しとしとと雨が降っていた。 場所は長門の部屋。 時間帯は完全に深夜であるにもかかわらず、部屋には電気が点いていない。 その代わりにゆらゆらと室内を、そして俺たちの顔を照らすのは、頼りないロウソクのほのかな光である。 別に停電したというわけではなく、これもまたハルヒがやりたがったことというだけのことだ。 「百物語をするわよ!」 とハルヒが宣言したのは海からの帰りの電車内でのことであり、疲れていた俺は半分眠りかけていたにもかかわらず飛び起きた。 「肝試しをするつもりでいたけど、百物語の方が面白そうだし、それなら雨が降ってもできるでしょ?」 と言ったのはおそらく、窓の外に広がる空がどう見ても降り出しそうな雲に覆われていたからだろう。 「場所は有希の部屋でいいわよね。一人20個も話せば百個になるんだから楽勝だわ」 そんなことを嬉々として口にするハルヒを止められる人間は誰もいなかった。 せめて、と譲歩させたのは、話す話の数で、一人頭5話に減らさせた。 流石に20も話すのは無理だからな。 実際に百物語をしようとしたなら、途中から俺と朝比奈さんは完全に聞き役に回り、ハルヒが好き勝手に話し、古泉がとうとうと述べ、長門が淡々とどこかの本から持ってきた話をすることになったに違いない。 しかし、話の数を減らしたところで物の少ない無機質な部屋を照らすたくさんのロウソクの光は不気味なものであり、朝比奈さんは赤味を帯びた光の中でもそれと分かるほど青褪めていた。 話が進み、ロウソクが吹き消されるごとに部屋はどんどん暗くなっていく。 「ふぁぁー…」 とか、 「うぅー……」 という可愛らしいうめき声のBGMも回数を増していく。 「あの、朝比奈さん、怖いなら無理しない方がいいですよ?」 耐えかねてそう声を掛けると、 「う、だ、大丈夫れす…」 全然大丈夫に見えませんが。 「ハルヒ、どうにかならんか?」 「何よ、みくるちゃんがこうやって怯えてるから楽しいんじゃない」 お前な。 …文句を言っても無駄なんだろうな。 俺はため息を吐くと、軽く朝比奈さんの手を握り締めた。 「これで少しは怖くないですか?」 「ぁ……ありがとうございます。でも、いいの…?」 と遠慮がちに言ったのは、古泉のことを慮ってなのだろう。 俺は苦笑して、 「別に手を繋ぐくらい、平気ですよ。こいつもそこまで嫉妬深くありません」 古泉も笑って、 「ええ、それに…」 と何か言いかけたので、俺はさっきから握り締めていた古泉の手を思いっきり抓り上げてやった。 ……だって怖いだろ。 古泉は臨場感たっぷりに話しやがるし、長門は淡々とした話し方が余計に効果的だし。 ハルヒにいたってはわざわざ俺を怖がらせるための話としか思えないようなネタばかり仕込んできていやがったからな。 加えて朝比奈さんによるBGMは恐怖感を煽ってくれ、俺としてはなんとかしてそれを止めたくて仕方がなかったんだ。 俺を臆病者と笑う前に、俺に代わってこの恐ろしい集まりに参加してくれ、と心の底から言いたい。 「僕としては文句なんてありませんよ」 にやけた顔でぬけぬけと古泉がそう言ったのは長門の部屋を出てからのことだった。 皆で泊まりましょうよ! と主張するハルヒに、あれこれ言い訳してなんとか逃げ出してきたのだ。 …あんなことした部屋で大人しく眠れるかよ。 「にやけんな」 「すみません。…でも、あなたが怪談くらいでそこまで怖がっているのが意外で、可愛かったものですから」 「うるさい」 俺だって、ここまで怖がりじゃなかったはずなんだ。 悪いのはお前だ、古泉。 「僕ですか? それはまた、どうしてです?」 そう首を傾げる古泉に、 「…お前がいなかったら、それから、こんな格好してなかったら、怖がるわけに行かんだろ。だから、平気なんだ。だが今日は、お前がいたから…」 それもよりによって俺の隣りにいたから。 「全く…本当に可愛い人ですね」 そう囁いた古泉が俺の頬にキスする。 誰かに見られるぞ。 「見られても平気でしょう?」 そりゃ、そうかも知れんが。 「出来ることなら、いくらでも見せ付けたいですね。あなたの恋人が誰かということを、誰にでも言いたい気持ちです。…あなたを僕だけのものにしたい」 「っ…み、耳元で囁くな!」 今日は泊まれないんだぞ。 さっさと帰って寝なきゃ、明日のバイトで身が持たないと困るからな。 「ええ、残念です」 「お前な……」 俺は呆れてそう呟いた後、悪びれもしない古泉を見つめ、ここしばらく抱いていた疑問をぶつけることにした。 聞いてもいいような気がしたのは、古泉が作った表情の欠片もなく、自然体でいたからかも知れん。 「…なんか、ここんとこ、本当に自重してないよな」 「そうですね」 なんだ、自覚はあったのか。 「それは流石にありますよ」 と苦笑した古泉は、 「どうやらあなたの許容範囲は僕が思っていた以上に大きいと分かったものですから、つい」 「俺のせいにするな」 「ええ、共同責任でしたね」 じろりと睨みあげても少しも答えないらしい。 俺は仕方なくため息を吐き、 「それがお前の素の状態か?」 「そう…ですね……」 と考え込んだ古泉は、しばらくそのまま押し黙っていた。 真剣に考え込んでいるように見えるが、そこまで考えなきゃならんような問いかけだったか? 「僕としても、分からなくなってきているんですよ。どこまでが本当の自分で、どこからが作った自分だったか、ということが、非常に曖昧になってきているんです。それは、僕がそうしてキャラクターを作るということに慣れてしまったからでもありますし、以前ほどキャラクターを作る必要性がなくなってきたからでもあるんです。結果、僕はどういった状態が素の状態といえるものなのか、分からなくなっているんです」 「じゃあ聞くが、その敬語はどうなんだ?」 「半々、ってところでしょうか」 と古泉は笑った。 「元々、同級生であっても親しくなければ敬語で話していましたからね。ある程度親しくなったらため口も聞きましたけど」 「それじゃ、俺にはそうしたいとは思わないのか?」 「全く思わないわけじゃないですよ。でも、それでうっかり涼宮さんの前で使ってしまうと叱られてしまいそうですし、それに、敬語であろうとなかろうと、関係ないでしょう?」 「…そうだな」 俺は小さく笑って同意した。 くすぐったいが、それは事実だ。 古泉が突然敬語を止めても俺は驚きこそすれ大して戸惑いもせず受け入れるんだろう。 それくらい、古泉は俺に本当の自分らしいところを見せてくれていると思う。 ハルヒと一緒にいる時と比較すれば余計にそれは分かりやすい。 別に、ハルヒと一緒の時にぎくしゃくするとか、不自然と言うわけじゃない。 ただなんとなく、気を遣っていると分かるのだ。 俺といる時にはそれがほとんどない。 俺を労わる時も、古泉の方には気を遣ってという感覚などなく、本当に俺のためだけを思ってくれているのが分かるからな。 だから俺は敬語を止めろとか駄々を捏ねるつもりなどない。 「何にせよ、お前が肩の力を抜けるようになったんなら、いいことだろうな」 笑いながらそう呟くと、 「あなたのおかげですよ」 と囁き返された。 「なんでだよ」 「あなたが僕を好きだと言ってくださったから、愛してくださったから、僕は余裕を持つことが出来たんです。生きていくこと、ただそれだけに必死にならずに、あなたのことを考えられるようになれたんです」 不意に、ある種の衝動に駆られ、俺はその場で足を止めた。 「どうしましたか?」 と問いかけてくる古泉に、見っとも無く震える声で答える。 「朝比奈さんに…頼めたらいいのにな……」 「何をです?」 生きていくことだけに必死だったお前を抱きしめて、愛してるって囁けるように。 大丈夫だと言って聞かせられるように。 お前のことを待っていると告げられるように。 「……ありがとうございます。その言葉だけでも、十分嬉しいですよ」 そう言った古泉が俺を抱きしめる。 俺の方が古泉を抱きしめたかったのに、これじゃ逆だな。 強く強く抱きしめ返しながら、 「愛してる」 と囁けば、 「僕も、あなたを愛してますよ。それから、あなたが僕を愛してくださっているということも、よく分かっています。だからこそ、我慢出来なくて困るんですけどね」 そう笑った古泉に、 「TPOさえ弁えてくれりゃ、我慢なんてしなくていいんだぞ」 と言ってやった。 自分で自分の首を締めたような気もするが、古泉に何をされたって嬉しい以上、関係ないはずだろ? |