仕事をさせてもらっていた。
それもやはり、有名なブランドのものだったり、まだそうメジャーではないものの、注目されつつある新進気鋭のデザイナーの作品だったりしたらしい。
「専属ってんならともかく、そうじゃなくて、しかもいくつものブランドにまたがって、なんて、あり得ないくらいの椿事だからね。それでもっと注目されてるわけっさ。いやぁ、紹介したあたしも鼻が高いってもんだね!」
……お義姉さんに聞きたい。
あなた、本当に何者なんですか、と。
ぽかんとしている俺に、鶴屋さんはご機嫌で続ける。
「これから大忙しだね、キョンくんっ! 頑張っておくれよ? あたしも、キョンくんの可愛いかっこやかっこいいとこ見たいからねっ」
そう笑う鶴屋さんは気楽でいいかもしれないが、俺としてはどうしたらいいのか分からんというものだ。
なんでこんな大事になっちまったんだ?
いや、お義姉さんが暗躍したせいだろうとは思うのだが、それにしたって……。
「心配しなくっても、学業の邪魔はさせちゃいけないよって社長にも頼んであるし、これまで通りやったらいいよ」
と鶴屋さんは言ってくれるが、本当にこれはそれだけで済む問題なのか?
冷や汗が背中を伝うのを感じて身震いすると、
「大丈夫ですよ」
と優しく声を掛けられた。
「古泉?」
「あなたが嫌なら、止めてもらいます。騒がれたくないのであれば、派手な仕事は避けてもらってもいいでしょう。……でも、そんなことはしたくないんでしょうね?」
困ったように笑った古泉に釣られて、俺も薄く笑う。
「…よく分かるな」
「あなたのことを見てますからね」
そう言ってかすかに喉を鳴らして笑った古泉は、
「本当に、見た目によらず負けず嫌いなんですから。それに努力家で、そのくせ慎ましやかで…」
その肌触りのいい手の平が、俺の頬に触れる。
「あんまり美人になり過ぎないでくださいよ」
「なんでだよ?」
綺麗になった方が、お前だって、一緒に街を歩くのに気分がいいだろ。
「確かに気分はいいですよ。特に、このところレッスンのおかげか、姿勢も歩き方も一層美しくなってますからね。前以上に美しいあなたを連れ歩いていると、羨望と嫉妬の眼差しがいっそ気持ちいいくらいです。でも、そうして惹きつけられる人間が増えるほどに、危ない人間が増えるということも、十分考えられるでしょう? …あなたに何かあったら心配ですから。何より、」
と古泉はくすぐったくなるような声を俺の耳に直接吹き込むようにして囁いた。
「あなたに捨てられたらと思ったら、僕は気が気でなくなります」
「…ばぁか。んなことあり得ないって分かるだろ?」
「分かりませんよ? この調子で仕事が増えていき、他のモデルやデザイナーの方と知り合ったなら、僕以上にあなたの好みに合致する人だって現れたって不思議じゃないでしょう?」
「だから、好みとかそんな問題じゃねぇんだよ」
俺は手を伸ばし、むにっと古泉の頬を引っ張ってやった。
はは、間抜け面。
「…お前が、初めて化粧をした俺に見惚れて、初めて女装した俺を女の子として扱ってくれたりしたのがきっかけなんだからな。今更他の誰が出てきたって関係ない」
「……嬉しいことを言ってくれますね」
くすぐったそうに呟いた古泉が俺を抱きしめる。
「愛してます」
「知ってる」
と、そんなことを言った時だった。
「いっやー、話には聞いてたけど、ほんっとらぶらぶだねー。あっついあっつい」
ぱたぱたと雑誌を団扇の代わりにして顔を仰ぐ鶴屋さんに、俺ははっと我に返った。
しまった、なんてもんじゃない。
うっかりしていたなんてことで済ませるものでもない。
「す、すみません、お恥ずかしいところを…」
と俺が慌てて謝ると、鶴屋さんはいつものように明るく笑い飛ばし、
「いいってことさ。モデルとしてのお仕事のコンセプトもそれなんだしょ? 恋をしている女性の強い美しさ、だったっけ?」
「知りませんけど…そうなんですか?」
「ってあたしは聞いてるよ? これまでのお仕事も全部古泉くんと一緒に行ってるんだよね?」
そうですけど…。
「だからある意味、古泉くんと二人まとめてで、モデルの『K』なんだろうねっ。古泉くんのイニシャルもKだし、丁度いいにょろ」
と笑った鶴屋さんは、
「社長にハルにゃんたちのことを話したら面白がってね。Kをどうやって売り出すかとか、考えてみてくれないかって言ってたよ。採用されるかどうかはわっかんないけど、やってくれるっかい?」
そんなもん、聞くまでもないだろう。
「やるに決まってるでしょ!」
ハルヒは鼻息も荒く、そう答えた。
……やっぱりな。
ため息を吐く俺をよそに、ハルヒも鶴屋さんも楽しそうに作戦会議とやらをはじめる。
長門まで本を置き、目をきらきらさせている有様だ。
一体どうなることやら、と嘆きたいのかそれとも面白がっているのか、自分でもよく分からない気になりながら、ふと顔を上げると、古泉と目が合った。
古泉は途端に柔らかく目を細め、唇で優雅な曲線を描く。
そんな優しい表情も愛しくて、俺はほうと短いため息を吐いた。
それが最前のものとは全く別種のものであることは言うまでもない。