専属ナース



九月に入って最初の土曜日。
古泉が風邪を引いて寝込み、SOS団の新学期第一回の不思議探索が中止されてしまった。
あいつが珍しく風邪を引いてしまったのは、夏場、色々な意味で無茶をしすぎたからだろうか。
それとも、ああ見えて古泉も夏休みがループするかどうかを心配していて、それがなくなったせいで気が抜けたということなんだろうか。
……あるいは、クーラーの効いた部屋で汗をかきかき組んず解れつしていたのが悪かったのかもしれないが、だとしてもそれは俺だけのせいではないと主張させてもらいたい。
それでも、こうして古泉の部屋に向かっているのは、俺に若干の罪悪感と古泉を労わってやりたい気持ちがあるからである。
そういうわけで、俺は古泉の部屋に乗り込んだ。
合い鍵でドアを開け、部屋の中に体を滑りこませると、さっさとドアを閉める。
あまり人に見られるのは得策じゃないからな。
俺はブーツをきちんと揃えて置くと、足音を殺しながら室内を進んだ。
寝室まで行ったところで細くドアを開くと、空調も何もない部屋で、夏だというのに毛布まで被って古泉が唸りながら寝ていた。
額には冷却シートも貼ってあるようだが、既にぺらぺらに薄くなっており、役には立っていないようだ。
俺はとりあえず状態を確認してから一度寝室を出て、台所に向かった。
ついでに薬の入れてある引き出しを開け、中身を確認する。
冷却シートの替えはどうやらちゃんとあるらしい。
風邪薬も、ちゃんと病院に行ったらしく、病院の袋のまま引き出しに入っていた。
俺は大して器用ではないが、雑炊くらいならこしらえられないわけじゃない。
おそらくろくに食っていないだろう古泉のために台所でごそごそと料理をしても、古泉は起き出して来なかった。
それだけ重病なら、昨日も登校して来なくてよかっただろうに。
呆れながら昨日の古泉の様子を思い出す。
明らかに熱が出てそうな赤い顔をして、いくらか危なっかしい足取りで歩いていたんだったか。
あの時、ここまで送ってやるついでに泊まって面倒を見てやればよかったな。
そうしなかったのは、古泉が帰るように強硬に主張したからだったのだが。
…全く、大事にしてくれるのは嬉しいが、頼ってくれた方がもっと嬉しいってのは伝わってくれないもんかね?
小さくため息を吐き、俺は火を止めた。
陶器の器にそれを簡単に盛り付け、スプーンを添えて寝室まで持っていった。
「古泉」
と声を掛けると、古泉が薄く目を開く。
かと思ったら、その目が大きく見開かれた。
「なっ……、なんて格好してんですかあなたは!!」
発せられた声は特に嗄れてもいない。
どうやら、喉に来る風邪ではないらしい。
掠れた声も聞いてみたくはあったが、あのやけにいい声が健在というのも悪くはない。
「…お前の好きそうな格好だと思ったんだが違ったか?」
言いながら俺は持ってきた諸々の物をサイドボードに置き、その場でくるりと回って見せた。
白を基調としたミニスカートが翻る。
フリルやリボンやボタンがめたらやたらについてはいるが、あくまでも色は白であり、ニーソックスも白だ。
腕にはハルヒ提供による「救護係」の赤い腕章もあるし、頭にはちゃんとナースキャップも乗せてある。
これ以上ないってくらい立派なゴスロリナースだろうが。
「何か文句でもあるのか?」
俺が言うと、古泉は熱のせいだけじゃないだろう、赤い顔をして、
「文句というか……その格好で歩いて来たんですか?」
「途中からだから、そう大した距離でもない」
堂々と歩いてれば呼び止められたりもしなかったしな。
「そんなことより、」
と俺は古泉に顔を近づけ、
「…似合わないか?」
小さく聞いたのは、少しばかり自信がなかったからだ。
古泉の反応も驚いてるだけだったしな。
しかし、古泉は小さく笑って、
「……よく似合ってますよ」
と言ってくれた。
それだけで気分がよくなるんだから、俺もお手軽だよな。
「ありがとう」
笑みを返して俺は古泉に聞く。
「それより、調子はどうだ?」
「そう…ですね……。昨日よりは随分と楽になってはいるんですが…」
そう言いながら起き上がろうとする古泉に手を貸してやると、その背中が触れただけで分かるほど熱を持っていた。
「体温計は?」
「ありますけど……」
言いながら古泉はごちゃごちゃしたサイドボードを示した。
「一応計ってみるか」
電子体温計を取り上げて、古泉の脇に突っ込んでやる。
計り終えるのを待ちながら、
「食欲は?」
「余りないのですが……僕のために、あなたが作って下さったんですか?」
サイドボード上に置いたままの器を驚愕の目で見つめられて、俺はため息を吐いた。
「俺だって、雑炊くらい作れる」
「ああいえ、そういうつもりでは…」
「じゃあなんだよ」
不貞腐れながら問えば、
「……あなたが僕のために作ってくれたということが、嬉しくて、つい…」
はにかむように答えられた。
……ちょっと待ってくれ、何、こいつ。
そんな可愛く発言するようなキャラじゃないはずだろう。
熱で頭がどうかしてるんじゃないのか?
異常に可愛いんだが!
熱のせいで潤んだ瞳も、上気した頬も、はっきり言って凶器だ。
病人じゃなかったら押し倒して下克じょ……いや、それはない、ないな。
ぶんぶんと頭を振って邪念を払うと、
「あの、大丈夫ですか?」
と心配されちまった。
「大丈夫だ。それより、食べられそうか? 無理なら、ホットミルクでも作ってきてやるから、それを飲んだ後、薬を飲んだんでもいいとは思うが…」
「いえ、いただきます。せっかくですからね」
嬉しそうに微笑んだ古泉が器に手を伸ばそうとした時、タイミングよく体温計が鳴った。
それを取り上げて表示された温度を読み上げる。
「…37度8分」
「意外と下がりましたね」
お前、どんだけ高熱出してたんだよ。
「全く…」
俺は自分が呆れているのか拗ねているのか、それとも怒っているのか分からなくなりながら、古泉を睨みつけ、
「…今度から、調子が悪いと思ったら頼れよ。迷惑に思うことなんてありえないんだし、うつったって気にしないからな」
「しかし…」
「うつったらうつったで、看病してくれたら文句なんか言わん。だから、……頼れ」
「…はい。すみませんでした」
申し訳なさそうに顔を伏せた古泉のベッドに腰を下ろし、雑炊を取り上げる。
「せめてこれからは看病させろ。そうしたら、もう何も言わないでおいてやる」
「…ありがとうございます」
その笑顔に向かって、俺はスプーンですくい上げた雑炊を差し出す。
「ほれ、口開けろ」
「…ええと……自分で食べれると思うんですけど…」
「……嫌か?」
じーっと長門流に見つめてやると、古泉はあっさりと白旗を上げた。
薄く開かれた唇に、スプーンじゃなくて別のものを触れさせたいと思いながらぐっと堪え、ふーふーと吹き冷ました雑炊を突っ込んでやった。
「風邪を引いてるからどうせ味なんか分からないだろ。丁度よかったな」
「美味しいですよ。ぼんやりとしか分からないのが残念なくらい」
そう微笑む古泉に、
「じゃあ、さっさと元気になれ。気が向いたらまた作ってやるから」
「それは楽しみですね」
その口に、もう一口、もう一口と食べさせていると、なんだか雛鳥の餌付けでもしてる気分になってきた。
いいな、餌付け。
普段はどちらかというと俺の方が古泉に餌付けされているのだが、逆というのも楽しいかもしれない。
俺も料理を覚えようか。
そんなことを企てながら、食べさせることしばし。
「ごちそうさまです」
と古泉がギブアップした。
器にはまだ半分ほども雑炊が残っている。
「もういいのか?」
「勿体無いですが…すみません。後できっと食べますから」
「別に、俺が片付けてもいいんだけどな」
言いながらスプーンで一口分をすくいあげ、口に放り込むと、
「そんなことをしていたら、うつりますよ?」
とからかうように言われた。
調子が出てきたみたいじゃないか。
「うつるならうつるでいい。俺はお前と違うからな。寝込んだりしたら思いっきりわがまま言ってやる。…楽しみにしてろよ」
にやりと笑ってやると、古泉も、
「ええ、それも楽しそうですね」
などと返した。
水ではなく湯冷ましで薬を飲ませてやった後、
「ほら、冷却シートを張り替えてやるからいっぺん横になれ」
と言うと、古泉は素直に従った。
布団を掛けなおしてやり、からからに干からびていたシートと、袋から取り出したばかりでぷるぷるしているそれとを取り替える。
「汗かいてるんだから、着替えた方がいいよな。ついでに体も拭いてやろうか?」
「いえ、そこまでする必要は…」
あくまで固辞しようとする古泉に、
「お前だって、いつも俺がそこまでしなくていいって言ってんのにするだろうが」
と言ってやると、苦笑を返された。
俺は台所に器やスプーンを戻すついでに風呂場に行き、タオルを洗面器に溜めた温かい湯で湿らせた。
それを洗面器ごと持って寝室に戻り、着替えを探す。
寝巻きもすっきりとしたシャツタイプばかりなのは、どういうことなんだろうな。
機関の意向か古泉の好みか。
前者だったらもう少し楽なものを着せてやれと言いたい。
ともあれ、替えの寝巻きを引っ張り出し、それをベッド横に置く。
うつらうつらしかかっていた古泉には悪いが、
「ちょっと起きてくれ」
と声を掛けると、小さな頷きと共に古泉が体を起こした。
シャツのボタンをひとつひとつ外して脱がせてやると、それはじっとりと汗で湿っていた。
「気持ち悪かっただろ」
「特に気にしてませんでした」
じゃあ、これから気持ちよくなったら分かるだろうよ。
俺はよく搾ったタオルで古泉の体を拭う。
まず顔、と拭き始めてから、先に拭いてからシートを貼ってやればよかったと思った。
迂闊だったな。
次からは気をつけよう。
それから首筋、肩、背中、胸、腹と拭いてやると、古泉の表情が気持ちよさそうに綻んだ。
上半身を拭いてやり、新しいシャツを着せてやると、
「…気持ちいいですね」
「だろう。下も替えてやるからちょっと腰を浮かせてくれ」
もはや諦めたんだろうか。
古泉は素直に俺の言葉に従った。
俺は手早くズボンを脱がせると、やはり汗の滲んだ脚を拭く。
下着の下までは流石に止めておいた。
……色々と差し支えそうだったからな。
着替えを終えた古泉を、今度こそ寝かせてやり、俺は広げたものを片付けに掛かる。
台所も含めて片付けたところで寝室に戻れば、古泉が静かに眠っていた。
その表情に辛さはない。
このまま眠れば、明日には元気になってくれるだろう。
「早く元気になれよ」
小さく声を掛けて、寝室のドアを閉じる。
まだ昼過ぎだ。
時間はあるが古泉を放っておきたくはない。
だからと俺は部屋の掃除をしてその日を過ごした。
夕食は古泉と一緒に、雑炊の残りを食べた。
「本当に、ありがとうございます」
昼よりもずっと顔色もよくなった古泉が、柔らかな笑みと共にそう言った。
「当然のことをしてるだけなんだから、気にするな」
それ以上何かを言う必要もないと分かったのか、古泉は笑みだけをくれた。
そうだな、それが正解だ。
お礼なんて、それだけで十分なんだよ、俺は。
夕食の後も少し片付けの続きをして、俺はソファに横になった。
布団を敷いて寝た方がいいのは分かるが、面倒だ。
夏だし、クーラーも切った。
このまま寝てもいいだろうと目を閉じる。
途中で蒸し暑さに目が覚めるかと思ったら、意外とそんなこともなく、気がつけば朝だった。
「ん……」
と伸びをすると、掛けられていたタオルケットが床に落ち、
「おはようございます」
と声を掛けられた。
「おはよう…。もういいのか?」
古泉はいつも通りの笑顔で、
「ええ。あなたのおかげですね」
別に大したことはしてないんだが。
「…まあ、元気になってよかった」
俺が笑うと、古泉に抱きしめられてキスされた。
いつになく深いキスに、唇の端から吐息が零れる。
「ん…っ、…は……ぁ、古泉…?」
どうしたんだ?
まだ熱の余波でも残ってるのか?
「もう、我慢しなくていいんですよね?」
そう聞かれても、俺は驚くしかない。
「…してたのか?」
「当たり前ですよ。あなたに風邪をうつしたくないと思っているのに、熱のせいで抑えが効かなくなりそうになるし、おまけにあなたはこんなに可愛い格好をしているんですからね」
そう言った古泉が、着替えてもいなかったナース服をつんと引っ張った。
「お前、我慢してるならしてるでそういう態度を見せろよ。…どうでもいいのかと思っただろうが」
「すみません。でも、あなたに気付かれたら、誘惑に負けてしまいそうで…」
どういう意味だそれは。
「あなたが一番ご存知でしょう?」
そう言って古泉はもう一度俺に口付ける。

「――それでキス止まりってのがお前の悪いところだと思うぞ」
朝食をとりましょうか、なんて言葉と共に突き放された俺はそう言って、古泉を引き倒してやったのだった。