Jキョンの夏休み #2
  夏祭り



今日は夏祭りがあるとかで、俺は昼過ぎから長門の部屋に呼び出されていた。
昨日立てられたいい加減な夏休みの計画に沿ってのものではあるらしい。
そんなものを用意されると嫌でも去年のことを思い出さずにいられないのだが、長門も朝比奈さんも平気な顔をしていつも通り楽しんでいるので多分大丈夫なんだろう。
「お祭りならやっぱり浴衣よね!」
そうハルヒが言い出すのは予想の範疇だったのだが、そこで浴衣を買いに行くのではなく、既に用意されているというのは予想外だった。
それも、凝り性の長門が用意したにしては大人しい、白地に藍染で朝顔が描かれただけのものだったから、俺は余計に驚かされた。
長門のことだから、今時流行りのレースやフリルやビーズだらけのものを用意しても不思議じゃないと思っていたのだが、と俺が首を傾げていると、
「……また機会はあるから」
といくらか残念そうに言われた。
そういえば、予定の中には花火ってのもあったな。
派手なのはその時に着せるから今日は地味なのでいい、ということか。
はたまた、二回機会があるならそれぞれ趣の違ったものを、ということだろうか。
どちらにしろこいつららしい、と納得しながらハルヒたちに浴衣を着せられ、同じく浴衣に着替えた三人と共に古泉との待ち合わせ場所でもある祭りの会場に向かったのだが、そこには逆ナンに遭っている古泉がいた。
「古泉くんも大変ですね」
と呟く朝比奈さんに、
「そうですね」
と同意を示しながらも、やっぱり面白くはない。
割って入ったら助けられるだろうか、と思いながら俺は軽く下駄の音を響かせつつ古泉の方へ近づき、
「古泉、待たせたな」
と声を掛けてやった。
ぱっと顔を輝かせた古泉は、
「いえ、僕が勝手に早く来ただけですから」
と言いながら周囲にいた女の子達を蹴散らすように俺に駆け寄ってきた。
悔しそうな彼女らの視線に優越感を感じるのは、やっぱりどこかおかしいってことだろうか。
俺は口紅で赤くなった唇を歪めながら笑って、
「もてる奴は大変だな?」
「そう虐めないでくださいよ」
そう苦笑した古泉は、
「…浴衣、よく似合いますね」
「ありがとな。お前も…」
と言いながら古泉の着ている浴衣を見た俺は目を見開き、それからハルヒたちを見た。
朝比奈さんは楽しげに微笑み、ハルヒはニヤニヤと笑い、長門も心なしか面白がっているように見えた。
ということはつまり、ハルヒたちの企みなんだろう。
「ペアの浴衣とか……恥ずかしくないのか…?」
ずるずるとしゃがみこんでやりたくなりながらも、浴衣のせいでそれもままならず、せめてと真っ赤になった顔を押さえながら言えば、
「全く恥ずかしくないと言えば嘘になりますが、それ以上に嬉しいですから」
そう笑顔で言った古泉は、俺の着ている浴衣とは色を反転したようなその浴衣を俺に見せながら、
「似合いませんか?」
「…よく似合ってる」
「ありがとうございます」
ハルヒは笑顔のままで、
「あんたも嬉しいんでしょ? 素直に喜びなさいよ!」
恥ずかしいってのも分かってくれ、頼むから。
「ほら、ぐずぐず言ってないで行くわよ! 祭りは短いんだから!」
強引に言ったハルヒは俺の手を引っ張って並ぶ屋台の方へ突き進んでいく。
ペアルックをお膳立てしてくれた割に、二人きりにしてくれるつもりはないらしい。
「まずはやっぱり金魚すくいよね!」
雄たけびを上げて突進して行くのはいいが、ナマモノは最後にするべきじゃないのか?
「いいから早くしなさいよ」
そう急かされて、俺は慎重に膝を曲げ、金魚の入った水槽の前に屈みこんだ。
金を払おうと持たされた巾着袋から財布と取り出すより早く、古泉がハルヒたちの分まで払っている。
こいつがモテるのは、こういうところがあるからというのも大きいのだろうか。
「袖を濡らさないように気をつけてくださいね」
と背後から言って、古泉は軽く俺の袖を抓み上げてくれた。
「お? おお、さんきゅ」
礼を言ったところで、ハルヒが、
「キョン、今から何匹取れるか競争だからね!」
と吼え、俺は哀れな金魚と年長者の集団に占拠されたせいで背後で列を作る小学生の群に内心で謝罪しながら金魚をすくい始めたわけだが、これが久しぶりだからかはたまた単純に俺が不器用なのか、なんとか一匹すくい上げたところで紙を破かれてしまった。
朝比奈さんは早々に、
「やっぱり出来ませんでした」
とギブアップし、小学生に場所を譲りながら微笑ましげに金魚を眺めている。
「お前はしなくていいのか?」
俺が聞くと、古泉は少し考えた後、
「そうですね…。生き物を飼えるかという問題があるんですが、すくうのは楽しそうですから、やってみましょうか」
そうしろ。
とれたら…朝比奈さんかうちの妹にでもやればいいさ。
「では、」
と古泉は腕まくりをしたが、なんというかだな、そのまくり上げ方というかその仕草というかが、妙にかっこよかった。
着痩せするたちだから、割となよなよして見えるくせに、現れた腕はがっしりしていて、正直、惚れ惚れした。
「古泉くんも参戦するのね? いいわ、受けて立ってあげる!」
ハルヒが上機嫌で言っているのへ、
「数年ぶりなので、みっともないところをお見せするかもしれませんが」
と言いながら古泉はしゃがみ、金魚屋が目を丸くするほど金魚をすくっているハルヒと長門の間で金魚をすくい始めた。
釣果――でいいのか?――は、赤いのも黒いのも混ざって三匹。
常識で考えれば上出来だろう。
ただ、左右にいるハルヒと長門が非常識なほどすくっているのと比べると見劣りするのは否めない。
俺のすくったのと同じビニール袋に三匹加えてもらったそれを、俺は朝比奈さんに差し出した。
「これ、朝比奈さんが育ててやってくれますか? こういうところのなんで、余り長生きはしないかもしれませんけど」
「いいんですか?」
嬉しそうに目を細めた朝比奈さんは、
「嬉しいです。ありがとう、キョンくん、古泉くん」
と言ってそれを受け取ってくれた。
こうやって本当に嬉しそうに笑って受け取ってくれるから、この人は余計に女神か天使みたいに見えるんだろうな。
俺も見習えるものなら見習おう。
ハルヒと長門の勝負は十匹を越えたあたりでとりあえず引分けとなり、すし詰め状態を嫌というほど満喫した金魚たちを水槽に戻して終った。
「キャッチアンドリリースよ」
とハルヒは笑っていた。
そうして、
「今度は射的ね」
とまたもや俺を引っ張って行く。
人混みではぐれたくないんだが、と思っている間に、古泉とは引き離されちまった。
まあ、子供じゃないから大丈夫だろう。
…逆に言うと子供じゃないから、また女の子に声を掛けられないか心配でもあるんだが。
射的屋のちゃちい銃を構えさせられ、長門に、
「…角度を3度27分19秒下に修正して」
などと無茶な要求をされ、肩をがちがちに凝らせたところで、
「食べませんか?」
と目の前にりんご飴を突き出された。
突き出した張本人であるところの古泉を睨み上げ、
「お前はひとりでどこに行ってたんだ」
「綿菓子の方がいいですか?」
会話を成立させろ。
「すみません、あなたがお忙しそうだったので」
「全く…」
ぺろりとりんご飴を舐め上げ、その甘さに疲れを癒しつつ、
「…こういうのは一緒に見て、買うから楽しいんだろうが」
「すみません、今度からはそうしましょう」
と言っているが、笑ってるのでいまいち反省しているように見えない。
ため息を吐いたところで、長門がじっと古泉の持っているビニール袋を見ているのに気がついた。
「長門?」
と俺が声を掛けたので、古泉も長門に視線を向け、それから優しく笑った。
「食べますか?」
こくり、と長門は頷き、古泉は白いパックに入ったたこ焼きを取り出した。
「どうぞ。熱いので気をつけてくださいね」
長門にたこ焼き程度の熱さが堪えるとも思えないが。
しかし…なんというか、微笑ましいな、これは。
古泉が長門を餌付けしている光景なんて滅多に見れたもんじゃないぞ。
そんな風に見つめている俺の視線に何を思ったか、古泉はまだ中身のあるらしいパックを軽く持ち上げて俺に見せた。
俺は軽く首を振り、
「ハルヒにでも食わせてやれ。そうじゃないとうるさいぞ。それに俺は、どうせならお前の作るのが食べたい」
「では、また今度作りましょう」
そう微笑した古泉を長門が再び凝視している。
今度は何だ?
長門は古泉を見つめながら、
「……あなたも作れるの?」
も、というのはハルヒが前に作っていたからだろう。
「ええ、一応たこ焼きの形にはなりますよ」
その、たこ焼きの形にするってのが難しい気がするんだが。
「もしかして、長門さんも食べたいんですか?」
長門はまたコクンと頷いた。
「では、今度うちで集まった時にでも、しましょうか。たこ焼きと明石焼きでも作って」
俺は長門の明石焼きも絶品だったことを思い出しながら、
「ついでに丸いカステラも作ってくれ」
「畏まりました」
と頷いた古泉はやっぱり料理が好きなんだろうな。
ちょっとねだっただけなのに、えらく嬉しそうだ。
それから、ハルヒが射的での戦利品を抱えて戻ってきたのにたこ焼きを食べさせ、俺たちはやっと移動を再開した。
その後もあれこれ買い食いしたり、遊んだりしながら奥の方へ進み、やっと盆踊りの会場に着いたかと思うと、
「じゃあ、あたしたちは踊ってくるわ!」
そう言い残して盆踊りの中へ突撃して行くハルヒたちを見送って、俺はやっと一息つくことが出来た。
「お疲れ様です」
苦笑混じりの言葉をよこす恋人に、
「他人事みたいに言うんじゃない」
と呟きながら軽く肩を預ければ、
「さっき涼宮さんからくじ引きで当たった花火セットをいただいたんです。一緒にやりませんか?」
と言われた。
「今からか?」
それはつまり、ハルヒたちを置いて行くってことだろう?
そんなことをして構わないんだろうか。
「ダメならこんなものをわざわざ僕とあなたにと言ってくださったりはしないでしょう。どこかで安いバケツでも買って、川原に行きませんか」
そう言われれば、古泉とせっかく二人きりになれそうなのだから俺に否やはなく、踊りの輪の中にいるハルヒたちに軽く手を振って、そのままその場を離れた。
人混みから出るまでの間に自然に手を繋いでいた俺たちはその手を離さないまま歩いた。
茹だるような暑さは、日が暮れた今も続いている。
それなのに、暖かなその手を離したくないと感じた。
かといって言葉も交わさないのは、一昨日、昨日と十分過ぎるくらい語らったからだろう。
黙り込んだまま花火を始めた後、不意に古泉が言った。
「あなたが女装をしていると、いつもならあなたに興味を示さないはずの人間まで表面上の変化に惑わされてあなたに下劣な視線を向けるのが嫌だと思うことも多々あるのですが、」
「おい」
下劣ってお前な。
あと、表面上の変化に惑わされてってのは俺に対する皮肉になってないか?
「重要なのはそこではないんですよ。……そんな風に思ったりするくせに、今のように堂々とあなたは僕の大切な人なんだと主張出来ることが嬉しいと思ってしまうと、そのことを伝えたかったんですから」
「……俺も、嬉しいと思ってるぞ」
ぽつりと呟けば、
「本当ですか?」
と喜色の滲んだ声で問い返される。
「嘘を言ってどうする」
「すみません、そういうつもりではなかったんですが」
「女装して注目されるのは楽しいと思うが、それ以上にこんな風に張り切った化粧とかしちまうのはお前と堂々としていられたりするからなんだって、前にも言っただろうが」
不貞腐れたように言えば、優しく抱きしめられた。
「ありがとうございます。…愛してます」
「ん…俺もだ」
そう返して古泉の方へと体を向けたのと共に、花火に火を点けるために使っていたロウソクの火が消えた。
ふわりとあたりに闇が広がる。
見える光は遠くの街灯ばかりで、目の前の古泉さえ柔らかな輪郭線くらいしか判別できなくなる。
それを幸いとばかりに口付けられ、俺はくすぐったさに笑いながら、文句は言わずに大人しくそれを受け入れた。