去年とやってることが少しも変わっていないアホの谷口を振り切った俺は、カバンを抱えて部室棟に向かっていた。 こっちでも結構催し物があるせいで、なかなかの混雑だ。 かさばる秋物のせいで膨らんでいるカバンを人にぶつけないように気をつけて歩いていると、 「キョン」 と誰かに呼び止められた。 振り返るとそこには、……あー……誰だったかね。 同じ中学だったような気がするんだが、それ以外特に接点のなかった野郎がそこに突っ立っていた。 振り向いた俺にそいつは、 「なあ、お前も昨日のミスコン見に行ってたんだろ？」 いきなり言われ、ぎょっとした。 会場にいなかったと言われたりしたらどうしようかと思いつつ、 「あ、ああ、まあな。それがどうした」 なんとか平静を装う俺にそいつは、 「あのＳＯＳ団代表の美女って、本当に古泉の彼女なのか？」 「そうだが……何か問題でもあるのか？」 彼女じゃなくて彼氏だと気付いたとかじゃないだろうな？ 「うっわ…やっぱりそうなのか……。涼宮のことだからつくり話って可能性もあるかと思ったのに…」 「何なんだ？」 頭を抱えて唸るという不審行動に眉を寄せると、 「んなもん、決まってるだろ。お近づきになりたかったんだよ」 「お近づきにって……」 「お前だって思うだろ。あんだけ美人なんだぞ」 「そんなにか？」 思わずそう返した俺に、そいつはほとほと呆れた顔をして、 「お前……あれだけ美少女揃いのＳＯＳ団にいて何の浮いた噂もないと思ったら。……審美眼、おかしいんじゃねーの？」 「うるさい」 「つうか、もう古泉の彼女だろうが何だろうが構わん。紹介してくれ」 「……はぁ！？」 なんだそりゃ。 彼氏持ちだって分かっててそういうことを言うのか？ 「悪いか」 「少なくとも褒められることじゃないだろ」 「いいんだよ」 「というか、無駄だからやめとけ」 「無駄って……」 「俺が言うのも難だが、あいつらは見てる方が恥かしくなるくらい仲がいいからな。割って入ろうと思っても無駄だぞ」 「んなもん、試してみなきゃ…」 「あと、あいつはタチが悪いまでに面食いだからやめとけ」 俺が言うんだから間違いない。 じゃあな、と強引に話を打ち切った俺は、部室棟へ向かう足を速めた。 薄情者、とかなんとか言ってるのが聞こえたが、無視だ無視。 こんなところで時間を浪費しているような余裕はない。 大急ぎで駆け上がった階段の先はすぐに部室だってのに、どうしてこういう時に限って部長氏と顔を合わせちまうんだろうな。 「あ…」 とお互い呟いたきり、気まずく沈黙する破目になった。 先に調子を取り戻したのは部長氏で、 「おはよう」 と言われ、俺も反射的に、 「おはようございます」 と返したものの、それ以上何かうまい言葉も見つからないので、そそくさと部室に入った。 早くしないと古泉が来ちまう。 俺は大慌てで着替えを開始した。 用意してきたのは、極力地味な服だった。 黒いワンピースに白の長袖ブラウス、黒い帽子に、朝比奈さんが編んでくださったレースのショールを引っ掛ける。 黒のパンプスに黒いストッキングを履いた足を突っ込んで、今度は化粧に取り掛かる。 こちらも地味めなナチュラルメイクだ。 派手にならないよう気をつけながら、それでもしっかり塗らないと女の子になんか見えやしないので、気を遣った。 苦労の末に、やっと満足行く出来になり、俺は安堵の息を吐きながら古泉にメールをした。 勿論、迎えの要求である。 答えは、ドアへのノックだった。 鍵を外し、ドアを開くと、古泉がいつものようにハンサムスマイルを浮かべて、そこに立っていた。 「おはようございます」 「おはよ」 あー…なんというか、照れ臭いものがあるな。 「そうですか？」 くすくすと楽しげに笑った古泉は、 「今日の服もよくお似合いですよ」 「一応、抑え気味にしてみたつもりなんだが、どうだ？」 「…ええと……」 複雑そうに目をそらした古泉は、 「黒尽くめというのは、かえって目立つ気がするのですが…」 ……自分では抑えたつもりだったんだが、どうやらそうは見えないらしい。 昨日の今日で感覚が鈍ったのかね。 「でも、いいですよ。とてもよく似合ってます。今日も美人ですよ」 そう褒められると悪い気はしないどころか、嬉しくてならない。 こいつは本当によく俺のことを分かってる。 女装してる時ってのは、容姿を褒められるだけで嬉しいもんだからな。 「ところで、」 内緒話をするように古泉は耳に唇を寄せてきた。 実際、内緒話のつもりなんだろう。 もう、部室棟の最上階であるここにまで、ちらほらと客だの生徒だのが姿を見せ始めていたからな。 「具合はどうですか？ 腰とか、痛みません？」 「なっ…！」 叫んで絶句した俺は、自分の顔が真っ赤に染まっていくのを感じたが、そのまま、 「ば、ばか！」 と怒鳴った。 だが、古泉にそんなものが堪えたりするはずもなく、 「いやあ、心配で心配で」 などと笑っていやがる。 心配するくらいなら自重しろ。 「しましたよ？ してなかったら、今頃あなたは僕と一緒に家で寝てましたね」 単純に笑顔とは言い切れないような表情で言った古泉に俺は軽く眉を上げ、 「……お前、結構根に持つタイプだったんだな」 「おや、十分寛大だと思いますよ？」 「…かもな」 普通なら、他の男と健全な、とはいえデートなんてさせてくれないだろうからな。 ため息を吐いた俺に向かって、古泉は手を差し伸べる。 「繋いではくれませんか？」 「…組むのはダメか？」 「ダメなんて、言うと思います？」 そう返されて、俺は軽く首を振った。 するりと腕を絡ませると、ふわりと古泉の匂いが鼻腔をくすぐる。 それだけで、とろんとしてしまいそうな甘い匂いだ。 「どこへ行きましょうか？」 「任せる。エスコートしてくれるんだろ？」 「ええ、勿論です。他の誰にも譲りたくありませんね」 「そういうこと、他の女の子に言うなよ」 他の男でも嫌だが。 「言うわけないでしょう」 くすりと笑った古泉は、 「さて、定番でなんですが、お化け屋敷でも見に行きますか？ 一年生が張り切ってるようですよ」 「そりゃまたベタだな」 だが、古泉と一緒なら悪くない。 「任せるって言っただろ。好きに連れ歩いてくれ」 「ありがとうございます」 恭しく言った古泉が幸せそうに微笑むのを見るだけで、恥かしくなるほど胸が暖かくなった。 「古泉」 「なんですか？」 「…好きだぞ」 小さく囁くと、古泉は柔らかく微笑む。 「僕もですよ。…愛してます」 恥ずかしげもなく言ってのけた古泉は、もはやその程度のことは慣れっこと言うことだろう。 ……本当に出来るかどうかはともかくとして、今度、女装していない時に言ってやろうか。 そうしたら多少は驚くかどうかすると思うんだが。 周りの視線に少なからず優越感とくすぐったさを感じながら、俺たちは部室棟を出て一年の教室の方へ向かう。 擦れ違うのはうちの高校の奴等ばっかりじゃないから、俺と古泉のことを知らない人間も多くいるだろうに、こんな風に腕なんか組んでるせいか、付き合ってるということも丸分かりらしい。 羨望が入り混じる、なんてもんじゃないくらいの視線がちりちりと首の後ろ辺りを焼き、いっそ快感である。 癖になったらどうしてくれる。 「いいじゃありませんか、癖になっても。――ああでも、僕と歩いて人目を引けなくなったからと言って他の男性と一緒に歩かれたりはしないでくださいね」 「するわけねえだろ」 そうはっきりと口にした俺に、古泉は薄く笑い、 「そう言っていただけて安心しましたよ」 と言ったのだが、 「なんだ、立候補してやろうかと思ったんだが」 と言う声が聞こえ、ぎょっとして振り返る破目になった。 驚くべきことに、そこには眼鏡をオフにした生徒会長様がいた。 「か、会長…？」 驚く俺に、会長はえらく悪役ぶった笑みを浮かべ、 「よう。昨日あれだけ騒ぎになった以上、今日は出てこないかと思ったが、出てきたんだな」 「え、ええ、まあ……」 「昨日の今日で出て来ない方がおかしく思われるか。古泉が振られたなんて噂でも立ちゃ、面白かったんだがな」 それに対して古泉は、あくまで笑みを崩さず、しかしながら、常日頃の古泉のバリエーション豊かな表情を見慣れた人間には、苛立っていると分からざるを得ない笑みを見せつつ、 「何か御用ですか？」 と聞いた。 暗に、邪魔だからいなくなれと言っているのは間違いない。 しかし、会長はそれで大人しく帰ってくれるほど簡単な奴ではないらしい。 「見せ付けてるから冷やかしに来てやったんだろ」 「生徒会の仕事がお忙しいのでは？ これが生徒会長として最後の大仕事でしょう？」 「生徒としても最後だからな。俺だって楽しませてもらってんだよ」 そう言って、会長は俺に目を向けた。 品定めするような…というか、モロに品定めしてるんだろ、これは。 むっとしながら、 「人の物に手出しするような趣味はなかったんじゃないんですか？」 と冷たく返したのだが、会長は何が楽しいのかクスクスと笑って見せた。 「ああ、そこまで飢えちゃいないからな。が、」 が？ 「浮気でもしたくなったら、いつでも声を掛けてもらいたいくらいのいい女ではあるな」 嘘吐け。 ケッと吐き捨てたくなる俺の横から、古泉が言う。 「不本意ながら、浮気相手なら既に十分間に合っていますから」 「何？ お前浮気なんかされたのか？ だらしねえな」 だから浮気じゃねえっての！ 「浮気じゃないなら本気か？」 混ぜっ返すな。 「というか、会長、本気で邪魔なんでお引取り願えますか」 思わず睨みつけて言った俺に、会長はにやにや笑いながら両手を挙げた。 「分かった分かった。それじゃ、またな」 またな、なんて不吉な台詞を残して去らないでもらいたい。 俺はため息を吐いて古泉を見つめ、 「…ほんと、何しに来たんだ、あの人は」 「僕をからかいに来たんじゃないですか？ あの人は僕のことがお気に召さないようですから」 気に入られても困るが、面倒な人だな。 というか、 「お前、からかわれたりしてんのか」 「え？ …ええ、まあ、たまにですけど」 「……言っていいか」 「はい？ なんですか？」 「…正直、ムカつく」 「…は？」 「お前をからかうのは俺の特権だろ？ 他人の前で隙なんか見せるなよ」 憤然と言い放った俺を、古泉はどういうわけかしばらくまじまじと見つめていたが、ややあって柔らかく微笑むと、 「まさかとは思いますが、妬いてます？」 「悪いか」 くそ、面白くない。 クックッと笑った古泉だったが、 「心配しないでください。あの人はノーマルな人間ですし、僕は自分でもどうかと思うくらい、あなた一筋ですから」 と言って、俺の頭にキスを落とした。 それから、すっかり機嫌を直したような顔になって、 「では、今度こそ余計な方に声をかけられたりしないよう、速やかにお化け屋敷に行くとしましょうか」 「おう」 そうして俺たちは人目をぐいぐい引っ張ったまま、お化け屋敷に足を踏み入れた。 真っ暗、と言うには足りないのは、ちょこちょこと蛍光塗料が光っていたり、薄暗いランプが灯っているほかに、稚拙な目張りの隙間から外の光が漏れ込んでいるせいだろう。 「んで、古泉よ」 「はい、なんでしょうか？」 「お前、こんなところに連れてくるってことは、俺に悲鳴でも上げて欲しいのか？」 「いやあ、そこまでの期待はしてませんよ」 そう言って軽く笑った古泉だったが、小さくウィンクを寄越すと、 「ただ、暗いのはいいと思いまして。残念ながら、期待したほど暗くありませんでしたが」 「…お前な」 呆れつつ、俺たちは足を進める。 中で止まってたら迷惑だからな。 狭い教室だってのに、それなりにルートを工夫しているらしく、あっという間に通りぬけられるほど短いものではないらしい。 定番の効果音が聞こえ、時折なにやら不気味な物音もしている中を歩く。 これは天然のものなんだろうが、生温い空気がなんとも言えず気持ち悪い。 しかし、驚かそうとして飛び出してくる連中には悪いが、生温い笑みを向けてやることしか出来ない。 いっそさっさと抜けてやろうぜ、とでも言ってやろうかと思った時だった。 何かが俺の腰をかすめ、 「うあっ！？」 と声を上げさせられた。 腰っつうか、思い切り尻を触られたぞ、今！ 「どうしました？」 どうしましたって、 「お前だろ？」 「なんのことです？」 きょとんとした声からして、古泉ではなかったということなんだろうか。 「…お前じゃないのか？」 「だから、なんのことです？」 経験から物を言わせてもらおう。 ――ここは笑って誤魔化しとけ。 「いや、お前じゃないなら、多分気のせいだ。お前も気にするな」 「はぁ…」 いまいち納得してない様子だったが、深く追求するつもりもないらしい。 「さっさと出ちまおうぜ」 と言って足を速めた俺を不審に思うようでもなかった。 「あまり楽しめませんでしたね」 とこっそり囁いて、お化け屋敷を出た。 「お前、それは酷くないか？」 「そうですか？」 悪びれもしない古泉にため息を吐きつつ、 「あー、なんか食いたい。古泉、甘いもんでも食いに行こうぜ」 と向かう方向を定めると、古泉の腕を引っ張った。 「甘い物、ですね。分かりました」 柔らかく笑った古泉に連れられて、校庭に出た。 並んだ出店を冷やかしつつ、思いつくままにジュースだのアイスだのをねだれば、古泉はこれまたえらく幸せそうな顔をしてほいほい買い与えてくれた。 幸せ太りの原理のひとつを見た気がする。 「そうですか？」 「ああ。俺が太ったら責任取ってくれよ」 「どう取りましょうか」 楽しげに言う古泉に、 「お前に任せる」 と返せば、 「まあ、何にせよ、僕はこのままあなたの一生について、責任を取る気でいますからね」 あっさり返された。 ああもう、お前って何でそう、 「変なところで男前なんだ」 言いながら抱きついて、キスをした。 場所は中庭の隅、人目はあるようなないような、微妙なところだ。 古泉は驚いたように目を見開いたが、すぐに目を細める。 そうして、俺を抱きしめ返すと、キスを深める。 「んっ……ふ…」 息が切れそうになったところで解放された。 二人して顔を見合わせ、 「…バカップルだな」 と笑うと、笑い返された。 俺は指を伸ばして古泉の唇に移った口紅を拭い取ってやり、自分は塗り直すのも忘れない。 「満足したか？」 ニヤリと笑ってやれば、 「ええ、いい気分ですね。これだけ見せ付けてやれば、あなたに手出ししようという不埒者も、随分と減らせるのではないでしょうか」 「これだけでいいのか？」 「と、言いますと？」 「最後まで、面倒見てくれるんじゃないのか？ 家に帰るまで、さ」 ふふ、と忍び笑いを漏らした古泉は、 「帰られるんですか？」 当たり前だろ。 昨日だって結局帰れずに、早朝に慌てて家に寄る破目になったんだからな。 「泊まって行ってはくださらないんですか？」 残念そうに言った古泉に、俺はため息を吐き、 「帰って大人しく寝させろよ」 「そんなに疲れました？」 「誰かさんのせいでな」 情けなく眉を下げた古泉に、俺は言う。 でもまあ、 「大人しく寝させてくれるんなら、泊まってやってもいいぞ？」 最大限の譲歩として、そう言ってやった。 古泉がどうしたかは、想像に任せる。 |