9月1日



今日から始業だ。
どうせならもう二日ばかり曜日がずれてくれりゃ、9月3日からになっただろうにな。
合計の休み数は変わらないにしても、夏休みの最後がずれ込むというのは気持ちの上でかなりの違いに思えるんだから。
いつも以上にやさぐれた気持ちで教室に入った俺は、
「よう、キョン! 久しぶりだな!」
と遠慮の欠片も感じさせない勢いで背中をぶっ叩いて来やがったバカを思いっきり睨みつけてやった。
こっちは腰の鈍痛を抱えてるんだぞ、と思いながら。
「お前な…」
「お前、ほんと薄情だよな」
俺の苦情など受け付けんとばかりに、谷口は文句を言った。
「休み中、何の連絡も寄越さなかったじゃねぇか」
「あーそりゃ悪かったな」
わざとらしく棒読みで言った俺は、
「団活が忙しかったんだよ。文句があるならハルヒに言ってくれ」
「なんだ、自慢かよ」
どこをどうしたら自慢に聞こえるんだ、おい。
「自慢だろうが。自分はあの長門有希や朝比奈先輩みたいな美人に囲まれて過ごしてましたっつう」
ひがむな。
「うん? でも…」
谷口は何か思い出しでもしたかのように首を捻った。
「お前、いつもSOS団で過ごしてたのか?」
「夏休み中じゃないがな。とりあえず後半は毎日顔つき合わせたようなもんだった」
「それにしちゃ…おかしいな」
何?
ぎくりとした俺に、
「久しぶりだね、キョン」
と声を掛けてきたのは国木田だった。
「おう」
「で、谷口が言ってた話だけどさ、」
聞いてたのか。
「キョンも一緒だったの?」
「どういう意味だ?」
「いや、休み中、何度か見たんだよね、涼宮さんたちを」
その一言だけで、冷たいものが背中を伝った気がした。
「で、その時古泉くんの噂の彼女が一緒にいて、なのにキョンがいないからどうしたのかなって思ってたんだけど」
「あー……それか」
それはだな、と言いながら俺は必死に言い訳を考えようとしていたのだが、
「たまたまですよ」
という声が降って来た。
「古泉」
と呼べば、古泉は俺に歴史のノートを渡しながら、
「はい、これ。忘れものですよ」
「あ、すまん」
お前のところに忘れてたのか。
別に今日いるわけじゃなかったが助かる。
「いえいえ」
対外的な如才ない笑みを見せつつ、古泉は国木田たちに向き直り、
「僕の彼女が参加できた日に、彼がたまたま参加できなかったこともある、というだけのことです。彼が参加できなかった理由については……まあ、彼にも色々あるんじゃありませんか?」
助け舟と思ったところでなんでお前はそういう余計なネタ振りをするんだ。
慌てる俺に食いつくように谷口が、
「まさかキョン、お前もとうとう彼女が…!?」
「へぇ、キョンに彼女がね」
国木田は勝手に断定するんじゃない。
「違…」
と俺が否定しようとしたところで、古泉が畳み掛けるように言う。
「違いませんよね? 僕にもあれだけのろけてくださったじゃありませんか」
古泉、お前はだから何がしたいんだ。
思わず睨みあげたところで、古泉は小さく笑って、
「そういうことですから、もうナンパに誘ったりはしなくていいんじゃないですか」
と谷口に言った。
……分かった。
お前、何のかの言って結構苛立ってたんだな。
それにしても、こんな風に分かりやすいことをする奴じゃなかったはずなんだが、夏の間にあれこれタガが緩んだということなんだろうか。
新しい一面を嬉しく思うべきなのか、はたまたトラブルを撒き散らしてくれそうな言動を嘆くべきなのか。
俺は思わず天を仰いでため息を吐いた。
「どうしました?」
「別に…」
それより、と俺は古泉に小声で言ってやる。
「俺に彼女が出来たなんて馬鹿げたことを吹聴するならお前もそれなりに覚悟を決めろよ」
「覚悟……ですか?」
「おう。――長門とハルヒに相談すれば、お前でもばっちり可愛くなるような衣装を探してきてくれるだろうからな」
俺だけでやった時はとんだ笑いの種にしかならなかったが、あいつ等に任せれば見れるもんにはなるだろうし。
低くそう唸ってやると、流石の古泉も表情を引きつらせた。
「そう来ますか……」
「嫌なら、変に吹聴するな」
「……僕としてはあなたに『彼女』が出来たとは一言も言っていないんですけどね…」
「言ったも同然だろうが」
しかし、ここで言ったところで仕方がない。
小声で話して怪しまれても困るからな。
だから、
「放課後、覚えとけよ」
と言って古泉を解放してやった。
それから少ししてハルヒが来た。
「なんか…妙にくたびれてないか?」
俺が言うと、ハルヒは顔を歪めながら、
「くたびれてんのよ」
「何やったんだ?」
「んー……有希の家でちょっと徹夜しちゃって……」
「徹夜ぁ?」
なんでまたそんなことを、わざわざ夏休み最終日に。
「うっかり盛り上がっちゃったのよ。有希もみくるちゃんもそんな状態だから、悪いけど今日の活動は休止ね」
そう言って机に突っ伏しかけたハルヒは、そこでやっと気がついたかのように俺の頭を見つめ、
「……切ったの?」
と言った。
惜しんでいるのかそれともただの事実確認に過ぎないのかさえよく分からない調子で。
「ああ、やっぱり、長いままってのはな…」
「そう。……せっかく伸ばしてたのに、勿体無いわね」
「まあな」
「でも、いいわね」
「…何がだ?」
「あんたは髪の長さなんてどうでもいいくらい、可愛くも美人にもなるから」
冗談とも本気とも付かない調子で言ったハルヒはにんまりと笑い、
「そういえば、賭けの結果を聞き忘れてたわね。どうなったの?」
「こ…ここで聞くのか?」
「どうせ誰も聞いてないわよ。ほら、さっさと答えなさい。着て見せてないなんて言わないでしょうね?」
「う……」
口ごもった俺に、どうやら全てを察したらしい。
「あたしの勝ちね?」
俺は降参とばかりに頷くしかない。
「ふふん、だから言ったじゃない。古泉くんは本気であんたにめろめろなんだから」
うるさい、めろめろとか言うな。
「楽しみにしてなさいよ? あたしたちが徹夜で考えて、既に製作にも取り掛かった最高の衣装を着せてやるんだから!」
とても徹夜明けとは思えないようなキラキラした目で言ったハルヒは、それっきり、事切れたかのように机に突っ伏して眠っちまった。

ああ、それにしても今年の夏休みは物凄かったな。
あれこれ、自覚しなくて良かっただろうことも自覚しちまったし、妙な楽しみも覚えちまって……。
加えて、古泉は古泉で妙に自信を持ったようで、夏休み前とは人が違ったかのようである。
それはそれで悪くはないのだが、なんとなく、翻弄されっぱなしのようで面白くなくも感じられる。
ああ、それにしてもつくづく思うのはただひとつ。

……夏の開放感というやつが心底恐ろしい。