夏休み第一日目。 まるでそれが事前に定められたSOS団年間スケジュールであるかのように、俺たちはまたもやあの孤島に向かっていた。 別の場所でも、という話もあったのだが、ここのプライベートビーチが都合がいいということで、またここに決まったのだ。 何に都合がいいかなんてことは、今更言うまでもない。 おかげで今回は謎解きなんてものが免除になったのだからよしとしよう。 古泉も重責から解放されて、さぞかしほっとしていることだろうと思っていたのだが、フェリーに乗り込んだ時点で既にかなり心配そうな面持ちになっていた。 デッキの手すりに体を預け、海を見ていたのだが、海以上に隣りにいる奴の顔が気になった俺は、諦めて眩しい青から目をそらした。 「どうかしたのか?」 家の戸締りが心配だとか、ガスの元栓を締めたかどうか忘れたとか、そんなレベルですらないくらい、心配そうに見えるのだが。 「いえ…」 せっかく聞いてやったというのに、古泉は困ったように視線をそらし、答えようとしなかった。 「なんでもないって顔じゃないだろ」 と言った声が不機嫌なものになったところで仕方ないだろう。 実際、機嫌が悪くなりかかってたんだからな。 だが古泉は、 「言っても分かっていただけないと思いますよ? あなたの機嫌を損ねてしまうかもしれませんし…」 だから言いたくないのだと言う古泉に、俺は深い深いため息を吐いた。 「俺としては、そうやって隠される方がよっぽど嫌なんだってことくらい、分かるだろ? 正直に教えてくれ」 「……分かりました」 沈痛とでも言ったら丁度いいような顔つきで頷いた古泉は、その表情を崩しも緩めもしないまま、 「――今日の服、随分と露出度が高いんですね」 とよく分からんことを言った。 「そう…か?」 「ええ。肩も腕も脚も剥き出しじゃないですか」 「……やっぱり似合わなかったか?」 ハルヒたちが勧めてくれたから素直に着たのだが、やっぱりキャミソールみたいに肩紐の細い、しかもミニのワンピースは無謀だっただろうか。 羽織るものもショールなんかじゃなく、ちゃんとしたカーディガンやボレロにしておくべきだっただろうか。 しかしこのショールは朝比奈さんが手ずから作ってくださったものだから、極力身につけたかったんだが。 「似合わないなんてことはありませんよ」 慌てて古泉は言い、ほんのり頬を赤く染めながら、そっと視線をそらした。 恥ずかしそうに、はにかむように。 「むしろ、逆です。…余りにもよくお似合いなので、その、少々…困るんです」 「困るって…何が?」 俺がそう問うと、古泉は俺が理解し切れなかったことを残念がるように小さく嘆息した後、俺の耳に唇を寄せ、無駄にいい声で囁いた。 「心配に、なってしまうんです。あなたが誰かにナンパされないか、いえ、誰かがあなたに不埒な想いを抱いたり、そんな目であなたを見ないかと、案じたところで如何ともし難いことさえ、考えてしまうんですよ。あなたが……魅力的過ぎるから」 思わずぞくりとしたものが背中を走り、いかんいかんと頭を振った。 まだ真っ昼間だってのに、なんて声を出しやがるんだこいつは。 というか、俺の方こそ心配になってきたぞ。 その調子で無意識に妙なフェロモン振りまいてたりするんじゃないだろうな。 とりあえず、と俺は真っ赤になった顔を必死に古泉から背けながら、 「上着取って来る。ちゃんと肩とか隠せば満足なんだろ?」 「僕も行きます」 腰巾着よろしく付いてこようとする古泉に、俺は眉を寄せながら、 「ちょっとの距離なんだから別にいいだろ。ここに戻ってくるつもりなんだし」 「だめですよ。あなたをひとりになんて出来ません」 だからお前はどれだけ過保護なんだ――と言い掛けてやめた。 これ以上何を言ったって無駄だろう。 「…勝手にしろ」 諦めとともにそう呟いて、俺は船室に戻った。 ハルヒは朝比奈さんと長門と一緒に、トランプを広げて遊んでいたのだが、俺たちを見ると、 「もういいの?」 と聞いてきた。 「いや、ちょっと上着を取りにな」 そう返しながら、俺は自分のバッグの側に膝をつくと、ファスナーを引っ張った。 それにしても、女物の服っていうのはどうしてこうもかさばるんだろうな。 俺の荷造りが下手なだけじゃないと言えそうなくらい、量が多い。 男物を詰め込むだけなら、もっと少なくて済むだろうに、着替えにもハルヒたちがあれこれ口出ししてくれたおかげで余計に増えた服でバッグはぱんぱんだ。 その中から、薄手だが長袖の、きっちりと手首も首筋も覆ってくれるカーディガンを引っ張り出したところで、ハルヒにもどうやら察しがついたらしい。 「ははぁん」 と小さく鼻を鳴らして、 「そういうことね。でも、正しい判断だわ。キョンくらい危なっかしいとそうやってちゃんと着込んでた方が安全だもの」 「お前な…」 誰が今日の服を選んだんだったか、思い出させてやろうか。 「あたしは、あんたに似合いそうな服を選んだだけでしょ。その上で、ちゃんとカバーしなかったのはあんたなんだから、あんたの責任よ。それに、」 ハルヒはにやりと品のない笑みを浮かべると、 「旅行ってだけで、あんたも意外と気が緩んでるんじゃないの? なんだかいつもの数倍は警戒心が薄れてるみたいに見えるわよ。すっごい無防備なんだもん」 「どこがだ」 俺はいつも通りのはずだぞ。 「いつも通りなんかじゃないわよ。フェロモンだだ漏れみたいな顔しちゃって」 それは俺じゃなく古泉に言ってやれ、と思った俺とは逆に、古泉はため息混じりに頷くと、 「そうなんですよね」 とハルヒに同意を示した。 裏切り者め。 「いつもより頼りなく見えて…放っておいたらどこかに連れ込まれそうで怖いんです」 「じゃあ、しっかり見張っとかなきゃね」 そう笑って返したハルヒだったが、冗談のつもりでないことは明白だ。 俺は思いっきり顔をしかめると、 「お前らは俺をなんだと思ってるんだ」 と唸るように聞いてやったのだが、 ハルヒはあっさりと、 「魔性の女じゃなかったの?」 と答え、古泉は古泉で、 「こちらが心配でならなくなるほど、無防備で、しかもご自分の魅力をちゃんと解ってくださらない、困った方だと思ってます」 と大真面目に返しやがった。 長門が小声で何か呟いたのは、聞かなかったことにしたい。 そんなこんなで、古泉にべったり貼り付かれたまま、フェリーの旅は終了し、前回同様に待っていた新川さんと、お義姉さんこと森さんに合流した。 二人とも流石と言うべきか、きっちりとポーカーフェイスを保っており、俺の格好に言及することなどなく、極普通に、 「お久しぶりです」 などと挨拶を交わしていたのが凄かった。 事前に知ってはいただろうが、それでも凄いと思う。 しかしハルヒはそれでは満足出来なかったらしい。 ぐいっと俺の腕を引っ張ったかと思うと、俺の肩を掴み、 「今回のキョンは可愛いでしょ!」 と新川さんたちにコメントを求めたのだ。 「ハルヒ…っ!」 と止める間もなかった。 新川さんは孫の悪戯を微笑ましく見守る祖父のように柔らかく目を細めると、 「ええ、本当によくお似合いで」 お義姉さんはそれに頷きながら、 「可愛らしいです」 と、抑え気味ながらもどこか隠し切れない興奮らしきものを感じさせる声で答えた。 ……やっぱり、何か着替えを用意されてしまっているんだろうか。 ハルヒは一応その答えに満足したらしく、満面の笑みを見せると、 「よかったわね、キョン」 と俺に言ったが、俺にはそれに答える気力などなかった。 早くも疲れてしまいつつある俺を乗せて、クルーザーが海上を走る。 ハルヒはうきうきと、島に着いたら何をするかとあれこれ並べ立てているし、朝比奈さんは相変わらずお義姉さんの立ち居振る舞いを研究中だ。 俺はと言うと古泉と長門に挟まれるように座らされ、ぼんやりしていた。 何も考えたくないなどと思うのは、これからまだ二人ばかりの人間に女装趣味を暴露しなくてはならないからだろう。 「浮かぬ顔ですね」 心配そうに俺の顔をのぞきこんできた古泉が、少々ひんやりした手を俺の額に当てた。 「熱…ではないですよね」 「ああ。……ちょっと憂鬱なだけだ」 そうため息を吐けば、理解してもらえたらしい。 小さく相槌を打った古泉が、曖昧に微笑んだ。 「別に、多丸さんたちならあからさまに嫌悪してきたりすることもないんだろうけどな。それでも…やっぱり不安にはなるんだ」 「大丈夫ですよ。…と言っても、気休め程度にしかならないのでしょうが」 そう言った古泉が俺の髪を撫でた。 「もう少し、楽しいことも考えたらどうでしょうか」 「楽しいこと、ねぇ…」 「僕としては、」 にやりと少々意地の悪い笑みを見せた古泉は、 「あなたがどんな水着を着てくださるのかが、少なからず楽しみなんですが」 「…ばか」 小さく毒づくと、古泉は笑いながら、 「楽しみにしてます」 ともう一度言って、こっそりと俺の頬に口付けた。 「この…っ」 真っ赤になった俺が、それこそ脊髄反射かと思うような素早さで古泉を殴ったことは言うまでもない。 それから、到着した島の小さな船着場には、去年と同じく、裕さんが待っていた。 ハルヒたちが船から下りるのへ紳士らしく手を貸してくれた裕さんは、俺を見て目を見開き、 「えぇと……キョンくん、だよね?」 と驚きのまま口にした。 俺は顔を赤らめながら、 「…そうです」 と答えたのだが、なんとか出した声はかすかに震えていた。 俺の不安を見透かしたわけでもないだろうが、裕さんは爽やかに笑うと、 「聞いてはいたけど、凄いね。本当に美人さんだ」 それへ古泉がすかさず、 「彼女に手を出したら、裕さんでも許しませんから」 と笑顔で言った。 彼女、とナチュラルに言われたことを喜べばいいのか、それともそんな風にいいがかりのようなことを言う古泉に呆れればいいのか分からなくなる俺を他所に、裕さんはまるでこの人が古泉に笑い方を色々と教えたんじゃなかろうかと思うような、かすかに人の悪さが滲む、余裕に満ちた笑みを見せ、 「一樹くんがそんなことを言い出すとはね」 どうやら、裕さんの方が古泉より遥かに上手らしい。 ご丁寧に、俺にも手を貸してくれようとした裕さんの手を、俺が取るよりも早く、古泉が先にクルーザーを下り、俺の手を取った。 「ありがとな」 笑いを堪えながらそう言って、古泉の手を借り、島へ下り立つと、爽やかな風が吹きぬけていった。 |