姫君の困惑



普通、論文でもない限り結論と言うものは最後に来るものだ。
これは論文ではない。
つまり、結論が先に来るのはおかしい。
だが、本筋であるところの奇矯なミスコンの結論を先に言った方が分かりやすいのだから仕方がない。
よって結論。

ベストカップル賞は無事獲得出来た。


ハルヒたちがグルになって用意した衣装は、いつだったかに言っていた気もするような服だった。
聞いていたのなら予想していただろうし、そうであれば覚悟だって出来ていたんじゃないかと思う奴は甘い。
誰が本気にすると思うんだ。
ベルベットのドレスなんて。
肩の付近で大きく膨らんだ袖に、白い絹の手袋。
足首まで隠す長いスカートで、脚は完全に隠されているのだが、その下にはちゃんと膝上まである絹の靴下をはかされている。
ペティコートなんて常識扱いされた。
濃紺の上品なデザインのワンピースタイプのドレスは、少しばかり重さを感じさせるものの、思ったほどではない。
最近のベルベットは薄いものもあるということらしい。
それにしても、布地代だけで一体どれだけ使ったんだろうか。
恐ろしくて聞くことも出来ない。
胸元には細かく薔薇の刺繍がされており、華やかだ。
立てられた襟で喉が隠れるのもありがたい。
しかしながら、この窮屈さはどうにかならないものだろうか。
喉は苦しいし、おまけにコルセットという前時代的な矯正下着でギリギリと締め付けられた胴体が、じっとしていても悲鳴を上げそうだ。
胴の部分で楽なのはパッドを詰め込まれた胸元くらいのものだ。
げっそりと椅子に身を投げ出した俺に構わず、ハルヒが化粧を施し、長門が髪を結い上げていく。
朝比奈さんは二人の間を縫うようにして、俺の首に黒くて艶のある石で作ったロザリオをぶら下げ、耳に作り物の真珠のイヤリングを付ける。
なお、今回の衣装も三人の共同制作である。
デザイン担当ハルヒ、刺繍、レース編み及びアクセサリー製作担当朝比奈さん、縫製その他多数担当長門だ。
よくやるもんだと呆れたくなるが、そう悠長に言っていられないくらい俺も苦労させられた。
…多くは語りたくないほどに。
「お前は楽でいいな」
うっとり見惚れてしまいそうなほど燕尾服が似合う男をじとっと睨みつけてやると、そいつは苦笑を見せて、
「これはこれで窮屈なものですけどね。…あなたと比べれば確かに、非常に楽と言っていいでしょう。顔色がよろしくないようですが、本当に大丈夫ですか?」
「長門が保証するんだから大丈夫だろ」
いざとなったら時代がかった仕草で気付け薬でも嗅がせてやってくれ。
「気付け薬ですか。…アンモニアは嫌ですよね。あなたがお好きそうな香水でも贈らせていただけますか? 今からではもう遅いでしょうが、次回以降のためにでも」
「お前な…」
本当に、隙あらば俺に物を寄越そうとするんだな。
「それはもう、あなたに好きでいていただきたい一心ですよ」
「嘘吐け」
俺がどんなに惚れ込んじまってるかということを、一番よく知ってるのは誰だよ、と呆れながら、
「要するにお前は人にプレゼントしたりして、人を喜ばせるのが好きなんだろ」
俺が言うと、古泉は驚いたような顔をして俺を見た。
「違ったか? ハルヒに何か企画してやる時なんかも、困った顔をしながら楽しそうだからそうだと思ったんだが」
「いえ……そう、ですね、そうかもしれません」
妙に神妙な顔をしてそう呟いたかと思うと、一転して、今度は口元をニヤケさせている。
一体何なんだ、と訝る俺に、古泉は小さく声を立てて笑い、
「自分でも気にしたことがなかった一面を、あなたの方がよく理解してくださっていたということが嬉しくて、つい」
「ば…っ」
思わず真っ赤になった俺に代わって、ハルヒが言った。
「ほら、馬鹿みたいにいちゃいちゃしてないで、そろそろ準備したら? もうすぐ始まるんだから」
「そうでしたね。では、」
パイプ椅子からすっと立ち上がった古泉は俺に向かって手を差し伸べると、
「勝ちに参りましょうか、お嬢様」
だから、そういうのは似合いすぎるからやめろっつうの!

そうして、会場に向かうまでさえ、なかなかの見物だった。
おそらく古泉がかっこよすぎるのが悪いんだろう。
「あなたが美人過ぎるんですよ」
そう囁きながら、古泉はしっかりと俺の手を取ったまま離そうとしない。
牽制のつもりなのだろうか。
だとしたら、…悪いが、可愛いと言わせてもらいたい。
小さく忍び笑いを漏らすと、
「何です?」
と怪訝な顔で問われたが、素直に答えるわけにも行かず、
「なんでもねえよ」
「気になるんですけど」
「気にするな。…しかし、お前らも思いきったことをしたよな」
カメラを抱えたハルヒたちが少し後ろから付いて来ているので自然に小声になり、顔を寄せ合う。
「そうですね」
「どうせ、お義姉さんの推薦だろ?」
「はは、ばれましたか」
そう笑った古泉に、大きく頷いてやる。
「今日、来てるのか?」
「ええ、そのはずです。勿論、涼宮さんに気付かれては困りますので、メイド服姿ではないでしょうが」
「当たり前だ」
お義姉さんのことだから、地味な服装でも、逆に目立つ服装でもよく似合っているだろうが、俺に見つけられるほど油断はしていないだろう。
そう思いながら俺は古泉と共に、会場である体育館に入った。
控え室なんて便利なものがないからこそ、着替えて来たわけなのだが、流石にここまで気合を入れた服装の参加者は他におらず、浮きっぷりが半端じゃなかった。
「着替えなおしたい…」
思わず古泉の腕にすがりそうになりながらそう呟くと、
「もう時間がありませんよ。それに、涼宮さんや朝比奈さん、長門さんのご厚意を無為に出来るようなあなたではないでしょう?」
と苦笑混じりに言われた。
「恥かしいのは僕も一緒ですから」
何がだ、と俺が言おうとしたところで、
「何が恥かしいんだか」
という男の声がした。
驚いて顔を上げると、生徒会長がそこに立っていた。
ハルヒがいるってのにいいのか、と戸惑いながらハルヒたちの方に目を向ければ、カメラを手にしたまま喜緑さんとなにやら話し込んでいて、会長がいることにはまだ気付いていないようだ。
もしかすると、絶好の撮影ポイントを確保するために怪しげな取引でもしているのかも知れない。
古泉は心なしか表情を硬いものに変え、
「お忙しいのではありませんか?」
「ああ、誰かさんが無茶な企画をやらせてくれたもんでな」
それにしても、と会長は俺をまじまじと見つめ、
「……見事に化けたもんだな。正体を知ってる俺でも騙されそうだ」
と、褒め言葉だか皮肉だか分からん言葉を口にしやがった。
眉を寄せた俺に代わり、古泉が言う。
「彼女の美しさを賛美したい気持ちは分かりますが、下心を感じますね。やめてもらいましょうか」
古泉にしてはやや手厳しい言葉だ。
会長は皮肉っぽく笑い、
「悪いが、俺は人の物に手出ししたいと思うほど悪趣味じゃないんでな。妙な警戒をされる方が不愉快だ」
「でしたら、誤解を招くようなことを言うのはやめてもらいましょうか」
と古泉が睨みつけたところで、ハルヒがこちらの異変に気がついたらしい。
「うちの団員に向かって何やってんのよ!」
と会長を蹴り飛ばしそうな勢いで駆け寄ってきた。
会長は対ハルヒ用の仮面をすぐさま被り、
「進行予定を知らせていただけだ。言いがかりはやめてもらおうか」
と言いつつ、予定表を古泉に押し付け、かすかに鼻で笑い飛ばして立ち去った。
ハルヒはしかし、機嫌を悪くした様子もなく俺の肩を掴むと、
「分かってるでしょうね、キョン。あんた、絶対優勝してあの陰険メガネの鼻を明かしてやるのよ!」
と器用にも小声で怒鳴った。
厳命されたところで、どうしろって言うんだか。
俺がため息を吐くと古泉は薄く笑って、
「あなたは自然にしていれば十分ですよ。笑っていても、怒っていても、困っていても、……困ってしまうくらい、魅力的ですから」
「それがお前一人にしか効かないんじゃ、こういうコンテストじゃ役に立たんだろうが」
古泉は肩を竦めて笑い、何も言わなかったが、その仕草が妙に鼻についた。
大体、こいつは何なんだ。
いつも思うことだが、思わせぶりな言動が多すぎる。
勿論俺は古泉のことを信じているとも。
だが、余りにもそんなことを繰り返されると、自分がよっぽどの馬鹿か、信用の置けない人間みたいに思えてくるだろうが。
苛立ちに眉を寄せても、誰も文句を言わなかった。
むしろ、通りすがりのスタッフらしい奴までこっちを見てきたのはなんなんだ。
訳が分からん。
結局俺は顔をしかめたまま待ち時間を過ごした。
その間に主催者である生徒会から改めて説明があったが、ほとんど聞き流したな。
今更聞いたって仕方ない話だ。
その時他の出場者を見たが、エスコート役らしい男――ただし一部は見事な男装の女子だった――を除けば、やっぱり女の子が多いようだった。
中には女装してる男子もいて、見るからに不慣れなそれに、あれこれ口出ししてやりたいような気分になったのだが、俺がそいつをじっと見ていたのに気がついた古泉の眉間に皺が寄り掛けたのに気付いて止めた。
これは後になって思ったことだが、古泉があんな暴挙に及んだのは、俺がそんな風だったせいもいくらかあるんだろうな。
ともあれ、その時は古泉の嫉妬深さに微笑ましさと優越感染みたものを感じたくらいだった。
開場時間が近づき、俺たち出場者は舞台の袖に入らされた。
ややあって、ざわめきと共に人が入ってくるのが分かる。
その物音だけで、結構な人数が来ているらしいことが分かった。
緊張のあまりドキドキしてきた俺に、古泉は嫌味なくらい落ち着いた声と微笑で囁いた。
「大丈夫ですよ。僕がついてますから、安心してください」
「安心、と言われてもだな…」
「大丈夫です」
……お前にそこまで断言されると、かえって出来レースだの八百長だのといった単語が思い浮かぶんだが。
「…全く、素直じゃありませんね」
そう言った古泉が俺の頬を軽く抓り、
「そんな無駄なことはしてませんよ。あなたなら、実力で勝てるに決まってます」
「……ばか」
俺が毒づくと、
「本気で言ってるんですよ?」
などと言う古泉を軽く睨みあげたが、おそらく迫力は欠片もなかったに違いない。
「…狙ってんのはベストカップル賞なんだろ? だったら、俺ひとりじゃどうしようもないだろうが」
「……ああ、そうでしたね」
にやっと笑った古泉は、
「では、あなたの足を引っ張らないよう、僕も精々頑張らせていただきましょう」
と大袈裟なことを言った。
ベストカップル賞狙いの、エスコート付きのペア出場者は出番も最後の方に回されているのだが、何の因果か、俺たちの出番は一番最後にされていた。
トリを務められるほどじゃないと思うんだが、それならこの気合の入りすぎた格好でもいいんだろうかと思いながら、俺は古泉にエスコートされて舞台に出た。
途端に開場がどよめいた――のは、好意的に受け取っていいのか何なのか。
思わず体を竦ませた俺に、古泉が優しく微笑みかける。
大丈夫だと言い聞かせるように。
ところが、だ。
舞台に立った俺たちの紹介のため、喜緑さんが口にした言葉に、俺は危うく腰を抜かすところだった。
「SOS団を代表して出場してくださいました。副団長の古泉一樹さんとその運命の人です」
何だそのふざけきったとしか思えない呼び方は。
会場から聞こえる叫び声は無視して、俺は思わず古泉を睨みつけた。
困ったように笑った古泉は、視線だけでもって、会場で一際大きな声を上げて、
「頑張るのよー!!」
なんて叫んでいるハルヒを示した。
まさかとは思っていたが、ここまでアホなエントリーネームを使うとは思わなかった。
道理で、リハーサルの時も俺たちだけは呼ばれなかったり、会長に意味深な目で見られたりしたわけである。
げんなりしている俺の腰を軽く支えて、古泉が小声で囁く。
「ほら、ちゃんと顔を上げて、前を向いてください」
くそ、こいつ絶対楽しんでやがる。
情けなさと恥かしさで顔が赤くなってくるが、化粧でうまく隠れていることを祈りたい。
諦めて前を見れば、にこにこ笑顔の喜緑さんがマイクを手に近づいてきて、
「大胆なエントリーネームですね。匿名だからですか?」
「そうです。…あの、でも、決めたのは私じゃなくて、うちの団長ですからね。私でも、古泉でもありませんから」
辛うじて声を作りながらも、思わずそう言うと、会場から笑い声が上がる。
え、今の笑うところか?
「団長、ということはあなたもSOS団の方なんですか?」
「あ、それは…」
しまった、と思った俺に代わって古泉が答える。
「彼女は名誉団員なんです」
「そうそう、名誉団員」
笑って誤魔化すと、また会場がざわついた。
一体なんだよ。
俺が戸惑っていても構わず、喜緑さんが聞いてくる。
「どうして名誉団員になられたんですか?」
「どうして、って…」
つうか俺、もっと色々考えてくるべきだったんじゃないのか?
ぶっつけ本番で挑むなんて無謀すぎたか?
焦る俺とは逆に、古泉は冷静に愛想笑いまで浮かべつつ、
「僕の恋人ですから、必然的に団員になっていただいたんです」
「仲がよろしいんですね」
「それはもう。…ね」
と古泉は俺に向かって微笑みかけてきた。
優しく、柔らかく、普段なら人前では見せないような笑みをいきなり見せられ、むず痒いような気持ちになった。
だから俺は、
「…ばか」
と小さく毒づいたのだが、何故だか会場がざわめいた。
雄たけびともため息とも吐かないような声に揺れる。
一体何なんだ?
首を傾げるとまた揺らぐ。
…訳が分からん。
古泉は理由が分かったらしく苦笑して、
「すみません、手短に願えますか? 僕としてもこれ以上ライバルを増やしてしまいたくはないのですが」
という戯言を口にしたのだが、驚き呆れたのは俺だけで、どういうわけか会場からは納得の声が上がり、喜緑さんも優しく笑って頷いた。
「そうですね。では最後に、何かアピールとしてデモンストレーションをお願いできますか?」
そういや、そんなのもあったな。
ハルヒに聞いたら、古泉に任せてあるから大丈夫だと太鼓判を押されたんだが、一体何をするつもりだ?
訝しみつつ、古泉を見上げた瞬間だった。
にっこりと華やかに微笑んだ古泉が、俺の体を抱きしめる。
白くてつるつるした手が、俺の顎を持ち上げる。
待て、と制止するより早く、古泉の唇が俺のそれに重なった。
これまでよりずっと大きなどよめきが起こり、会場全体が驚きに揺れるのが見えなくても分かった。
呆然としている俺を解放した古泉の唇が紅い。
「これで、いかがでしょうか?」
唇を拭いもせずに古泉がそう言い、やっと俺は正気を取り戻す。
その瞬間、喜緑さんが何か言うより早く、俺は古泉の頬を引っ叩いていた。
パァンと素晴らしくいい音が会場中に響き渡る。
そのせいで発生した痛いほどの静寂の中、
「この、ばか!」
全力でそう怒鳴って、俺は会場から逃げ出した。
逃げ出すしかなかった。
あのままあの場所にいたら何をしでかすか分からなかった。
こんな有様だったってのに、なんでベストカップル賞を取れたのかはよく分からん。
ついでに言うと、そんなものはどうでもよくなってしまった。
その後、面倒な問題が持ち上がっちまったからな。