海水浴



館へ着き、圭一さんに迎えられた後、各自部屋に荷物を置きに行く段になって、ハルヒは悪戯っぽく笑って俺と古泉に言った。
「あんたたちは部屋も一緒の方がいいじゃないの?」
「ば…っ」
ばかなことを言うな、と言い切ることも出来ず、真っ赤になって口ごもった俺に代わり、古泉はにこにこと笑みを振りまきながら、
「そうしていいのでしたら喜んでそうさせて頂きますけど、それは流石に彼に怒られてしまいそうですから、残念ながら遠慮させていただきます」
「そう?」
と答えたハルヒは俺をちらりと見た後、
「そうね。キョンってば変なところで羞恥心が強いんだから、面倒な奴よね」
面倒な奴なんてことは、こいつにだけは言われたくなかったな。
それからまあ、何だ。
俺たちは早速ビーチへ向かうことになったのは良かったのだが、俺はハルヒの命令で一人遅れていくことになった。
命令と言っても簡単なもので、
「古泉くんに出来るだけ効果的に、あんたの水着姿を見せたいから、あたしたちが行った後、遅れてきなさい!」
というものだ。
俺としては少しでも先延ばし出来、しかも水着に相応しいロケーションで見せることによって少しでもみっともない姿だと思われないで済むのならありがたいと承知したのだが、古泉はどこか渋々といった様子で頷いていた。
……俺の水着姿なんて、そんな見たがるようなもんでもないと思うのだが。
水着に着替えた本物の女の子三人に囲まれているというのに浮かぬ顔の古泉を、苦笑しながら宥めたのはお義姉さんだった。
「心配しなくても、私が送って行っても構いませんし、難でしたら他の男性陣を見張っていてもいいですから」
その後に続けられることなく省略された言葉はおそらく、「さっさと行きなさい」とかそういう類の言葉なのだろう。
古泉は小さくため息を吐くと、やはりお義姉さんには逆らえないらしく、
「分かりました」
と頷き、ハルヒたちの荷物もちを勤めて海へ向かった。
「後でな」
そう言ってそれを見送った俺は、もう一度部屋に戻る。
ちゃっかり着いてきたお義姉さんは、若干素に戻りながら、
「ちゃんと女性用の水着を用意されたんですね」
とどこか寂しそうに言った。
俺は苦笑しながら、
「すみません。もしかして…用意したり、してました?」
「ええ」
悪びれもせずに頷いたお義姉さんは、
「こんな機会でもなければ、着てもらえないし見せてももらえないでしょう? 勿論、別に私が用意したものでなくてもいいといえばいいんですけど、それでもやっぱり、少々残念です」
「あー………じゃあ、」
俺は軽く頭を掻きながら、
「流石に替えの水着までは用意してないんで、明日貸してもらえますか?」
「いいんですか?」
嬉しそうに確認しながら、お義姉さんが俺の手をぎゅっと握る。
「はい」
「ありがとうございます」
お義姉さんは満面の笑みを浮かべると、
「さ、早く着替えていく必要があるんでしょう?」
急がないと、と俺の服に手を掛けた。
「ちょっ…じ、自分で着替えられますから…!」
「遠慮しなくていいんですよ? ――と、言いたいところですけど、」
ぱっと手を離したお義姉さんは、
「古泉に恨まれそうですから、やめておきますね。それでは、また後で」
と俺から離れ、部屋を出て行った。
やっとひとりになった俺は小さくため息を吐きながら、荷物の中から真新しい水着を取り出した。
ハルヒたちが選んでくれたそれは、完全に、言い逃れのしようもない女性物である。
去年ここに来た時には、まさか自分がこんな奇矯な振る舞いをするようになろうとは欠片も思わなかったものだが、人生というのはまさに恐ろしいものである。
などとぶつくさ言っているからといって、俺が後悔しているのかというと、そうでもないのもまた恐ろしい。
一体どこまで俺は常識の軸をハルヒたち寄りにずらしちまったんだろうな。
胸に詰め物代わりの所謂ヌーブラを付け、キャミソールのような水着を被る。
下も、念のために男物の水着をつけた上で、デニム生地の、とても水着とは思えないようなものをはいた。
…何がどう念のためなのかは聞かないように。
そうしておいて、露出した手足にしっかり日焼け止めを塗った後、薄手の白いパーカーを羽織った。
頭には当然、つばの広い麦藁帽を被る。
そうして、準備万端整えて部屋を出たのだが、そこで待っていたお義姉さんの第一声は、
「可愛いですね」
という弾んだものであり、しかも、
「…でも、思ったよりも普通ですね。もう少し水着らしい方がよかったんじゃありませんか?」
と残念そうに付け加えられた。
「勘弁してください…」
この調子だと、一体どんな水着を用意されているのやら。
安請け合いしたことを悔やみながら視線をそらし、
「それじゃ、俺はビーチに行くんで……」
「日焼け止めはちゃんと塗りましたか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
「そう。せっかく綺麗な肌なのに焼けて傷んだら勿体無いですものね」
お義姉さん、楽しそうですね…。
泳ぐ前から疲れそうになりつつ、俺は館を出ようと階段を下ったのだが、
「おや、」
と背後から声がして思わず竦みあがった。
「あ、新川さん…」
「これはこれは」
悪戯する孫を見つけたみたいに、目を細めないでいただきたい。
いっそのこと似合うとか似合わないとか言われた方がマシだ。
羞恥に顔を赤くしていると、部屋から顔を出した裕さんが、
「水着もよく似合うね」
とさらっと褒めてくれた。
いかん、これはこれで恥ずかしい。
俺は帽子で顔を隠すようにしながら、
「あ、ありがとうございます」
とだけ言って、俺は館から逃げ出した。
そのまま駆け足でビーチへの道を下りる。
女物のサンダルの頼りなさにも慣れた足は、少々の悪路を物ともしない。
ただ、早く古泉に見せたくて、その反応が見たかったんだろう。
じわりと滲んでくる汗に水着が少し違和感を増すのを感じながら、俺はビーチに足をつけた。
「待たせたな」
海の方を向いてビーチボールを膨らませていた古泉に声を掛けると、
「いえ、」
と答えながら振り返った古泉が、柔らかく目を細めた。
その優しさが気持ちよくて、同時にくすぐったい。
「よくお似合いですね。可愛いです」
手放しで褒めた古泉は、
「でも、あまり水着らしいデザインは選ばなかったんですね」
俺は思わず吹き出し、
「お前、お義姉さんと同じこと言ってるぞ」
と指摘してやったのだが、指摘された古泉は複雑な表情を見せた。
なんだ、お義姉さんと同じは嫌か。
「嫌と言いますか……まあ、度々指摘されるわけですよ。見た目でなく言動が本当の姉弟のように似てるとか、色々と」
「…それが嫌なのか?」
「……」
少しの間黙り込んだ古泉は、警戒するように周囲を見回した後、小声でこっそりと、
「笑顔で人のことをねちねちと責めたり、人権無視もいいところな無茶な作戦を指示するような人と似てると言われて嬉しいと思いますか」
「…お前な……」
というか、お義姉さんはそこまで危ない人なのか。
「あなたの前では猫を被ってますけどね。今も、これだけ見通しのきく場所だから言えましたけど、そうじゃなかったらとてもじゃありませんが、言えません。特にあの館でなんて、どこに潜んでいるか分かりませんからね…」
そうため息を吐く古泉に、微笑ましいものを感じてしまった。
本当に姉弟みたいだ。
それも姉が絶対的優位に立ちながら弟を優しく見守っていて、弟の方はそれを分かっていて嬉しくもあるのだが思春期ゆえか反発してしまう、というようなそれこそどこにでもありそうな姉弟みたいに思える。
思わず目を細めると、
「なんですか」
と恨みがましい目で見られた。
「なんでもない」
「いいですよ、何か思ったんでしょう。言えばいいじゃないですか」
「拗ねるな」
お前が拗ねても可愛くない、と嘘を言えば、
「別に可愛くなくていいですし、そもそも拗ねてません」
「拗ねてるだろ」
笑いながら古泉の肩を軽く叩き、
「ほら、ハルヒたちも待ってるんだから、さっさとそれ膨らませて、泳ぐぞ」
先に行くからな、と声を掛けて、俺はハルヒたちの方に向かった。
ハルヒたちが俺が来たのに気付いていながら、俺を呼びもせず、黙って見ていたということはどういうことなのか、言うまでもないだろう。
俺が古泉の側を離れるなり、
「キョン!」
とハルヒが海から俺を呼んだ。
俺はビニールシートの上にパーカーを放り出すと、ざぶざぶと海に足を入れた。
準備体操もしてないがまあ大丈夫だろう。
危なそうだったら長門が止めてくれるさ。
「どうした?」
思ったよりも温い海に胸の辺りまで浸かったところで、ハルヒのところにたどり着いたのだが、いきなりハルヒに引き寄せられ、顔を近づけられた。
バランスを崩して転んだらどうしてくれるつもりなんだ、こいつは。
「古泉くんの反応はどうだった?」
「…微妙、だな」
可愛いと言ってくれたし、似合ってるとも言ってくれた。
嬉しそうでもあったと思う。
が、
「やっぱりもう少し水着っぽい方がよかったか…?」
せっかく買ったのに残念だが。
「何言ってんのよ。あんたの性格なら最初はこれくらいが限度でしょ」
俺以上に俺のことを心得ているつもりであるらしいハルヒはそう自信満々に言い放つと、
「それに、これで今度あんたが色っぽいのを着たらもっと古泉くんをびっくりさせられるわ」
「…楽しそうだな」
「楽しいもん」
ハルヒはきらきらした笑顔でそう言い、
「今度こそビキニタイプとかどう?」
「いや…流石にそれは……」
「なんでよ。古泉くんのこと悩殺したいんじゃないの?」
誰がそこまで言った。
「じゃあ何? 何でもっと色っぽいのを着たいの?」
「それは……」
やっぱりもう少しドキドキしてもらいたいと言うか、いつもと違うんだからもう少し違った反応がほしいと言うか、なんというかで。
ああくそ、自分の乙女染みた思考回路に泣きたくなる。
「頭冷やしてくる」
俺はそう言って海に潜り、ハルヒから離れた。
「全くもう、可愛いんだから」
「可愛いですよねぇ」
「……可愛い」
なんて三人の発言は聞いてないことにしたい。
慣れない女物の水着は、いくらか違和感はあるものの、普通に泳げるようなものだった。
胸がないから、いつずれるかと思うと気が気じゃないが、それさえなければいたって快適だ。
大体、最初こそ薄着が出来なかったが最近では平然とキャミソールとミニスカートなんかで出歩いている以上、こんなデザインの水着で目新しく感じるわけがない。
だから古泉の反応があの程度でも仕方ない。
そう納得しかけて、――何を必死に自己弁護しようとしているのかと呆れた。
結局俺は古泉に褒めて欲しかったんだろうか。
顔を赤くして、綺麗ですとか言って欲しかったのか?
……恥ずかしくて死ねそうだ。
火照った頬に触れた海の水が、やけに冷たく思えた。