「今日は買い物に行くわよっ」 とハルヒが言ったのは俺の部屋でのことだった。 昨日、帰りが遅かったからとはいえ昼まで寝ていた俺が悪いといえばその通りなのだが、だからと言って気持ちよく寝ているところを襲撃されるいわれはないと思うぞ。 「いいから、さっさと着替えなさい。そうね…この前買ったあのワンピースはどこにしまってあるの?」 勝手に人のクローゼットを開け始めるハルヒに何を言っても無駄だろうと俺は諦めてハルヒが引っ掻き回すに任せることにして、自分は身支度を整えるために部屋を出た。 トーストをコーヒーで軽く流し込んで部屋に戻れば、ハルヒはすっかり俺の今日の服装を決定しちまっていたらしい。 クローゼットの周辺に散らばった服とは別に、ベッドの上に一揃いの服が並べてあった。 ハルヒ自身は退屈していた様子で俺の本などをぱらぱらとめくってみている。 「今日は古泉は?」 「昨日譲ってあげたんだから、今日はあたしたちを優先しなさいよ。いいでしょ、それくらい」 「はいはい」 好きにしろよ、と言わなくても好きにするんだろうな。 まあ、ここ三日ばかり連日会って過ごしていたわけだから、俺としても今日くらいは別行動でも文句はない。 後で精々メールでもしておこうと思いながら、俺は着替えを始めた。 スウェットを脱ぎ、ズボンを脱ごうとしかけたところでハルヒの存在を思い出し、 「…お前、いつまでそこにいるつもりだ?」 「何? あたしがいると何か悪いの?」 「悪いというかだな…」 流石に下着を替える時くらい見ないでもらいたいと思うのはおかしなことか? 「今更でしょ。あんたの裸だって見ちゃってるんだし」 「お前がいきなり剥こうとするからだろうが!」 赤くなりながら怒鳴れば、 「どちらにしろ、気にしなくていいわよ。あんたのことは男と思ってないから」 けらけらと笑うハルヒに俺は脱力しながら諦めた。 見られないようにさっさと着替えた方がマシだ。 ……それに、既に下着を見立ててもらったりあれこれしてもらっている以上、無駄といえば無駄だからな。 そうため息を吐きながら俺は手早く着替えを果たした。 ハルヒはと言うと一応気を使ってくれたつもりなのか、相変わらず無断のまま俺の本を読んでおり、特に何を見たという様子もなかった。 俺が着替え終わってから顔を上げたハルヒは、俺の姿を検分していたのだが、 「あ、」 と声を上げて視線を止めた。 「肩と首筋にキスマークが見えてるわよ」 「あ?」 …ああ、そうか。 「コンシーラー取ってくれ」 「あたしが塗ってあげるわよ、それくらい。ファンデも重ねるんでしょ?」 「じゃあ、頼む」 俺がやるよりハルヒに頼んだ方が綺麗に仕上げてくれるだろう。 「任せなさい」 と笑ったハルヒは俺の首筋と肩の目立つ位置に付けられたキスマークへ手早く目隠しを施してくれた。 あいつも何を考えてるんだろうな。 こんな場所につけることもあるまいに。 「それで、何を買いに行くんだ?」 化粧を終え、仕上げとばかりに手足に日焼け止めを塗りながら俺が問うと、 「可愛いパジャマとか下着とか」 「…はぁ?」 「パジャマパーティーって楽しそうでしょ。許可ももらったから、今晩ここでやるわよ」 一方的に宣言され、俺はもはや言葉もなかった。 お袋も反対してくれよ。 「さ、準備が出来たんだったら行くわよ! みくるちゃんと有希が待ちくたびれて熱中症にでもなってたら大変だわ」 待て、お前は一体どんなところに二人を置いてきたんだ! ハルヒは朝比奈さんと長門を家の前に放置していた。 それに対する言い訳としては、 「あたしはみくるちゃんと有希も上がりなさいって言ったのよ。でもみくるちゃんが遠慮するからしょうがなく置いといたの」 というもので、その前に俺にしこたま説教をされたハルヒは頬っぺたを子供みたいに膨らませながらそんなことを言った。 「朝比奈さんも、遠慮なんて必要ありませんから。大体、俺が支度に時間掛かるのくらい知ってるでしょう?」 と言えば、慌てて家に担ぎ込み冷たいものを飲ませた朝比奈さんはいつも通りの笑顔で、 「大丈夫ですよぉ」 と請負ったが、火照った顔はとても大丈夫そうには見えない。 「長門も、」 ため息を吐きながら長門に目を向ければ、 「問題はない。脱水症状の兆候が見られた場合直ちに適切な処置を行うつもりでいた」 「そうかも知れないがな、心配だからやめてくれ。分かったな?」 俺が言うと、ハルヒは不承不承、長門はかすかに、ついでに何故か朝比奈さんも一緒に頷いた。 「みくるちゃん、もう大丈夫よね?」 ハルヒに問われた朝比奈さんは、 「はい」 と健気な笑みと共に答え、 「それじゃ、今度こそ出発するわよ!」 というハルヒの宣言で玄関へと引っ張っていかれた。 俺と長門は顔を見合わせ、ハルヒが怒鳴り始める前にその後を追いかけた。 向かった先はわざわざ電車でしばらく揺られた先にあるデパートだった。 乗り換えなしとはいえ、なんでわざわざと思いはしたものの、売り場に並んだ商品の多彩さに納得した。 要するにハルヒは色々見比べて、わいわい言いながら買い物をしたかったんだ。 そうするのが好きだからな、こいつは。 朝比奈さんも割とそういうことが好きなので実に楽しそうに売り場を眺めている。 俺はというと、財布の中身がどれだけ入っていたか思い返しながら、何を買わされるんだろうなと決して安くはない商品群を冷ややかに見つめていたのだが、 「何やってんのよ、キョン」 それに気がついたハルヒに腕を引っ張られた。 「あんたも一緒に買うのよ」 と言ってまず連れ込まれたのは、ネグリジェだのパジャマだのを売っている一画だった。 俺は寝る時にはスウェットを着用するんだが、と思いながらも、手触りのいい生地で作られたたくさんのドレープやフリルにふらふらと手が伸びる辺り、もはや社会復帰は望めまい。 「夏ですし、割と手頃な値段だから、タオル生地のやつにしませんか? 色数も多くて可愛いですし」 と朝比奈さんが言うと、ハルヒは笑顔のまま、 「そうね。高くて色気のある奴は今度古泉くんにでも買ってもらいなさい」 わざわざそんなことを言わなくてもいいだろうに、と思いながら俺は触っていたネグリジェから手を離し、朝比奈さんが指差すものを見た。 なるほど、手触りのいい薄手のタオルみたいなネグリジェは、色数が他のものよりもかなりあった。 全部でパステルカラーを含んだ二十色。 色鉛筆かクレヨンの一揃いを思い出しそうだな。 デザインはその分シンプルだが、それだからこその可愛さもあってなかなかいい。 「皆別々の色にしましょ。早いもの勝ちでね」 ハルヒはそう言ったかと思うと、 「あたしはやっぱり赤ね」 と真っ先に赤いのを引っ張り出した。 心配しなくても、他に赤いのを希望する奴はいないだろう。 朝比奈さんはおそらくピンク辺りの愛らしいものを選ぶだろうし、長門なら白か青か水色か、とにかく寒色系を選ぶだろうからな。 そう思った俺はどうやら間違っていなかったようで、長門は無言で水色のものを引っ張り出した。 朝比奈さんはまだ棚の前で悩んでおられるが、ピンクを選ばなかったとしても、多分淡いオレンジ、黄色あたりから選ぶんだろうな。 さて、俺はどうするかな。 棚を睥睨していると、やっぱり明るい色に目が行くのは、女装している時にはそういう色を選ぶ癖がついてしまっているからだろうか。 そうでなければ黒か灰色かそのあたりの色を選ぶんだが。 とりあえず、ビビッドカラーは除外だな。 流石に目に痛い。 あんなもんを着て似合うのはハルヒくらいだ。 パステルグリーン、パステルイエロー、ラベンダー…と見比べていると、 「あんたならこれがいいんじゃないの?」 とハルヒが指差したのは紫色のものだった。 「なんでだよ」 こんなドギツイ色は嫌だぞ。 「似合いそうじゃない。あんた、色っぽいのとか妙に似合うし。肩から紐で吊るしてあるだけのネグリジェでもあんたが着たら凄く色気が出そうだわ」 そんなもん出してどうする。 パジャマパーティーをしたいためだけの買い物だろ。 「あら、あたしは買った後あんたがどう使おうが勝手だと思ってるけど?」 とハルヒがニヤニヤ笑う理由を問うまでもあるまい。 俺は、 「あほか」 と言いながら軽くハルヒの額を指で弾き、 「もう少し大人しい色の方が俺は好きなんだ」 「古泉くんも、だったっけ?」 あいつの好みは別にいいだろ。 「そうね…だったらこれは?」 今度は真っ白か。 本当に極端から極端に走る奴だな。 「いいじゃない、別に。あんた、白も似合うでしょ。清純っぽくなって可愛いし」 さっき人のことを色っぽいだの何だのと好き勝手言っといて今度は清純呼ばわりか。 本気でこいつは俺のために見立てて……るわけないわな。 間違いなく自分のためだ。 「白も却下だ」 「なんでよ」 不貞腐れるハルヒに、 「そんな入院着みたいなもん着たくない。大体、俺は別に白が似合うような奴じゃないだろ」 と返すと、 「十分白いと思うけどね」 「どういう意味だ」 「そのままの意味よ」 これ以上取り合っても無駄だなと諦め、まだ迷っていた朝比奈さんとネグリジェを抱えて待っている長門に、 「この中だったらどれがいいと思います?」 とさっき考えていた三色を示した。 長門はすっとパステルイエローを指差し、朝比奈さんも、 「そうですね、あたしもそれがキョンくんにはよく似合うと思います。キョンくんって、お日様とか、お花みたいだから」 と自分の方がよっぽど太陽か花のような笑顔で言ってくれたので、俺はそれを選んでレジに持っていくことにした。 朝比奈さんは結局淡いピンクを選び、とても嬉しそうにその感触を確かめながらレジに運んでいた。 買うものも買ったし、と帰ろうとしたところで、 「どこに行くつもり?」 とハルヒに止められた。 「…まだ買うのか?」 「当然でしょ。まだ下着を見てもないじゃない」 そういえばそんなことも言ってたな。 やれやれ、と息を吐きながら、俺はハルヒに引っ張られるまま下着売り場に移動させられた。 それも、やけに…何だ、極端に布の面積が少ない辺りに。 デパートでもこんなエロ下着紛いのもの売ってたりするんだな…。 「こらキョン、何逃避してんのよ。あんたが着るのを選ぶんだからちゃんと見なさい!」 選ぶも何も俺にどうしろって言うんだ。 「お前等だけ買ったらどうだ?」 「あたしもみくるちゃんも有希も残念ながら当分こういうのは必要ないのよ。要るのは男がいるあんただけでしょ」 「な…っ…」 「これくらいのことで赤くなったりして……可愛いんだから」 と俺を笑ったハルヒは、 「これなんてどう?」 といつだったかに示したような黒い下着を指差す。 薄くて透けそうだな、というか実際透けるだろう、これは。 呆れる俺に、 「それともこっちにしとく?」 とハルヒが突き出したのは、横に付いた紐で止めるタイプの下着だった。 いわゆる紐パンだな。 それもTバックの。 古泉はああ見えてむっつりっぽいところがあるから好きかもしれないが……。 「…俺がはくのか?」 「そうよ。当たり前でしょ」 ……ええとハルヒさん、色々ときつい気がするんですけど? 「何? 文句でもあるの?」 「お前は日頃忘れてるみたいだけどな、俺は男だぞ?」 「それが何よ」 流石にそこまでは忘れてなかったか。 「男がこんなもんはいてたら流石の古泉でも引く気がするぞ」 「ありえないわね」 とハルヒはばっさり切り捨てた。 本当にばっさりだ。 「古泉くんってば本当にあんたにべた惚れじゃない。間違いなく引いたりしないわ」 だからこうしましょう、とハルヒは俺に提案した。 「あたしがこれをあんたに買ってあげるから、今度あんたがこれをはいて見せて、万が一にでも古泉くんが引いたらあたしの負け。あんたの言うことをなんでも聞いてやろうじゃない。でも、古泉くんが喜んだらあんたの負け。代金をあたしに支払って、ついでにあたしの好きにコスプレさせなさい。いいわね?」 と言って俺の返事も聞かず、引っ掴んだ紐パンをレジへと臆面もなく持っていったのだった。 …どうなっても俺は知らんぞ。 |