初仕事(後半戦)



撮影中でも、スタジオというのは案外人の出入りがあるらしく、時々スタッフらしからぬ人が出入りしている。
スタッフさんも出入りしては、なにやら新しい衣装を担ぎ込んできたりしているのを横目に見ながら、俺はスクリーンの前に立っていた。
慣れてきたので、古泉には黙っていてもらっているのだが、時折目が合っては投げ掛けられる視線だのウィンクだの笑みだのが無性にくすぐったい。
それもこれも、あれだけぶつくさ言っていたくせに、いざ撮影となると上機嫌になっている古泉が悪いのだ。
「あなたが可愛らしいから仕方ないじゃありませんか」
というのが着替えなどの準備の間に古泉が言った上機嫌の理由である。
「いつも以上に可愛らしく、かつ、いつもなら着てくださらないような服を着たあなたを見ていて、僕が不機嫌さを持続させられると思いますか? 無理ですよ」
頭の煮えきった御目出度い発言に、ああそうかいと適当な相槌を投げた俺だったが、やっぱり古泉に褒められるのは嬉しい。
他の誰に褒められるより、古泉に褒められると何百倍も嬉しく思えるし、実際、古泉は似合わなければ似合わないと言ってくれる奴だからな。
そんなところも含めて、信じられる。
古泉は余計な嘘なんて吐かないしな。
だから俺は、
「俺としてはむず痒いくらい恥かしいんだが」
と軽口を叩く。
「そうですか?」
「ああ。スカートは短すぎるし、おまけに生足だぞ? どう考えても見苦しいだろ」
「そんなことありませんよ」
と古泉は微笑んで、軽く俺の脚に触れた。
「いつも綺麗にされてるなって、感心してるくらいです」
「…そりゃ、な」
古泉と一緒に歩きたいなら、そんじょそこらの奴より綺麗でいたいから、こっちだって必死になるしかないだろ。
……なんてことは言えず、黙って赤くなった俺に、古泉は笑顔で、
「そろそろ行った方がいいみたいですよ。早くお仕事を終らせて、どこかで夕食を食べて帰ることにしませんか?」
「ん、そうだな」
そんな餌に釣られたわけではないのだが、実際俺はそれまでより気合を入れて撮影に臨んだ。
カメラを向けられることにも、たかれるフラッシュにも慣れてきて、この調子なら大丈夫じゃないか、と思った頃になって、不意に現場の空気が変わった。
妙な緊張感が漂う。
メイクさんも、さっきまでは手にしてなかったはずの指示表を手に、難しい顔で衣装を引っ張り出し、真剣な表情でメイクをしてくれている。
「あの……どうかしたんですか?」
「え? ……あ、ごめんね、戸惑わせちゃって」
と笑ってくれたものの、その笑みはどこか苦い。
「俺、何か失敗しました?」
「ううん、そうじゃないの。Kちゃんはよくやってくれてるわ。ただ、ちょっと予定が変更になっちゃって、あたしたちもばたばたしちゃってるのよ。ごめんね」
「いえ、いいんですけど……」
一体なんなんだろうな。
着せられた服も、さっきまでと比べてなんだか高級そうに見える。
生地もさらさらと気持ちいいし、デザインもどこか少し変わっている。
大人っぽいのか、それとも少女向けなのか分からない。
そんな曖昧さにこっちも戸惑う。
そんな訳で、またもや緊張してきちまった。
さっき以上にぎこちなくなってきていると分かるのに、どうにもならない。
申し訳なくて、泣きそうだ。
「――彼氏も入ってみない?」
へこたれそうになった俺の耳に、カメラマンのそんな言葉が入った。
「え」
戸惑いの声を上げたのは俺だ。
「話してても、他に気になるみたいだからね。あまり写らないようにしてみるから、入ってもらってみたらどうだろう。その方が、Kちゃんも落ち着くんじゃないかな?」
「それは……そう、だと思いますけど…」
古泉がそこまで協力してくれるだろうか、と思いながら上目遣いに古泉を見ると、古泉は苦笑しながら、
「あなたの仕事でしょう? 僕なんかが入っても邪魔になるだけではないでしょうか」
と言うので、俺は大きく首を振り、
「お前がサポートしてくれるなら、助かる。でも、お前が嫌なら……」
語尾を濁らせた俺に、古泉は小さく笑った。
「あなたが気を悪くしないのであれば、少しくらい構いませんよ」
そう言って、椅子から腰を上げながら、古泉はカメラマンに向かって言う。
「あくまで彼女がメインであり、僕は彼女を引き立てるための小道具ということでしたら、協力します」
「ああ、勿論それでいいとも」
とカメラマンもほっとしたように言った。
「では、」
と古泉は真っ直ぐこちらに向かってくる。
「着替えたりしなくていいのか?」
「メインはあなたですから。僕はこのままで支障がない程度にしか写るつもりはありませんよ」
ゆっくりと、見せつけるように歩み寄ってくる古泉に目を奪われ、ぼうっと見つめていると、フラッシュが光って竦みあがった。
一瞬、本気で状況を忘れていた。
しかしカメラマンは笑って、
「いや、いいよ。写ってなくても、視線の先にいるのが彼氏だって分かるようないい顔してた」
「かっ、からかわないでくださいよ…!」
余計に赤くなりながら言えば、カメラとは別の方向から古泉が、小さく意地の悪い笑い声を立てて、
「いいじゃありませんかそれくらい。…ね?」
「うぅ……」
唸って睨みつけた顔を、また撮られる。
古泉の手が伸ばされ、笑みが俺に向けられる。
思わずその手を取ると、またフラッシュが光った。
古泉はまるで遊ぶように俺の手を繋いでは放してみる。
ただ握手をするように握ってみたり、いわゆる恋人つなぎのように指を絡めてみたり、そうでなければ俺の指を一本握り締め、逆に俺に指を握らせてみたりと、何か試すように繰り返す。
手を上げ、下げ、俺を吊り下げるつもりかと言うくらい高く手を上げてみたりと、
「お前、遊んでるだけだろ」
「ばれました?」
くすくすと笑った古泉が俺の額を指先でつつく。
「流石に眉間に皺はまずいんじゃありませんか?」
「ぐっ……!」
「それで、あなたはどの繋ぎ方が好きですか?」
「どのって……」
しばし真剣に考え込んだ後、
「……とりあえず、指だけは嫌だ」
と呟くと、古泉が笑って、
「では、やっぱりこれでしょうか」
と言って、恋人繋ぎにして見せた。
しっかりと触れ合う指が、心地好い。
「……お前は?」
そう聞いた俺に、古泉は笑顔のまま、
「勿論、あなたと触れ合える方がいいに決まってますよ」
だよな。
「ですから、」
言いながら、古泉が俺の手を握ったまま、こちらに近づいてくる。
そうして、俺の背後に回ると、俺を軽く抱き締め、
「こちらの方がいいですね」
「っ、お前なぁ…!」
しかし、フラッシュがばしばしたかれてるってことは、こんなのでもいいってことなんだろうか。
戸惑いながら古泉を仰ぎ見れば、同意を示すように微笑みかけられた。
しかし、本当にこの状態でいいのか?
こんな状態でいたら、背中に古泉の体温を感じるし、悪戯をするように俺の髪や頬に触れる指はくすぐったいし、何より落ち着かん。
付き合いはじめてからもう既に半年以上が経ってるってのに、なんでだろうな。
いつまで経っても、俺は古泉に抱き締められたりすると胸が痛いくらいにドキドキして、どうしようもなくなる。
もっと深いところまで知っているはずなのに、まだ足りないとばかりに触れ合いたくなる。
至近距離で見詰め合うと、それだけで、キスしたく、なっ……て、これはまずいだろ!
ひとりで慌てている俺に、着替えの指示が来て、俺は逃げるように控え室に逃げ込もうとしたのだが、その寸前で古泉に、
「ちょっと待ってください」
と呼び止められ、手を引っ張られた。
引かれるまま、振り返ると、周りがばたついているのをいいことに、物陰に潜むようにして抱き締められた。
「んっ…」
抗議の声を上げるより早く、唇に古泉のそれが触れる。
ただの一瞬のそれが、どうしようもなく、嬉しい。
ぽうっと古泉を見上げると、古泉は小さくウィンクして、
「して欲しそうに見えたものですから」
と囁いた。
「それとも、僕の思いあがり、勘違いでしたか?」
「……ち、違わん…」
恥かしさのあまり、唸るように答えるのがやっとだったのだが、
「それは何よりです」
嬉しそうに笑って、古泉が俺の背中を押す。
「次の衣装も楽しみにしてますよ」
「ん」
そう答えて、控え室に戻った時にはもうちゃんと切り替えられていたと思ったのだが、やはり俺はまだまだ未熟らしい。
撮影が始まってから、
「Kちゃん、笑顔なのはいいけどもう少し唇引き締めてくれるかなー」
と言われちまった。
……古泉が悪い。

なんだかんだ言いながら、数え切れないほど写真を撮られ、撮影は終了した。
試しに撮ったという何枚かをこっそり見せてもらった限りでは、そう悪くもないんじゃないかと思うのは、自惚れが過ぎるというものだろうか。
「実際、あなたはとても綺麗で、可愛らしいんですよ。僕としては、この機会によく自覚していただきたいくらいです」
とは古泉の言だが、これはやはり話半分に聞き流しておくべきだろう。
ほっとしたのは、カメラマンや他のスタッフの人たちにも褒められたおかげだ。
「飲み込みが早かったね。この調子でまた一緒に仕事がしたいもんだ」
とまで言ってもらえて、心底ほっとした。
いや、勿論社交辞令というものだとは思うんだが、それでも扱き下ろされるよりは気が楽だ。
社長もほっとしたようで、
「よく頑張ってくれたね」
と褒めてくれた。
それでも、だ。
俺はやっぱり、古泉に褒められるのが一番嬉しいのだ。
「ちゃんと出来たと思うか?」
帰りながら俺が聞くと、古泉は俺の手を握り締めて、
「ええ、ご立派でしたよ。途中からは、僕はいなくてもよかったようですし」
「…お前がついてきてくれて、本当によかった」
「そうですか?」
「ああ、そうじゃなきゃ、ここまで出来なかったと思う。…ありがとな」
顔を赤らめながら言えば、古泉が優しく笑って、
「どういたしまして」
横断歩道の手前で赤信号に足止めされたのをいいことに、俺は、
「……古泉」
とねだるように古泉を呼ぶ。
「なんでしょう?」
問われても、それ以上は言わず、俺はじっと古泉を見つめた。
上目遣いから、目を閉じきってしまえば、古泉にもその意図は正確に通じたらしい。
小さな笑い声が耳をくすぐったと思うと、吐息が触れ、唇に柔らかな感触が重なる。
少し唇を離しただけの至近距離から見詰め合えば、お互い自然に笑みが零れた。
俺はそのまま恥かしげもなく古泉の腕に自分の腕を絡めると、
「好きだぞ」
と甘ったれた声で言ったのだが、それに対する返事は、
「こういうところではやめましょうよ」
という困りきった返事で、
「なんでだよ」
思わず不貞腐れそうになる俺に、古泉は困惑混じりの笑顔で、
「少なくとも、まともな食事が取りたいなら、やめてください。そうじゃないと、手近なところに連れ込みますよ?」
「…っ、おま、え、は、また…!!」
なんで美形のくせにそうムッツリスケベなんだ!!
勿体無いにもほどがあるだろ!?