「おねえさん、ぼくにもふーせんちょうだい」 小さな子供にそう言われて、俺はずきずきと良心が痛むのを感じながら、 「はい、どうぞ。飛ばさないように気をつけてね」 と風船を渡した。 普段は声など作らない俺だが今日だけは別だ。 いたいけな子供達にオカマだと気づかれてはならん。 だから俺はいつもならしないような言葉遣いをしつつ、作り笑いを浮かべ、精々愛想よく振舞っているわけだ。 ハルヒが持ってきた風船配りというバイトは去年もやったものではあるのだが、去年と違うのは今回は着ぐるみがないということだ。 新しく出来たファミレスの前で、そこの店員であるかのごとく制服を着こんで風船を配るというのは、ある意味詐欺行為じゃないんだろうかと炎天下で大汗流しながら考えていると、 「大丈夫ですか?」 とハンカチで額の汗を拭われた。 拭ったのは当然古泉だ。 「ああ……」 「…ちょっと、休憩した方がいいかもしれませんよ。一度中に戻りましょう」 いや、ここで涼むと返って後が辛くなる。 「……せめて水分は取ってください」 古泉が余りにも心配そうに言うものだから、俺は諦めて頷き、 「ハルヒ、ちょっと水飲んでくる」 とハルヒに声を掛けて店のほうへ歩きだした。 「すぐ戻るのよ! 古泉くんといちゃついたりしたら許さないんだから!」 と怒鳴られたのは聞かなかったことにする。 古泉は苦笑しながら、 「それにしても、大人気ですね。あれほど幼い子供であっても、あなたの魅力は伝わってしまうのでしょうか」 あほか。 あれはただの風船目当てだろう。 「そうであれば、どうしてあなたと朝比奈さんのところに男の子が集中したりするんでしょうね?」 「……それを言うなら、お前のところだって女の子が集まってるだろうが」 「妬かなくていいですよ? 僕はロリコンでもなんでもありませんから」 「俺だってそうだ」 「…それにしても、似合いますね」 と言って古泉は改めて俺の服装を見た。 明るい暖色系の縦縞シャツは普段ならとてもじゃないが着れないが、制服だからこそ可能といったデザインで、黒いミニスカートについても同様だ。 辺りに人目がないのをさっと確認した古泉は、スカートの裾付近を撫で、 「いつものことですけど、きれいな脚ですね」 「…っ、なんだよ……」 こんな風に公衆の面前で手出ししてくることなんて滅多にないくせに、どうしてこのタイミングで仕掛けてくるんだ。 まさか昨日のあれではまったとか言わんだろうな。 だとしても俺は責任なんぞ取らんぞ。 むしろお前が責任を取れ。 今も、必要以上にドキドキしてくる自分が恥ずかしい。 俺の顔が真っ赤だとしたらそれは単純な高気温に伴う体温の上昇によるものだけではないはずだ。 そんな俺の心情を分かっているのかいないのか、 「いえ、僕としてはですね、」 困ったように古泉は笑い、 「二日前も三日前も涼宮さんたちにあなたを独占された上に、今日もほとんどあなたを取られたままだったでしょう? ……あなたに触れたくなってしまったんです」 と俺を抱きしめた。 汗だくのせいでいつもより体臭が濃い。 それすら不快じゃなくて、むしろ胸がどきどきと鳴り始める。 それに気付かれたくなくて、 「…昨日のあれじゃ足りなかったのかよ」 「欲張りだとは思いますけど、足りませんね。…あなたはきっと、僕には見せてくださらない顔を涼宮さんたちには見せているんだろうと思いますし、そうだとすると余計に足りなく感じられます。もっとあなたを知りたい、見たいと思ってしまうんですよ」 「いちゃついてたら、ハルヒに怒られるぞ……」 小さな声で抗議めいたことを口にすれば、 「構いません。そうしたらちゃんと謝りますよ。僕がいけないんですと」 「……連帯責任だろ」 言いながら俺は古泉を抱きしめ返し、触れるだけのキスをした。 軽く目を見開く古泉に、 「ほら、さっさと水飲んで戻るぞ。で、さっさと仕事を終らせよう」 「……はい」 嬉しそうに笑った古泉に、もう少し濃厚なキスをしてやればよかったと思った。 そうして、炎天下での仕事を終え、バックヤードで着替えを終えたところだった。 「ねえねえ」 と人懐っこそうなこの店の正規の店員に声をかけられたのは。 「え?」 俺か? と振り向くと、彼女はにっこり笑って頷いた。 「あの男の子、彼氏?」 「ええと…そう、ですけど……」 まさか惚れたとか言わないだろうな? 俺が警戒を抱くのに十分なくらい、彼女は可愛く、魅力的な笑みを見せる人だった。 「あ、大丈夫よ。心配しないで。気になったとかそういうのじゃないから」 大体あたしおっさん好きだし、と笑った彼女は、 「ただ、さっき見ちゃったのよね。ちゅーしてるとこ」 ちゅーなんて可愛らしく言われると余計に恥ずかしくなるのは何でだろうね。 思わず真っ赤になったところで、 「照れなくてもいいわよ? なんていうか、初々しくて可愛くていいなぁって思っただけだから」 それは十分恥ずかしがるに値すると思う評価なのだが。 「仲が良くて羨ましいなって思ったから、ついつい声かけちゃっただけなの。…あ、でも、ああいうことは人に見られないように気をつけた方がいいわよ。うるさい人はうるさいし」 「…そうですね……」 肝に銘じておきます。 古泉にも当分人前での接触禁止令を出してやるべきだろうか。 「でも、やっぱりいいよね、若いって」 そう言った彼女も十分若いと思うのだが、彼女の中ではそうでもないらしい。 「高校生らしくっていいなぁ。なんか、ほんと可愛かった」 「そうですか…」 なんというか、キスシーンを見られたばかりかそんな風に評価されると言うのも非常に恥ずかしいのだが。 そうして俺が照れていると、 「どうかしたんですか?」 と背後から古泉の声がして、俺は慌てて振り返った。 「な、なんでもない!」 「……そうですか?」 疑うような目に、俺は、 「後で説明してやるから」 と譲歩した。 怪訝な顔をする古泉に、あっちに行ってろと言って押しやると、ちゃんと全部見ていた彼女は殊更楽しげな表情で、 「本当に仲良くっていいわね」 「…ありがとうございます。それじゃ、おれ、」 じゃない。 「あたしはこれで失礼しますね」 そう言い残して、俺は慌てて古泉の後を追ったのだった。 追いついた古泉は、どこか不審そうな顔をしていて、 「楽しそうでしたね」 とぶすったれた声で言った。 俺は目を見開いて古泉を見たね。 ああ、何かの見間違いじゃないか、あるいは聞き間違いじゃないかとさえ思ったとも。 だって、あれだけだぞ。 ちょっと可愛い女の子と、話しただけだ。 それも俺は女装していて、彼女は俺のことを完全に女だと思っていた。 それなのに、 「…妬いてんのか?」 「そういうわけじゃ、」 「あるんだろ」 「……」 「なあ、妬いてたんだろ?」 なあなあ、と背中に伸し掛かるようにして聞いているのに、古泉は答えようとしない。 面白くなさそうな、照れくさそうな顔であらぬ方向を見るだけだ。 「正直に言えよ」 にやにやしながらそう言ったところで、 「こらキョン! あんたも荷物持ちなさい!」 とハルヒに怒鳴られた。 荷物、というのは今回のバイトのバイト料であり、ここの制服である。 「何でそんなもんもらったんだ?」 呆れながら問うと、 「勿論現金も頂戴したわよ。でもやっぱりこれが一番の戦利品よね」 ニマニマ笑うハルヒは本当に楽しそうだ。 「3セットふんだくってやったわ。ひとつはあんたにあげるから今日いちゃつけなかった分活用するなりなんなりしなさい」 と余計な言葉までくれたが、一番余計だったのは、 「ありがとうございます」 なんて嬉しそうにそれを受け取る古泉だ。 さっきまであんなに可愛かったのにハルヒのせいで台無しじゃないか。 お前はそろそろ自重というものを思い出しやがれ。 |